チームジェフリーバワ3「ラキセナナヤケ(Laki Senanayake)」
チームジェフリーバワの3人目は、
・ヘリタンスカンダラマのフクロウのモニュメント
・ジェットウイングライトハウスの螺旋階段の彫刻
・新国会議事堂のシャンデリア
・1979年に発行されたスリランカの紙幣に描かれたの動植物の絵
・バワ建築の数々の製図
などが知られているラキセナナヤケです。
バワが所属したエドワード・レイド&ベッグ建築設計事務所にて、製図者としてキャリアをスタートした後に、彫刻・絵画・イラスト・製図・建築・ランドスケープ・簡易住宅・発明・ゲーム考案・詩などを幅広い分野を手掛けるアーティストと活躍したラキセナナヤケ。
スリランカ伝統のサロンをはいて、フルート演奏をするのもラキさんのトレードマークのようです。
本記事では、そんなラキさんの経歴と作品を紹介していきます。
目次
政治家の家生まれ
1937年、コロンボに生まれます。
バワの18歳歳下です。
父は農園主で、マルクス主義政党のLanka Sama Samaja Partyの設立メンバーの一人のReginald Senanayake。
母はセイロンで初の女性国会議員のFlorence。
バワ兄弟と同じロイヤルカレッジに通っています。
メルボルンアート教室で学び、教師も務める
コロンボの「コラ・アブラハムズ・メルボルン・アート・クラシイズ(Cora Abraham Art Classes)」でアートを学び、すぐに卒業して、教師を務めます。
このアート教室で、イスメスラヒームとともに「Young Artists Group」の設立に関わります。
メルボルンアート教室とは?
1942年にオリーブ・コラ・アブラハム(Mrs. Olive Cora Abraham)が子供や学生達が自由に表現できるようにガレージで始めた教室「ザ・メルボルン・アート・クラシイズ(The Melbourne Art Classes)」が始まります。
教室の場所がコロンボ4のメルボルン・アベニューにあったことから、その名がついています。
1979年にオリーブ・コラ・アブラハムが他界し、かつて教室の生徒でその後に教師もしていたナリン・ウィーラシンハ(Nalin Weerasinghe)が校長を引き継ぎ、1982年に現在のコラ・アブラハムズ・メルボルン・アート・クラシイズ(Cora Abraham Melbourne Art Classes)に名称変更されています。
現在はニルマラ(Mrs. Nirmala)が校長を務め、コロンボ6のDaya Roadにあります。
ビッリモリア & デ・シルヴァ建築事務所で働く
1959年、友人のターナー・ウィクラマシンの後を追って、ビッリモリア & デ・シルヴァ建築事務所で働き始めます。
ビッリモリア & デ・シルヴァは、
インド人の建築家のJ. P. J. Billimoriaと、
スリランカ初の女性建築家のミネッテデシルヴァ(Minnette de Silva)
の建築設計事務所です。
ミネット・デ・シルヴァとは?
ミネッテ・デ・シルヴァはスリランカの近代建築におけるパイオニアです。
・スリランカ初の女性建築家
・アジアで最初に王立英国建築家協会選ばれたアジア人女性
・アジア人で最初のCIAM(近代建築国際会議)の代表メンバー
・インドの芸術雑誌「Marg」の創設メンバーの一人
・スリランカ建築家協会のフェロー
・スリランカ建築家協会から金メダル(1996年)を受賞
など、数多くの業績で知られています。
■ミネッテ・デ・シルヴァの略歴
1918年、キャンディに生まれました。
第二次世界大戦中にムンバイで建築について学びます。
1945年、インドの芸術雑誌Margに関わります。
1948年、ロンドンのAAスクールで学び、RIBA初のアジア人女性会員となります。
1950年、キャンディに建築事務所を開設、
1998年、80歳で永眠。
現存する代表的な建築は、キャンディアン・ダンスが見られるキャンディアン・アート・アソシエーションのキャンディ・アート・センター。
ジャーナリストのアニル・デ・シルヴァ(Anil de Silva)は姉。
バワが所属するE. R. & B事務所に入社
1959年、エドワード・レイド&ベッグ建築設計事務所に建築技術者として入社。
最初に、バレンタイン・グナセケラと働きます。
その後、ジェフリーバワとウルリクプレスナーと共に働きます。
ジェフリーバワを介して、ベヴィスバワ、ドナルドフレンドと知り合います。
そして、ウルリクプレスナーとドナルドフレンドからの影響を受けて、ジェフリーバワの設計する建物の製図の独自のスタイルを確立していきます。
ウルリクプレスナー、バーバラサンソーニと共に、スリランカの古い建物を記録するプロジェクトに参画します。
これが後に、バーバラとルーコックによる『The Architecture of an Island』として出版されています。
アシスタント長となり、「A. S. H. デ・シルヴァ邸」、「イナ・デ・シルヴァ邸」、「グッドシェパード修道院チャペル」、「ビショップズ・カレッジ」、「聖ブリジット・モンテッソリー・スクール」のプロジェクトに参加します。
1959〜1960年にジェフリーが建築をしたA. S. H. デ・シルヴァ邸では、ブルース石製の瓶を砕くことで、プールに青いガラスタイルが貼られたように見せる表現を施しています。
1960~1962年にジェフリーが設計したイナ・デ・シルヴァ邸(現:Number 05 @ Lunuganga)で初めて、ラキ独特の製図の制作を行っています。
1961〜1962年に建築されたバンダラウェラのグッドシェパード修道院のチャペルでは、ウルリクプレスナーの指示の下、ラキセナナヤケが設計しています。
1963〜1964年に建築されたコロンボ7の聖ブリジット・モンテッソリー・スクール(St. Bridget’s Montessori Schoolは)、バワとラキが設計を担当しています。
イナ・デ・シルヴァのアトリエで働く
1964年、エドワード・レイド&ベッグ建築設計事務所を退職し、イナデシルヴァのアトリエで、イナとイナの息子アニルと、6年間共に働くきます。
