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	<title>コッガラ | スリランカ観光情報サイト Spice Up(スパイスアップ)</title>
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	<description>Spice Up(スパイスアップ)はスリランカに滞在する日本人向けに、観光・生活情報を発信するサイトです！観光に必要な基本情報はもちろん、現地からの新着情報もお届けします。</description>
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	<title>コッガラ | スリランカ観光情報サイト Spice Up(スパイスアップ)</title>
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	<item>
		<title>新訳・釈宗演『西遊日記』〜明治時代に29歳でセイロン留学した記録〜</title>
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					<comments>https://spiceup.lk/saiyunikki/#comments</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[神谷 政志]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 24 Feb 2023 04:29:24 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コッガラ]]></category>
		<category><![CDATA[ゴール]]></category>
		<category><![CDATA[書籍・映画・テレビなど]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>明治時代に福沢諭吉の慶應義塾で英語を学び、29歳で命懸けのスリランカ留学をした釈宗演による和文、漢文、英文、シンハラ文字を使った日記の現代語訳 新訳・釈宗演『西遊日記』を紹介します。 本書を読むと、福沢諭吉よりも多くのお…</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>明治時代に福沢諭吉の慶應義塾で英語を学び、<wbr />29歳で命懸けのスリランカ留学をした釈宗演による和文、漢文、<wbr />英文、シンハラ文字を使った日記の現代語訳 <span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://amzn.to/41nR4rZ">新訳・釈宗演『西遊日記』</a></span>を紹介します。</p>
<p>本書を読むと、福沢諭吉よりも多くのお金を山岡鉄舟や鳥尾小弥太、<wbr />日本ラグビーの父「田中銀之助」の父親、歌舞伎作家などが支援したことが分かります。</p>
<p>また、当時の横浜港、神戸港、長崎港、香港、シンガポール、<wbr />セイロンの様子が記述されていて大変興味深いです。香港では三井物産に立ち寄っています。</p>
<p>当時の日本の知識人から見た、中国人、インド人、セイロン人、<wbr />イギリス人への評価も興味深いです。</p>
<p>釈宗演はスリランカ仏教について、あまり評価をしていないことも本書を読むと分かります。</p>
<p><iframe style="width: 120px; height: 240px;" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;IS2=1&amp;bg1=FFFFFF&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;t=kami0719-22&amp;language=ja_JP&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as4&amp;m=amazon&amp;f=ifr&amp;ref=as_ss_li_til&amp;asins=4804611797&amp;linkId=a2d4447adf88dfe605fd1e1a5ee60693" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" sandbox="allow-popups allow-scripts allow-modals allow-forms allow-same-origin"></iframe></p>
<h2>本書の時代背景と主な登場人物</h2>
<h3>西遊日記とは？</h3>
<p>『西遊日記』は、釈宗演が29歳でスリランカ（当時のセイロン）<wbr />に3年間在住した際に残した日記です。</p>
<p>日記は上中下の三巻構成で、上巻のみが原型があり、<wbr />中巻は漢文に書き改められたもの、<wbr />下巻は所在が分からなくなっています。</p>
<p>当時は漢文が教養人の共通の素養であり、<wbr />公刊するならば漢文でなければ恥ずかしいという感覚があったよう<wbr />だと、現代語訳をした正木晃さんが記されています。</p>
<p>西遊日記は、釈宗演は晩年に建長寺管長と円覚寺管長を辞任して、<wbr />東慶寺に引退していますが、日記は東慶寺に保管されています。</p>
<p>東慶寺の井上禅定さんによれば、「和歌は変体のかな、<wbr />詩は時に草書、行書、後の方には英語が出る、<wbr />セイロン文字が出るという具合」とあります。</p>
<p>釈宗演が渡航した1887年はヴィクトリア女王即位五十周年に当<wbr />たり、イギリス植民地各地（寄港地の香港、シンガポール、<wbr />目的地のセイロンを含む）で祝賀行事が行われていたため、<wbr />イギリス人と現地人の様子が描写されています。</p>
<p>また、<wbr />前年の1886年はイギリスによって仏教国コンバウン朝（ビルマ王朝）が滅亡した<wbr />年でもあります。</p>
<p>日本では明治維新で廃仏毀釈が行り、西洋化と波、西洋列強に対して、危機感を持った釈宗演が、当日の世界最強国家イギリスの植民地であり仏教国のセイロンに滞在した際の日記、と言えそうです。</p>
<h3>明治の高僧・釈宗演とは？</h3>
<p>釈宗演は明治時代を代表する臨済宗の高僧です。</p>
<p>29歳の時に福沢諭吉、山岡鉄舟、<wbr />鳥尾小弥太ら政財の大物から資金援助を受けてセイロンのゴール郊<wbr />外、コッガラのカタルワ村に3年間留学。</p>
<p>34 歳で円覚寺管長に就任し、後に建長寺管長も兼任。<wbr />後にも先にも両寺の管長を兼任したのは釈宗演のみだそうです。</p>
<p>夏目漱石は釈宗演に参禅し、著作『門』<wbr />の老師のモデルは釈宗演だそうです。</p>
<p>弟子の鈴木大拙を伴い渡米し、<wbr />世界に禅を伝えた人物ともされています。</p>
<h3>セイロン留学の目的とは？</h3>
<p>釈宗演のセイロン留学の目的は、<wbr />本書を読むだけでは分かりませんが、「セイロン・<wbr />シャム間の仏教交流と釈宗演の タマユット派比丘出家の蹉跌」 （1889 年 7 月）  には、以下のようにあります。</p>
<blockquote><p> 宗演が語るところでは，セイロンに渡っ たのは敵本主義に由るものであり，本当の目的地は欧州であった。<wbr />憧れの欧州に渡航したいのだが， 資力や知識が不十分なので，<wbr />取り敢えずイギリス植民地のセイロンに渡って英語力を高め，<wbr />イギリス 人とも交際して，訪欧の準備をすることが，<wbr />セイロンに来た第一義的目的であった。ところが，セイ ロンに来て見ると，仏教徒は，<wbr />支配者の英国人に軽蔑されているので，<wbr />僧衣を着ていては英国人と交 際することもままならない，<wbr />それにパーリ語の暗誦に時間を取られ英書を読む余裕もない。<wbr />西洋植民 地下の仏教に厭気がさした宗演は，<wbr />国王が仏教の庇護者である独立国シャムの「純正仏法」，とりわ けタマユット派で具足戒を受け比丘出家することに方向転換をした<wbr /></p></blockquote>
<div>参考）</div>
<div><span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="file:///C:/Users/mitsuko/Downloads/AjiaTaiheiyoTokyu_24_Murashima%20(1).pdf">バンコクにおける日本人商業の起源： 名古屋紳商（野々垣直次郎，長坂多門）のタイ進出  </a></span></div>
<div><span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/44/0/44_1/_pdf">セイロン・シャム間の仏教交流と釈宗演の タマユット派比丘出家の蹉跌 （1889 年 7 月）  </a></span></div>
<div></div>
<h3>仏教の中心地でだったゴール</h3>
<p>同じく「セイロン・<wbr />シャム間の仏教交流と釈宗演の タマユット派比丘出家の蹉跌」には、当時のゴールについて、以下の記載しています。</p>
<blockquote><p>ゴールは，セイロンと海外を結ぶ港であり，<wbr />ビルマやシャムに行くセイロン僧もビルマやシャムか ら来錫した僧もかならずゴールを経由したので，<wbr />ゴールはセイロン，ビルマ，シャムの僧の交流セン ターであった。とりわけ 19 世紀半ばから 1870 年代までのゴールはキャンディに代わりセイロン仏 教の中心地であった。ゴール周辺にはアマラプラ（<wbr />Amarapura）派の拠点があり，寺院の図書館も整 備され仏教熱が高かった。</p></blockquote>
<p>タイのタマユット派はサンガに腐敗が見られたことからモンクット（<wbr />ラーマ4世）王が始めた仏教改革で生まれた派閥で、現在タイでは2番目に大きな派閥です。</p>
<p>タイもスリランカも旧派が最大勢力で、旧派に対して改革の動きで新派ができているのが共通しています。</p>
<p>参考）<br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/タイの仏教">ウィキペディア：タイの仏教</a></span></p>
<h3>スリランカでの支援者「エドモンドゥ・ローランドゥ・グナラトネ」</h3>
<p>エドモンドゥ・ローランドゥ・グナラトネ（日記ではグネラトネ氏）は、ゴール県のアタパットゥ・ムダリヤール（県を管理する高官）を務め、ヒッカドゥウェ・スリスマンガラ、ヘンリー・オルコットなどのスリランカ仏教再興運動の活動家たちと交流した人物です。</p>
<p>釈興然と釈宗演の支援者であり、二人はエドモンド・ローランド・グナラトネを頼って、ゴールに滞在しています。</p>
<p>ムダリヤールとは、現地人の高官のことで、釈宗演は３つの階級があると日記に書いています。<br />
セイロン全島を統治するイギリス人のガバナーの補佐をするのが最高級のマハー・ムダリヤールです。</p>
<p>イギリス領セイロンは９つの県に分かれていて、<wbr />各県にイギリス人のエージェントが配置されていました。<br />
エージェントの通訳をしていたのが、2番目に高い位のアタパットゥ・ムダリヤールです。</p>
<p>県下には郡が設置されていて、郡を管理していたのがムダリヤールです。</p>
<p>ウィキペディアによれば、グナラトネ氏はアタパットゥ・ムダリヤールのもう一つ上の階級であるゲート・ムダリヤールになった後に、最高位のマハー・ムダリヤールになったとあります。</p>
<p>グナラトネ氏はゴール県のアタパットゥ・ムダリヤールであり、その屋敷「アタパットゥ・ワラウワ」は現在も保管され、宿泊することができます。（agodaから予約もできます。）</p>
<p>アタパットゥは、行政上で区分された一区画「パットゥワ」由来の言葉だと思います。</p>
<p>参考）<br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://en.wikipedia.org/wiki/Edmund_Rowland_Gooneratne">Wikipedia:Edmund Rowland Jayathilake Gooneratne</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://en.wikipedia.org/wiki/Ceylonese_Mudaliyars">Wikipedia:<span class="mw-page-title-main">Ceylonese Mudaliyars</span></a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://en.wikipedia.org/wiki/Atapattu_Walawwa">Wikipedia:Atapattu Walawwa</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="http://www.atapattuwalawwa.com">Atapattu Walawwa公式サイト</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://www.agoda.com/atapattu-walawwa-house/hotel/galle-lk.html?cid=1844104">Agoda:Atapattu Walawwa</a></span></p>
<h3>スリランカの窓口「グナラトネ氏の叔父」</h3>
<p>ムダリヤールの最高位の職であるマハー・ムダリヤールだった人物です。</p>
<p>有栖川宮 熾仁親王に随行してロシア皇帝アレクサンドル3世の戴冠式に列席した帰国路にコロンボに寄港した林董が、日本も仏教国であることを伝えたのが、マハー・ムダリヤールでした。</p>
<p>オランダ領セイロン時代にマハー・ムダリヤールを務めた、ニコラス・ディアス・アベシンハの子に当たる人だと思われます。</p>
<p>参考）<br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Dias_Abeysinghe"><span class="mw-page-title-main">Wikipedia:Nicholas Dias Abeysinghe</span></a></span></p>
<h3>スリランカでの釈宗演の大師匠「 ブラットガマ・スマナティッサ 」</h3>
<p>グナワルダナ氏が釈宗演を紹介したのは、アマラプーラ派の僧侶で、スリランカの仏教改革運動を主導した一人、ブラットガマ・<wbr />スマナティッサと、その弟子です。</p>
<p>ブラットガマ・<wbr />スマナティッサの父は、<wbr />イギリス統治下でブラットガマの地方行政官でした。ブラットガマは、その肥沃な土地と高い収入により、<wbr />キャンディ国王の直轄地でした。</p>
<p>ブラットガマ・<wbr />スマナティッサはキャンディでシャム派の僧侶として出家するも<wbr />、ゴイガマ・カーストしか出家できないシャム派に疑問を感じて、<wbr />ゴールにセイロン初となるダンマスクール「Vijayananda Pirivena」を設立しています。</p>
<p>1862 年 7 月には、タイのモンクット王（ラーマ4世）<wbr />が寄贈されたイギリス製の印刷機を設置したゴールに作られた 仏教者の印刷所としてはセイロン 2 番目となる仏教関係の印刷所「Lankopakara Press」  を設立。</p>
<p>その後、印刷機はブラットガマ・スマナティッサが設立した寺院「カタルーワ・ウィハーラ」に移されています。</p>
<p>釈興然と釈宗演がともに修行したのが、この「カタルーワ・ウィハーラ」です。</p>
<p><iframe style="border: 0;" src="https://www.google.com/maps/embed?pb=!1m14!1m8!1m3!1d15872.15632130407!2d80.3374144!3d5.9893568!3m2!1i1024!2i768!4f13.1!3m3!1m2!1s0x3ae16ccecf35e843%3A0xbea0340811826b6a!2sKathaluwa%20Old%20Temple!5e0!3m2!1sja!2sjp!4v1677216123184!5m2!1sja!2sjp" width="600" height="450" allowfullscreen="allowfullscreen" data-mce-fragment="1"></iframe></p>
<p>神智学協会のヘンリー・オルコットをスリランカで迎え入れたのが、ブラットガマ・<wbr />スマナティッサです。</p>
<p>ブラットガマ・<wbr />スマナティッサは、タイに渡り、タマユット派として再出家しています。</p>
<p>ラーマンニャ派の設立者、アンバガハワット・インドラサバワラ・グナサーミは、ブラットガマ・<wbr />スマナティッサの弟子です。</p>
<p>参考）<br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://amazinglanka.com/wp/kathaluwa-purana-viharaya/">Amazing Lanka:Koggala Kathaluwa Purana Viharaya</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://en.wikipedia.org/wiki/Bulathgama">Wikipedia:Bulathgama</a></span></p>
