ボートサファリ、バードウォッチングが楽しめるムトゥラジャウェラ
ケラニ川とニゴンボラグーンを結ぶハミルトン運河に、ボートサファリが楽しめるムトゥラジャウェラ・ビジター・センターがあります。
「地球の歩き方」や「Lonely Planet」にも掲載されているセンターを訪れて、ボートサファリを楽しんできましたので、本記事で紹介いたします。
目次
ムトゥラジャウェラ・ビジター・センターとは?
ムトゥラジャウェラ・ビジター・センターは、ムトゥラジャウェラ湿地帯を見学するボートツアーを行っているセンターです。
コロンボから車で45分ほどのところにあります。
ムトゥラジャウェラ湿地帯は、スリランカ最大の塩性沿岸泥炭湿地です。
元々は稲作水田が行われていた土地でしたが、ポルトガルがコロンボとニゴンボに拠点を置き、コロンボとニゴンボラグーンをつなぐために運河を築きました。
運河はニゴンボラグーンに流れ込むジャエラ川と、ケラニ川に流れ込むワッタラの川をつなぐように築かれました。
ムトゥラジャウェラは海面よりも低い土地であったため、運河を作ったことで海水が入り込み、稲作ができない土地になってしまいます。
ポルトガルは同じ過ちを南海岸でもしていて、マータラ郊外のキリラ・ケレ湿地帯は、ポルトガルがニルワラガンガーの洪水対策として運河を築いたものの、海水が流れ込み、稲作ができなくなり、飢饉を起こしたとも言われています。
その後、オランダがポルトガルに代わって統治するようになると、運河は拡張されます。
Jaはジャワ島を、Elaは運河を意味するシンハラ語で、オランダが統治したジャワ島から連れて来られた人々が住んだ運河があることが町名の由来だと言われています。
1796年にオランダに代わってセイロンを統治したイギリスは、1802年に植民地調査官ジョージ・アトキンソンによってオランダ運河の西側に新しい運河の建設に着手します。
この運河の建設を支援した歳入・商業の政府代理人ギャビン・ハミルトンが1803年に死去したことを受けて、1804年の完成した運河は「ハミルトン運河」と命名されました。
ハミルトン運河はケラニ川の河口近くに作られたため、オランダ運河以上に海水が流れ込み、これによってスリランカ最大の塩性沿岸泥炭湿地「ムトゥラジャウェラ」が形成されました。
2時間のボートサファリ
訪れる前に事前に予約の電話を入れる
予約や確認の電話をせずにセンターに到着したら、ゲートが閉まっていました。
一人3,000ルピー(最低6,000ルピーから)
書かれている電話番号に電話すると、人数を問われて、私一人だと答えると、「料金は6,000ルピー。1時間後にセンターに到着するので、1時間待てるか?」とのこと。
そして、実際にぴったり1時間後にスタッフがセンターに到着しました。
電話した直後にロンリープラネットを見てやってきたというイタリア人カップルがセンターにきたので、「人数が3人になった!」と電話で伝えます。
ボート1台6,000ルピーなのだろうと思ったら、3人で9,000ルピーとのこと。
一人3,000ルピーで、最小料金が2人分6,000ルピーということなのかもしれません。
センターでのガイダンス
ツアーはセンターでのガイダンスから始まります。
ムトゥラジャウェラの概要の説明を聞きます。(上記の通り)
稲作ができなくなった一方で、運河によってラグーンに簡単に出られるようになり、ムトゥラジャウェラに住んでいる人の多くは漁師だそうです。
魚やエビを捕まえる釣り道具についても説明してくれます。
こちらはカニを捕まえる道具だそうです。
ラグーンで獲れる蟹と海老は高級食材としてシーフード料理店に出されますが、昔ながら道具が今も使われているようです。
ボートツアーに出発
センターの前に泊めてある船で出発します。
スタッフさんが2名乗り込み、乗客はイタリア人カップル2名と私の3名でした。
ニゴンボラグーンに向かって運河を進んでいきます。
船に乗って早速目にしたのはカシューナッツの木です。
カシューアップルが赤く熟したものをスタッフさんが取って渡してくれました。
運河では鳥たちが飛び交う様子がよく見られます。
カワセミを何度も見ました。
にゅるっと舌を出すオオトカゲ。
ニゴンボラグーン
45分ほどでニゴンボラグーンに到着します。
ラグーンの入口にペリカンがたくさんいました。
少しラグーンの中の方に行くと、ペリカンたちが止まっている木がありました。
ジャエラ川
ジャエラ川を上流に向かって進みます。
上の写真に写っているのは、魚を獲るための仕掛けだそうです。
その仕掛けの上に、鳥たちが止まっています。
ハミルトン運河に戻る
90分ほどが経過したところで、ハミルトン運河に戻ります。
運河の入口には教会があります。
運河沿いに教会が何件かありますが、設立年はハミルトン運河が作られた後の1800年代以降でした。
カワセミはなかなか近くでうまく撮影できませんでした。
参考)
Wikipedia:Hamilton Canal
Wikipedia:Muthurajawela wetlands
Ceylon Expeditions:Muthurajawela wetlands sanctuary
>関連記事
「旅と町歩き」を仕事にするためスリランカへ。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年3月、法政大学社会学部社会学科を卒業。
2005年4月、就活支援会社に入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長などを経験して就職支援会社を退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当。
2016年7月、初めてスリランカに渡航し、会社の登記を開始。
2016年12月、スリランカでの研修受け入れを開始。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年1月、スリランカ情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開始。
2020年8月、不定期配信の「スパイスアップ・ニュースレター」創刊。
2023年11月、サービスアパートメント「スパイスアップ・レジデンス」開始。
2024年7月、スリランカ商品のネットショップ「スパイスアップ・ランカ」開設。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
新着記事
-
スリランカの食文化に見る多様性とヴィーガン事情
スリランカに滞在して約2か月半、この国の食文化の多様性に驚かされています。その背景には、仏教、ヒンズー教、イスラム教といった多様な宗教が影響していると感じます。宗教ごとに異なる食の規律が存在し、それが食の選択肢を豊かにし…
2024年11月23日 -
“スリランカにおける現代ファッションを徹底調査”
年間を通して高温多湿の南国、自然豊かで「インド洋の真珠」とも呼ばれるスリランカ。日本とは全く異なる気候に住むスリランカの人々が普段どのような服を着ているのか、どのような服を好むのか知っていますか? 欧米諸国の人々のファッ…
2024年11月14日 -
世界遺産ゴール・フォートの中にある“好立地”ホテル「The Fort ...
私は今回、世界遺産ゴール・フォートの旧市街の中にあるホテル「The Fort House」に宿泊してきました。 ゴールには数多くの宿泊施設がありますが、世界遺産である旧市街の中にあり、散策しやすい場所にある「The Fo…
2024年11月13日