スリランカ海軍の退役軍人に聞く。内紛当時の状況と平和について。

※このインタビュー記事は個人の解釈も含まれています。インタビューを受けた方は政府スリランカ海軍の関係者であり、必ずしもスリランカ政府の総意ではありません。内紛を経験された一個人の意見として記事を読んでいただけますと幸いです。他方でLTTE関係者へのインタビューはしていません。
私が思うにLTTE戦闘員は何かのせいではなく、人生において間違った育てられ方をしたからだと思います。私たちはみんな友達で、みんな平等な人間だということです。
そう述べたのは元スリランカ海軍将校のSさん。目線を逸らして何かを深く考えるように述べました。この質問は敵対していたLTTEについて、現在の気持ちをお聞きした時の回答です。内戦当時の政府軍側の軍人が何を語ったのかをお伝えします。※事情のため、略称で表記しています。
経緯
今回のインターンの一つの目的として紛争を調査してみたい願望がありました。縁あってIOM(国際移住機関)の職員であるプシュピ・ウィーラクーンさんのご協力のもと、スリランカ海軍の退役軍人にインタビューをする機会をいただきました。
スリランカ紛争とは
スリランカ紛争は、スリランカで1975年から2009年まで続いた紛争です。1975年にLTTEの指導者が、ジャフナ市長のアルフレッド・ドゥライアパを暗殺したことから戦闘状態に発展しました。主にスリランカ政府とタミル・イーラム解放のトラ(LTTE)というタミル系武装組織との間で行われました。タミル人の民族自決権を求める要求と、スリランカ政府の統一国家を守るための対立が原因でした。
今回インタビューの機会を快く受けてくれたのはスリランカ政府軍側の元海軍将校のSさんと、スリランカ海軍の元一般兵のMさんです。当時の詳細を話してくれました。
インタビュイー1:Sさん
1977年に18歳で海軍に入隊。1979年に海軍士官に任命される。兵站を専門とする部隊に配属され、1983 年に始まった内紛の事支援業務に携わる。配属された艦隊はインド近くの北部海域に駐屯。主な任務は、インドからの敵対勢力への後方支援を阻止し、通信路と輸送路の確保をすることでした。35年間海軍で勤め上げたのち引退。

