チームジェフリーバワ2「バーバラサンソーニ(Barbara Sansoni)」
チームジェフリーバワから紹介する二人目は、ベアフットのファウンダー、デザイナー・カラーリスト・作家・画家として知られるバーバラサンソーニ(Barbara Sansoni)です。
目次
バーガー系の上流階級の家に生まれる
1928年、バーバラ・ダニエル(Bartbara Daniel)は、キャンディで生まれました。
ジェフリーバワの9歳年下です。
父レックス・ダニエル(Rex Daniel)はセイロン政府の行政職員で、仕事のために県を跨いで住まいを転々としました。
そのため、バーバラは小さい頃から、セイロン各地のコロニアル・バンガローに住んでいます。
母バーサ(Bertha)の旧姓は、ヴァン・ランゲンバーグ(van Langenberg)です。
兄のアーサー・ヴァン・ランゲンバーグ(Arthur van Langenberg)は外科医で、ガーデニングに著作でも知られています。
そのアーサー・ヴァン・ランゲンバーグは、ジェフリーバワの兄ベヴィスバワの学生時代の友人でした。
バワとの繋がり1:バワ家から家を借りる
1938年、バーバラは10歳で南インドの避暑地「コダイカナル」にあるカトリックのボーディングスクールに行きます。
10ヶ月の滞在の予定でしたが、第一次世界大戦が始まり、しばらくインドに滞在します。
バーバラの母バータ・ダニエルと、ジェフリーバワの母バータ・バワは、親友で戦時中は、コロンボ10のDarlery Roadのバワ家の2棟の家のうちの一つを借ります。
終戦後、バーバラはロンドンのチェルシー・アート・スクールに行き、4年間学びます。
バワとの繋がり2:ヒルデン・サンソーニと結婚
1953年、父親の友人の海軍士官のヒルデン・サンソーニと結婚します。
かなりの年の差(父親の友人なので)だったそうです。
ベヴィスバワが陸軍の補佐官だったように、ヒルデンは海軍の補佐官でした。
織物を始める
バーバラが織物を始まるようになるのは、二人の子供を産んだ後の1958年です。
スリランカには織物の伝統はなく、インドから輸入されていました。
スリランカ政府は、インドの独立運動家のマハトマ・ガンディーの影響から、スリランカでも織物産業を立ち上げようとします。
1958年、コロンボ郊外ワッタラのナヤカカンダ(Nayakakanda)にあるグッドシェパード修道院が、女性支援のために織物センターを始めます。
アイルランド人の修道院長が、バーバラに女性たちに織物を教えるように依頼します。
バーバラはその依頼を受け、夫ヒルデンが資金を出して、織物協同組合ビレッジセンターを設立します。
当初、エジプトで染められた紡績糸を輸入していましたが、それが入手不可能になると、バーバラはインドのコットンをスイスのチバガイギー(後にノバルティスファーマが分離独立)の染料を使って染めるようにします。
そして、オランダ人の抽象芸術画家「ピート・モンドリアン」、
バウハウスの美術家「ヨゼフ・アルバース」などからインスパイされて、
縫い物のパターンや色使いを発展させていきます。
バワとの繋がり3:ドナルドフレンドと知り合う
夫ヒルデン・サンソーニの友人であるベヴィス・バワを介して、オーストラリアの芸術家ドナルド・フレンドと知り合います。
二人は意気投合して、スケッチの旅に出掛け、テラコッタのタイルの制作を行います。
バワとの繋がり4:E.R.&B.設計事務所に家の設計を依頼
1959年、サンソーニ夫妻はコロンボ5のAnderson Roadに小さな家を別館とし設計するのを、エドワード・レイグ&ベッグ建築設計事務所に依頼します。
設計を担当したのは、ジェフリーバワの初期のパートナーとして知られるデンマーク人のウルリク・プレスナーでした。
完成後、ウルクリがその家を借ります。
これが縁でバーバラ、ウルリク、ジェフリーは一緒に仕事をするようになります。
建築プロジェクトに参画
バーバラ、ウルリク、ジェフリーはラキ・セナナヤケを仲間に加わえて、
・バンダラウェラの修道院のチャペル(Chapel for the Good Sheperd Convent, Bandarawela)
・コロンボのセントブリゲットのモンテッソリースクール(St. Bridget’s Montessori)
のプロジェクトに取り組みます。
バーバラは、それぞれのプロジェクトでテラコッタで「十字架の道行き」を作るとともに、階段とトイレの個室を装飾しています。
新聞に建築のコラムを連載
バーバラとウルリクは、ラキとイスメス・ラヒームとチームを組み、セイロン島の古い建物を記録を取ります。
その記録をサイモンクーロドというペンネームで、デイリーミラー誌にコラム「Collecting Old Buildings」を連載します。
これが後に、本として出版される「Vihares and Verandahs and Architecture of an Island」になります。
バーバラは子供向けの連載を「Missy Fu and Tikkiri Banda」をデイリーミラ誌で始め、これも後に書籍になっています。
織物の販売を開始
1964年、バーバラは手織り布と服をアンダーソンロードの自宅で販売する「Barbara Sansoni Fabrics」を始めます。
経営はヒルデンが担当します。
政府による糸を使い、織物の協同組合と制作を行います。
1966年、ロンドンでバーバラの個展が開かれます。
その後、2年間で14か国を回り、テキスタイルと建築を学びます。
1969年、ベントタにオープンしたジェフリーバワ設計のベントタビーチホテル(現:シナモンベントタビーチ)のサロンの天井に使用されるファブリックを制作します。
1970年、ジョン・ロックフェラー・トラベル・アワードを受賞します。
1970年代の初めに、2つのお店を出店します。
1店舗目がコロンボフォートに出店した家庭用品に特化した「House」で、
2店舗目がゴールフェイスコートに出店した服に特化した「Barefoot」です。
ベアフットのロゴは、建築家のCアンジャレンドランがデザインしています。
バーバラは赤などの明るい色に染めたファブリックを作りました。
ファブリックを壁から掛けたり、ベットカバーとしてだけではなく、
腰に巻いたりするなど、女性が身につけるものとしても製作していきます。
