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「世界初の女性首相・アジア初の女性参政権を実現した進んだスリランカ」は本当か?

2022年4月16日

「アジア初の女性参政権を認め、世界初の女性首相を生み、女性大統領も誕生している進んだ面もあるスリランカ」と紹介されることもありますが、それは本当でしょうか?

本記事では、女性参政権を認めたドノモア憲法、世界初の女性首相シリマーボ・バンダーラナーヤカ、女性大統領チャンドリカ・クマーラトゥンガについて、見ていきます。

女性参政権を認めたドノモア憲法とは?

1931年にイギリス領セイロンにて、女性の参政権を認める「ドノモア憲法」が発布されます。

ドノモア憲法とは、イギリスのドノモア卿を長とするドノモア委員会からその名がついた、イギリス領セイロンに適応された憲法です。

イギリスの初代労働省植民地担当国務長官シドニー・ウェッブによって任命されたドノモア卿らは、1927年にスリランカに到着し、4ヶ月間島民の聞き取り調査を実施。

21歳以上の男女に参政権を与えるドノモア憲法を作ります。

女性の参政権は、イギリス領土の各地で導入され、スリランカはアジアにあるイギリスの植民地でしたので、確かにアジアで一番早いとは言えますが、スリランカが女性の社会進出に対して進んでいたというよりはイギリスの影響が大きいでしょう。

以下、女性の参政権を認めた主な国と地域と、その開始年です。

1776年: イギリス植民地ニュージャージ州(独身女性のみ)
1881年:イギリス王室属領マン島
1893年:イギリス領ニュージーランド
1902年:イギリス自治領オーストラリア
1906年:ロシア帝国領フィンランド大公国
1912年:アメリカ合衆国オレゴン州
1913年:ノルウェー
1918年:イギリス(30歳以上の戸主の女性)
1920年:アメリカ全土、イギリス自治領カナダ連邦
1928年:イギリス(男女21歳以上)
1930年:イギリス自治領南アフリカ連邦
1931年:イギリス領セイロン、ポルトガル
1934年:トルコ
1919年:オランダ、スウェーデン、アメリカ、ロシア
1946年:日本、台湾、フランス、イタリア
1984年:リヒテンシュタイン、ヨルダン
1971年:スイスの12州
1975年:ポルトガル
1990年:スイスのアッペンツェル・インナーローデン準州
2015年:サウジアラビア

スリランカは、国会・州議会・市町村議会のそれぞれにおいて、女性議員が占める割合は一割に満たず、非常に低いと言われています。

参考)
関西大学:スリランカの憲法問題
Wikipedia:Donoughmore Constitution
Wikipedia:Donoughmore Commission
Wikipedia:Richard Hely-Hutchinson, 6th Earl of Donoughmore
Wikipedia:Sidney Webb, 1st Baron Passfield
swissinfo.ch:女性参政権 世界はどう導入したか
ウィキペディア:女性参政権
世界史の窓:イギリスの女性参政権
世界史の窓:アメリカの女性参政権
ニュージャージー州の地方自治制度
女性の高学歴化は未だ政治参画に繋がらず~スリランカの場合~
スリランカの政界における女性議員の慢性的な不足

世界初の女性首相シリマーボー・バンダーラナーヤカ氏

世界初の女性首相シリマーボー・バンダーラナーヤカ氏は、その通りのようですが、シリマーボー・バンダーラナーヤカ氏の首相就任は、女性の社会進出という側面よりは、シンハラ仏教ナショナリズムの側面が大きいでしょう。

シリマーボー・バンダーラナーヤカ氏の夫ソロモン・バンダーラナーヤカ氏はスリランカ自由党(SLPP)を創設し、シンハラオンリー政策を進めた人物です。

1955年12月、ソロモン・バンダーラナーヤカ氏は党大会で政策「シンハラオンリー」を発表。
1956年6月、公用語をシンハラ語のみに限定する公用語法(Act No.33 of 1956; Sinhala Only Act)が採択。

1957年7月、首相に就任したソロモン・バンダーラナーヤカ氏は、政治姿勢を変え、タミル人指導者のセルワナーヤガム氏と協定(BC協定:バンダーラナーヤカ・セルワナーヤガム協定)を結びます。

