タイの王子が出家したコロンボ最古の仏教寺院「ディーパドゥッタマーラーマヤ寺院」
ポルトガル、オランダ、イギリスが町を作ったコロンボ北部には、歴史の古い教会、モスク、コヴィル(ヒンドゥー寺院)が集まっている一方で、仏教寺院はごくわずかしかありません。
コロンボの中でも特に教会、モスク、コヴィルが集中しているのは小高い丘が連なるコタヘナです。
そのコタヘナの丘に、コロンボ最古の仏教寺院であり、ウェサックポーヤを休日と宣言し、初めて仏旗を掲げるなど、仏教再興運動を担った重要な寺院「ディーパドゥッタマーラーマヤ寺院(Deepaduttaramaya Purana Thai Raja Maha Viharaya)」があります。
タイ王室の王子が出家した寺院でもあり、タイ王室との関係が深く、別名、タイ寺院とも呼ばれています。
本記事では、ディーパドゥッタマーラーマヤ寺院について紹介します。
宗教施設が多いコタヘナの丘

オランダ東インド会社は、現在のフォートに要塞を築き、現在のペターを商業地区とし、その東にあるコタヘナの丘の頂上にオランダ教会を建設しています。
コロンボにポルトガルがやってくる前は、コロンボは海上貿易を担っていたムスリム商人が暮らす村だったと言われています。そこにポルトガルによってカトリックがもたらされ、ポルトガル、オランダ、イギリスの元で現地人高官として活躍したのはタミル人たちでした。
そのような背景から、植民地コロンボのアップタウンとも言えそうなコタヘナの丘とその周辺には、カトリック教会、オランダ教会、イギリス国教会、モスク、コヴィルが多くあります。
オランダ統治時代に創建

ディーパドゥッタマーラーマヤ寺院は、オランダ統治時代に建設されたコロンボ最古の仏教寺院です。
コロンボに仏教寺院がなかったため、コロンボの仏教徒は参拝のためにはケラニヤやコッテに行く必要がありました。
オランダは領域内に仏教寺院を建てることを認めていませんでしたが、ムダリヤール(現地人高官)のタブリュー・ウバヤクラトゥンガ・ウィジェシリワルダナ(Thabrew Ubayakulatunga Wijesiriwardhana)が、オランダ総督ボン・エンゲル・ベック(Von Engel Beck)に働きかけ、自宅の増築という扱いで仏教寺院を創建する許可を得ます。
ウィジェシリワルダナは、寺院を僧侶のシーニガマ・ダンマラキッタ(Ven. Seenigama Dhammarakkitha Thera)に捧げ、インドのブッタガヤから菩提樹の分け木をもらい、コロンボ唯一の仏教寺院となります。
しかし、オランダ領セイロンの首都、そしてイギリス領セイロンの首都であったコロンボでは、仏教勢力は劣勢だったのでしょう。ディーパドゥッタマーラーマヤ寺院はイギリス統治時代には荒廃してしまいます。
ミゲットゥワッテ・グナンダが再建

イギリス統治時代に、スリランカ仏教復興運動のリーダーであったミゲットゥワッテ・グナンダが、ディーパドゥッタマーラーマヤ寺院に住んで、寺院を再建します。
ミゲットゥワッテ・グナンダは、バラピティヤ近郊のミゲットゥワッタ村の裕福なサラーガマ・カーストの家庭に生まれ、ヒッカドゥワ近郊のドダンドゥワの寺院で出家を勧められて仏門に入ります。
雑誌『ブッダ・サホーダラヤ(Bauddha Sahodaraya)』を読み、コロンボの仏教徒がキリスト教徒から宗教的差別を受けていることを知ったミゲットゥワッテ・グナンダは、コロンボに移り、ディーパドゥッタマーラーマヤ寺院に住むことを決意します。
コロンボに移り住んだミゲットゥワッテ・グナンダは、スリランカ各地で行われた仏教とキリスト教のディベートに参加し、特に有名なパナドゥーラ討論で熱弁をふるい、活躍します。
ミゲットゥワッテ・グナンダらの討論の内容を要約した本がアメリカで出版され、それを読んだ神智学会のオルコット大佐はスリランカ行を決めています。
ウェサックポーヤの祝日化を宣言

イギリス領セイロンでは、ポーヤデーは祝日ではありませんでした。
今では毎月のポーヤデーが祝日ですが、まず最初に祝日として認められたのは、ウェサックポーヤでした。
ウェサックポーヤを祝日として宣言したのが、ミゲットゥワッテ・グナンダでした。
1883年3月の満月の日に、ミゲットゥワッテ・グナンダは、ボレッラの仏教寺院から、ディーパドゥッタマーラーマヤ寺院までペラヘラを行い、イギリス総督にウェサックポーヤの祝日化を訴え、実現させます。
仏旗をスリランカで初めて掲揚

現在の仏旗はスリランカから発信されたものですが、その検討委員会の一員でもあったミゲットゥワッテ・グナンダは、ウェサックポーヤの祝日化を実現して、スリランカで初めてとなる仏旗の掲揚をディーパドゥッタマーラーマヤ寺院で行います。

タイのプリスダン王子が出家

ラーマ3世の孫で、ラーマ5世(チュラロンコーン王)の時代に外交官として活躍したプリスダン王子(Prince Prisdang)は、1881年にセイロンに渡り、ディーパドゥッタマーラーマヤ寺院を訪れ、僧侶のワスカウエ・シリー・スブーティを師とします。
1897年に再度ディーパドゥッタマーラーマヤ寺院を訪れて出家して、ジナワラワンサ(Jinavaravaṃsa)と名乗るようになります。1930年に設立した学校「プリンスカレッジ」は、現在もお寺に隣接して建っています。
これ以降、タイ王室がディーパドゥッタマーラーマヤ寺院を訪れるようになります。

チュラポーン王女の名が刻まれています。

シリントーン王女の名が刻まれています。
参考)
Deepaduttaramaya of Kotahena – කොටහේන දීපදුත්තමාරාමය
around:Deepaduttaramaya of Kotahena
Wikipedia:Migettuwatte Gunananda Thera
Wikiepdia:Prisdang
ウィキペディア:チュラポーン
ウィキペディア:シリントーン
SPICE UP LANKA CORPORATION (PVT) LTD Managing Director
SPICE UP TRAVELS (PVT) LTD Managing Director
「旅と町歩き」を仕事にしようとスリランカに移住。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年4月、法政大学社会学部社会学科を卒業後、六本木の人材系ネットベンチャーに新卒入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長を経てネットベンチャーを退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当しながら、新宿ゴールデン街で訪日外国人向けバーテンダー。
2016年7月、スリランカに初めて渡航し、法人設立の準備を開始。
2017年1月、SPICE UP LANKA CORPORATION (PVT) LTDを登記。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年2月、スリランカ観光情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」オープン。
2020年8月、ニュースレターの配信を開始。
2020年10月、WAOJEコロンボ支部立ち上げ初代支部長に就任。
2023年2月、スリランカ日本人会理事・広報部長に就任。
2025年6月、SPICE UP TRAVELS (PVT) LTDを登記。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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