<h3><span style="font-family: georgia, palatino, serif;">シャム派の管長「ヒッカドゥウェ・スリスマンガラ」</span></h3>
<p><span style="font-family: georgia, palatino, serif;">スリランカ仏教復興運動を代表的な人物で、Vidyodaya Pirivena（スリジャヤワルダナ大学の前身） の設立者。</span></p>
<h3><span style="color: #202122; font-family: georgia, palatino, serif;">アナガリーカ・ダルマパーラ</span></h3>
<p><span style="color: #202122; font-family: georgia, palatino, serif;">釈宗演はコロンボでH. Don. David（後のアナガリーカ・ダルマパーラ）宅を訪問しています。</span><span style="color: #202122; font-family: georgia, palatino, serif;">その隣の建物は、ヘンリー・オルコットの仏教私塾とも記述しています。</span></p>
<p>アナガリーカ・ダルマパーラは、シンハラ仏教ナショナリズムを代表する人物で来日もしています。</p>
<h3><span style="color: #202122; font-family: georgia, palatino, serif;">ヘンリー・オルコット</span></h3>
<p>神智学協会の創設者。スリランカ仏教再興運動に大きく関与した人物。</p>
<h3>日本の窓口「林董」</h3>
<p>林董は江戸時代の幕臣、明治時代の外交官・伯爵。</p>
<p>生まれは下総佐倉藩の蘭方医の家。<br />
江戸幕府の留学生としてイギリスに留学。<br />
榎本武揚に加わって箱館戦争で敗北。<br />
外務省に勤めて、岩倉使節団に加わる。</p>
<p>駅逓局長、内信局長、香川県知事、兵庫県知事、逓信大臣、外務大臣、清の全権特命公使、初代駐英大使などを歴任。</p>
<p>参考）<br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/林董">ウィキペディア：林董</a></span></p>
<h3>日本の支援者たち</h3>
<p>本書に手紙が引用されている人たちは以下の通りです。<br />
・今北洪川：当時の円覚寺管長であり、釈宗演の師。<br />
・山岡鉄舟：幕末の三舟の一人。釈宗演の最大の支援者。<br />
・釈興然（Kozan Gunaratana Unnanse）：日本人初の上座部仏教徒で、<wbr />コロンボのワリガカンダにあるVidyodaya Piriwenaにいた。<br />
・川合清丸：山岡鉄舟の支援のもと、鳥尾小弥太、<wbr />松平宗武とともに日本国教大道社を設立して、神道・禅・<wbr />儒学の三道を融合した「日本の国教」を確立しようとした。<br />
・棚橋嘉忠：漢学者、詩人。<br />
・妻木頼矩：江戸末期の旗本、常陸妻木氏8代当主。<br />
・大矢鄧嶺：埼玉の天祥寺住職<br />
など</p>
<p>餞別をした人の一覧が本書に記載されています。多くの名前が列記されていますが、<wbr />以下にその中から何人かを紹介します。</p>
<p>山岡鉄舟：50円<br />
鳥尾小弥太（長州・奇兵隊、陸軍中将、貴族院議員）：<wbr />25円、指輪<br />
田中菊次郎（実業家、銀行家）：20円<br />
川尻宝岑（歌舞伎作者）：10円<br />
田中多吉：7円、證券20円<br />
福沢諭吉：5円<br />
妻木頼矩（江戸末期の旗本、常陸妻木氏8代当主）：1円、詞章、<wbr />フランネル<br />
釈雲照（真言密教を国教となす『大日本国教論』<wbr />を著述した明治前半期の高僧）：衣鉢、皆具、書籍<br />
など</p>
<p>参考）<br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/T/tanaka_gn.html">明治・大正・昭和期の実業家、日本ラグビーフットボールの父「<wbr />田中銀之助」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://kotobank.jp/word/川尻宝岑-1067873">コトバンク：川尻宝岑 </a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://kotobank.jp/word/棚橋松村-1090235">コトバンク：棚橋松村</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/妻木頼矩">ウィキペディア：妻木頼矩</a></span></p>
<h3>釈宗演の主な旅程</h3>
<p>1887年<br />
3月8日：横浜港からドイツ商社の船で出発<br />
3月9日：神戸港に到着<br />
3月12日：午前2時に神戸港を出発<br />
3月13日：長崎港に寄港。停泊時間は5～6時間。<br />
3月17日：15時に香港に到着<br />
3月21日：香港を出発<br />
3月26日：6時にシンガポール港に到着。<wbr />15時にシンガポール港を出発。<br />
3月31日：22時にコロンボ港に到着。グランドホテルに宿泊。<br />
4月1日：汽車でカルタラへ移動し、馬車に乗ってゴールに移動<br />
4月2日：6時にゴール到着。グネラトネ邸（Atapattu Walawwa）、セリスマナチッサマハッラが創建したKath<wbr />aluwa Old Temple、釈興然が滞在しているカタルワ寺院を訪問。<br />
4月5日：グネラトネの伯父がコロンボ港から挨拶にくる<br />
4月12日：シンハラタミル正月<br />
5月7日：ウェサック。シャム派の 沙弥として得度受戒<br />
5月18日：ウェリガマのAgrabodhi Raja Maha Viharayaをこうねんと訪問<br />
6月26日：Vidyodaya Pirivena、グネラトネ氏の叔父、<wbr />コロンボ港の公園と博物館を訪問<br />
6月27日：コロンボのダルマパーラ宅、コロンボ港の印刷局、<wbr />競馬場を見学<br />
6月28日：コロンボにてビクトリア女王即位50周年式典<br />
6月30日：コロンボ港第二の鉄道停車場（マラダーナ駅？）<wbr />からキャンディへ鉄道で移動。プッパーラーマ寺（おそらくUda<wbr />wattakele Sri Rama Viharaya）に宿泊<br />
7月1日：旧王国の大臣家であったギラーガマ氏を訪問、<wbr />キャンディ湖、旧王宮、仏歯寺を訪問<br />
7月2日：ペーラーデニヤ植物園を訪問し、<wbr />コロンボのスリスマンガラのお寺に宿泊<br />
7月3日：カルタラ駅でおりてのお寺で昼食、ベンタラ（<wbr />ベントタ）駅についてお寺に宿泊<br />
7月4日：ゴール郊外マハーモーデラのお寺に宿泊<br />
8月7日：グネラトネ邸内の庵（Simbali Avasaya）で雨安居を開始</p>
<p>1889年<br />
7月10日：バンコクに到着<br />
7月21日：バンコクを出発</p>
<p>参考）<br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://amazinglanka.com/wp/rama-viharaya/">Amazing Lanka:Historic Udawattakele Sri Rama Viharaya in Kandy</a></span></p>
<h3>タイでの留学が叶わなかった釈宗演</h3>
<p>釈宗演はタマユット派出家とパーリ語学習を目的に、般若尊者とグネラトネの紹介状を携えてバンコクに<wbr />到着しますが、1週間の後に滞在を諦めて帰国しています。</p>
<p>タイで釈興然が歓迎されたのに対して、<wbr />釈宗演がタイで歓迎されなかったのは、上座部仏教徒の比丘になった釈興然に対して、釈宗演は上座部仏教徒の比丘にならなかったからかもしれません。</p>
<h2>ゴール到着までの日記</h2>
<p>以降は本書の日記の部分（本編）について紹介していきます。<br />
まずは、留学地となるゴールまでの記述を簡単に紹介します。</p>
<h3>横浜港</h3>
<p>釈宗演はドイツ商社のアーレンス商会が所轄するウエルデル号で日<wbr />本を出発します。</p>
<p>日本出発前は、横浜の糸屋仙太郎の家に宿泊。糸屋仙太郎とは、<wbr />森鴎外の「舞姫」のヒロインのモデルであり、<wbr />森鴎外のベルリン時代の恋人エリーゼや森鴎外が、<wbr />エリーゼがドイツに帰国する前に宿泊した宿「糸屋」<wbr />を経営していた人物。</p>
<p>森鴎外は日本への帰国の途上、<wbr />コロンボで後から来るエリーゼに小説を言付けてもいます。</p>
<p>参考）<br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="http://ntk884.blue.coocan.jp/tsushin10.html">森鴎外と一八八八年秋の横浜─ エリーゼと過ごした糸屋の一夜 ─</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://enokidoblog.net/talk/2022/05/56409">森鴎外のドイツの恋人、脚気原因論争、そして遺言について･･･<wbr />【情熱的読書人間のないしょ話（2588）】</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="http://www.saturn.dti.ne.jp/ohori/sub-mori.html">ドイツ商社の草分けアーレンス商会の末裔、<wbr />森利子さんの体験した戦中の横浜・山手</a><br />
</span></p>
<h3>神戸港</h3>
<p>神戸の栄町にあった西村旅館に泊まり、<wbr />同宿の人たちと祝杯をあげています。</p>
<p>神戸市中央区の湊川神社を参詣して、広厳寺の住職・<wbr />鈴木子順を訪ねるも不在。</p>
<p>諏訪山の名勝を探訪。諏訪山公園は明治初頭の開園しているため、<wbr />釈宗演は開園したばかりの諏訪山公園を訪れたのでしょう。</p>
<p>新神戸駅の北にある布引の滝を見物しています。</p>
<p>参考）<br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://kobe-jinzai.jp/events/event/20220112">第20回新・地域文化講座「西村旅館物語」 ～神戸の名門旅館から見た神戸の近現代～</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/湊川神社">ウィキペディア：湊川神社</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/広厳寺">ウィキペディア：広厳寺</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/諏訪山公園">ウィキペディア：諏訪山公園</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://www.feel-kobe.jp/facilities/0000000093/">神戸市公式観光サイトFeel Kobe：布引の滝</a><br />
</span></p>
<h3>長崎港</h3>
<p>春徳寺の刹利黙雷を訪ねるも不在。</p>
<p>長崎の花街「丸山」の風景の良いところを車を走らせて、<wbr />一旗亭で船に乗り合わせた多田氏と酒を飲んでいます。</p>
<p>参考）<br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://www.nagasaki-tabinet.com/junrei/211">ながさき旅ネット：春徳寺（トードス・オス・サントス跡）<b> </b></a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://www.at-nagasaki.jp/course/maruyama">長崎市公式観光サイトtravel nagasaki：～風情を感じるおとな旅～ 花街「丸山」を歩いてみよう</a><br />
</span></p>
<h3>香港</h3>
<p>香港の規模の大きさに驚くとともに、<wbr />アヘン戦争からイギリス人や中国人について考えを書いています。</p>
<blockquote><p>聞けば、この良港を英国人の手に委ねたのは、<wbr />かつてのアヘン戦争の時だったという。アヘン商人が、<wbr />アヘンやアヘンの毒を中国に流したのは、<wbr />短期間のことではないのである。中国人はこのために、<wbr />生命を縮め、財産をみな失い、国力を消耗してしまった。<wbr />実に残酷な話である。<wbr />こうした惨状を英国人は全然気にしていない。<wbr />考えても見てほしい。自分の政府が厳禁している物を、<wbr />他国の政府の人民に強制的に売りつけるなどということは、<wbr />絶対に許されないことと思うが、<wbr />英国人は眼中に利益ばかりがあって、義というものがない。<wbr />欲だけを見て、仁を見ないのだ。そして、中国人もまた、<wbr />口では仁義を説き、表では忠恕を言うが、<wbr />本当は仁似て非なる愚恕の類で馬鹿である。なぜ、<wbr />あのアヘンの害や毒を知っていながら、<wbr />それを警告しなかっただけでなく、人にも勧め、<wbr />人々は悪習を伝えて、国家を猛毒の中に沈めてしまったのか。<wbr />しかし、<wbr />政府にアヘンの蔓延に対処するための法律がなかったわけではない<wbr />。すでに、法律はあったのだ。それなのに、<wbr />アヘンの害を防ぐことができなかった。なぜなのか。<wbr />中国政府の権力を持ってしては、<wbr />英国政府に対抗できなかったためである。<wbr />この点からこう言えるであろう。世界中で優れたものが勝ち、<wbr />劣った者が破れると言う法則は、偽の仁義や偽の道化（道徳教育）<wbr />をはるかに超えている、と。ああ！</p></blockquote>
<p>ビクトリアホテルで洋食を食べて、中国人居留地を歩き、<wbr />九龍を歩いてます。</p>
<p>三井物産を訪ねています。</p>
<p>三井物産は日清戦争後に中国市場に進出した日本企業の中でも重要<wbr />な位置を占めたとされています。</p>
<p>香港の第7代総督Arthur Edward Kennedyの名からとられたケネディータウンを訪問。</p>
<p>ビクトリアピークへの鉄道が建設中であることが記されています。</p>
<p>香港において、もっとも早期に開発された地域「跑馬地」に行き、<wbr />ハッピーバレー競馬場を訪問。<wbr />ハッピーバレー競馬場は1846年に開設され、<wbr />ヌワラエリヤ競馬場よりも古い歴史があります。</p>
<p>釈宗演がセイロン留学に向かった1887年はビクトリア女王在位<wbr />50年のゴールデン・ジュビリーにあたり、<wbr />香港では公園の新設計画があると記されています。</p>
<p>その後にクイーンズタウン（後のヴィクトリア市、現在の中環）<wbr />を訪問。</p>
<p>いくつかの詩を読んでいますが、<wbr />その中で興味深い部分を以下に引用します。</p>
<blockquote><p>黄色人種は謙虚だが白色人種は傲慢。</p>
<p>反抗心の持ちようがほんの少し違う。</p>
<p>西洋人は孫子の戦術を知らないから驕る心は鼻の高さよりもさらに<wbr />高い。</p></blockquote>
<p>参考）<br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/跑馬地">ウィキペディア：跑馬地</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/ハッピーバレー競馬場">ウィキペディア：ハッピーバレー競馬場</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://www.discoverhongkong.com/jp/explore/neighbourhoods/western/westworld-kennedy-town.html">HONG KONG TOURSIM BOARD：西洋の世界：堅尼地城（Kennedy Town）</a><br />
</span></p>
<h3>シンガポール港</h3>
<p>「まさにアジア貿易の中枢であり、軍事の要衝である。」<wbr />と書いています。</p>
<blockquote><p>労働者階級の人種は、現地人はまれで、かえって中国人が多い。<wbr />まさに、全世界において、脳力の奴隷は欧州人であり、<wbr />肉体労働の主体は中国人である。あるいは、<wbr />中国人は経済のために生まれ、欧州人は知識のために死ぬ、<wbr />といっても良い。</p>
<p>現地人の姿は、全身が真っ黒（黄色もある）で、眉とヒゲが濃く、<wbr />眼光爛々、鼻の穴は大きく、唇は紫朱（椰子を食べるから）、<wbr />身体はやや大きい。頭の後ろに髪を結い、<wbr />頭のてっぺんに櫛をのせている。上半身はシャツを着、<wbr />腰のあたりはスカートをまとっている（<wbr />日本の腰巻そっくりである）。頭上に束帽（イスラム教徒の帽子）<wbr />の者がいると思えば、布を巻いている者もいる。<wbr />手にブレスレットをしている者もいれば、<wbr />耳にイヤリングをしている者もいる。靴を履いている者もいれば、<wbr />裸足の者もいる。身分の上下によって、容貌が異なる。</p></blockquote>