タミル人と融和しようとするバンダーラナーヤカ氏に対して、シンハラ至上主義者や野党の政治家が強硬な抗議を行います。

1958年4月、BC協定の破棄を訴える仏教僧約200人、その他300人がバンダーラナーヤカ私邸に押し寄せ、協定は破棄されます。

1959年9月、バンダーラナーヤカ私邸を訪れていた僧侶統一戦線の仏教僧の一人によるピストルによって、ソロモン・バンダーラナーヤカ氏は暗殺されます。

ソロモン・バンダーラナーヤカ氏の暗殺後は、2つの短期政権の後に、妻シリマーボー・バンダーラナーヤカ氏が政権に就きます。

 1972 年、シリマウォ・バンダーラナーヤカ政権は新たな憲法 を発布し、シンハラ語第一主義政策を復活させ、シンハラ語を唯一の公用語である(7 条) とします。

この共和国憲法では、仏教に至高の地位を与えるとし、国教に準ずるものと規定します。
第 18 条第 1 項 d 号で全ての宗教に対し権利を保障するにも関わらず、仏教 を保護し育成することは、国家の責務である(6 条)、とします。

紛争の経緯については、以下のJICAの資料、アジア経済研究所、書籍『スリランカと民族』に詳しく書かれています。

女性の社会進出という側面よりも、シンハラ仏教ナショナリズムが高揚していく流れを表す出来事という側面の方が強いように思います。

参考)
ウィキペディア:選出もしくは任命された女性の政府首脳の一覧
ウィキペディア:選出もしくは任命された女性の元首の一覧
JICA:第 1 章 紛争の要因分析
第1節 紛争関係年表

女性大統領チャンドリカ・クマーラトゥンガ氏

ソロモン・バンダーラナーヤカ氏とシリマーボー・バンダーラナーヤカ氏の娘が大統領になったチャンドリカ・クマーラトゥンガ氏です。

チャンドリカ・クマーラトゥンガ氏の夫ウィジャヤ・クマラトゥンガ氏は、スリランカ映画界のスターであり、スリランカ・マハジャナ党を創設して政党を率いた人物です。

1988年2月、ウィジャヤ・クマラトゥンガ氏はJVPによって暗殺されています。

1994年8月、チャンドリカ・クマーラトゥンガ氏が首相に就任。
1994年11月、チャンドリカ・クマーラトゥンガ氏が大統領に就任し、母シリマーボー・バンダーラナーヤカ氏を首相に指名します。

2005年11月、チャンドリカ・クマーラトゥンガ氏は大統領を退任する際に、2004年4月から首相を務めていたマヒンダ・ラージャパクシャを次期候補に指名しています。

それを受けて、マヒンダ・ラージャパクシャ氏はスリランカ自由党党首となり、2005年11月に大統領に就任しています。

2022年4月現在の首相がこのマヒンダ・ラージャパクシャ氏、現在の大統領が弟ゴタバヤ・ラージャパクシャ氏です。

グローバルジェンダーギャップで見るスリランカ

上記にスリランカは女性議員が占める割合が低いと書きましたが、2021年のグローバルジェンダーギャップを見ると、スリランカは116位と決して高くありません。

ちなみに、日本はさらに低く120位です。

1位:アイスランド
2位:フィンランド
3位:ノルウェー
4位:ニュージーランド
5位:スウェーデン
6位:ナミビア
7位:ルワンダ
8位:リトアニア
9位:アイルランド
10位:スイス

116位:スリランカ
120位:日本

参考)
World Economic Forum:Global Gender Gap Report 2021

まとめ

アジアで初めて女性の参政権を認めたドノモア憲法はイギリスによって導入されたものでした。

世界初の女性首相になったシリマーボ・バンダーラナーヤカ氏は、夫ソロモン・バンダーラナーヤカの殺害後に、スリランカ自由党の党首となり、そして首相に就任しています。

娘チャンドリカ・クマーラトゥンガ氏は、夫が殺害された後に大統領になり、母シリマーボ・バンダーラナーヤカ氏を首相に指名しています。

「女性の社会進出」という側面で取り上げるには、少し無理があるように思います。

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