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【日本語学校巡り第2弾】SNECC Japanese Language School

2023年9月17日

こんにちは!本日は日本語学校巡り第2弾として、SNECC Japanese Language Schoolについて紹介します。

こちらの学校は以前神谷さんも記事を書かれているので、先にそちらの記事を読んでいただいた方がもっと詳しくSNECCのことがわかるかと思います。

教育里親制度・日本語学校・幼稚園などを運営する「スリランカ日本教育文化…

少し重なる内容もありますが、私は日本語学校としての役割の部分を中心に取材させて頂いたので、私なりに紹介させていただきます。

取材に協力して頂いたお坊さんとなんば先生、ありがとうございました!

SNECCとは

学校を作られた経緯

現在72歳のSNECC事務局長であるチャンダシリ僧侶にお話を伺いました。彼はコロンボ大学教育学部の学生でした。その時SNECCはお坊さんが休憩する場所で、お寺ではありませんでした。その時の土地の持ち主だったお坊さんが亡くなった後、誰も跡を継ぐ人がいなかったため、チャンダシリ僧侶の大学の先生が1978年に28000ルピー(現在のレートだと日本円で約12700円)で土地を買いました。それからは現在SNECCがあるところに住んで、そこから大学に通っていたそうです。

現在のお坊さんはその後1979年に京都の佛教大学に3ヶ月間留学をしたそうです。今では日本語がペラペラなお坊さんですが、日本に行く以前はひらがなもカタカナも何も分からなかったようです。日本に着いてからは授業が何も分からず本当に大変だったそうですが、現在71歳のタヤマ先生という方が当時お坊さんや他の韓国人の日本語が苦手な学生を、授業が終わってからや授業が休みの日まで自分の家に呼んで日本語を一生懸命に教えてくれたそうです。優しくて明るくてパワフルなタヤマ先生とは、今でも交流があるようです。お坊さん曰く、彼のような素敵な先生は他に出会ったことがないそうです。

コロンボ大学卒業後、1982年にモナラーガラの高校で、社会、仏教、シンハラ語、歴史を教える教員として働き始めます。1984年に修士号取得のためコッテに戻り、コロンボの高校で教員をしながら、ケラニヤ大学で修士号を取得しました。コロンボの高校には9年間勤め、後半の4年間は副校長を務められたそうです。1986年に始まり1993年に大きくなったSNECCに専念するため、11年間の教師人生に終止符を打ちました。お坊さん曰く、学校の先生という立場は他にもやる人がたくさんいるけれど、SNECCの運営は自分にしかできないと思ったそうです。現在はスリランカ中にセンターが100箇所、幼稚園も24箇所あるようです。日本語教育だけでなく。踊りや歌、クリケットなどのスポーツ支援なども行われているようです。

現在の生徒数や生徒の年齢

現在は毎週日曜日の日本語の授業は自由選択授業のようですが、7クラス開校していて100人くらいの生徒がいるようです。土曜日には3~40人ほどの生徒が、全体では150人くらいの生徒が在籍していて、年齢は小学生がほとんどです。女の子が圧倒的に多くてその理由をなんば先生に聞いてみると、日本は安全な国だ、というイメージが強いため、親も日本だったら自分の娘を留学したり仕事に行かせたりさせられる、という気持ちがあるようです。日本よりも中東やヨーロッパなどの国の方がビザが取りやすいこと、スリランカ人は英語をしゃべれる人がほとんどなので英語が通じる国の方が渡航の難易度が低いこともあり、男の子の場合はそれらの国を選ぶのではないか?とのことでした。

母子家庭など家庭に事情があって奨学金を貰っている学生は授業への参加が必須で、奨学金を貰っていない学生は1ヶ月500ルピー(約227円)で授業を受けることができます。

先生の人数、日本人の先生の有無

現在先生は8名で、SNECCの卒業生がほとんどで、現在ケラニヤ大学の日本語学科に通っている学生や、近所の高校の先生が日曜日に日本語を教えているみたいです。彼女たちはボランティアや1ヶ月何千ルピー(約1000円くらい)という安い給料で日本語を教えているようです。女性のスリランカ人の先生がほとんどで、その中で1名なんば先生という男性の日本人の先生がいらっしゃいました。

SNECCの設立

1986年にこのセンターは始まりました。里親のプロジェクトとして、最初は10人、後にどんどん増えていき27人となり、知り合いの紹介などもあり支援が徐々に増えていったようです。その後、奨学金を貰った14000人もの生徒が卒業しているようです。また、SNECCの前の道は、日本の外務省が整備したようです。

教室の設備

教室は仕切りがなく、前に黒板、机と椅子が並べられている形です。エアコンはありませんが、突き抜けで風が通るので涼しく快適に勉強することができます。2階の部屋に4クラス、地上の部屋に3クラスくらいあるようです。その日は使われていませんでしたが、少し離れた場所にも教室があり、平日はここも使われているようです。

SNECCは語学学校という役割だけでは無いので、ゲストハウスとして宿泊できる場所があったり、小さな病院のような診療できる場所があったりします。毎週日曜日の午前中はSNECCを卒業した奨学生でお医者さんになった方がボランティアで診察して、薬も無料で提供しているそうです。これは地域の人は誰でも受診できるようです。

ちなみに、お坊さんのお部屋の前と中には2匹の大きな犬がいて、めちゃくちゃかわいいですよ。(笑)