<h3>コロンボ港</h3>
<p>グランドホテルに宿泊。<br />
翌朝8時にコロンボの埠頭でゴール行きの汽船を現地人に尋ねるも<wbr />言葉が通じづ、馬車に乗ってカルタラ行きの汽車を捜します。<br />
12時発のカルタラ行きの汽車を待つ間に食事をします。</p>
<h3>カルタラ</h3>
<p>馬車会社に行き、ゴール行きの馬車を探します。</p>
<h3>ゴール</h3>
<p>午前6時にゴールに到着し、人夫を雇ってグネラトネ氏の家へ。<br />
グネラトネ氏に林董の手紙を渡します。<br />
禁酒を決意しています。<br />
カタルワ村にいる釈興然を訪ねています。</p>
<h2>スリランカに関する記述</h2>
<p>釈宗演はスリランカについては、人々の暮らし、仏教のあり方に関して、あまり良い評価をしていないことが分かります。</p>
<h3>スリランカの人々</h3>
<ul>
<li>この国の人の体格は、日本人とやや似ている。男女ともに束髪で、<wbr />男は鼈甲の湾曲した櫛を頭に乗せているが、女は乗せていない。<wbr />男は一般に頬や口の周りや顎に髭を生やしている。<wbr />眼光は人を射るがごとく鋭い。そして、全身真っ黒である。<wbr />衣服は身分の高いものは・・・（途中まで書いてころで中断し、<wbr />墨で横線を引いて抹消している）</li>
<li>この地の人民は、その生活程度がはなはだ低く、<wbr />しかも食うことに困らないために、<wbr />一般人民の性質はすべて怠惰に陥り、向上心というものがない。<wbr />いわゆるその日暮らしの、<wbr />ぐうたら主義に安生しているようである。</li>
</ul>
<h3>スリランカの仏教寺院</h3>
<p>釈宗演はスリランカの仏教寺院について書き記しています。以下に引用します。</p>
<ul>
<li>この国の寺院の伽藍は仏塔（ダガバ）、仏殿（ウィハーレ）、<wbr />方丈（パンサラ）を正式の構造とする。</li>
<li>仏塔は、錫杖・鉄鉢・三衣の姿を表現している。</li>
<li>塔の基礎は、八角形が通例だ。<wbr />角ごとに擬宝珠のような小さな塔の形が設けられている。<wbr />これは八塔の形を模している。塔の前には高く大きな門がある。<wbr />みな、泥で造られていて、（塔も同じ）<wbr />彫刻や彩色が施されている。</li>
<li>仏殿は十角形や八角形があり、その規模は一定していない。<wbr />内陣には坐像の泥仏を安置する。門の外側は、<wbr />釈尊が悟りを得るまでの八つの段階を、5彩（青・黄・赤・白・<wbr />黒）で描いてある。</li>
<li>仏を祀るのに、茶や菓子や食物などをささげず、<wbr />ただ草花と灯燭をささげるのみである。香の類も用いない。<wbr />しかもこの地の寺院には、<wbr />我が国のいわゆる檀越というものがない。ありとあらゆる人々が、<wbr />皆すべて檀信徒なのである。だから、<wbr />寺には亡くなった人たちの位牌や墓というものもない。従って、<wbr />これらを供養する年忌の法要というものも全然ない。</li>
</ul>
<h3>スリランカ仏教への批判的視線</h3>
<p>釈宗演はスリランカの仏教をあまり評価していません。以下に該当する部分を引用します。</p>
<ul>
<li>小乗仏教は、仏教の初歩であって、<wbr />はななだ浅いことは浅い教えではあるけれども、<wbr />まさか心識が消滅すると説くことはなかろう、とおもっていたが、<wbr />あにはからんや、その教説が、ここまで次元が低いとは、<wbr />予想外であった。また、比丘は、心識は死なない、と説くのは、<wbr />外道の考え方である、という。私は、このお粗末な説に、<wbr />驚きを禁じえなかった。</li>
<li>現地人が、自分の子弟を捨てて、ことごとく僧侶とし、<wbr />ことごとく出家させる理由は、信心に由来するというよりも、<wbr />むしろ安逸に走る結果だ、と考えたほうが、<wbr />かえって実状に近いようである。言葉を換えれば、<wbr />一人の生業者が消え、十人が遁世すれば、十人の自活者が消える、<wbr />といっても、不言ではない。なぜなら、僧侶というものは、<wbr />ひとたび家を出れば、身を山林に寄せて、心を声色（女色）<wbr />に関わらせない。その力量はその形以上に評価されるが、<wbr />その実効となると、その形以下のものでしかない。<wbr />生活や生産に一切、責任を負わず、逆に、<wbr />人に供養されるのが仕事であって、いわゆる織らずして衣し、<wbr />耕さずして食らう、という逸民だからである。</li>
<li>この地の出家の在家に対する態度は、はなはだ尊大であって、<wbr />在家は出家を礼拝するのが常であるが、<wbr />出家は在家に拝しないのが常である。たとえ、<wbr />貴人や高官に対してであっても、<wbr />出家は絶対に挨拶したり合掌したりしない。ただ、「<wbr />スキターホントー」というひとことをもって、<wbr />礼拝にこたえるだけだ。しかも、在家の者が、<wbr />たまたま寺に参詣に来ても、一杯の茶も、一椀の飯も、<wbr />出すことはない。たいていの場合、<wbr />三帰五戒を授けるのが常である。したがって、<wbr />こんなぐあいだから、寺の境内の静謐で無事なことは、<wbr />じつにもってのんびりしたものだ。わが国の僧たちが、<wbr />生計に営々とし、世事に奔走し、俗人に媚びへつらい、<wbr />檀越に気に入られようとしているのとは、話が全く異なる。</li>
<li>この地の俗家に病人が出たときは、しばしば比丘を呼んで、昼夜、<wbr />経を読んでもらったり念誦をしてもらって、四供養（飲食・衣服・<wbr />湯薬・房舎）を施すことを徳とする。<wbr />その意は患者の全快を祈るためといってはいるが、<wbr />あえて生死を僧侶に託すのではなく、ただただ三宝（仏・法・僧）<wbr />を供養し、その功徳をもって、患者の浄めることが、<wbr />その極意なのだ。患者の生死は、患者自身の定業である。<wbr />みだりに祈祷をして、それを避けるみちを、<wbr />わが正法は選ばないのである。</li>
<li>この地の僧は、よく仏教の制度を守り、戒律に忠実ではあるが、<wbr />禅定ということに関しては、知らないようだ。<wbr />まったく修行することがない。およそ仏法の修学が、<wbr />いくら広大だといっても、要するに三<br />
学を出ることはない。そして、三学は、<wbr />鼎の三本の足のようなものであって、一つを欠けば、<wbr />円くならない。しかしながら、この地では、いずれの世からか、<wbr />いずれの年からか、坐禅観道の一大事を廃棄してしまい、<wbr />一行三昧の境地を知らないのである。ただただ黄巻赤袖（経典）<wbr />だけに固執し、念誦や読経のほかは、まったくかえりみない。</li>
<li>この地には、６万の僧侶と数千の寺院があるとはいえ、はじめから、本末の関係がない。各寺院が、独立しているみたいな格好であr。僧位のようなものも、わが国や中国のように複雑ではなく、比丘と沙弥の二つの階があるだけだ。しかも、沙弥が二十歳以上になっても、将来、伝道の器として堪えらるだけの見込みと才能がなければ、比丘戒を授けないという。</li>
<li>また、この地では、わが国のように、僧侶と檀越を細かく区別しない。たしかに、能教者（僧侶）からみるときは、あらゆる人民は、まとめて一檀越である。被教者（檀越）からみるときは、あらゆる僧侶は、ことごとく一法阿闍梨である。こんな理由で、離檀離末というような、珍事は絶えてないのである。</li>
<li>かつ、この地の寺院では、檀越の亡魂を弔うことがない。だから、墓碑を作らない。仏殿の本尊は、釈迦の仏像一体に限る。他の仏は、礼拝しない。まして、菩薩をはじめ、いろいろな天に至るまで、全く礼拝しない。この地の僧侶は、過去七仏の名前を知っているだけで、その他は知らない。また、聞けば、この地の葬式は、はなはだ簡単である。僧侶は、檀家信徒の招きに応じて、おもむくことはあるが、誦む経文は、無常の偈のみである。そのほかの経は、誦さない。</li>
<li>しかも、年忌の仏事などは、さらにない。たまたま仏事を催すことがあっても、それは、その人が、そうしたい、と思ったから、催したまでで、一定の規則があるわけではない。この地の人民は、ただただあらゆる僧侶を供養することが、第一の功徳を積むことだ、と信じて止まないのである。</li>
</ul>
<h3>スリランカ仏教の良い点</h3>
<p>悪い点に比べて少ないですが、良い点と書かれている部分がありますので、以下に引用します。</p>
<ul>
<li>このセイロンにおいては、いわゆる比丘尼と称する者は、<wbr />絶えていない。私は、このことを、大いに良い、とおもう。</li>
<li>日雇い人足などは、みな、信者の奉仕活動であり、寺からは、<wbr />半銭も支払わない。しかし、村民は喜んで働き、土を運び、<wbr />石を曳き、一挙手一投足ごとに、例の歓喜の声（サードゥ）<wbr />をあげる。そして、一日の仕事が終われば、寺の僧が、<wbr />これら労働奉仕の人々に、三帰五戒を授与するのが、通例である。<wbr />その他は、冷えた茶の一杯といえども、寺の財物を割いて、<wbr />在家にあたえることはない。このようにして、能所財法（<wbr />僧は法を施し、俗は財を施す）<wbr />の二つの施しに関する古来の規範が、明らかになるのである。<wbr />こうした習俗は、南方仏教の美点といってよい。</li>
</ul>
<div>
<h2>解説部分</h2>
<p>釈興然と釈宗演が留学したカタルーワ・ウィハーラに幼稚園を寄進された山田智信さんによる解説が本書の最後にあります。</p>
<p>山田さんはスリランカ人のダグラス・ダヤシリさんとのご縁でカタルーワ・<wbr />ウィハーラに「YST幼稚園」を寄進されたそうです。</p>
<div>ダグラス・ダヤシリさんは1949年生まれで、<wbr />コロンボ大学を卒業後に、日本政府派遣の研修生として、<wbr />愛知製鋼所で研修を受けた知日家で、<wbr />ライオンズクラブのガバナーを務めた篤志家とあります。</div>
</div>
<div></div>
<div>ミダヤセラミックのダヤシリさんとご関係がある方かもしれません。</div>
<div></div>
<div></div>
<div>参考）<br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://blog.canpan.info/ohno/archive/558">大野修一・国際協力またのぞき：ササカワトラスト副会長ダヤシリさんのこと</a></span></div>
<div></div>
<h3>山田さんのジャヤワルダナさんの演説に対する記述</h3>
<div>山田さんのジャヤワルダナさんの演説や日露戦争から太平洋戦争に至るまでの記述は、さすがです。以下に引用します。</div>
<div></div>
<div></div>
<ul>
<li>勿論、<wbr />こうした演説がセイロン一国の見解にのみ基づくものでなかったこ<wbr />とは、改めて指摘するまでもない。まず間違いなく、<wbr />アメリカの意向を受けていたと思われる。</li>
<li>明治37年から38年の日露戦争に、<wbr />日本は辛うじて勝利をおさめた。事実は、<wbr />勝利というようなものではなかった。<wbr />精々分の良い引き分け程度でしかなく、アメリカの仲介を得て、<wbr />漸く停戦に持ち込んだというのに、官民あげて大勝利、<wbr />大勝利と歓呼した。（中略）しかし、このときから、<wbr />近代日本はおかしくなってゆく。同じ東洋の国々を蔑み、<wbr />夜郎自大の国、増長慢の国となる。<wbr />その挙げ句が太平洋戦争の敗北である。</li>
</ul>
<p>関連記事</p>
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="RFRizCfI3Y"><p><a href="https://spiceup.lk/tokeiji/">鎌倉尼五山第二位「東慶寺」とスリランカに留学した釈宗演</a></p></blockquote>
<p><iframe class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;鎌倉尼五山第二位「東慶寺」とスリランカに留学した釈宗演&#8221; &#8212; スリランカ観光情報サイト Spice Up(スパイスアップ)" src="https://spiceup.lk/tokeiji/embed/#?secret=U2nHmYI6jD#?secret=RFRizCfI3Y" data-secret="RFRizCfI3Y" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p>
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="Wta0bmNND4"><p><a href="https://spiceup.lk/syakusouen_jyou/">福沢諭吉らの支援でスリランカ留学、夏目漱石・鈴木大拙が参禅。渡米して禅&#8230;</a></p></blockquote>
<p><iframe class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;福沢諭吉らの支援でスリランカ留学、夏目漱石・鈴木大拙が参禅。渡米して禅...&#8221; &#8212; スリランカ観光情報サイト Spice Up(スパイスアップ)" src="https://spiceup.lk/syakusouen_jyou/embed/#?secret=HGYAM1mEXO#?secret=Wta0bmNND4" data-secret="Wta0bmNND4" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p>
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="PGj3XBaafr"><p><a href="https://spiceup.lk/shakusoen_ge/">『ZEN釈宗演 下 』日本人初の上座仏教徒・釈興然、スリランカのグネラ&#8230;</a></p></blockquote>
<p><iframe class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;『ZEN釈宗演 下 』日本人初の上座仏教徒・釈興然、スリランカのグネラ...&#8221; &#8212; スリランカ観光情報サイト Spice Up(スパイスアップ)" src="https://spiceup.lk/shakusoen_ge/embed/#?secret=TheE9nlhVV#?secret=PGj3XBaafr" data-secret="PGj3XBaafr" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p>
<div class="saboxplugin-wrap" itemtype="http://schema.org/Person" itemscope itemprop="author"><div class="saboxplugin-tab"><div class="saboxplugin-gravatar"><img data-del="avatar" alt="神谷 政志" src='https://spiceup.lk/wp-content/uploads/2020/10/28167741_1909245465771908_3854024028417223566_n-4-150x150.jpg' class='avatar pp-user-avatar avatar-100 photo ' height='100' width='100'/></div><div class="saboxplugin-authorname"><a href="https://spiceup.lk/author/kamiya/" class="vcard author" rel="author"><span class="fn">神谷 政志</span></a></div><div class="saboxplugin-desc"><div itemprop="description"><p>SPICE UP LANKA CORPORATION (PVT) LTD Director<br />
SPICE UP TRAVELS (PVT) LTD Director<br />
スリランカ日本人会理事 兼 広報部長<br />
WAOJEコロンボ理事<br />
WAOJE本部ラーニング委員長</p>
<p>「旅と町歩き」を仕事にしようとスリランカに移住。<br />
歴史・地理・建築が好き。</p>
<p>1982年7月、東京都世田谷区生まれ。<br />
2004年12月、人材業界就職支援サイト『SPIRITS』開設。<br />
2005年4月、法政大学社会学部社会学科を卒業後、六本木の人材系ネットベンチャーに新卒入社。<br />
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長を経てネットベンチャーを退社。<br />
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当しながら、新宿ゴールデン街で訪日外国人向けバーテンダー。<br />
2016年7月、スリランカに初めて渡航し、法人設立の準備を開始。<br />
2017年1月、SPICE UP LANKA CORPORATION (PVT) LTDを登記。<br />
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。<br />
