リトルイングランドと呼ばれるヌワラエリヤの歴史
リトルイングランドと呼ばれるヌワラエリヤはイギリス人が作った植物園・建築・庭園・競馬場・ゴルフ場・貯水池・公園などがある高原リゾートです。
本記事ではヌワラエリヤの歴史について紹介します。
目次
ヌワラエリヤの歴史
ヌワラエリヤゴルフクラブの公式ページには、ヌワラエリヤは人が住んでおらず、現代のヌワラエリヤは1818年にイギリス人のジョン・デービーがハンティングで訪れて発見したと紹介されています。
グランドホテルの公式ページには、1819年にジョン・デービーが灌漑用水跡や石碑を発見したことに始まるとされています。
1819年は、グランドホテルの前身「バーンズ・ホール」を建設したエドワード・バーンズがセイロン総督に就任した年です。
その頃にヌワラエリヤは注目され始めたのでしょう。
ジョン・デービーは、1821年に『An Account of the Interior of Ceylon, and of its Inhabitants』を出版しています。
現代ヌワラエリヤの前には、1681年に『セイロン島史』を出版したロバート・ノックスが地図にヌワラエリヤの地名を書き残しているともヌワラエリヤゴルフクラブの公式ページに書かれています。
上記を踏まえた現代ヌワラエリヤの主な歴史は以下の通りです。
1818年、イギリス人のジョン・デービーがハンティングでヌワラエリヤを訪れる
1819年、ジョン・デービーがヌワラエリヤに灌漑用水跡や石碑を発見
1827年、キャンディ〜ヌワラエリヤ間に馬の通り道が作られる
1828年、エドワード・バーンズがバーンズホール(現:グランドホテル)を建設
1836年、キャンディ〜ヌワラエリヤ間に道路が建設される
1861年、ハクガラ植物園が開園
1873年、グレゴリー湖が完成
1875年、ヌワラエリヤ競馬場が完成、スコッツクラブ(現:セントアンドリューズホテル)が完成
1876年、ヒルクラブが完成
1879年、キャンディ〜ヌワラエリヤ間の道路が舗装される
1885年、ナワラピティヤ〜ナーヌオヤ間の鉄道開通
1889年、ヌワラエリヤにゴルフ場が完成
1893年、クイーンズコテージが建設
1894年、ヌワラエリヤ郵便局、ヌワラエリヤ時計塔が完成
1897年、ビクトリアパークがハクガラ植物園の研究地として開園
1904年、セイロン島に自動車がもたらされ、コロンボから12時間で到着可能に。
アルビオンモーターズのバスが導入され、ヌワラエリヤは休日の目的地として人気となります。
1906年、ジェネラルズハウスが完成
以下、各歴史スポットの歴史を見ていきます。
グランドホテルの歴史
1828年、第5代イギリス領セイロン総督エドワード・バーンズの休日の住まい「バーンズ・ホール」として建てられたバンガローが起源。
1831年、第6代イギリス領セイロン総督ロバート・ウィルモット・ホートンが引き継ぎます。
1874年、レジナルド・ボーチャンプ・ダウナルがバーンズ・ホールを購入し、ゲストハウスとして開業します。
レジナルド・ボーチャンプ・ダウナルは、ジョージ・ウォール&カンパニーに参画し、セイロンにやってきたコーヒープランターです。
ジョージ・ウォールは、イギリス人で初めてセイロン農園主協会の会長となり9期に渡って会長を務め、ジョージ・ウォール&カンパニーを設立して、コーヒービジネス行い、セイロン立法府(Legislative Council of Ceylon)にも関わった人物です。
コロンボのコタヘナにあるウォール・ストリート、シナモン・ガーデンズにあるジョージ・ウォール記念噴水(George Wall Memorial Fountain)に名を残しています。
レジナルド・ボーチャンプ・ダウナルは、1866年にジョージ・ウォール&カンパニーに参画し、マータレーのコーヒー農園設立を支援し、ディンブラなどにもコーヒー農園の土地を購入します。
1874年、バーンズ・ホールを購入してゲストハウスとして開業します。
1876年、セイロン立法府の農園主代表に選ばれます。
1877年、それまでに所有した農地を売り払い、ハプタレーの多くのコーヒー農園を買い取ります。
そして、鉄道をナワラピティヤからハプタレーまで延伸することを働きかけ、ハプタレーまでの鉄道の延伸は1893年に実現します。
コーヒーさび病によって、コーヒー農園が荒廃し、レジナルド・ボーチャンプ・ダウナルのダンバンテ農園を購入したのがトーマス・リプトンです。
1892年にバーンズ・ホールをヌワラエリヤホテルズカンパニー(Nuwara Eliya Hotels Company)に売却します。
現在のホテルの所有者もヌワラエリヤホテルズカンパニーです。
運営を行なっているのはタンジェリンホテルズ(Tangerine Hotels)です。
レジナルド・ボーチャンプ・ダウナルは、クリケット、ハンティング、競馬好きで、現在ヘリタンスティーファクトリーがあるカンダポッラにクリケットクラブを設立しています。
