チームジェフリーバワ1「イナ・ダ・シルワ(Ena de Silva)」
パラダイスロードの創業オーナーで、ジェフリーバワのオフィスをギャラリー・カフェ・バー・ショップに改装し、バワが購入したベントタのヴィラをパラダイスロードザヴィラとして経営するシャーンスフェルナンドさんにインタビューした際、バワと一緒に働いていた人たちを「チームジェフリーバワ」と表現していました。
バワとコラボーレーションしたアーティスト、建築家が手掛けた作品は、バワの建築において大きな存在感があります。
そこで、シャーンスさんの言葉を借りて、「チームジェフリーバワ」のメンバーたちを紹介していきたいと思います。
まず、最初に紹介するのがバティック制作と、スリランカの伝統工芸の復興に力を注いだ「イナ・ダ・シルワ(Ena de Silva」です。
本記事では、イナ・ダ・シルワの略歴を紹介します。
目次
アルウィハーラヤの裕福な家庭の生まれ
1922年10月23日、イナ・アルウィハーラヤ(Ena Aluwihare)はアルウィハーラヤ(අලුවිහාරය、Aluwihare)村のゴヤガマ(農業)カーストの家に生まれました。
農業カーストであるゴヤガマは、スリランカのカーストでも最上位とされています。
イナはジェフリーバワの3歳年上です。
アルウィハーラヤ村は、仏典をヤシの葉に書き記した第4仏典結集、スリランカ最古の図書館として知られるアルウィハーラヤ寺院(Aluvihare Rock Temple)があることで知られています。
※地球の歩き方では、アルヴィハーラ(Aluvihara)と表記されていますが、シンハラ文字の発音に従うと「アルウィハーラヤ」が近いです。
また、エナ・デ・シルヴァと表記されることが多いですが、シンハラ文字の発音では「イナ・ダ・シルワ」が近いです。
父はスリランカ人とで初めて監察長官になり、在インドのセイロン大使館員にもなったナイトの称号を得た「リチャード・アルウィハーラヤ」。
オスムンド・ダ・シルワと結婚
イナは19歳の時に21歳年上で、父の部下で監察長官代理のオスムンド・ダ・シルワと駆け落ちします。
カーストが違うことが大きな障害になったそうですが、結婚に至り、イナ・ダ・シルワとなります。
長男アニル・ガミニ・ジャヤスーリヤ、長女アヌラ・クスム・ギルモアと二人の子供をもうけます。
1948年、26歳の時にスリランカ独立を祝うショーの美人コンテスト「Spirits of Lanka」の代表に選出されます。
1949年、独立1周年記念の「Festival of Arts」のオーガナイザーの一人を務めます。
その経験がイナの伝統工芸への関心を高め、夫のサポートもあり、南インドの工芸品やキャンディの布や旗などを集めはじめます。
そして、キャンディアンドレスを現代的に着こなすイナはコロンボの社交会で知られる存在となっていきます。
1955年、夫オスムンド・ダ・シルワは、イナの父リチャード・アルウィハーレを継いで監察長官になります。
バワに自宅(Number 05 @ Lunuganga)の設計を依頼
1959年、Alfred Placeに土地を買い、
1960年、ジェフリーバワに自宅の設計を依頼します。
これが現在、ルヌガンガに移築されている「Number 05 @ Lunuganga」です。
自宅は夫のオフィス、イナのバティック制作スタジオとしても使われます。
バティック制作には、ラキ・セナナヤケと息子のアニル・ガミニ・ジャヤスーリヤなどがアシスタントしてサポートしています。
同年・1960年にはラキ・セナナヤケ、レッギア・シリワルデナ、息子のアニルと共同で映画を制作します。
バティックの制作・販売を開始
1962年、家の前の路上で制作したバティックの販売を開始します。
反響がよかったため、すぐにコッルピティヤにショップを出店しています。
1964年にバティック、刺繍、木彫り、真鍮鋳造などの伝統技能を復興する工芸協同組合「アルウィハーラヤヘリテージセンター(Aluwihare Heritage Centre)」をアルウィハーレ村に設立します。
1969年に開業したジェフリーバワ設計のベントタ・ビーチ・ホテル(現 シナモン・ベントタ・ビーチ)にレセプションの天井を覆うバティックや1階に展示されているバティック、ジェフリーバワスイーツのソファーの後ろに展示されているバティックなどを制作。
1970年に大阪で開催された日本万国博覧会のセイロンパヴィリオンの内部に掲げられた巨大なバティックの旗を制作。
同年・1970年にアシスタントであり、ジェフリーバワとも仕事をした息子のアニルが自動車事故で働けなくなってしまいます。