2018年8月、スリランカ観光情報サイト「スパイスアップ」開設。<br />
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開業（2026年1月営業終了）。<br />
2020年8月、ニュースレターの配信を開始。<br />
2020年10月、WAOJEコロンボ支部を立ち上げ初代支部長に就任。<br />
2023年2月、スリランカ日本人会理事・広報部長に就任。<br />
2025年6月、SPICE UP TRAVELS (PVT) LTDを登記。<br />
2026年5月、WAOJE本部ラーニング委員長に就任。</p>
<p>渡航国：台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ</p>
</div></div><div class="clearfix"></div></div></div>The post <a href="https://spiceup.lk/saiyunikki/">新訳・釈宗演『西遊日記』〜明治時代に29歳でセイロン留学した記録〜</a> first appeared on <a href="https://spiceup.lk">スリランカ観光情報サイト Spice Up(スパイスアップ)</a>.]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://spiceup.lk/saiyunikki/feed/</wfw:commentRss>
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			</item>
		<item>
		<title>マーティン・ウィクラマシンハの著作「変わりゆく村」をわかりやすく解説！</title>
		<link>https://spiceup.lk/gamperaliya/</link>
					<comments>https://spiceup.lk/gamperaliya/#comments</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[kannya]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 17 Aug 2021 12:26:50 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コッガラ]]></category>
		<category><![CDATA[アート・スポーツ・芸能]]></category>
		<category><![CDATA[書籍・映画・テレビなど]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>シンハラ文学を代表するスリランカの作家マーティン・ウィクラマシンハの小説で、映画化されてインド国際映画賞で金孔雀賞（最優秀賞）を受賞した『変わりゆく村』について紹介します。 あらすじや登場人物についてだけではなく、作中に…</p>
The post <a href="https://spiceup.lk/gamperaliya/">マーティン・ウィクラマシンハの著作「変わりゆく村」をわかりやすく解説！</a> first appeared on <a href="https://spiceup.lk">スリランカ観光情報サイト Spice Up(スパイスアップ)</a>.]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>シンハラ文学を代表するスリランカの作家マーティン・ウィクラマシンハの小説で、映画化されてインド国際映画賞で金孔雀賞（最優秀賞）を受賞した『変わりゆく村』について紹介します。</p>
<p>あらすじや登場人物についてだけではなく、作中に出てくる観光スポットについても紹介するので、ぜひ確認してくださいね。</p>
<h2>『変わりゆく村』の作者マーティン・ウィクラマシンハとは？</h2>
<div id="attachment_22516" style="width: 1010px" class="wp-caption alignnone"><img fetchpriority="high" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-22516" class="wp-image-22516 size-full" src="https://spiceup.lk/wp-content/uploads/2021/08/IMG_8779.jpg" alt="" width="1000" height="667" /><p id="caption-attachment-22516" class="wp-caption-text">コッガラビーチ</p></div>
<p>簡単に、マーティン・ウィクラマシンハの経歴について、簡単に紹介します。</p>
<p>マーティン・ウィクラマシンハは、現代シンハラ文学において著名な作家です。マーティン・ウィクラマシンハの作品は、映画化されたりや海外で翻訳本が出版されたりしているなど国内外での評価の高い人物です。さらに、複数の大学から文学博士号をもらっている作家でもあります。</p>
<h3>簡単な経歴</h3>
<table style="width: 87.2271%; border-collapse: collapse; border-color: #000000; border-style: solid; height: 120px;">
<tbody>
<tr style="height: 24px;">
<td style="width: 9.90744%; height: 24px; border-style: solid; border-color: #000000;"><span style="font-weight: 400;">1890年</span></td>
<td style="width: 77.3197%; height: 24px; border-style: solid; border-color: #000000;">コッガラ村（『変わりゆく村』の舞台）で長男として生まれる</td>
</tr>
<tr style="height: 24px;">
<td style="width: 9.90744%; height: 24px; border-style: solid; border-color: #000000;"><span style="font-weight: 400;">1944年</span></td>
<td style="width: 77.3197%; height: 24px; border-style: solid; border-color: #000000;">『変わりゆく村』を執筆</td>
</tr>
<tr style="height: 24px;">
<td style="width: 9.90744%; height: 24px; border-style: solid; border-color: #000000;"><span style="font-weight: 400;">1957年</span></td>
<td style="width: 77.3197%; height: 24px; border-style: solid; border-color: #000000;">『ウィガーヤ』（蓮の道）がドン・ペーリック賞を受賞</td>
</tr>
<tr style="height: 24px;">
<td style="width: 9.90744%; height: 24px; border-style: solid; border-color: #000000;"><span style="font-weight: 400;">1974年</span></td>
<td style="width: 77.3197%; height: 24px; border-style: solid; border-color: #000000;">スリランカ大統領賞を受賞</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h2>『変わりゆく村』の概要</h2>
<div id="attachment_22513" style="width: 1010px" class="wp-caption alignnone"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-22513" class="wp-image-22513 size-full" src="https://spiceup.lk/wp-content/uploads/2021/08/IMG_8771.jpg" alt="" width="1000" height="667" /><p id="caption-attachment-22513" class="wp-caption-text">コッガラ駅のホーム</p></div>
<p>小説の舞台はコッガラというスリランカ南部の村です。コッガラ村は、著者であるマーティン・ウィクラマシンハの故郷でもあります。低カーストの先祖がいる家庭教師ピエルと生徒でピエルよりもカーストの家系に生まれた娘のナンダーが物語の中心人物です。年代は、20世紀前半でスリランカはイギリスの植民地となっており、伝統文化や経済構造に変化が生じている時代です。</p>
<p>カーストについて、あまり詳しく知らない方は、こちらの記事でスリランカのカーストについて説明しているので、参考にしてみてください。</p>
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="QBh0Eoejeh"><p><a href="https://spiceup.lk/politics_caste/">『スリランカ政治とカースト &#8211; N. Q. ダヤスとその時&#8230;</a></p></blockquote>
<p><iframe class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;『スリランカ政治とカースト &#8211; N. Q. ダヤスとその時...&#8221; &#8212; スリランカ観光情報サイト Spice Up(スパイスアップ)" src="https://spiceup.lk/politics_caste/embed/#?secret=wGGTCEijBo#?secret=QBh0Eoejeh" data-secret="QBh0Eoejeh" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p><span style="font-weight: 400;">また、20世紀前半のスリランカの具体的なイメージが湧かない場合は、Youtubeにドラマがアップロードされているので、映像を簡単に確認してみてから読んでみるのもおすすめです。ちなみに、Youtubeのタイトルの『Gamperaliya』は、本のタイトルのシンハラ語であるගම්පෙරළියをローマナイズした単語で、本の題名の「変わりゆく村」の意味しています。</span></p>
<p>https://youtu.be/IelC9dX3WOY</p>
<p><span style="font-weight: 400;">さらに、amazonで原本（シンハラ語）も購入できるようだったので、語学の勉強をしたい方にもおすすめの小説となっています。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://www.amazon.com/dp/955841543X/ref=bseries_primary_1_955841543X/131-9185588-5917509"><span style="font-weight: 400;">https://www.amazon.com/dp/955841543X/ref=bseries_primary_1_955841543X/131-9185588-5917509</span></a></span></p>
<p><span style="font-weight: 400;">日本語訳版の小説は全国大きめの図書館で、借りられるところが多いので、チェックしてみてくださいね。</span></p>
<h2>『変わりゆく村』のあらすじ</h2>
<p>前半と後半のそれぞれ8章についてピヤルとナンダーの関係を中心に簡単にまとめたので、あらすじを確認してみてください。</p>
<h3>第1章から第8章のまとめ</h3>
<p>家庭教師ピヤルは生徒のナンダーに愛を伝えるが、ナンダーの母親であるハーミネーがピヤルのカーストを気にしていることを理由に返事を濁す。ピヤルとナンダーの噂を聞いたハーミネーはピヤルとナンダーの付き合いに反対する。結果、ピヤルは村を離れ、ナンダーはカーストが比較的高いジナダーサとお見合いをしに結婚をする。その後、ナンダーは出産する。</p>
<h3>第9章から第16章のまとめ</h3>
<p>ナンダーの産んだ赤ちゃんが亡くなる。ナンダーの夫のジナダーサは貧しくなってきたため、シンハレーに商売をすることを決める。ピヤルと交流する中で、ナンダーがピヤルに対する自分の気持ちを自覚する。その後、ジナダーサが亡くなったという知らせが届き、ピヤルと結婚した。しかし、後に以前のジナダーサの死亡の知らせが偽の情報であったことが本物のジナダーサの死体の発見によりわかり、ナンダーは前夫が亡くなる前にピヤルと結婚してしまっていたことが発覚する。</p>
<p>ナンダーとピヤルの関係以外にも、ムハンディラム家の困窮、都会でのティッサの生活、寺院への参詣、カーストへの考え方など様々な話が盛り込まれています。</p>
<h2>変わりゆく村の登場人物と序盤の関係図</h2>
<p><img decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-22489" src="https://spiceup.lk/wp-content/uploads/2021/08/99e39939ed402c2dedd4d4e6b5dda164.jpg" alt="" width="1000" height="563" /></p>
<h3><span style="font-weight: 400;">ムハンディラム家の関係者</span></h3>
<p><span style="font-weight: 400;">ナンダー・・ムハンディラム家の次女<br />
</span><span style="font-weight: 400;">アヌラー・・ムハンディラム家の長女<br />
</span><span style="font-weight: 400;">ティッサ・・ムハンディラム家の長男<br />
</span><span style="font-weight: 400;">ムハンディラム・・アヌラー、ナンダー、ティッサの父親<br />
</span><span style="font-weight: 400;">ハーミネー・・ムハンディラムの妻<br />
</span><span style="font-weight: 400;">サーダー・・ムハンディラムの年長の使用人<br />
</span><span style="font-weight: 400;">カローリス・・ムハンディラムに小さい頃から育てられた使用人</span></p>
<h3><span style="font-weight: 400;">村人</span></h3>
<p><span style="font-weight: 400;">ピヤル・・ピヤル、アヌラーの英語の先生<br />
</span><span style="font-weight: 400;">カッティリナー・・ムハンディラムからお金を借りている村人<br />
</span><span style="font-weight: 400;">ライサー・・カッティリナーの娘<br />
</span><span style="font-weight: 400;">プンチ・アップ・・カッティリナーの夫<br />
</span><span style="font-weight: 400;">ナンディヤス・・官吏の一人<br />
</span><span style="font-weight: 400;">バラダーサ・・ティッサの友達<br />
</span><span style="font-weight: 400;">ウィジャヤ・・ティッサに結婚式の付添人を頼んだ友人</span></p>
<h3><span style="font-weight: 400;">その他の登場人物</span></h3>
<p><span style="font-weight: 400;">ジェーミナス・・ナンダーの結婚相手を探してもらっている仲介人<br />
</span><span style="font-weight: 400;">ジナダーサ・・ナンダーの見合い相手<br />
</span><span style="font-weight: 400;">ウィーラシリ・・ナンダーの出産時の医者<br />
</span><span style="font-weight: 400;">グナワルダナ・・ゴールの医者</span></p>
<h2>『変わりゆく村』の舞台コッガラの観光スポット</h2>
<h3>マーティン・ウィクラマシンハ民芸博物館</h3>
<div id="attachment_22514" style="width: 1010px" class="wp-caption alignnone"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-22514" class="size-full wp-image-22514" src="https://spiceup.lk/wp-content/uploads/2021/08/IMG_8772.jpg" alt="" width="1000" height="667" /><p id="caption-attachment-22514" class="wp-caption-text">博物館に展示されている車</p></div>