左の男性がSさん。右の女性がプシュピ。
インタビュイー2:Mさん
1984年に一般志願兵として海軍に入隊し、1993年に退役。スリランカ北部の カライナーガルで自爆ボート攻撃を受け左目を負傷。現在も自由に使うことはできません。
※スリランカ政府軍は徴兵制はなく、志願兵制度を採用しています。
インタビュー本編
インタビューは終始和やかな雰囲気で行われました。
あなたの周りに、紛争後の心理的ストレスに苦しむ人々はいますか?また、政府はそれに対してどのように対応していますか?
S:
紛争中、政府軍の兵士たちは精神的に追い詰めらていました。いつどこでLTTEと遭遇し、攻撃されるのか全く予測できなかったからです。さらに、LTTEは大人の戦闘員を守るために子供を人間の盾として利用するという非人道的な戦術を取っており、兵士たちはそのような相手と戦うことに精神的な苦痛を感じていました。このような状況の中で、部隊の士気を維持し、結束を保つことが重要な課題でした。
スリランカ政府軍はLTTEからスリランカ国民を守る名目のもと、戦闘をしていました。
子供の心的ストレスについて
S:
紛争は子供たちに心理的な負荷をかけました。兵士として戦闘に参加した父親が亡くなった場合、子供たちは心理的に不安定になる傾向がありました。父親の存在は精神の発達に大きな影響を与えます。
スリランカの家庭事情についても言及します。
S:
スリランカでは男性が家を稼ぐ伝統があります。そのため、紛争で父親を失った男の子たちは自ら生計を立てる必要がありました。第二次世界大戦中の日本にもあった困難だと思います。
政府の対応と補償について
S:
スリランカ政府は、負傷した兵士への補償を提供したりして、国民の士気を高めるために多くの対応をしました。
内戦の影響は直接参加していない家族にも及びました。一家の収入を得る男性が戦闘で負傷し、死亡してしまうことも後を絶ちませんでした。
※ここでの保障とは、スリランカ政府が提供している年金、医療費補助、住宅提供、職業訓練を指します。
戦時中の兵士の生存確認方法
M:
政府は負傷兵に対して3か月毎に生存報告を要求しています。生存報告には、グラスルートリーダーである「grama sewaka」の署名入りの書類を政府に提出しないといけません。生存していることを証明する責任は兵士自身にあります。そうしなければ、 賠償金やその他の社会サービスを受け取ることができなくなるからです。政府が生存報告を受けていない場合、私たちが死んでいるかどうか問い合わせる手紙が送られてきます。もし負傷兵がなくなっていれば、弔慰金や年金は妻や子供たちに送金されることになります。
負傷兵の家族がこれらの状況に対処できるよう、政府から補償と支援が提供されました。
※grama sewaka(village servant)の役職は、シリマヴォ・バンダラナイケ政権下でフェリックス・ディアス・バンダラナイケ大臣が実施した行政改革の一環として1963年5月に創設。
政府が運営するリハビリテーションセンター
1980年代から2000年代初頭にかけて、コロンボ、アヌラーダプラ、キリノッチ、バブ二ヤ、アンパーラ、トリコマリー、バッティカロアなどにリハビリテーションセンターが設立され、当初は病院や軍の基地で実施されていました。2009年の紛争終結後、専用のリハビリテーション施設が増加し、特にバリサラセンターやマニキャンプが重要な役割を果たしました。これらの施設では、元LTTEメンバーや社会復帰を希望する市民に対して医療、心理的、社会経済的な支援が提供されています。
LTTEの自爆テロ攻撃に遭遇しましたか?
質問内容はLTTE戦闘員の自爆攻撃へ
S:
LTTEの自爆ボート攻撃は政府軍にとって最大の損失の一つでした。スリランカ海軍が陸軍、空軍の兵士を護送している際、船団が攻撃されました。1997年頃だったと思います。チャール?と呼ばれる場所の近くで攻撃を受けました。海軍はすべてのボートに発砲できず、一隻の自爆ボートが300人乗った軍隊輸送船に向かってきていました。私にとっては特に記憶に残る出来事でした。紛争は激しく、ゲリラ戦術を使うLTTEと戦うということは予知ができないものと戦うことでした。LTTEの戦闘員たちはスリランカ軍、政治家、一般市民をも標的にして、可能な限りの死をもたらしました。
LTTEは子供を洗脳して自爆戦闘員に仕立てました。この自爆攻撃は1990年代から頻繁に行われるようになり、国際社会からも非難されました。
紛争で多くの仲間や家族が犠牲になったと思います。LTTEの兵士について、現在の気持ちをお聞かせください。
S:
私が思うにLTTE戦闘員はテロ行為をしていましたが、彼ら自身が悪の対象ではなく、組織的な扇動を受けた被害者でした。スリランカは多民族、多宗教の国であり、私たちは常に平和の中で共に生活してきましたし、今もそうしています。
M:
私は戦闘で目に障害を負ったため、LTTEに対する憎悪の気持ちはありました。しかし、LTTE戦闘員も、自分たちが平和に暮らすために戦っていたということを考えるようになりました。戦争・暴力という手段で人を洗脳してテロリストに育て上げるという方法は許されませんが、スリランカ政府軍もLTTE戦闘員もこのスリランカという土地で平和に暮らすことを望んでいたのです。
現在、世界情勢は再び不安定な状況に向かっています。内紛を経験したうえで、今後どのような世界を望みますか?
S:
如何なる理由でも、人がなくなったり、武力・暴力で問題を解決する戦争という手段はできる限り回避すべきです。お互いに話し合い、友好的な解決に至ることが重要です。争いに発展するまで待つ必要はありません。意見の相違があれば話し合うことができます。
政治家の扇動と紛争
S:
政治家はときに力を自己の利益のために使ってしまうことがあります。「タミル人は良くない、ムスリムは良くない、シンハラ人は良くない」といったストーリーは政治家たちが権力を握るために作りだすことがあります。時には宗教が紛争を引き起こすために利用される、あるいは人種、民族などもそうです。政治家たちはこの紛争を巧妙に作り出し、多くの命が犠牲になってしまいました。スリランカ軍、LTTE戦闘員、そして一般市民の命も多く失われました。だから私は戦争が嫌いです。私は平和を求めます。私たちは国のために戦ってきました。それが私たち軍人の義務です。
Sさんの口から発せられた言葉は力強く、圧がありました。
政治家が自らの利益のために扇動を行う手法は、国を問わず見られる現象です。日本でも、特定の民族に対する差別や根拠のないデマがSNSを通じて広がり、社会に悪影響を及ぼしています。こうした虚偽の情報が拡散されることで、平然とヘイト行為が行われる現状は、まさに権力を得るために民族差別を利用する典型的な例と言えるでしょう。
最後に
この記事を執筆するにあたり、プシュピ さんの協力がなければ完成できませんでした。そして、元海軍将校のSさんと元志願兵のMさんから内紛当時の体験をお聞きできたのは大変貴重な経験でした。2人のインタビューの中で、最も印象的だったのが、LTTE戦闘員に対する気持ちをお聞きした際、「同情する」と答えていたことです。人々に内紛の見解を聞くと、一貫した反応がありました。出会った人達の多くは「LTTE戦闘員は被害者だ。」と述べ、彼らに共感を示していたのです。以前訪れた写真店で同じ質問をした際、店主はこう語りました。「内戦は政治家や地域リーダーが私利私欲のために引き起こしたものだ。責められるべきは彼らだ。LTTEの戦闘員は、指導者たちの野望を果たすための駒に過ぎなかった。」
取材日:2024年11月26日
インタビュー・テキスト・写真:Kenji

同志社大学在学中。卒業まで半年を残して大学を休学し、インターンに参加。宗教や民族問題について興味があります。インターンでは記事執筆とカメラマンで参加中。
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