自分の人生、今のままでいいのか!40歳前に海外に飛び出した川瀬さんの挑戦
特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパンのスリランカ事務所代表を務めている川瀬葉子さんにお話を伺いました。この記事では海外で働くことのリアルや、仕事のやりがいなどについて、まとめています。また、インタビューの最後に、川瀬さんから私たち高校生へメッセージを頂いたので、自分の進路に迷っている学生や、自分の人生について、本当に今の道でいいのか迷いがある方にぜひ読んでもらいたいです。
目次
スリランカの概要とピースウィンズ・ジャパンの関わり
スリランカは、インド洋に浮かぶ自然豊かな熱帯の島国で、人口の7割以上を占めるシンハラ人のほか、タミル人、ムスリムなどが暮らす多民族多宗教国家。公用語はシンハラ語とタミル語で、連結語として英語も広く使われている。
1948年にイギリスからセイロンとして独立した後、1983年から2009年にかけて、タミル人武装組織「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」とスリランカ政府との間で長期に渡る内戦が続いた。
内戦が終結した2009年からピースウィンズ・ジャパンはスリランカで国内避難民に対する食糧支援や再定住に必要な仮設住宅等の提供を行った。2011年からは緊急支援の次の段階として、復興・開発を目指して内戦で荒廃した農業インフラの整備(農業用灌漑設備、精米所、牛舎などの修繕・建築)、有機農業の促進などによる農産物の高付加価値化など、主に農業を通じた生計向上支援に取り組んでいる。
川瀬さんのプロフィール

小さい頃から海外に興味があり、日本語の先生になったら海外へ行けるかもと思い大学で日本語教育を専攻し、オーストラリアのアデレード大学で日本語教師アシスタントを経験。
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就職氷河期で思うような仕事が見つからず、海外青年協力隊にも興味があったものの、当時は協力隊に行った後は就職できないと言われていたので、あきらめて就職。
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滋賀の健康食品会社、東京の医学系出版社、東京の製造業向けIT会社と、会社員として14年間、マーケティングを中心にキャリアを積む。
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当時の海外青年協力隊の募集可能年齢である40歳を近づく30代後半に東日本大震災が起き、このまま死んだら後悔すると思い、海外青年協力隊に行くことを決意。
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スリランカでの女性を対象にした手工芸支援を行うマーケティング職に応募し、タミル人が多いスリランカ北部のジャフナに2年間赴任。
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2017年よりNPO法人ピースウィンズ・ジャパンのスリランカ事務所代表として、スリランカ東部のトリンコマリーに赴任。
海外に憧れた子ども時代
【Q.1】海外に興味を持ったきっかけ、国際人道支援の仕事をしようと思ったきっかけを教えて下さい?
なぜか理由は分かりませんが、周りの友達がアニメやドラマを見ている中、私は世界の国々を紹介する旅番組や、海外ドキュメンタリーが好きでした。小学校低学年の頃から、いつか海外で暮らしてみたい、行ってみたいと思っていました。
大学生の頃には、テレビ番組『進め!電波少年』のヒッチハイク企画に影響を受け、「私も行くぞ!」と海外へ旅に出掛けました。
根っからのおせっかい焼き
私は難民キャンプでの人道支援ができるような人間だとは思っていないのですが、たまたま自分の知識や経験が活かせる場があり、自分が活動することで、誰かの生活が良くなって感謝されるのであればやってみたいと思い、この業界に入りました。
私は根っからのおせっかい焼きです。「もっとこうしたらいい」「もっとよくなるじゃん」とすぐ言いたくなる人です。スリランカでは、これをちょっと工夫したら、すごく良くなるのに!ということがたくさんあります。
ジャフナで手工芸の支援をしていたときに、地元のおばちゃんたちが、腕が通らない小さい持ち手の肩掛けバッグを作っていたり、頭のサイズに合わない帽子を作っていたりして、もっとよくできるでしょ!ということが、いっぱい目についてしまい、おせっかい焼きで、ずっとスリランカにいるみたいな感じです。
紛争抑制としての不平等感を生まない開発支援