<p>マーティン・ウィクラマシンハ民芸博物館（Martin Wickramasinghe House &amp; Folk Museum）は、1981 年にオープンした博物館です。博物館には、仏教、農業、漁業、宗教儀式などの遺産が展示されており、スリランカの文化を知ることができます。</p>
<h3><span style="font-weight: 400;">ストルトフィッシング</span></h3>
<div id="attachment_22515" style="width: 1010px" class="wp-caption alignnone"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-22515" class="size-full wp-image-22515" src="https://spiceup.lk/wp-content/uploads/2021/08/IMG_8788.jpg" alt="" width="1000" height="667" /><p id="caption-attachment-22515" class="wp-caption-text">コッガラビーチ</p></div>
<p><span style="font-weight: 400;">小説の舞台となっているコッガラは、棒に座って行うスリランカ独特の魚の釣り「ストルトフィッシング」の様子が見られることで知られています。<br />
ストルトフィッシングは観光客から写真の撮影料をとっています。<br />
映る人数で料金が変わりますので、撮影をしたい場合はしっかりと料金を確認してから撮影を行ってください。<br />
こっそり撮ると問題になる場合があります。</span></p>
<p>暑い日中よりも、朝や夕方に見られることが多く、また南西海岸のシーズンである11月〜3月頃によく見られます。</p>
<p>上の写真は漁師さんがいない状態で撮影したものです。</p>
<p><span style="font-weight: 400;">また、ゴールに向かう鉄道で「ウミガメやストルトフィッシングが見えるところに連れて行ってあげる」と声をかけられるがありますが、最後に高額な金額を請求されるので、知らない人の誘いには乗らずに、自力で訪れるようにしてください。<br />
移動手段が握られていて、自分が今どこにいるのか把握できていないと弱い立場になってしまい、交渉しても結局高い金額を支払うことになります。</span></p>
<p>スリランカで見られる動物などについては、以下の記事を参照ください。</p>
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="jN9OOKDkaW"><p><a href="https://spiceup.lk/wild_life/">スリランカの動物が見られる場所を紹介！〜象、ヒョウ、クマ、野鳥、クジラ&#8230;</a></p></blockquote>
<p><iframe class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;スリランカの動物が見られる場所を紹介！〜象、ヒョウ、クマ、野鳥、クジラ...&#8221; &#8212; スリランカ観光情報サイト Spice Up(スパイスアップ)" src="https://spiceup.lk/wild_life/embed/#?secret=drViufOpF2#?secret=jN9OOKDkaW" data-secret="jN9OOKDkaW" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p>
<h3>小説の舞台となった島「Madol Doova」</h3>
<p><img decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-22517" src="https://spiceup.lk/wp-content/uploads/2021/08/IMG_8734.jpg" alt="" width="1000" height="667" /></p>
<p>マーティン・ウィクラマシンハの代表作の一つ「Madol Doova」の作品の舞台である川に浮かぶ島「Madol Doova」に船で渡ることができます。</p>
<p>上の写真の橋をぐぐり抜けると、下の写真にある島「Madol Doova」が見えてきます。</p>
<p><img decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-22518" src="https://spiceup.lk/wp-content/uploads/2021/08/IMG_8738.jpg" alt="" width="1000" height="667" /></p>
<p>ボートではシナモンを加工・販売している島に立ち寄ったりします。</p>
<p>ボートサファリは、ベントタ川、バラピティヤのマドゥ川で行われているものよりも短く、見所も少ないですので、小説の舞台となった島に行ってみたい場合でなければ、他の川でボートサファリした方が楽しめます。</p>
<div id="attachment_22519" style="width: 1010px" class="wp-caption alignnone"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-22519" class="wp-image-22519 size-full" src="https://spiceup.lk/wp-content/uploads/2021/08/IMG_8746.jpg" alt="" width="1000" height="667" /><p id="caption-attachment-22519" class="wp-caption-text">シナモンを加工している様子</p></div>
<h3 class="x3AX1-LfntMc-header-title-title gm2-headline-5">Handunugoda Tea Estate</h3>
<p>海が見える低地にありながら、品質の高い紅茶を栽培し、書籍も出しているヨーロッパからの観光客に知られた茶園です。</p>
<p>日本のガイドブックには紹介されていることは少ないですが、ロンリープラネットには別枠で茶園について説明されています。</p>
<p>この茶園にはまだ訪問していませんので、いずれしっかりとご紹介したいと思います。</p>
<h3>コッガラのリゾートホテル</h3>
<p>コッガラには評判の良いリゾートがいくつかあります。</p>
<p>１）The Fortress</p>
<div id="attachment_22521" style="width: 1010px" class="wp-caption alignnone"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-22521" class="wp-image-22521 size-full" src="https://spiceup.lk/wp-content/uploads/2021/08/IMG_8774.jpg" alt="" width="1000" height="667" /><p id="caption-attachment-22521" class="wp-caption-text">プール</p></div>
<p>ゴールロード沿いの重厚なゲートを抜けるとビーチ沿いにプールが広がっています。<br />
こちらのホテルはプールの様子を見ただけで、しっかりと取材をしていませんので、いずれ詳しく紹介したいと思います。</p>
<div id="attachment_22520" style="width: 1010px" class="wp-caption alignnone"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-22520" class="wp-image-22520 size-full" src="https://spiceup.lk/wp-content/uploads/2021/08/IMG_8777.jpg" alt="" width="1000" height="667" /><p id="caption-attachment-22520" class="wp-caption-text">プール脇の芝生スペース</p></div>
<p>２）Tri</p>
<p><img decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-22522" src="https://spiceup.lk/wp-content/uploads/2021/08/IMG_8759.jpg" alt="" width="1000" height="667" /></p>
<p>様々なメディアに取り上げられているホテル。</p>
<p>塔の形になっているホテルの最上階にあるインフィニティープールがフォトジェニックで、インスタグラムでもよく見るホテルです。</p>
<p>上の写真はこちらのホテルをボートの湖面から撮影したものです。<br />
ホテルにはまだ入っていませんので、こちらもいずれ詳しくご紹介したいと思います。</p>
<p>３）Kahanda Kanda</p>
<p>コッガラ湖の北側にある、スリランカでも知られたブティックホテル。</p>
<p>世界遺産ゴールフォート内にセレクトショップ「KK BOUTIQUE」<br />
コッガラビーチの西側にあるブティックホテル「KK BEACH」<br />
ヤーラ国立公園近くのグランピング施設「LEOPARD SAFARIS」<br />
ウィルパットゥ国立公園近くのホテル「LEOPARD SAFARIS &#8211; WILPATTU」</p>
<p>なども経営している会社が最初にオープンしたのがKahanda Kandaです。</p>
<p>こちらも未取材のため、いずれ詳細をご紹介したいと思います。</p>
<h2>『変わりゆく村』に出てくる<span style="font-weight: 400;">スリランカ正月や食べ物</span></h2>
<h3>スリランカ正月</h3>
<p><span style="font-weight: 400;">作中の季節はスリランカ正月から始まりますが、スリランカ正月についてあまり知らない人は多いと思います。作中では、火薬で遊んだり様々な食べ物を食べたりしていますよね。スリランカ正月についてあまり詳しくない人は、こちらの記事を確認するとイメージが湧きやすくなるので、ぜひ読んでみてください。</span></p>
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="ruxc0wwNgT"><p><a href="https://spiceup.lk/sinhalatamil_newyear/">スリランカ正月「シンハラタミルニューイヤー」〜4月に新年を迎える国と地&#8230;</a></p></blockquote>
<p><iframe class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;スリランカ正月「シンハラタミルニューイヤー」〜4月に新年を迎える国と地...&#8221; &#8212; スリランカ観光情報サイト Spice Up(スパイスアップ)" src="https://spiceup.lk/sinhalatamil_newyear/embed/#?secret=fwt5BujnPR#?secret=ruxc0wwNgT" data-secret="ruxc0wwNgT" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p><span style="font-weight: 400;">また、同時期に開催される祭りとして、復活祭も有名なので、ぜひチェックしてみてくださいね。</span></p>
<p>https://spiceup.lk/srilankaeaster/</p>
<h3><span style="font-weight: 400;">食べ物</span></h3>
<p><span style="font-weight: 400;">作中では、結婚式やお葬式のときに豪華な食事を振舞っていたり、病気のときに栄養のある食事をしていたり、と多くの食事風景が描写されています。もちろん、1世紀前の食事なので、現在とは違う部分は多々ありますが、今でも共通して食されてるものもたくさんあります。こちらの記事では、現在のスリランカの食事について、わかりやすく説明されているので、ぜひチェックしてみてくださいね。</span></p>
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="yXUxU9ZhtZ"><p><a href="https://spiceup.lk/meal_safe/">スリランカの食事は安全？注意点と絶対に食べたい代表料理まとめ</a></p></blockquote>
<p><iframe class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;スリランカの食事は安全？注意点と絶対に食べたい代表料理まとめ&#8221; &#8212; スリランカ観光情報サイト Spice Up(スパイスアップ)" src="https://spiceup.lk/meal_safe/embed/#?secret=onbp1k1ux4#?secret=yXUxU9ZhtZ" data-secret="yXUxU9ZhtZ" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>参考）</p>
<p><span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://www.daido-life-fd.or.jp/business/publication/publish/srilanka/srilanka1.html">マーティン・ウィクラマシンハ（2010）『変わりゆく村』（野口忠司・縫田健一訳）財団法人大同生命国際文化基金</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="http://www.martinwickramasinghe.info/english/museum/index.htm">MARTIN WICKRAMASINGHE Sri Lanka`s Renowned Writer</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/マーティン・ウィクラマシンハ">ウィキペディア：マーティン・ウィクラマシンハ</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/インド国際映画祭">ウィキペディア：インド国際映画祭</a></span></p>
<div class="saboxplugin-wrap" itemtype="http://schema.org/Person" itemscope itemprop="author"><div class="saboxplugin-tab"><div class="saboxplugin-gravatar"><img alt='kannya' src='https://secure.gravatar.com/avatar/50f136cf57761b0f730b22d82117380d6764d1686db6f65dc971d73d468cdcbf?s=100&#038;d=mm&#038;r=g' srcset='https://secure.gravatar.com/avatar/50f136cf57761b0f730b22d82117380d6764d1686db6f65dc971d73d468cdcbf?s=200&#038;d=mm&#038;r=g 2x' class='avatar avatar-100 photo' height='100' width='100' itemprop="image"/></div><div class="saboxplugin-authorname"><a href="https://spiceup.lk/author/satoshi/" class="vcard author" rel="author"><span class="fn">kannya</span></a></div><div class="saboxplugin-desc"><div itemprop="description"><p>スリランカの情報を集める大阪の大学生、スリランカのお面に興味あり</p>
</div></div><div class="clearfix"></div></div></div>The post <a href="https://spiceup.lk/gamperaliya/">マーティン・ウィクラマシンハの著作「変わりゆく村」をわかりやすく解説！</a> first appeared on <a href="https://spiceup.lk">スリランカ観光情報サイト Spice Up(スパイスアップ)</a>.]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://spiceup.lk/gamperaliya/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>2</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>『ZEN釈宗演 下 』日本人初の上座仏教徒・釈興然、スリランカのグネラ...</title>
