チームジェフリーバワ4「イスメスラヒーム(Ismeth Raheem)」
チームジェフリーバワの4人目に紹介するのは、建築家・画家・彫刻家・作家のイスメス・ラヒーム(Ismeth Raheem)です。
イスメスはジェフリーバワよりも22歳年下ですので、これまで紹介した3人ほどには、目立つ作品は多くありませんが、バワの傑作ホテル「シナモンベントタビーチ」にサロンに並ぶ多数の作品はイスメスさんによるものです。
イスメスさんが独立後に設計したハバラナロッジ(現在:Cinnamon Lodge Habanara)は、ジェフリーバワ建築の詳細な書籍を出版してきたデヴィットロブソンが著書『Beyond Bawa』でも取り上げた、傑作とされるホテルです。
本記事では、イスメスラヒームさんの経歴と作品を紹介します。
手元にある写真がシナモンベントタビーチの作品のみのため、記事の小見出しと一致しませんが、イシメスさんの作品を小見出しごとに掲載していきます。
目次
ムスリムの家庭に生まれる
1941年、コロンボのHultsdorf地区に生まれます。
ジェフリーバワよりも22歳年下です。
両親はジャフナからコロンボに移住したスリランカムーアでした。
ロイヤルカレッジに通う
バワ兄弟と同じロイヤルカレッジに通い、ラキ・セナナヤケやターナー・ウィクラマシンハと知り合います。
ロイヤル・カレッジ・コロンボは1835年に設立された名門校(小・中・高)で、第3代セイロン首相のジョン・コタラーワラ、第2代スリランカ大統領のジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ、第13・17・21代スリランカ首相のラニル・ウィクラマシンハ、人民統一戦線(MEP)党首で外務大臣のディネーシュ・グナワルダナなどの卒業生がいます。
メルボルンアート教室に通う
「コラ・アブラハムズ・メルボルン・アート・クラシイズ(Cora Abraham Art Classes)」で集まっていた「ヤング・ペインターズ」の立ち上げ、ラキセナナヤケと関わります。
ビッリモリア & デ・シルヴァ建築事務所で働く
当時は自分で学費を稼ぎながら、学校に通う人も多かったそうですが、イスメスは、ビッリモリア & デ・シルヴァ建築事務所で働き始めます。
ラキセナナヤケもビッリモリア & デ・シルヴァ建築事務所で働いています。
デ・シルヴァはスリランカ人女性建築家のミネッテ・デ・シルヴァ(Minnette de Silva)のことで、ジェフリーバワの初期のパートナーであるウルリクプレスナーがスリランカに来たのも、ミネッテ・デ・シルヴァの元で働くためでした。
バワ所属のE. R. & B.建築事務所で働く
エドワード・レイグ&ベッグ(Edwards, Reid and Begg)建築事務所にて、ジェフリーバワとウルリクプレスナーの元で製図者として働らきます。
ウルリクプレスナーがバーバラサンソーニやラキナナナヤケと取り組んだ、スリランカの古い建築の調査に触発されたと言われています。
ウルリクとラキを通して、ドナルドフレンドと知り合います。
ドナルドは金箔やアルミニウムを使ったレリーフの制作をしており、フレンドからその技術を学びます。
バワの自宅(ナンバー11)の階段の象眼細工の扉はイスメスが制作したものです。
イナ・デ・シルヴァのアトリエで働く
1960年代は、イナ・デ・シルヴァのバティック制作所で、ラキ・セナナヤケ、イナの息子のアニル・ジャヤスーリヤと働き、バティックのタペストリーの制作に携わります。
この時代の絵画、レリーフ、壁画がベントタ・ビーチ・ホテル(現:シナモン・ベントタ・ビーチ)とセレンディブ・ホテルに多く展示されています。
建築学校で学ぶ
1961年、ジャスティン・サマラセケラがコロンボ郊外のカトゥベッダ(Katubedda)に設立した「カトゥベッダ・テクニカル・カレッジ」でジェフリーバワ、特にウルリクプレスナーが建築について学生指導に当たります。
1962年、イスメスは、カトゥベッダ・テクニカル・カレッジに入学します。
そこで、その後にパートナーとなるフェローズ・チョクシー(Pheroze Choksy)と出逢います。
フェローズは、パールシーの裁判官で法廷弁護士だったNariman K. Choksyの息子です。
カチューベダの建築学校は、現在はモラトゥワ大学に統合されています。
ジェフリーバワの後期のパートナーで、ジェフリーバワ財団も運営するチャンナダスワッテはモラトゥワ大学で建築を学んでいます。
デンマークに留学
ウルリクプレスナーは、デンマーク政府に奨学金を設けるよう働きかけ、コペンハーゲンの王立アカデミーで2年間の留学機会を作ります。
1966年、フェローズとイスメスはパート1コースを終え、コペンハーゲンに2年間留学します。
コペンハーゲン滞在中にイスメスは、イナ・デ・シルヴァとバーバラ・サンソーニの展示会を開催して成功させます。
E. R. & B.建築事務所に戻る
1969年、イスメスとフェローズは再度、E. R. & B.建築事務所に加わります。
そして、1969年にオープンしたベントタビーチホテル(現:シナモンベントタビーチ)のために、絵画と彫刻を制作します。
その後、ジェフリーバワの以下のプロジェクトで主要な役割を担います。
セレンディブ・ホテル(現:アヴァニ・ベントタ)
ピーター・ホワイト・ハウス
ザ・スタンレー・デ・サラム・ハウス & ザ・デ・サラム・ロウ・ハウセズ
ザ・コンネマラ・ホテル
ザ・バトゥジンバ・エステート
アグラリアン・リサーチ & トレーニング・インスティテュート
設計事務所を立ち上げる
1976年、イスメス・ラヒームはフェローズ・チョクシーと設計事務所「チョクシー&ラヒーム 住宅とオフィス(Choksy and Raheem Residence and Office)」を立ち上げます。
30年以上も数多くの住宅、商業施設、ホテルをデザインしますが、
最も代表的な作品が、ハバラナ湖畔に建つ「ハバラナロッジ(現:シナモンロッジハバラナ、Cinnamon Lodge Habarana)」です。
書籍の出版
1989年、スリランカにおける1790年代〜1960年代のバーガー人と中産階級の変化についてまとめた書籍『People Inbetween』を、マイケルロバーツ、パーシーコリントーメと出版します。
2000年、19世紀のスリランカの古写真をまとめた『Images of British Ceylon』を出版。
イスメスさんは、野生動物や遺跡を描く活動を続けているそうです。
参照)
ウィキペディア:ロイヤル・カレッジ・コロンボ
外務省:ディネーシュ・グナワルダナ外務大臣略歴
Wikipedia:K. N. Choksy
Cinnamon Lodge relives history through Ritigala architecture
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「旅と町歩き」を仕事にするためスリランカへ。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年3月、法政大学社会学部社会学科を卒業。
2005年4月、就活支援会社に入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長などを経験して就職支援会社を退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当。
2016年7月、初めてスリランカに渡航し、会社の登記を開始。
2016年12月、スリランカでの研修受け入れを開始。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年1月、スリランカ情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開始。
2020年8月、不定期配信の「スパイスアップ・ニュースレター」創刊。
2023年11月、サービスアパートメント「スパイスアップ・レジデンス」開始。
2024年7月、スリランカ商品のネットショップ「スパイスアップ・ランカ」開設。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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