ピースウィンズ・ジャパンには、災害支援のレスキューチームや医療部隊、難民キャンプ支援、食料支援など色んなチームがありますが、どちらかというと緊急支援を担う部隊が主力です。
私がピースウィンズ・ジャパンに入った当時は、今ほど世界に災害や紛争はありませんでした。ピースウィンズ・ジャパンは最初に紛争や災害の支援から入り、その後の復興・開発まで支援していくことが必要だと考えています。
開発支援の段階で必要になってくるのがマーケティングやビジネスの知識です。ピースウィンズ・ジャパンが活動している地域で、緊急支援を終えて開発支援の段階にあるのは、東ティモールとスリランカです。
私がスリランカで活動していて感じるのは、「不平等感」や「食料不足」などが紛争の原因になっているということです。それらの問題が解決しない限り、また紛争は起きてしまう可能性があります。開発支援は広い目で見れば、紛争の抑制にもなると考えています。
私がいるトリンコマリーはスリランカの主要3民族であるシンハラ・タミル・ムスリムが、同じような比率で住んでいる、スリランカの中でも特殊な町です。2019年の連続爆破テロのときに、アンチムスリムの雰囲気が流れました。
私が思ったのは、このトリンコマリーで不平等なことが起きたら、紛争はここから始まるのではないかということです。そのため、私は全員が不平等を感じないように、みんなが平等に支援を受けていると感じるように活動するように心がけています。
「〇〇がないからできない」とは、絶対に言わせない
【Q.2】他に活動する上で大切にしていることはありますか?
スリランカの人たちは口癖のように「〇〇がないからできない」と言います。「〇〇がないからできないなんて言っていたら、一生できないでしょ!」と、私は絶対認めません。「〇〇がないなら、どうしたらいいかを考えなさい!」と、スタッフにも裨益者さんにも常に言っています。
通訳を信用しすぎない
タミル語がある程度分かるとはいえ、完璧ではありませんので、時々通訳をしてもらうことがあります。ただ、けっこう適当に通訳している場面を見ます。「あなた、だいぶ意訳したわね!」と思うこともあれば、「本人たちが言っていることと違うでしょ!」ということもあります。
調査のために来ている若い子たちが通訳さんと一緒に調査しているのをたまに横で見ることがあります。調査に来た子たちは農家さんの意見を聞きに来ているのに、通訳さんが自分の意見を言っていることもあります。そうなると、話が根本から違ってしまいます。タミル語がある程度分かるからこそ、通訳している内容が正しいのかを確認しています。
あとは、車の移動中も寝ないで、どこかにニーズがないかを、常にアンテナを張ってリサーチしています。
どうやって現地語を学んだのか?

【Q.3】どうやって現地語を学んだのですか?また言葉を学ぶ過程で話せるようになる以外に得たものはありますか?
最初は文字を覚えて、それから読めるようになって、徐々に使える単語が増えていき、ある程度話せるようになりました。勉強を始めたのが40歳前後だったので苦労しましたが、完璧は目指さず、とにかく話すことを重視しました。単語さえ話せればある程度のコミュニケーションは可能です。どんどん使っていくうちに文法ではなくフレーズで覚えていきます。日本の若い子たちは耳から覚えていて、世代差を感じます。
タミル語を学び、日本語とすごく似ていることに驚きました。『日本語の起源』というタミル語について研究した本があるぐらいに、言葉の発想、言い方や言い回しが似ています。
「行ってきます」を“ポーイット・バーレン”とタミル語で言います。“ポーイット”が「行って」、“バーレン”が「来ます」という意味で、それを組み合わせると、「行ってきます」という意味になります。そういった言語的な共通点を時々見つけるのは、すごく楽しいですね。
インドに行くのは緊張する!? ~海外に行く際の緊張や不安~
【Q.4】海外に行く際に緊張や不安はありませんでしたか?
今は全然ありませんが、若い頃は確かに緊張や不安があったように思います。段々と旅慣れてくると、あんまり緊張もしなくなりました。
ただ、未だに緊張するのはインドです!笑
20代でインドに行った際、大変な目に合いました。ところが、30代になって何度かインドに行ってみると、「あれ?インド人のこの当たりは、こんなもんだったっけ?」と感じた自分がいて、「私、パワーアップしているかも?」と。
いろんな危険な目にあったり、あいそうになったり、そういうことを繰り返すうちに、どんどんと自分がアップデートされていきます。
事前に危険を察知して避けたり、一歩足を踏み入れてみて、そこが危険な地域だと感じたり、自然と身を守る術が身に付いていきます。
”やる気スイッチ”を見つける喜び