		<link>https://spiceup.lk/shakusoen_ge/</link>
					<comments>https://spiceup.lk/shakusoen_ge/#comments</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[神谷 政志]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 02 Mar 2021 12:36:39 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[キャンディ]]></category>
		<category><![CDATA[コッガラ]]></category>
		<category><![CDATA[コロンボ]]></category>
		<category><![CDATA[書籍・映画・テレビなど]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://spiceup.lk/?p=19576</guid>

					<description><![CDATA[<p>明治時代に世界を回った日本の仏教僧・釈宗演の半生を漫画した『ZEN 釈宗演』の下巻について内容を紹介していきます。 下巻はセイロン（現スリランカ）での滞在について描かれています。 帰路にシャム（タイ）に向かった際のエピソ…</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>明治時代に世界を回った日本の仏教僧・釈宗演の半生を漫画した『ZEN 釈宗演』の下巻について内容を紹介していきます。</p>
<p>下巻はセイロン（現スリランカ）での滞在について描かれています。<br />
帰路にシャム（タイ）に向かった際のエピソードや帰国後の様子、シカゴ万国会議のことが描かれています。</p>
<p>釈宗演よりも1年早くセイロンに留学し、日本人初の上座部仏教の比丘になった釈興然との出会いも描かれています。</p>
<p>本記事では、漫画で紹介されている人物や関連人物、建物や地名、漫画の主な流れなどを解説していきます。</p>
<p><iframe style="width: 120px; height: 240px;" src="https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=qf_sp_asin_til&amp;t=kami0719-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS1=1&amp;detail=1&amp;asins=4822257126&amp;linkId=d28a0f4cb9c23415c00b4162f220de21&amp;bc1=ffffff&amp;lt1=_top&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"><br />
</iframe></p>
<h2>大燈国師</h2>
<p>大燈国師は、鎌倉時代末期の臨済宗の僧で、宗峰妙超（しゅうほうみょうちょう）とも。<br />
京都の大徳寺の開山です。<br />
大徳寺は、一休宗純、沢庵宗彭などを輩出している寺院です。</p>
<h2>グランドオリエンタルホテル（GOH）</h2>
<p>コロンボ港の前に建つ3つ星のヘリテージホテル。<br />
最初はオランダ領セイロン総督の住宅として1階建てのベランダでした。</p>
<p>Robert Wilmot-Hortonがイギリス領セイロン総督であった1837年にイギリス陸軍の兵舎に改装されています。<br />
Robert Wilmot-Hortonの名は、「ホートン・プレインズ国立公園」、コロンボの通り「ホートン・プレイス」に残っています。</p>
<p>1873年にホテルに改装されています。<br />
1875年に154室を有するホテルとしてオープン。<br />
ホテルの改装を担当したのは、コロンボの国立博物館、ジェネラルホスピタル、旧コロンボ市役所を手掛けたJ. G. Smitherです。</p>
<p>1882年に、フィリピンの国民的英雄「ホセ・リサール」が初の海外留学で国立マドリード大学に向かう際に宿泊しています。</p>
<p>1890年に、ロシアを代表する劇作家「アントン・チェーホフ」がサハリン島に向かう際に宿泊しています。<br />
現在、この二人の名前を冠したスイートルームが１部屋ずつあります。</p>
<p>1966年、ジェフリーバワに依頼して、コロンボ港を見下ろす4階のレストラン「ハーバー・ルーム」を改装しています。</p>
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="hnfMVRvbWC"><p><a href="https://spiceup.lk/coronialhotel/">コロンボ老舗ホテル4選！歴史感じるコロニアルホテルをご紹介</a></p></blockquote>
<p><iframe class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="&#8220;コロンボ老舗ホテル4選！歴史感じるコロニアルホテルをご紹介&#8221; &#8212; スリランカ観光情報サイト Spice Up(スパイスアップ)" src="https://spiceup.lk/coronialhotel/embed/#?secret=HXmlwwsRYe#?secret=hnfMVRvbWC" data-secret="hnfMVRvbWC" width="500" height="282" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>グネラトネ氏</h2>
<p>釈宗演はゴールに住むグネラトネ氏に会いに向かいます。</p>
<p>グネラトネ家はオランダ・イギリス統治時代にゴールの行政官「アタパットゥ・ムダリヤ（Atapattu Mudaliyar）を務めた家系で、代々住んだアタパットゥ・ワラッワは重要な歴史的建造物として保存対象になっていますが、現在はブティックホテルとして泊まることができます。</p>
<p>アタパットゥ・ワラッワに関する本も何冊か出ていて、マネージャーさんにヒアリングした際に、日本からは建築関係の方や仏教関係の方が泊まられているとのことでした。</p>
<p>グネラトネ家はシンハラ人の土地所有カーストであるゴイガマでした。</p>
<p>釈宗演が会ったのは、エドモンド・ローランド・グネラトネ（Edmund Rowland Gooneratne）です。</p>
<p>エドモンド・ローランド・グネラトネは、1897年にビクトリア女王のダイヤモンド・ジュビリー・メダルを受領しています。</p>
<p>また、以下のような著名人と交流があったとされています。<br />
スリランカ仏教復興運動のヒッカドゥウェ・スリ・スマンガラ・テラ<br />
パーリ語学者でパーリ聖典協会の創設者であるトーマス・ウィリアム・リス・デイヴィス<br />
インド美術の歴史家、哲学者のアナンダ・クーマラスワミ<br />
神智学協会の創設者の一人で初代会長のヘンリー・スティール・オルコット<br />
英語教育者、パーリ語学生、神智学者のフランク・リー・ウッドワード<br />
など</p>
<h2>終点駅カルタラ</h2>
<p>漫画では「Kalutara Coach」の標識、ゴールへ行き先を尋ねて回る釈宗演が描かれています。<br />
これは当時はカルタラが終点であったため、馬車でゴールに向かう必要があったからです。</p>
<h2>釈興然（グナラタナ）</h2>
<p>漫画で、釈宗演はゴールに日本人僧侶「釈興然」がいることに驚きます。</p>
<p>釈興然は、出雲国出身で真言宗の僧でした。<br />
セイロンに渡航し、日本人初の上座部仏教徒となり、ダルマパーラらとともにブッタガヤの再興にも関与しています。</p>
<p>1882年（明治15年）、釈興然は神奈川県橘樹郡城郷村（現・横浜市港北区鳥山町）三会寺の住職となります。<br />
真言宗の釈雲照律師からセイロンでの上座部仏教の研究修行を勧められます。</p>
<p>そこで、釈興然はインドに渡航したことが北畠道龍を訪ねますが不在でした。</p>
<p>続いて、土宜法龍を訪ねると、南条文雄の指示を仰ぐようにアドバイスを受けます。</p>
<p>岩倉使節団に二等書記官として同船している林董は、1882年（明治15年）、ロシア皇帝アクレサンデル3世の戴冠式に列席する有栖川宮熾仁親王に随行し、往路の7月13日にセイロン総督の歓迎を受け、マハームダリヤに会います。</p>
<p>その際、林董がマハームダリヤに日本が仏教国であることを伝えます。</p>
<p>後年、マハームダリヤの甥・グネラトネは林董宛に交流をしたいと手紙を送ります。</p>
<p>林董はグネラトネに南条文雄を紹介する返事を書きます。</p>
<p>こうして、グネラトネとグネラトネが師事するコーダーゴダ・パンニャーセカ、南条文雄・林董との間で、やりとりがなされていきます。</p>
<p>その南条文雄を釈興然は訪ねたのです。</p>
<p>1886年（明治19年）、釈興然はセイロンへ渡航します。</p>
<p>10月11日、コロンボに入港し、総督秘書官マハームダリヤ（Maha Mudaliyar）邸にて、マハームダリヤと面会。<br />
マハームダリヤとは、現地人のトップの役人に当たる役職です。</p>
<p>釈興然はコロンボからゴールにあるグネラトネ邸に向かいます。<br />
コロンボから鉄道に乗り、終点のカルタラ駅に到着。<br />
カルタラからは馬車に乗って、ゴールへ向かいます。<br />
グネラトネに一室に案内してもらっています。</p>
<p>日本から来た僧侶に会いに多くの人が訪れ、その中にはスマナティッサ長老もいました。<br />
スマナティッサ長老は、釈興然に三帰依文と受五戒文を教授しています。</p>
<p>釈興然はグネラトネから紹介されて、コッガラ駅の東隣の駅「カタルワ（Kathaluwa）」があるカタルワの町のアマラプラ派のランウェルレー寺で、比丘のコーダーゴダ・パンニャーセカに受け入れられ、パーリ語、シンハラ語を学びます。</p>
<p>1887年（明治20年）、得度を受けて上座部の沙弥となり、施主グネラトネの名に因んでグナラタ ナ(Gunaratana)の法名を与えられて，以後コーゼン・グナラタナ(興然徳輝)と称します。<span class="Apple-converted-space"> </span></p>
<p>4月に釈宗演がランウェルレー寺で共に修学を開始。（つまり、漫画はこの時のことを描いています。）</p>
<p>1888年（明治21年）、釈興然はコロンボの仏教学院「ウィドヨーダヤ・ビリウェナ（現・スリジャヤワルダナプラ大学）」にて、シャム派の指導を受けます。</p>
<p>この年、ドイツ留学から帰国する森鴎外がコロンボで釈興然と会っています。</p>
<p>1889年（明治22年）、神智学協会のヘンリー・オルコット、アナガリーカ・ダルマパーラが来日。</p>
<p>1890年（明治23年）、釈興然はキャンディのマルワッタ大精舎にて、ヒッカドゥウェ・スリ・スマンガラ・テラから具足戒を受けます。</p>
<p><img decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-20917" src="https://spiceup.lk/wp-content/uploads/2021/03/IMG_4926.jpg" alt="" width="1000" height="667" /></p>
<p>これによって、日本人初の上座部仏教の比丘となります。</p>
<p>マルワッタ大精舎（Malwathu Maha Viharaya）はキャンディ湖の南にあるお寺で、仏歯寺を運営するお寺の一つです。</p>
<p>もう一つの仏歯寺を運営するお寺は、町の北西にあるアスギリ大精舎（Asgiri Maha Vihara Pirivena）です。</p>
<p>1891年（明治24年）、釈興然はインド・マドラス府の神智学協会本部（霊智協会本部）の15周年会に、ダルマパーラ、徳沢智恵蔵らと共にインドに向かいます。</p>
<p>マドラスの後にブッタガヤを訪れると、ブッタガヤはヒンドゥー教シヴァ派の僧院長職マハントが所有していることを知ります。</p>
<p>5月31日、ダルマパーラが呼びかけて、ブッタガヤの再興のため、コロンボで大菩薩協会（Maha Bodhi Society）が結成されます。</p>
<p>初代会長はヒッカドゥウェ・スマンガラ、日本代表は釈雲照と堀内静宇。</p>
<p>ブッタガヤの買取には１万ルピー（約5,000円：現在の価値で3,500万円）が必要で、セイロン、ビルマ、シャム、日本から資金を出すことにし、釈興然は釈雲照と真言宗管長に手紙を出します。</p>
<p>ダルマパーラと釈興然はセイロンに帰国し、そこに釈雲照から金千円（現在の価値で約700万円）を託された阿刀宥乗師が来島し、再びブッタガヤに渡ります。</p>
<p>釈興然と阿刀宥乗師はブッタガヤ、クシナガラ、祇園精舎とまわり、阿刀宥乗師はカルカッタから日本へ、釈興然はカルカッタからセイロンへ戻ります。</p>
<p>1893年（明治26年）8月12日、セイロンで受戒して比丘となっていた日間宥海とともに、セイロンを出発して日本へ向かいます。</p>
<p>ちなみに、1893年に、日本郵船がボンベイ航路を開設しています。</p>
<p>9月に帰国して、翌月の10月、上座部仏教の僧侶養成・戒律の研究・上座部仏教を広めることなどを目的に三会寺内に「釈尊正風会」を設立します。</p>
<p>釈尊正風会は林董が会長となり、高楠順次郎、加藤玄智、田中義成、南条文雄、上田萬年、澤柳政太郎、三上参次、白鳥庫吉などが名を連ねています。</p>
<p>釈興然をセイロンに送った師・釈雲照と釈興然は対立します。</p>
<p>釈興然はパーリ語を鈴木大拙や、日本人で初めてチベットに入国した河口慧海に教えています。</p>
<p>上座部仏教では、5人以上の比丘によって僧団が組織されることによって、はじめて比丘戒を授けることができるとされています。</p>
<p>そのため、釈尊正風会は日本からセイロンに5人以上を比丘戒受戒させることを目標に活動をします。</p>
<p>セイロンに以下のメンバーを送ります。<br />
第一期生：小島戒宝（比丘となるも帰国して真言宗の僧侶となる）<br />
第二期生：鳥家仁度、工藤敬慎（マータラで死去）<br />
第三期生：向山亮雲（環俗して日露戦争に応招）<br />
第四期生：吉松快祐</p>
<p>1907年（明治40年）、シャム国公使ピャナリソンが日本で唯一の上座部仏教の僧侶であることを知り、シャムに招待します。<br />
釈興然は和田慶本沙弥を伴い、シンガポールで比丘になった鳥家仁度・吉松快祐と合流し、4人でシャムに入ります。</p>
<p>1908年（明治41年）、50余体の仏像、シャム文字の三蔵などを日本に持ち帰ります。<br />
それらを橘樹・都築・鎌倉の32の寺院に安置します。</p>
<p>1924年、セイロンで５人の比丘戒受戒の目標を達成する前に、この世を去ります。</p>
<h2>釈雲照</h2>
<p>幕末から明治の真言宗の僧で、釈興然の叔父。<br />
江戸時代後期に戒律復興運動を行った慈雲の影響を受けたとされています。<br />
土宜法龍が釈雲照を補佐しています。</p>
<p>1881年（明治14年）、僧侶育成機関の総黌（そうこう）を開きます。<br />
この総黌を起源とするのが、種智院大学と洛南高等学校・附属中学校です。<br />
種智院大学の名は、空海が庶民教育や各種学芸の綜合的教育を目的に、京都に設置した私立学校「綜芸種智院」に由来します。</p>
<p>1883年（明治16年）、青木貞三、鳥尾得庵らの経済支援を受けて十善会を発足しています。</p>
<p>1890年（明治23年）、機関紙「十善宝窟」を創刊。<br />
目白新長谷寺に戒律学校を創建。</p>
<p>1872年（明治5年）にヨーロッパに留学した赤松連城から、セイロンで仏僧のスマナティッサに会うことができたという話を聞くも老齢のため、甥の釈興然にセイロン行きを勧めています。</p>
<h2>慈雲</h2>
<p>江戸時代後期の真言宗の僧侶で雲伝神道の開祖。<br />
戒律を重視し「正法律」（真言律）を提唱。</p>
<h2>土宜法龍</h2>
<p>近代日本仏教史を代表する仏教学者、高野山学林長、仁和寺門跡（36代）、真言宗御室派管長、真言宗各派連合総裁、高野山真言宗管長などを歴任。<br />
慶應義塾別科に入学し卒業。福澤諭吉の仏教保護方針の下、禅僧の釈宗演と並んで慶應義塾精神界の二大明星とうたわれました。</p>
<p>1893年（明治26年）、シカゴで開催された万国宗教会議に日本代表として、釈宗演（臨済宗円覚寺派管長）、芦津実全（天台宗）、八淵蟠竜（浄土真宗本願寺派）の4名で渡米しています。<br />
島地黙雷と南条文雄は万国宗教会議を欠席したと言われています。</p>
<h2>南条文雄</h2>
<p>日本の明治・大正期に活躍した仏教学者・宗教家。</p>
<p>1876年（明治9年）、同僚の笠原研寿とともに サンスクリット研究のためイギリスに渡り、オックスフォード大学のマックス・ミューラーのもとでヨーロッパにおける近代的な仏教研究の手法を学び、漢訳仏典の英訳、梵語仏典と漢訳仏典の対校等に従事。</p>
<p>1878年（明治10年）、オックスフォード大学よりマスター・オブ・アーツの称号を授与され、帰国。<br />
1887年（明治20年）、インド・中国の仏教遺跡を探訪。</p>
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<div class="column">
<h2>笠原研寿</h2>
<p>南条文雄とともに、オックスフォード大学のマックス・ミューラーのもとで学んだ人物。</p>