またフリーランスとして、ジェフリーバワの仕事に関わります。
1967〜1969年にバワが建築士たベントタビーチホテル(現:シナモンベントタビーチ)にピーコック像を制作。
1969〜1970年の大阪万博のセイロンパヴィリオンで、高さ12メートルのブロンズ製の菩提樹の葉形の彫刻を制作。
ナンバー11に小さい菩提樹の葉形のレプリカがあります。
ダンブッラのDiyabubulaに移住
1972年、義理の兄弟Nimal Senanayakeが所有していてダンブッラのマーターレ・ヒルの麓の土地「ディヤブブラ(Diyabubula)」に移住します。
ディヤブブラとは、シンハラ語で湧き水を意味します。
ベヴィスバワがブリーフガーデンを、ジェフリーバワがルヌガンガを作ったように、
ラキはディヤブブラを、バワ兄弟よりも自然に近いランドスケープに作り上げていきます。
1973〜1976年にバワが建築したネプチューンホテル(現:ヘリタンスアーユルヴェーダ)のレセプションの壁にレリーフを制作。
また、150全ての客室に異なるレリーフを制作しています。
1974年、初めての個展をライオネル・ウェンデット・ギャラリーで開きます。
1978〜1981年にバワが建築したクラブビラの壁画を制作。
スリランカの紙幣をデザインする
1979年、ベヴィスバワのブリーフガーデンでブラドバリー・ウィルキンソンに出逢います。
ブラドバリーはイギリスで紙幣や切手を印刷する会社Bradbury Wilkinson and Companyを経営し、スリランカの紙幣も印刷していました。
ブラドバリーはラキに紙幣のデザインを依頼します。
ラキが紙幣に標高4,000フィート(約1,200メートル)に生息する動植物を描きました。
代表的なシャンデリア、彫刻などを制作する
ルヌガンガに、ギリシャ神話のアキレウスを描いた壁画を制作。
1979-1981年にバワが建築したトリトンホテル(現:ヘリタンスアフンガッラ)に壁画を制作。
1979〜1982年にバワが建築した新国会議事堂の議場の天井に吊るされている銀のヤシの葉をかたどったシャンデリアを制作。
1982年、ペラデニア植物園の木々を描いた本にイラスレーターとして参加します。
1983年、Martin Monestierによって、ラキが描いた紙幣などを紹介した『The Art of Paper Currency』が出版されます。
1991〜1994年にバワが建築したカンダラマホテル(現:ヘリタンスカンダラマ)では、メインレストランの入口の階段の踊り場にあるフクロウのモニュメント、メインレストランの木のオブジェ、ライブラリーに掲示されているホテルの全体図などを制作しています。
ナンバー11に小さいフクロウのモニュメントがあります。
1995〜1997年に建築されたジェットウィングライトハウスでは、入口の螺旋階段にポルトガル軍とキャンディ王国の「ランデニヤの戦い」を描いたブロンズと銅で作られた彫刻を制作します。
1998年、バーバラサンソーニ、ロナルド・レウコックとともに『Architecture of a Island』を出版。
ロナルド・レウコックとジェフリーバワ財団がラキの作品集『Laki』を出版。
ラキが描いたフクロウの画集『Laki’s Book of Owls』が出版。
ラキは、レギシリワルデナ、Rナデサンとのコラボレーターとしても知られています。
参照)
Wikipedia:Lanka Sama Samaja Party
Laki Artisan
Everybody Wiki:Laki Senanayake
Wikipedia:Regi Siriwardena
Wikipedia:S. Nadesan
Wikipedia:Minnette de Silva
ウィキペディア:王立英国建築家協会
Royal Institute of British Architects 公式サイト
ウィキペディア:CIAM
The Marg Foundation 公式サイト
Open Diction Journals:Marg Magazine: A Tryst with Architectural Modernity
Wikipedia:Marg (magazine)
Wikipedia:Kandyan Art Association
Wikipedia:Anil de Silva
ウィキペディア:ジャハンギール・ラタンジ・ダーダーバーイ・タタ
Wikipedia:Lighthouse Hotel
Wikipedia:Battle of Randeniwela
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「旅と町歩き」を仕事にするためスリランカへ。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年3月、法政大学社会学部社会学科を卒業。
2005年4月、就活支援会社に入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長などを経験して就職支援会社を退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当。
2016年7月、初めてスリランカに渡航し、会社の登記を開始。
2016年12月、スリランカでの研修受け入れを開始。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年1月、スリランカ情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開始。
2020年8月、不定期配信の「スパイスアップ・ニュースレター」創刊。
2023年11月、サービスアパートメント「スパイスアップ・レジデンス」開始。
2024年7月、スリランカ商品のネットショップ「スパイスアップ・ランカ」開設。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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