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つまりは1杯やりに行っただけのこと -会計税務コラム-

2022年2月17日

白昼の酩酊

さる2月4日はスリランカの独立記念日でした。恒例の全土酒類販売禁止となるため、この日の夜間外出は控え(注:家では呑みましたという意味)、翌日の土曜日は、昼からお気に入りの場所へ出掛けました。コロンボのペター地区にあるGrand Oriental Hotel(通称GOH)のHarbor Roomです。ここがまた、英国植民地時代当時の雰囲気をビールとともに味わうにはもってこいの場所なのです。

この界隈の遺産地区は今、改修や取り壊し、再開発の波に巻き込まれ始めています。1837年に建造されたこの古めかしいGOHも再開発が計画されており、昨年末、政府系投資会社は、当再開発事業に対する国内外の投資家の関心表明の公募を行いました。この良い雰囲気を味わえるのも今のうちかと、酩酊も手伝い感じ入ってしまうのです。

存在しなかった英雄

さて今回、独立記念日に際して、筆者のまわりの歴史に明るくなさそうな若い世代および、逆に歴史に一家言ありそうな人にもあえて「独立の英雄は誰?」と聞いてみました。男女問わずその答えはいずれも「わからない。よく知らない。」あるいは、「いない。」でした。他のアジア諸国ではそうはならないでしょう。各国の紙幣の図柄を見れば、インドはガンディ、パキスタンはジンナー、ベトナムはホーチミン、インドネシアはスカルノ、ラオスはカイソーン、ミャンマーはアウンサン(紙幣改正前)という風に、南西・東南アジア圏の多くの国の紙幣に描かれているのは、第二次世界大戦前後に、反乱あるいは闘争を経て、帝国植民地支配からの独立に寄与した英雄たちの肖像ですが、スリランカの紙幣はそうではありません。

明確な反乱あるいは闘争によって独立が実現されたわけではなく、インドとミャンマー(当時はビルマ)の独立の流れからすでに決定していた英国による統治権返還前に、のちに初代首相となるD.S.セナナヤカが組閣を命じられたという経緯をたどっており、つまり独立の立役者はいなかったという見方をとることができるのです。

スリランカの紙幣には、国内の主要インフラ施設(ダム・トンネル・港・発電所など)の図柄が施されています。過去の英雄の威光を掲げるのではなく、国民が享受すべき、豊かな生活をおくる権利の実現に向け、国を挙げて社会基盤整備に取り組んでいるという希望の象徴のように思え、現状を鑑みて、至極切なくさえなるほどの良きデザインなのです。20ルピー紙幣の図柄は、コロンボ港であり、まさにこのGOHのHarbor Roomからの壮大な眺めがほぼそれにあたります。

しかしながら、複数のコンテナターミナルの中心に位置するこの港の本日の光景は、紙幣のものとは大きく様相を異にしていたのです。

異形の港

その光景は異形でした。

各岸壁に横付けされた複数の巨大船舶上には、夥しい数のコンテナがうず高く積まれ、無数にあるガントリークレーンは一向に積み出しあるいは積み込みに動く気配がありません。外貨枯渇により決済ができずに、通関前に滞留を余儀なくされている国の必需品を積んだ輸入コンテナ群を、寒気を感じつつ目の当たりにすることできるのです。ぜひ社会勉強と称してご子息を連れてのお父様の昼の1杯、、、もといランチと称してご家族での社会勉強にいらしてはいかがでしょうか。

ちなみに税関(Sri Lanka Ports Authority)がドーンと目の前に見えることもあり、セキュリティー上の理由からこのHarbor Roomからの写真撮影は厳禁です。

ホップの苦味と通関の追憶

眼下に望むこの税関ですらも実は直視することができないほどの追憶を、本日はたどることにします。

スリランカの間接税VAT(付加価値税)は、特定品目以外のすべての輸入品に課され、輸入申告書上で輸入関税とともにこのVATも計算され、輸入者がそれを税関に支払うことによって内国歳入局(IRD)に納められるという仕組みとなっています。輸入時のVATが免税となる品目は、電気供給や公共サービスにかかる機械器具、ハイテク医療機器などの他に、戦略的開発事業 (Strategic Development Project) 遂行のための物品があります。

円借款の政府開発援助(ODA)のプロジェクト等も、契約によってはこれに該当しますが、かつてある日系の請負会社が、請負内容のひとつとして、プロジェクト発注者であるスリランカ国営企業に支給するための日本製新車25台ほどを輸入した際に、ルール上免税であるはずのVATが輸入申告書上で計算されていたのにもかかわらず、それに気づかず輸入関税とともに税関に納めてしまったことがありました。

免税とならなかった原因は、輸入手続き用書類(Bill of Lading、Packing List、Commercial Invoice等)上の荷受人(Consignee)名を、特別に「プロジェクト発注者名」に変更しておくことで当発注者の直接輸入のかたちをとるべきだったところを、通常の車両輸入どおりに、「現地の販売代理店(日本の車両メーカーの子会社)名」のままにしていたことでした。

それが発覚した際、きわめて通常通りに輸入書類を作成した日系車両メーカー、粛々と通関委託を請け負った日系物流会社、さらには車両25台の支給を滞りなく受けたプロジェクト発注者ですらも、この日系請負会社を救おうと動いてくれることはありませんでした。輸入手続き用の書類作成(当請負会社が作成するものではないのですが)に事前に細心の注意を払わずに、さらにはその結果としてのVAT課税に気づかずに輸入関税とともに税関に納めてしまったその日系請負会社だけの落ち度とされてしまったのです。その後の税関およびIRDとの交渉もむなしく、VATの還付は実現しませんでした。

これからスリランカで活躍していく日系企業は、苦味の利いた知見ですらも共有し合っていかなければなりません。上記の例のように、それぞれの過程でプロフェッショナル達が業務を遂行してくれるものの、彼らは全体をコーディネートするということはなく、まして守備領域を超えて戦ってくれることなどはないということです。

コンサルタントとして常に同胞企業の伴走支援を、とあらためて誓った白昼なのでした。

(次号につづく)

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