ゾウやバッファローのハンティングのための猟犬や、競馬のための競走馬を所有したそうです。
バーンズ・ホールは一階建てのバンガローでしたが、1890年代に2階が増築され、北ウイング(現:ガンナーズウイング)が追加されます。
1904年に北ウイングに2階と3階の増築が完成し、南ウイング(現:ゴルフウイング)が増築されます。
1930年代に本館に3階が増築され、チューダー様式のファサードとなります。
カプールタラー藩王国のジャガトジート・シング、トーマス・リプトン、ルイス・マウントバッテン、ユーゴスラビアのチトー、エリザベス女王などが泊まったと記録されています。
ハクガラ植物園の歴史
5つあるスリランカの植物園のうち、2番目に大きな植物園。
スリランカに3つある厳重自然保護区の一つ、ハクガラ厳重自然保護区の中に位置しています。
厳重自然保護区に登録されているのは、ハクガラ、ヤーラ、リティガラの3つです。
ハクガラの名は、ハクガラ山の形がゾウのあご(シンハラ語であごは”ハク”)に似ていることに由来しているとされています。
ガラは岩の意味です。
イギリスの植物学者ジョージ・ヘンリー・ケンドリック・スウェイツが、ペラデニヤ植物園の監督者となり、1861年にマラリヤの特効薬キニーネとなるキナノキの栽培園をハクガラに作ったことが源流。
セイロンで紅茶が栽培されるようになり、ハクガラ植物園はキナノキ栽培園からチャノキの実験農場に変わります。
1884年に植物園となります。
ラーマーヤナのシータが幽閉されたとされるシータエリヤが近くにあります。
グレゴリー湖の歴史
1873年、第14代イギリス領セイロン総督のウィリアム・グレゴリーの時代に作られた貯水池。
貯水池になる前は、ヌワラエリヤの町の端にある丘の麓の沼地でした。
町を拡大するために、スリランカ最高峰のピドゥルタラーガラから流れている川「タラーガラ・オヤ」を堰き止め、貯水池が作られました。
タラーガラ・オヤはヌワラエリヤの町の北側で、川「ナーヌ・オヤ」と合流し、ビクトリアパークを縦断して、グレゴリー湖に流れ込んでいます。
その後、南西方面にナーヌ・オヤは流れて、鉄道駅「ナーヌ・オヤ」を過ぎ、タラワーケレ(තලවාකැලේ / Talawakelle)でコトゥマレ(කොත්මලේ / Kotmale)貯水池から流れるコットマレ・オヤと、ブラックプール貯水池から流れるアグラ・オヤと合流します。
グレゴリー貯水池ではニジマスが育てられたそうです。
そして、ヌワラエリヤ郊外のブラックプールに水力発電所が作られ、グレゴリー湖から発電所までの水路が作られています。
現在、湖はレジャーやレクリエーションの場所となり、有料のグレゴリー公園になっています。
湖沿いには色とりどりの花が植えられ芝生が広がり、多くの店が並びます。
湖に面するところは桟橋となっており、スワンボード、ジェットスキー、ウインドサーフィンも楽しめます。
グレゴリー湖には水上飛行場もあります。
【入場料】観光客は200ルピー
ヌワラエリヤ競馬場の歴史
1840年代に、サミュエル・ベイカーの弟ジョン・ベイカーが、自宅近くにイギリスから連れてきた馬のトレーニング場を作ったことに始まります。
1875年、第一回目のレースミーティングが開かれ、ヌワラエリヤ競技クラブが作られます。
1910年、セイロン総督ヘンリー・マッカラムによって、ヌワラエリヤ競馬場はコロンボ競馬クラブが運営することが決定されます。
1956年、スリランカで競馬が禁止となり、コロンボ競馬場とともにヌワラエリヤ競馬場も閉鎖されます。
1981年、競馬がスリランカで復活し、スリランカで唯一の競馬場となります。
2011年、スポーツ省がスリランカ競馬クラブより経営権を取得します。
現在、コロンボのコタヘナにある政府機関「Sugathadasa National Sports Complex Authority」が運営をし、レースはロイヤル競馬クラブ(旧コロンボ競馬クラブ)が主催しています。
現在行われているレースは、新年の4月14日に開催されるガバナーズカップを筆頭に以下のようなレースがあります。
2月:インデペンデンス・カップ
4月:ガバナーズ・カップ、クイーンズ・カップ、RTCマジック・ミリオン・カップ
8月:ブラウンズ・カップ
12月:メイヤーズ・カップ
セントアンドリューズホテルの歴史
1875年、イギリス王室によって、イギリス領セイロンで働く職員たちのために土地が提供され、建てられたのが源流とされます。
その後、建物はスコッツ・クラブと呼ばれるようになります。
1891年、スコッツ・クラブはセント・アンドリュースというホテルとなり、ドイツ人のハンバートが管理します。
これはヌワラエリアゴルフ場と、現存する世界最古のゴルフ場でリース・リンクスに次いで作られたスコットランドのセントアンドリュースゴルフ場に関連して名付けられています。
第一次世界大戦が始まるとハンバートは抑留されます。