<p>帰国途上の1882年（明治15年）10月8日、コロンボに立ち寄り、ヒッカドゥウェ・スリ・スマンガラ・テラと面会。</p>
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<h2>島地黙雷</h2>
<p>西本願寺・大谷光尊からの依頼によって、ヨーロッパへ教状視察に向かっています。</p>
<p>フランスのマルセイユから入り、フランス、イギリス、ドイツ、スイス、イタリア、ギリシャ、パレスチナ、インドを訪れています。</p>
<div class="page" title="Page 1">
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<div class="column">
<h2 id="firstHeading" class="firstHeading">島地大等</h2>
<p>島地黙雷の養嗣子。</p>
<p>1902年11月10日〜15日でコロンボに滞在し、ダルマパーラの父親ドン ・カロリス、ヒッカドゥウェ・スリ・スマンガラ・テラと面会。</p>
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<h2>藤井宣正</h2>
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<div class="column">
<p>第一 次大谷探検隊の実質的なリーダーで、日本人として初めてアジェンター、エローラを調査。</p>
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<div class="column">
<p>1902年10月20日から26日のインド入国まで、コロンボに滞在して、ドン ・カロリスとヒッカドゥウェ・スリ・スマンガラ・テラに会っています。</p>
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<p>イン ド仏教史 『仏教小史』<br />
仏教辞典 『仏教辞林』<br />
の著者としても知られています。</p>
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<h2>赤松連城</h2>
<p>幕末から大正にかけての浄土真宗本願寺派の僧侶。</p>
<p>1872年（明治5年）に宗門・大谷光尊の命で、岩倉使節団に遅れること3ヶ月、島地黙雷とヨーロッパに向けて横浜を出発し、赤松はイギリスに留学しています。</p>
<h2>北畠道龍</h2>
<p>最初にブッタガヤを訪れた日本人・浄土真宗西本願寺派僧侶。</p>
<p>1881年（明治14年）、横浜を出発。<br />
1883年（明治16年）、イタリアのプリンジーゼ港から英国船モンゴリア号に乗船しムンバイへ上陸。<br />
ブッダガヤからカルカッタへ行き、シンガポールを経由して日本に帰国。</p>
<p>ブッタガヤは荒廃して土砂に埋もれた後に、ヒンドゥー教の聖地となっています。<br />
1876年からブッタガヤで発掘が始まり、1881年に金剛法座が発見されています。<br />
北畠道龍がブッタガヤを訪れたのは、金剛法座が発見された2年後にあたります。</p>
<div class="page" title="Page 3">
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<h2>善連法彦</h2>
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<div class="column">
<p>1888 年（明治21）年2月、タイからコロンボへ来て、ダルマパーラと面会。</p>
<h2>土岐寂静</h2>
<div class="page" title="Page 5">
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<div class="column">
<p><img decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-20912" src="https://spiceup.lk/wp-content/uploads/2021/03/IMG_1887.jpg" alt="" width="1000" height="667" /></p>
<p>1898 （明治31）年6月15日、 土岐寂静は朝倉明宣とともに海外視察を目的とした布教使としてコ ロ ンボに到着しています。<br />
土岐寂静は7月13日に病死し、 ダルマパーラを中心としたグループが葬儀を行っています。</p>
<p>土岐寂静の墓は、コロンボのボレッラ墓地にあります。</p>
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<h2>アマラプラ・ニカーヤ、シャム・ニカーヤとは？</h2>
<p>釈興然、釈宗演が最初に修行した寺院はアマラプラ・ニカーヤでした。<br />
釈興然はその後、シャム・ニカーヤの寺院で修行しています。</p>
<p>このアマラプラ派、シャム派とはなんでしょうか？</p>
<p>ポルトガルによる植民地支配でスリランカの仏教は衰退していたいました。</p>
<p>そこで、オランダ領セイロン時代の後期に、キャンディ王朝のキールティ・スリ・ラージャシンハ王（Kirti Sri Rajasinha）はタイ（シャム）のアユタヤ王朝に依頼して、仏教僧を迎え入れ、受具式を行います。<br />
そうして1753年に設立されたのがシャム派です。<br />
シャム派は上位カーストであるゴイガマ（農民）カーストにしか受具式への参加を認めませんでした。</p>
<p>そこで、非ゴイガマ・カーストの沙弥がミャンマーのコンバウン王朝の首都アマラプラへ行き、受具式を受けます。<br />
アマラプラで受具式を受けた比丘が帰国し、1803年にバラピティヤで受具式を開始。<br />
こうしてできたのがアマラプラ派です。<br />
アマラプラ派の比丘は村に住みます。</p>
<p>ゴイカマ・カーストのアンバガハヴァテー・サラナンカラは当初はシャム派に属していましたが、アマラプラ派に転じます。<br />
さらに、ミャンマーに渡って受具式を受け、1864年に帰国して森林に住む比丘を形成するラーマンニャ派を設立しています。</p>
<p>以上の3つが現代のスリランカ仏教の三大派です。<br />
シャム派：ゴイカマ・カーストに限定（1753年設立）<br />
アマラプラ派：カーストに限定せず村に住む比丘（1803年設立）<br />
ラーマンニャ派：カーストに限定せず森に住む比丘（1864年設立）</p>
<h2>釈宗演、法名：パンニャーケートゥを授かる</h2>
<p>釈宗演は、師事したコーダーゴダ・パンニャーセカの名前に由来すると思われる、パンニャーケートゥという法名を授かります。</p>
<h2>ラゴラ尊者</h2>
<p>釈迦の長男で、十大弟子の一人。<br />
正しい修行を為した密行第一と称されます。</p>
<h2>釈宗演が感じたスリランカ仏教</h2>
<p>釈宗演は、スリランカ仏教の修行はゆるく感じたと漫画で描かれています。</p>
<blockquote><p>禅行を行わない。<br />
まず、禅の入り口である作務という概念がない。<br />
温暖な気候に恵まれ自生の植物に多くの果実が実るこの地では、わざわざ作物を育てる必要がない。<br />
さらには敬虔な在家者達が食事の世話から寺の維持まで全てをやってくれる。<br />
僧はせいぜいわずかに掃除や洗濯を行うだけ。<br />
日々の労働の中で土や自然に触れその意味を学ぶ作務という修行を行う機会自体がないのだ。<br />
それは環境ゆえ仕方がない</p>
<p>決定的なのは、この地の僧侶は定に対する関心が薄いこと。</p>
<p>仏法における三学<br />
戒＝戒律<br />
定＝禅定・瞑想<br />
慧＝知恵</p></blockquote>
<p>セイロン留学後に上座部仏教を日本で広めようとした釈興然とは対照的です。</p>
<p>禅定とは、心が動揺することがなくなった一定の状態を指します。</p>
<h2>釈宗演、シャムに向かう</h2>
<p>釈宗演は、シャムで比丘になろうとしますが、雨安居の時期に入っていて、それは成し遂げられませんでした。</p>
<p>漫画で、メナム川と記載されているのは、バンコクやアユタヤを流れる主要河川、現在のチャオプラヤー川のことです。<br />
タイ語で「メーナーム・チャオプラヤー」と言い、メーナームとは川の意味。<br />
「メナム」が川の名前であると外国人が勘違いしたことによる古い呼称がメナム川です。</p>
<p>釈宗演がシャムに訪れたのは、チャクリー王朝第5代・ラーマ5世（チュラーロンコーン）が在位の期間です。<br />
現在の王が第10代・ラーマ10世（ワチラーロンコーン）。<br />
2016年に亡くなったのが第9代・ラーマ9世（プミポン）です。</p>
<h2>鈴木大拙</h2>
<p>帰国した釈宗演が鈴木大拙と対話する場面が描かれています。</p>
<p>鈴木大拙は、日本の禅文化を海外に広く知らしめた仏教学者で、著書約100冊の内23冊を英文で書いています。<br />
世界に禅をZENとして英語で伝える最初の機会が、釈宗演に伴われて渡米した第一回万国宗教会議でした。<br />
鈴木大拙は、鎌倉円覚寺の今北洪川、釈宗演に参禅して、釈宗演より「大拙」の居士号を受けています。</p>
<p>鈴木大拙は、石川県立専門学校以来の友人である、西田幾多郎、藤岡作太郎と「加賀の三太郎」とも称されています。</p>
<p>また、安宅産業の安宅弥吉は金沢時代の旧友で、「お前は学問をやれ、俺は金儲けをしてお前を食わしてやる」と約束した仲。</p>
<p>鈴木大拙は、チェンナイにある神智学協会の支部にて神智学徒にもなっています。</p>
<p>1941年、鈴木大拙は釈宗演が住職を務めた東慶寺の境内に、釈宗演が発案した「松ヶ岡文庫」を創設します。<br />
賛同者には、明石照男、石井光雄、岩波茂雄、安宅彌吉、小林一三、五島慶太、近藤滋彌、酒井忠正などが名前を連ねています。<br />
松ヶ岡文庫は、鈴木大拙の死後、鈴木大拙の膨大な書籍を管理する財団法人として、東慶寺の住職・井上禅定が管理団体を運営しました。</p>
<h2>第一回万国宗教会議</h2>
<p>漫画は釈宗演がシカゴ万国博覧会の「第一回万国宗教会議」で挨拶する場面で終わっています。</p>
<p>1893年にシカゴで開催された万国博覧会は、コロンブスがアメリカ大陸に到達して400年をも記念したもので、教育に関する万国会議も開かれ、世界の宗教者を集めた第一回万国宗教会議も開かれました。</p>
<p>第一回万国宗教会議は宗教間対話の嚆矢とされています。</p>
<p>万国宗教会議の委員長を務めたのは、プレスビテリアン教会の牧師「ジョン・バローズ」でした。<br />
19世紀イギリスを代表する宗教学者マックス・ミュラーが献辞を寄せています。</p>
<p>日本、中国、タイ、インド、スリランカ、イラン、ドイツ、フランス、イギリス、アメリカなどから宗教者が参加しています。</p>
<p>出席者は以下のような面々。<br />
スリランカからアナガリーカ・ダルマパーラ<br />
ヒンドゥー教改革指導者スワミ・ヴィヴェーカーナンダ<br />
Protap Chunder Mozoomdar（ベンガル、ヒンドゥー教改革運動「ブラフモ・サマージ」）<br />
ジャイナ教のウィーラチャンド・ガンディー<br />
ガストン・ボネーモリ（フランス、プロテスタントの歴史家）<br />
メリー・ベーカー・エディ（アメリカ、クリスチャン・サイエンス設立者）<br />
アレクサンダー・ラッセル・ウェッブ（イスラム教徒、アメリカの作家、フィリピン領事）<br />
ウィリアム・クアン・ジャッジ（神智学協会の創設者の一人）<br />
アニー・ベサント（神智学協会第2代会長）<br />
バハーイー教徒<br />
釈宗演（臨済宗円覚寺派管長）<br />
土宜法竜（真言宗高野山派）<br />
芦津実全（天台宗）<br />
八淵蟠竜（浄土真宗本願寺派）<br />
英学者・平井金三<br />
神道・柴田禮一（実行教管長）<br />
日本のキリスト教会・小崎弘道<br />
など</p>
<p>欠席した清沢満之（真宗大谷派）のエッセイが読み上げられています。</p>
<h2>千崎如幻</h2>
<p>1905年、釈宗演はサンフランシスコに千崎如幻を伴って訪れています。<br />
千崎如幻はアメリカに留まり、アメリカに暮らしながら禅を広げる活動を行なっています。</p>
<p><strong>参照</strong></p>
<p><iframe style="width: 120px; height: 240px;" src="https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=qf_sp_asin_til&amp;t=kami0719-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS1=1&amp;detail=1&amp;asins=4822257126&amp;linkId=d28a0f4cb9c23415c00b4162f220de21&amp;bc1=ffffff&amp;lt1=_top&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"><br />
</iframe></p>
<p><a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/宗峰妙超"><span style="color: #0000ff;">ウィキペディア「宗峰妙超」</span></a><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/大徳寺">ウィキペディア「大徳寺」</a></span><br />
<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/一休宗純"><span style="color: #0000ff;">ウィキペディア「一休宗純」</span></a><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/沢庵宗彭">ウィキペディア「沢庵宗彭」</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://www.grandoriental.com">Grand Oriental Hotelオフィシャルホームページ</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://en.wikipedia.org/wiki/Grand_Oriental_Hotel">Wikipedia「Grand Oriental Hotel」</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Wilmot-Horton">Wikipedia「Robert Wilmot-Horton」</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/ホセ・リサール">ウィキペディア「ホセ・リサール」</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/アントン・チェーホフ">ウィキペディア「アントン・チェーホフ」</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://en.wikipedia.org/wiki/Atapattu_Walawwa">Wikipedia「Atapattu Walawwa」</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://en.wikipedia.org/wiki/Edmund_Rowland_Gooneratne">Wikipedia「Edmund Rowland Gooneratne」</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/ダイヤモンド・ジュビリー">ウィキペディア「ダイヤモンド・ジュビリー」</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://en.wikipedia.org/wiki/Queen_Victoria_Diamond_Jubilee_Medal">Wikipedia「Queen Victoria Diamond Jubilee Medal」</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://en.wikipedia.org/wiki/Hikkaduwe_Sri_Sumangala_Thera">Wikipedia「Hikkaduwe Sri Sumangala Thera」</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_William_Rhys_Davids">Wikipedia「Thomas William Rhys Davids」</a></span><br />
<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/トーマス・ウィリアム・リス・デイヴィッズ"><span style="color: #0000ff;">ウィキペディア「トーマス・ウィリアム・リス・デイヴィッズ」</span></a><br />