アニルは1964年にバワの結成の元に完成した、コッルピティヤのゴールロードにあるセントトーマスプレパラトリースクール(S. Thomas’s Preparatory School)の正面フェサードの巨大なコンクリートのレリーフを制作するなど、将来を有望されたアーティストでした。
1975年にオープンしたコロンボのホテルランカオベロイ(現:シナモングランドホテル)に使われた巨大なバティックを制作します。
現在のシナモングランドホテルの入口を入り、左手奥に行くと、吹き抜けのイベントスペースがあり、天井から円柱状のものがぶら下がっていますが、開業当時はイナ・ダ・シルワのバティックがぶら下がっていたのです。
セーシェル、ヴァージン諸島で働く
1979年に夫のオスムンド・ダ・シルワが死去します。
夫の死後、国連の専門家としてセーシェルに、イギリス連邦の手工芸のコンサルタントとしてヴァージン諸島に、合計2年間海外での仕事に取り組みます。
留守中の自宅をジェフリーバワに貸し出し、1982年まで新国会議事堂のプロジェクトオフィスとして使われます。
アルウィハーラヤに拠点を移す
1981年、イナは先祖代々の土地であるアルウィハーレに戻ります。
現在、Aluwihare Walauweとグーグルマップに登録されているところに、アルウィハーラヤレヘリテージセンターがあります。
Walauweとは邸宅という意味で、1950年台に建設されたと言われるイナの生家がセンターとして使われています。
バワの元で働いた建築家のアンジャレンドランが木工工房と鍛冶場を、
ラキ・セナナヤケが染め物小屋を建てています。
しばらくした後に、キャンディの伝統料理を提供するアルヴィハーラヤ・キッチンがC. アンジャレンドランのデザインによって建てられています。
現在、アルヴィハーラヤヘリテージセンターでは、バティックをネット販売しています。
Aluwihare Heritage Centre
1982年に完成するジェフリーバワ設計の新国会議事堂の正面に飾られたバティックの旗を制作しています。
1997年に開業したジェフリーバワ設計のジェットウィングライトハウスのバーの天井を覆うバティックを制作。
このバティックはセイロン時代の各州の旗やイギリスの旗を描いたものです。
2009年、コロンボの自宅の土地を売却します。
その際、ルヌガンガ財団が自宅をルヌガンガに移築し、保存することを決定します。
現在、Number 05 @ Lunuganga として公開されています。
2015年9月29日、92歳で永眠。
参照)
Wikipedia:Ena de Silva
Ena Aluwihare – A timeless beauty
Wikipedia:Regi Siriwardena
Jetwing Lighthouse:Coats of Arms Bar
ALJAZEERA:Sri Lanka: Ena de Silva’s moving house
Geoffrey Bawa Trust:Number 05 @ Lunuganga
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「旅と町歩き」を仕事にするためスリランカへ。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年3月、法政大学社会学部社会学科を卒業。
2005年4月、就活支援会社に入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長などを経験して就職支援会社を退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当。
2016年7月、初めてスリランカに渡航し、会社の登記を開始。
2016年12月、スリランカでの研修受け入れを開始。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年1月、スリランカ情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開始。
2020年8月、不定期配信の「スパイスアップ・ニュースレター」創刊。
2023年11月、サービスアパートメント「スパイスアップ・レジデンス」開始。
2024年7月、スリランカ商品のネットショップ「スパイスアップ・ランカ」開設。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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