1918年、鉄道の食堂車両やマウントラビニアホテルを経営したアーサー・エドワード・イーフラムス(Arthur Edward Ephraums)が買い取ります。
西側に二階建てのウイングを増築。
本館の裏にダイニングルーム・配膳室・キッチン・倉庫・使用人部屋を増築。
東側にバスルーム・バー・ビリヤードルームを増築。
1919年にアーサー・エドワード・イーフラムスの若い従兄弟ジェームス・ヘンリー・デ・ジルワ(James Henry De Zilwa)がマネージャーとなります。
1924年、ジェームス・ヘンリー・デ・ジルワがオーナーたちとの方針の違いから退職し、自身のホテルを経営し始めます。
1930年、1929年に始まった世界恐慌の影響もありホテルは閉鎖されます。
1933年、デ・ジルワ家がホテルを購入し、営業を再開させます。
庭園を作り、ホテルの東側の湧き水をひき池を作ります。
テニスコート(現在の駐車場)、ビリヤードルーム(現在の会議室)、ダンスルール(現在のビリヤードルーム)が作られます。
現在も残るビリヤード台はカルカッタから運ばれた歴史あるものだそうです。
1942年、第二次世界大戦のセイロン沖海戦で日本海軍によって沈没したイギリス戦艦エルメスの生存者が泊まり、大戦中はイギリス軍人のレクリエーション施設となります。
1948年のセイロン独立までは2月〜4月に開催される競馬の関係が滞在するホテルとなります。
1976年、デ・ジルワ家はジェラルド・アーンシュフト・ミルフイスン(Gerald Earnstchft Milhuisen)にホテルを売却します。
ジェラルド・アーンシュフト・ミルフイスンは、ニゴンボラグーン湖畔にジェフリーバワに依頼してブルーラグーンホテル(現:ジェットウイングラグーン)を建設した人物です。
1986年、ジェラルドはジェットウイングの創業者ハーバート・クーレイとパートナーシップを組みます。
1987年、ジェラルドはジェットウイングにホテルを売却し、ホテルはジェットウインググループの参加となり、現在に至ります。
GEMスイートルームのGEMはジェラルド・アーンシュフト・ミルフイスンのイニシャルから取られています。
ヒルクラブの歴史
1876年、コーヒー農園主のジェントルメンズクラブとして設立され、その後はナノキ農園主・紅茶農園主のジェントルメンズクラブとして運営されます。
1928年、1915年に設立されたセイロンテニス協会がコートと部屋をヒルクラブから購入し、拠点とします。
セイロンテニス協会は1954年まで現在のヒルクラブの地を拠点とし、その後、現在のコロンボに移転します。
現在もヒルクラブのテニスコートはスリランカテニス協会のBグレードのトーナメント会場になっています。
1884年〜1971年は毎年4月にテニスの試合が開かれ、競馬レース、登山、自動車レース、バイクレース、花の展示会なども開催されていたそうです。
1930年、建築事務所エドワード・レッグ&ベイグによって現在の建物が建設されます。
建築事務所エドワード・レッグ&ベイグはジェフリーバワがパートナーを務めた建築事務所です。
1967年までスリランカ人や女性にはメンバーシップが許されていませんでしたが、現在はスリランカ人にも女性にも開かれています。
現在、750人の会員がいるそうです。
1日会員になることで、ヒルクラブ内の見学ができ、館内あるいは庭園でアフタヌーンティーを、歴史あるバーでお酒を楽しむこともできます。
客室があり、滞在することも可能です。
客室はスタンダードルーム、スーペリアルーム、スイートルーム、ファミリールームがあります。
詳しくは公式ページをご覧ください。
ヌワラエリヤゴルフ場の歴史
1889年、スコットランド王立連隊「ハイランダーズ」の兵士によって設立されました。
アジア最古のゴルフ場と紹介されることもありますが、アジア最古のゴルフ場は1829年にインドのカルカッタ(現:コルカタ)に設立されたロイヤル・カルカッタ・ゴルフ・クラブのようです。
1903年、フリーメイソンの新しいロッジがゴルフクラブパヴィリオンに作られます。
1983年、スリランカ初の女性ストロークプレイチャンピオンシップが開かれます。
クイーンズコテージの歴史
1893年、セイロン総督ウィリアム・グレゴリーの夏の邸宅として建設されます。
設計・建設を担当したのは、コロンボ郵便局を建設した建築家ハーバート・フレデリック・トマリンです。
グレゴリー総督は1月〜5月を過ごしたとクイーンズコテージで過ごしたと言われています。
その後は歴代のセイロン総督が利用し、セイロン独立後はセイロン首相が使い、現在はスリランカ大統領の夏の邸宅となっています。
ヌワラエリヤ郵便局の歴史
1894年に建設されました。
グランドオリエンタルと同様にチューダー様式の外観が特徴的です。
写真葉書が売っていますので、手紙を出すのがオススメです。
時計塔の歴史
1894年に建設されました。
ヴィクトリアパークの歴史
ハクガラ植物園のリサーチフィールドとして開園したのが始まり。