<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/パーリ聖典協会"><span style="color: #0000ff;">ウィキペディア「パーリ聖典協会」</span></a><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/ヘンリー・スティール・オルコット">ウィキペディア「ヘンリー・スティール・オルコット」</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://en.wikipedia.org/wiki/Ananda_Coomaraswamy">Wikipedia「Ananda Coomaraswamy」</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://en.wikipedia.org/wiki/F._L._Woodward">Wikipedia「F. L. Woodward」</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/釈興然">ウィキペディア「釈興然」</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/177215/1/ctz_2_023.pdf">日本仏教とセイロン仏教との出会い : 釈興然の留学を中心に<span class="Apple-converted-space"> </span></a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://blog.goo.ne.jp/zen9you/e/38b3436f08c318690513b2ffc28eefbf">はじめて比丘になった人－釋興然和上顕彰６</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://blog.goo.ne.jp/zen9you/e/061cadce3b95714de816fc1b20f59e3f">［大法輪版］　はじめて比丘になった人　釋興然和上顕彰　<b>　</b></a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="http://echo-lab.ddo.jp/Libraries/印度学仏教学研究/印度學佛教學研究第19巻第1号/Vol.19%20,%20No.1(1970)044東元%20慶喜%20「グナラタナ釈興然の南方僧団移植の事業」.pdf">グナラタナ釈興然の南方僧団移植の事業</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/釈雲照">ウィキペディア「釈雲照」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/学校法人綜藝種智院">ウィキペディア「学校法人綜藝種智院」</a></span><span style="color: #0000ff;"><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/種智院大学">ウィキペディア「種智院大学」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/綜芸種智院">ウィキペディア「綜芸種智院」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="http://echo-lab.ddo.jp/Libraries/印度学仏教学研究/印度學佛教學研究第26巻第2号/Vol.26%20,%20No.2(1978)076三宅%20守常「明治仏教における十善戒の問題」.pdf">明治仏教における十善戒の問題</a><br />
</span><span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/慈雲">ウィキペディア「慈雲」</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://en.wikipedia.org/wiki/Maha_Mudaliyar">Wikipedia「Maha Mudaliyar」</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://todaibussei.or.jp/asahi_buddhism/29.html">東京大学仏教青年会「第29回　南伝仏教との出会い」</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/スリランカの仏教">ウィキペディア「スリランカ<span style="color: #0000ff;">の仏教」</span></a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/コンバウン王朝">ウィキペディア「コンバウン王朝」</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://barc.ryukoku.ac.jp/2015/eng/research/upload_file/The%20Present%20State%20of%20Asian%20Buddhism%20%28Part%203%29.pdf">龍谷大学アジア仏教文化研究センター「2012年度 第1回 国内シンポジウム」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/赤松連城">ウィキペディア「赤松連城」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/島地黙雷">ウィキペディア「島地黙雷」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/pdf_20-2/RitsIILCS_20.2pp129-136VITA.pdf">西本願寺の教状視察とイタリア訪問の足跡</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/大谷光尊">ウィキペディア「大谷光尊」</a><br />
<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/藤井宣正">ウィキペディア「藤井宣正」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="http://iihatobu.com/busseki/meigi1.html">仏跡巡礼 最初にブッタガヤを訪れた日本人 北畠道龍</a><br />
</span><a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/土宜法龍">ウィキペディア「土宜法龍」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/南条文雄">ウィキペディア「南条文雄」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/十善戒">ウィキペディア「十善戒」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="http://kashomemorandum.blog.fc2.com/blog-entry-69.html">三會寺</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://www.okuraken.or.jp/depo/chiikijyouhou/wagamachi_kouhoku_2/kouhoku167/">公益財団法人 大倉精神文化研究所「第166回　港北区内の名僧・学僧  －その１、印融と釈興然－」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/64/2/64_KJ00010250849/_pdf/-char/ja">明 治 印 度 留 学 生一 その南アジア体験をめぐっ て一 </a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/18599/KJ00005114048.pdf">釈尊正風会のひとびと</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="http://echo-lab.ddo.jp/Libraries/印度学仏教学研究/印度學佛教學研究第31巻第2号/Vol.31%20,%20No.2(1983)001東元%20慶喜「ソービタ長老釈仁度和上招来の貝多羅葉について」.pdf">ソービタ長老釈仁度和上招来の貝多羅葉について 東元慶喜</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/高楠順次郎">ウィキペディア「高楠順次郎」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/フリードリヒ・マックス・ミュラー">ウィキペディア「フリードリヒ・マックス・ミュラー」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/有栖川宮熾仁親王">ウィキペディア「有栖川宮熾仁親王」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/河口慧海">ウィキペディア「河口慧海」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/禅定">ウィキペディア「禅定」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/羅睺羅">ウィキペディア「ラゴラ尊者」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://www.saikoji.net/houwa/howa1011.html">十大弟子（羅睺羅尊者）&#8211;四苦&#8211;</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/チャオプラヤー川">ウィキペディア「チャオプラヤー川」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木大拙">ウィキペディア「鈴木大拙」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/シカゴ万国博覧会_(1893年)">ウィキペディア「シカゴ万国博覧会 (1893年)」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="http://www.matsugaoka-bunko.com/index.html">松ヶ岡文庫</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/松ヶ岡文庫">ウィキペディア「松ヶ岡文庫」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="http://repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/86184/1/jo000506.pdf">1893年シカゴバンコク宗教会議における日本仏教代表 釈宗演の演説</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://buddhism-orc.ryukoku.ac.jp/old/ja/annual_report_ja/annual_report_2008_195-218_ja.html">【記録】シンポジウム「シカゴ万国宗教会議と日本仏教界」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://www.tais.ac.jp/wp/wp-content/uploads/major_incomparative_culture/blog_images/bukkyotimes20130425.pdf">シカゴ万国宗教会議120年に思う</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/宗教間対話">ウィキペディア「宗教間対話」</a><br />
<span style="color: #0000ff;"><a style="color: #0000ff;" href="https://en.wikipedia.org/wiki/Parliament_of_the_World%27s_Religions">Wikipedia「Parliament of the World&#8217;s Religions」</a></span><br />
<span style="color: #0000ff;"><a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/千崎如幻">ウィキペディア「千崎如幻」</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/64/2/64_KJ00010250849/_pdf/-char/ja">明 治 印 度 留 学 生一 その南アジア体験をめぐっ て一</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://kotobank.jp/word/笠原研寿-1064894">コトバンク：笠原研寿</a><br />
<a style="color: #0000ff;" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/島地大等">ウィキペディア：島地大等</a><br />
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<div class="saboxplugin-wrap" itemtype="http://schema.org/Person" itemscope itemprop="author"><div class="saboxplugin-tab"><div class="saboxplugin-gravatar"><img data-del="avatar" alt="神谷 政志" src='https://spiceup.lk/wp-content/uploads/2020/10/28167741_1909245465771908_3854024028417223566_n-4-150x150.jpg' class='avatar pp-user-avatar avatar-100 photo ' height='100' width='100'/></div><div class="saboxplugin-authorname"><a href="https://spiceup.lk/author/kamiya/" class="vcard author" rel="author"><span class="fn">神谷 政志</span></a></div><div class="saboxplugin-desc"><div itemprop="description"><p>SPICE UP LANKA CORPORATION (PVT) LTD Director<br />
SPICE UP TRAVELS (PVT) LTD Director<br />
スリランカ日本人会理事 兼 広報部長<br />
WAOJEコロンボ理事<br />
WAOJE本部ラーニング委員長</p>
<p>「旅と町歩き」を仕事にしようとスリランカに移住。<br />
歴史・地理・建築が好き。</p>
<p>1982年7月、東京都世田谷区生まれ。<br />
2004年12月、人材業界就職支援サイト『SPIRITS』開設。<br />
2005年4月、法政大学社会学部社会学科を卒業後、六本木の人材系ネットベンチャーに新卒入社。<br />
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長を経てネットベンチャーを退社。<br />
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当しながら、新宿ゴールデン街で訪日外国人向けバーテンダー。<br />
2016年7月、スリランカに初めて渡航し、法人設立の準備を開始。<br />
2017年1月、SPICE UP LANKA CORPORATION (PVT) LTDを登記。<br />
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。<br />
2018年8月、スリランカ観光情報サイト「スパイスアップ」開設。<br />
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開業（2026年1月営業終了）。<br />
2020年8月、ニュースレターの配信を開始。<br />
2020年10月、WAOJEコロンボ支部を立ち上げ初代支部長に就任。<br />
2023年2月、スリランカ日本人会理事・広報部長に就任。<br />
2025年6月、SPICE UP TRAVELS (PVT) LTDを登記。<br />
2026年5月、WAOJE本部ラーニング委員長に就任。</p>
<p>渡航国：台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ</p>
</div></div><div class="clearfix"></div></div></div>The post <a href="https://spiceup.lk/shakusoen_ge/">『ZEN釈宗演 下 』日本人初の上座仏教徒・釈興然、スリランカのグネラ...</a> first appeared on <a href="https://spiceup.lk">スリランカ観光情報サイト Spice Up(スパイスアップ)</a>.]]></content:encoded>
					
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