【Q.5】活動をしていく中で一番楽しいことや、感動することはありますか?
その人の“やる気スイッチ”を見つけた瞬間ですね。そのスイッチを押したことで、急にみんなの行動や態度、モチベーションが変わることがあります。
小さなきっかけで人が変わっていくのが見られるのが一番楽しいし、やりがいを感じます。
内戦で“負けた側”という、あきらめ
【Q.6】現地でもっと必要だと思うことや、海外での経験を通して「日本のここを変えたらもっと良くなる」と思ったことはありますか。
現地にもっと必要なことは、「考えること」「想像力を働かせること」「自信を持つこと」です。
特にタミル人は、内戦で“負けた側”という意識があるからなのか、いろんなことに対して、あきらめている人が多いと感じています。
先日、大卒で立派な学位を持っている若いタミル人女性が、「I’m just a small person」と言ったのに驚きました。「一握りの大卒者のあなたがスモールパーソンなら、他の人たちはどうなっちゃうの?」と。私たちの活動を通じて成功体験を積み重ねて、自分たちにもできると思ってもらいたいです。
また、スリランカの人は部下を褒めることが少ないとも感じています。やってみて、小さな成功体験を得て、そして褒められることで、自信を取り戻してもらいたいと思っています。
道行く人の微笑みという癒し

私は関西人なんですが、関西では八百屋さんの前で野菜を見ていると、通りすがりの知らないおばちゃんが「今日は小松菜が安いな!」と声をかけてきます。一方で、東京では知らない人から話しかけられることはありませんでした。
スリランカでは道を歩いていると、知らないおじちゃんと目が合うとニコっと笑って首を振ってくれます。南アジアでは首を振って挨拶しますが、見知らぬ人が笑顔で首を振ってくれることが、私の心を毎回癒してくれます。
日本にも知らない人同士の心温まるやりとりが、自然に行われたらいいなと思います。
今後の目標と、高校生へのメッセージ
【Q.7】今後の目標を教えてください。
現在取り組んでいる事業を継続していきたいですが、今、世界はとても流動的で、いつまで事業を継続できるか分からない状態です。個人としては現在の活動を通して、農業に興味を持ちました。もし日本に帰国することがあれば、農業の学位を取ったり、実家のある滋賀県の田舎で、有機農業や自然農業をやるなど、何かしらの形で農業に関わりたいと思っています。
【Q.8】高校生へのメッセージをお願いします!
私は飽き性で、いろんなことに手を出し、何度も転職して、色んな職業を経験しましたが、それが全て役に立っています。
出版社での編集やDTPを使ったイラスト制作、異国で日本語教師として教えたこと、異文化の国に旅行に行った経験、製造業でのマーケティングと、全ての経験が今に役立っています。だから絶対にこの職業!と決めすぎなくてもよく、いろんな経験をすればいいと思っています。
言葉ができないからと、海外へ行くのを躊躇する人もいますが、自分が伝えたいことはボディーランゲージや知っているいくつかの単語だけでも十分伝わります。それを体験すると、どんどん楽しくなってきます。
若いからこそ、いろいろチャレンジして、未来の幅を広げてください。
取材日:2025年10月7日 オンラインにて
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