卒業後の進路実績など

この学校の卒業生は日本に行く人はまだ少ないようです。奨学金を貰って沢山勉強した後に、スリランカで医者、弁護士、大学の教員となって働いている人も多いようです。

授業のスケジュール

日によってバラバラみたいです。

授業内容

日本語を勉強し始めたばかりの生徒には、シンハラ語から日本語を教えているようです。日本語で会話ができるレベルだと、最初から日本語から日本語を教える直説法で日本語を教えているみたいです。ひらがなを完全に覚えた学生には直説法でも教えるようですが、直説法だと少人数の授業でないとなかなか難しいようです。なんば先生も、知っているシンハラ語の言葉を使いながら日本語を教えているようです。

クラス単位だけではなく、個別レッスンでも日本語を教えているようです。小学校1年生までご両親のお仕事の関係で日本に住んでいたラニティーちゃんは、日本語で簡単な会話ができるレベルで他の生徒よりかなり日本語が上手なこともあり、なんば先生が個別に勉強を教えていました。日本での小学生レベルの漢字の書き方や、主語述語などの日本語の文法の勉強もしていました。ラニティーちゃんは、日本の給食はとても美味しかったと言っていましたよ。

他の日本語学校とは違うSNECCの特徴

高校の語学選択授業で日本語を選択できるように、日本語を好きになってもらえるように、小学生に日本語を教えているSNECCですが、やはり1番の特徴としては里親制度、奨学金制度を使って授業を受けている学生がいるということです。お坊さんによるとやはりこの制度にも色んな苦労があるようで、お金をあげすぎると悪いことしたり、学校に行かなくなったりする子どももいるようですし、地区センターのリーダーが調べてインタビューしても嘘をつく子どもも中にはいるようで、苦労されているようです。カバン、文房具、ノートなどを支給して、奨学金は毎月銀行振込かセンターに直接取りに行くかという形で給付しているようです。

生徒の集め方

SNECC自体が地域でいちばん大きいということで、ある程度の人はそもそも存在を知っているようです。そのためSNSでの集客はしておらず、知り合い経由で日本語を学びに来る生徒が多いとの事です。

実際働いている日本人の先生

SNECCで唯一の日本人の先生であるなんば先生にも色々質問してみました。

ご出身や日本でのご経歴

岡山県出身で、日本では会社員をされていたようです。組織の中で働くのが嫌になり、仕事を辞めて実家に戻った時に、時間があったため日本語教師の勉強を始めたとの事です。

日本語教師の経験

日本では一度も日本語教師というお仕事は経験されたことがないとの事です。

日本語教師の資格の有無

日本語教師の免許を取得されたようです。

スリランカに来られた経緯

会社員を辞めて実家に戻り、日本語教師の勉強をして海外に行きたいなと思っていた矢先に、なんば先生が通われていた大学の教授から、スリランカで日本語教師の募集をしてるみたいだけど行ってみたら?というようなお話が舞い込んできたようで、そこからスリランカ行きを決めたとのことです。

どれくらい働いていますか?休みの日は何をしていますか?スリランカの生活はいかがでしょうか?

なんば先生はなんとスリランカに来てから4年間、月曜日から日曜日まで休み無しで毎日働いているようです。スリランカでの生活は、日本と大して変わらないとの事です。ただ、やはりお寺ということでなかなかお酒を飲むことができないのがしんどいみたいです。(笑)確かにお酒好きの人にとってはかなり大変ですよね。日本人のコミュニティには自ら入らないようにしているとの事です。人間関係がめんどくさくなる気持ちには共感出来ました。スリランカにはいつまでいるかも分からないけれど、日本に早く帰りたいという気持ちは特にないようです。

日本語を教える上で気をつけていること

いらないことを言わないようにすること、に気をつけているようです。例えば文法の勉強をしていたら、その文法の形だけに集中させるために、今教えているレベル以上の事を言わないように気をつけている、との事でした。余計なことを考えさせて、生徒を混乱させて日本語の勉強が嫌いにならないように気をつけているみたいです。

これからSNECCをどうしていきたいか?

自分は普通の日本語学校の教師とは全然違う、とおっしゃられているなんば先生は実際に日本語を教える、という仕事以外にもたくさんの業務をこなしているようです。日本の会社とのメールなどのやり取りだけでなく、奨学金を寄付してくださっている里親さんに手紙を書いたり、英語から日本語への翻訳のお仕事や10月にはお坊さんと一緒に日本に行って日本の企業の方とお話するなど様々なお仕事をされています。日本で勉強したい!というよりも日本で働きたい!という生徒が多いようで、そのような日本に行きたい学生たちをこれからもっとたくさん日本に行かせてあげたいという気持ちがあるようです。

ちなみに私がお伺いした時はたまたま長年SNECCを支援しているという日本人のおば様たちが日本からいらっしゃって、少しだけお話することができました。コロナのこともあって、3~4年ぶりにスリランカにいらしたということで、お昼にカレーをいただいたのちにショッピングに行くとおっしゃっていました。元気な子供たちの姿が見られて嬉しいとのことです。

施設を見学させていただいた後、私もお昼ご飯にスリランカカレーをいただきました。小魚のカレーも、かぼちゃのカレーも、白身魚も、どれも美味しかったです!

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