1897年、英国ヴィクトリア女王の治世60年を祝うダイヤモンド・ジュビリーの年に、「ヴィクトリアパーク」と名付けられます。
公園内は様々な花や木々、噴水で華やかに彩られています。
4月は花が咲く季節で特に綺麗です。
また、それぞれテーマを持った庭園が点在しています。
ビクトリアパークを川「ナーヌオヤ」が縦断しています。
1986年、京都の宇治市とヌワラエリヤは姉妹都市になり、ビクトリアパークに日本庭園が作られています。
当時の市長である池本正夫さんの名前が石碑に刻まれています。
ヴィクトリアパークには、多くのめずらしい鳥がおり、バードウォッチングにも人気です。
また、子供達を遊ばせられる大きな遊具が揃う敷地もあり、敷地内には小さな列車が走っています。
【入場料】大人も子供も300ルピー
ジェネラルズハウスの歴史
1906年、セイロン軍将官の家として建てられました。
セイロン独立後は、セイロン陸軍の休暇の住宅となり、現在はスリランカの国会議員の休暇の住宅として使われています。
参照)
Grand Hotel公式ページ
Cambridege University Press:An Account of the Interior of Ceylon, and of its Inhabitants
Wikipedia:Grand Hotel (Nuwara Eliya)
Wikipedia:Reginald Beauchamp Downall
Wikipedia:George Wall (botanist)
The Nuwara Eliya clock tower, now an abandoned heritage
Wikipedia:Hakgala Botanical Garden
Wikipedia:Hakgala Strict Nature Reserve
Wikipedia:Protected areas of Sri Lanka
ウィキペディア:ジョージ・ヘンリー・ケンドリック・スウェイツ
Ceylon Expetions:Hakgala Botanical Gardens
Lakpura:Botanical Gardens Hakgala
Wikipedia:Lake Gregory (Nuwara Eliya)
Wikipedia:Nuwara Eliya Racecourse
Royal Turf Club公式ページ
日本ゴルフコース設計者協会:ゴルフの歴史とこれからの課題 ゴルフ発祥と発達の歴史
Wikipedia:St. Andrew’s Hotel
Geneanet:Arthur Edward Ephraums
Daily News:The spirit of St. Andrews
Jetwing St. Andrew’s公式ページ
Wikipedia:Hill Club
Hill Club公式ページ
Nuwara Eliya Golf Club公式ページ
Wikipedia:Nuwara Eliya Golf Club
The Royal Calcutta Golf Club公式ページ
Wikipedia:Royal Calcutta Golf Club
Wikipedia:Queen’s Cottage
Nuwara Eliya Post Office
General’s House, Nuwara Eliya
宇治市政だより
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「旅と町歩き」を仕事にするためスリランカへ。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年3月、法政大学社会学部社会学科を卒業。
2005年4月、就活支援会社に入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長などを経験して就職支援会社を退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当。
2016年7月、初めてスリランカに渡航し、会社の登記を開始。
2016年12月、スリランカでの研修受け入れを開始。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年1月、スリランカ情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開始。
2020年8月、不定期配信の「スパイスアップ・ニュースレター」創刊。
2023年11月、サービスアパートメント「スパイスアップ・レジデンス」開始。
2024年7月、スリランカ商品のネットショップ「スパイスアップ・ランカ」開設。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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