これがあたり、若い女性のサリーに変わる新しい服の選択肢となります。
続いてバーバラは、シャツやブラウス、男性用のサロンなども作ります。
1970年代に観光業が盛り上がり、多くのホテルが開業すると、ホテルのテーブルリネン、カーテン、ベットカバーなどにバーバラの製品が採用されていきます。
そして、宿泊客は旅の思い出に、ショップでバーバラのサロン、バック、シーツなどを買って帰ったそうです。
1978年、『Vihares and Verandahs and Architecture of an Island』を出版します。
現在のベアフット本店を開店
1979年に夫ヒルデン・サンソーニが他界します。
息子のドミニク・サンソーニがイギリスで写真科を修了し、経営を引き継ぎます。
ドミニクはバンバラピティヤ交差点近くのゴールロード沿い706番に現在のベアフット本店をオープンします。
ドミニクは、写真家として活躍しフォトエージェンシーを経営しながら、ベアフットの経営を続けます。
ベアフットは5つの織物センターを有し、世界各国に製品を販売する企業に成長します。
ブックショップをオープン
ドミニクの妻ナズレーン(Nazreen)が
ニハル・フェルナンド(Nihal Fernando)の『handbook for the ceylon traveler』
ドミニク・サンソーニとリチャード・サイモン(Richard Simon)の『Sri Lanka the Resplendent Isle』
の2冊を販売することから始め、評判を読んで本店敷地内にブックショップを開店、広く知られるようになります。
ギャラリーをオープン
ギャラリーは1967年から1971年にコロンボギャラリーの名で開いていました。
それをナズレーンが1991年に本店の敷地内に改めてオープンさせ、ギャラリー706コロンボと名付けます。
1999年に現在のベアフットアートギャラリーの名に改称されます。
カフェをオープン
1990年代の初頭に本店の敷地内にカフェをオープンします。
カフェとギャラリーの建物は、アミラ・デ・メル(Amila de Mel)が設計を行なっています。
本店の改装セレモニーにバワが参加
1990年代後半に本店はアミラ・デ・メルによって改装が行われました。
その改装お披露目のセレモニーが、ジェフリーバワが公式の場に姿を見せた最後と言われています。
ベアフット本店はバワのコロンボの自宅ナンバー11から程近くにあります。
ロナルド・レウコックと再婚し本を出版
バーバラはオーストラリア人の建築史家のロナルド・レウコック(Ronald Lewcock)と再婚します。
1998年には、夫婦共同で、スリランカの歴史ある建物についてまとめた『Architecture of a Island』を出版しています。
出版と受賞歴
1978年『Vihares and Verandahs and Architecture of an Island』を出版
1987年「Zonta Woman of Achievement」を受賞
1997年「Woman Entrepreneur of the Year」を受賞
1998年『Architecture of a Island』を出版
1999年「Sri Lanka Entrepreneur of the Year」を受賞
2002年『Missy Fu and Tikkiri Banda』を出版
2004年『Press with the Toes in the Grass』を出版
2005年「Kala Suri Award」を受賞
2011年「Geoffrey Bawa Award」を受賞
2014年『A Passion for Faces』を出版
2015年『Missy Fun in Yala』を出版
2016年「Honorary Doctor of Philosophy」を受賞
2017年「Inspirational Woman of the Year award」を受賞
参照)
BAREFOOT:Barbara Sansoni
BAREFOOT:Barefoot Gallery Colombo
BAREFOOT:Bookshop
BAREFOOT:Barefoot Garden Cafe
LAMPOON:Barefoot, Colombo. Facilitating the elevation and empowerment of women in the workplace
Columbia University Press:Urban Gardening
Wikipedia:Kodaikanal
ウィキペディア:ピート・モンドリアン
ウィキペディア:ヨゼフ・アルバース
ウィキペディア:十字架の道行き
Ronald Lewcock
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「旅と町歩き」を仕事にするためスリランカへ。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年3月、法政大学社会学部社会学科を卒業。
2005年4月、就活支援会社に入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長などを経験して就職支援会社を退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当。
2016年7月、初めてスリランカに渡航し、会社の登記を開始。
2016年12月、スリランカでの研修受け入れを開始。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年1月、スリランカ情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開始。
2020年8月、不定期配信の「スパイスアップ・ニュースレター」創刊。
2023年11月、サービスアパートメント「スパイスアップ・レジデンス」開始。
2024年7月、スリランカ商品のネットショップ「スパイスアップ・ランカ」開設。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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