高さ最大の仏塔ジェタワナやミンネリヤ貯水池などを建設したマハセン王
ワラガンバ王の死後、国は政治的に安定しませんでした。
35人の王が次々と代わりました。
その中にはワラガンバ王の息子たちやワラガンバの親戚に当たる他の王子たちもいました。
ヤサラカティッサ王、スバ王、ワサバ王は貯水池を作ったことで知られています。
菩薩と呼ばれたシリサンガボ王とゴタバヤ王はこの期間を統治した重要な王です。
ゴタバヤ王には二人の息子がいました。
兄がジェッタティッサ、弟がマハセナ(ハマセン)です。
このとき、テーラーワーダ仏教はこの国の公式の伝統的な宗教でした。
しかし、ゴタバヤ王はサンガミッタというテーラーワーダに反対する仏教僧を支援していました。
サンガミッタはチョーラ朝から来た大乗仏教の仏教僧でした。
ハマセン王子とジェッタティッサ王子はサンガミッタ僧侶から教育を受けました。
ジェッタティッサ王子がこの僧侶の教えを受け入れなかった一方で、マハセン王子は心から賛同し、大乗仏教の教義の信奉者となりました。
ゴタバヤ王が亡くなったとき、ジェッタティッサ王子が王位につきました。
ジェッタティッサ王に罰せられるのではないかという恐れから、サンガミッタ僧侶はチョーラ朝に帰りました。
その後、マハセン王子が王位についたとき、サンガミッタ僧侶は彼のミッションを達成できると思い、スリランカに戻ってきました。
マハセン王はこの僧侶に欺かれて、この国でも最も大きいテーラーワーダ寺院であるマハウィハーラの比丘たちに、大乗仏教の教えを受け入れるように依頼しました。
彼らがそれを拒否したとき、マハセンは国の人々にマハウィハーラに施しをすることを禁止しました。
マハウィハーラの比丘たちは悪い影響を受けて、国の南部にあるマラヤラタとルフナに逃げました。
マハウィハーラは、デーワナンピヤ・ティッサ王がマヒンダ僧侶のために建てた、初期のスリランカで最も大きな複合僧院でした。
マハセン王の影響で、マハウィハーラは9年間放置されました。
この間、大乗仏教の主要寺院であるアバヤギリ・ウィハーラの建設のために、マハウィハーラから資材が取られました。
その結果、アバヤギリは巨大で印象的な寺院(ウィハーラ)になりました。
この間、真鍮の宮殿と呼ばれたロワマハパヤも破壊されました。
マハセン王によるマハウィハーラとロワマハパヤの破壊は、国の人々が彼に反対するきっかけになりました。
これによって、サンガミッタ僧侶を含む何人かの王室の役員たちが殺されました。
マハセン王の首相と友人のメガワンアバヤはマラヤラタに逃げて、陸軍を組織して王と戦いました。
マハセン王は大臣たちと戦うべく、州陸軍を伴って向かいました。
両軍はドゥラティッサ貯水池を挟むように陣取りました。
ルフナから美味しい食べ物を持ってきたメガワンアバヤ大臣は、それを王に提供せずに食べたいとは思いませんでした。
彼はそれが王の大好物であることを知っていました。
戦いの前夜、彼は恐れることなく王がいる野営地に行き、王に食べ物を差し出しました。
マハセン王は彼が示した愛に驚き、良い対話をしました。
メガワンアバヤ大臣は王に対してテーラーワーダ仏教に対する弾圧をやめるように説得しました。
王は彼の過ちに気付き、悪行について謝罪し、マハウィハーラを再建することを約束しました。
そうして、戦いは放棄されました。
自らがもたらした破壊を埋め合わせるように、マハセン王はいくつもの寺院を建てました。
約束通り、王はマハウィハーラを再建しました。
彼が統治した初期に破壊された多くの寺院は修復されました。
彼はウッタラとアバヤという二人の比丘のために、二つのアラマを建てました。
マハセン王によってジェッタワナ・ストゥーパはマハウィハーラに属する土地に建てられました。
これはスリランカで最も高いストゥーパであり、世界で最も高いストゥーパでもあります。
そして、それまでレンガで建てれたもので、最大のものでした。
マハセンは16の大きな貯水池を作り、2つの灌漑用水路を作り、農業開発を進めました。
その中でも最も大きなものがミンネリヤ貯水池で、4670エーカーの広さがあります。
彼はかつてのワサバ王が建設したエラ・ハラ(ハラ運河)を延伸し、貯水池に水を引きました。
マハセン王はパッバンタ運河も建設しました。
カンタライ貯水池の建設もマハセン王によるもう一つの偉大な事業です。
彼はこの貯水池を彼の統治期間の最後に建設しました。
周囲20マイル、高さ30フィートあり、堤防は巨大が岩が使われました。
ミンネリヤ貯水池の建設によって、農業が大いに発展し、マハセンは神として崇められ、「マハセン・デウィヨ」として崇拝されました。
彼の死後、彼を崇めるために、ミンネリヤ貯水池の近くに祠が建てられました。
初代のウィジャヤ王からマハセン王まで、スリランカは63人の王によって統治されてきました。
マハーワンサによれば、これら全ての王は偉大な王家に属しており、マハセン王はその最後の王であることも重要なことです。
マハセン王は24年間に渡って国を統治し、彼の統治は301年頃に終わりました。
「旅と町歩き」を仕事にするためスリランカへ。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年3月、法政大学社会学部社会学科を卒業。
2005年4月、就活支援会社に入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長などを経験して就職支援会社を退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当。
2016年7月、初めてスリランカに渡航し、会社の登記を開始。
2016年12月、スリランカでの研修受け入れを開始。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年1月、スリランカ情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開始。
2020年8月、不定期配信の「スパイスアップ・ニュースレター」創刊。
2023年11月、サービスアパートメント「スパイスアップ・レジデンス」開始。
2024年7月、スリランカ商品のネットショップ「スパイスアップ・ランカ」開設。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
# 関連キーワード
新着記事
-
スリランカの食文化に見る多様性とヴィーガン事情
スリランカに滞在して約2か月半、この国の食文化の多様性に驚かされています。その背景には、仏教、ヒンズー教、イスラム教といった多様な宗教が影響していると感じます。宗教ごとに異なる食の規律が存在し、それが食の選択肢を豊かにし…
2024年11月23日 -
“スリランカにおける現代ファッションを徹底調査”
年間を通して高温多湿の南国、自然豊かで「インド洋の真珠」とも呼ばれるスリランカ。日本とは全く異なる気候に住むスリランカの人々が普段どのような服を着ているのか、どのような服を好むのか知っていますか? 欧米諸国の人々のファッ…
2024年11月14日 -
世界遺産ゴール・フォートの中にある“好立地”ホテル「The Fort ...
私は今回、世界遺産ゴール・フォートの旧市街の中にあるホテル「The Fort House」に宿泊してきました。 ゴールには数多くの宿泊施設がありますが、世界遺産である旧市街の中にあり、散策しやすい場所にある「The Fo…
2024年11月13日