バワ生誕100周年で公開された「ナンバー5(イナ・ダ・シルワ邸)」とは?
ジェフリーバワ生誕100周年記念事業の一環として、2019年9月に公開されたナンバー5(Number 5)について紹介します。
バワは多くの邸宅を建設していますが、その中でも初期の重要な作品としてデイヴィット・ロブソン氏が著作で取り上げ、『Geoffery Bawa The Complete Works』の表紙の写真にも選ばれているのが、ナンバー5です。
ナンバー5はバティックアーティストのイナ・ダ・シルワ(Ena de Silva)邸でした。
ナンバー5(イナ・ダ・シルワ邸)とは?

ナンバー5は、イナ・ダ・シルワと夫のオスムンド・ダ・シルワがジェフリーバワに依頼して、1960〜1962年に建設が行われた邸宅です。
イナ・ダ・シルワは住宅の建設にあたり、4人の建築家と会って検討していたそうですが、その後に友人のベヴィス・バワから、弟のジェフリー・バワを紹介されます。
イナ・ダ・シルワは、ロールス・ロイスを乗り回すジェフリー・バワの最初の印象があまり良くなかったそうですが、話をしてみると意気投合し、ジェフリー・バワに設計・建築を依頼します。
ダ・シルワ夫妻が購入したコロンボの土地に建てられました。
場所は、Dardans Hospitalの東側の土地で、住所は「No.5, Alfred place」でした。
この住所から移築後の名称「ナンバー5」がとられています。
1962年に自宅が完成した後、イナ・ダ・シルワは家の前の路上で制作したバティックの販売を開始します。
1979年に夫オスムンドが亡くなり、イナはセーシェルやヴァージン諸島での仕事に取り組むことにし、留守中のイナ・ダ・シルワ邸はジェフリーバワが新国会議事堂のプロジェクト用のオフィスとして借りています。
2009年、イナ・ダ・シルワが土地の売却を希望したところ、保存の声が高まり、都市開発局(Urban Development Authority)が保存を決定。
ジェフリーバワ財団、建築家のAmila De MelとC. Anjalendran、National Trust Sri Lankaのメンバーで建築や遺跡の保存の専門家であるNilan Coorayが協力して、6年の歳月と3000万ルピーの費用が要して、ルヌガンガに移築されました。
ジェフリーバワ生誕100周年記念の一環としてリニューアルオープンしたシナモン・ベントタ・ビーチと同様に、タイルや石に番号を振って、遺跡の移築・修復のように丁寧な作業が行われました。
2015年9月29日、イナ・ダ・シルワは移築の完了前に92歳で亡くなっています。
2019年9月21日、ナンバー5として一般に公開され、3つの部屋が宿泊できる客室となっています。
建物の特徴

ジェフリー・バワは1957年に帰国して、エドワード・レイグ・アンド・ベッグ建築設計事務所のパートナーとなり、建築家としてのキャリアをスタートさせていますが、その活動最初期に当たる作品です。
その土地の文化・伝統を現代的に解釈したバワのスタイルがよく現れた建築だとされています。
ダ・シルワ夫妻がAlfred placeに土地を購入した1959年は、コロンボの土地が値上がりして、土地が小さく区分けされた頃だそうです。
それまでの住宅様式で建設するには土地は限られ、また道路から内部が見えてしまいプライベートがないという問題点がありました。
イナ・ダ・シルワは、キャンディの伝統様式である中庭がありながらも、夫のオフィス、自身のバティック工房、アーティストの息子のためのスタジオ、仏間、ゲスト用の客室などを備えた現代的な機能を有する住宅を要望しました。

また、セイロン政府による輸入規制があり、使える建材に限りがあり、家具の輸入もコスト的に難しい状況にありました。
そこでバワは、地元の職人に依頼して地元の素材から建材や家具を作り、シンハラだけでなくポルトガルやオランダ様式も含めたスリランカ伝統の建築様式を取り入れた住宅を建築します。
まさにバワらしいコンセプトと言えます。

大きなシンハラ建築・キャンディ様式の中庭「メダ・ミドゥラ(meda midura)」があるのが特徴的です。

ジェフリーバワのコロンボの自宅「ナンバー11」やシナモン・ベントタ・ビーチなどでも見られる、イナ・ダ・シルワの太陽を描いたバティック。

一階は中庭の周囲にイナ・ダ・シルワ作のバティックなどの作品が展示されたラウンジなどの共有スペースとなっています。

バティックの作品が多く展示されています。
客室は階段を上った2階にあります。
スケジュールの関係で、客室などの取材を行えませんでしたので、詳細は改めて訪れて、こちらの記事に追記して参ります。
>関連記事
参照)
ジェフリーバワ財団公式ページ:Number 05
ALJAZEERA Sri Lanka: Ena de Silva’s moving house
Wasantha Builders Ena De Silva House
SPICE UP LANKA CORPORATION (PVT) LTD Managing Director
SPICE UP TRAVELS (PVT) LTD Managing Director
「旅と町歩き」を仕事にしようとスリランカに移住。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年4月、法政大学社会学部社会学科を卒業後、六本木の人材系ネットベンチャーに新卒入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長を経てネットベンチャーを退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当しながら、新宿ゴールデン街で訪日外国人向けバーテンダー。
2016年7月、スリランカに初めて渡航し、法人設立の準備を開始。
2017年1月、SPICE UP LANKA CORPORATION (PVT) LTDを登記。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年2月、スリランカ観光情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」オープン。
2020年8月、ニュースレターの配信を開始。
2020年10月、WAOJEコロンボ支部立ち上げ初代支部長に就任。
2023年2月、スリランカ日本人会理事・広報部長に就任。
2025年6月、SPICE UP TRAVELS (PVT) LTDを登記。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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