11年務めた電力会社を辞め、スリランカでサッカー隊員に。/ 青年海外協力隊員・牧野稔さん
スリランカはガンパハ。学校に付属している大きなグラウンドでは子供たちがサッカーの練習に励んでいる。なんてことのないごく普通の光景。ただ一つだけ違う部分がある。なんとそこに指導者として立っていたのは一人の日本人であった。全身の焼けた肌が、ここまでの活動の軌跡を示しているかのようだ。彼の名は牧野稔(まきのみのる)。東北大学を卒業後、大手電力会社に就職。華々しいキャリアを一見歩んできたようにみえるが、今はスリランカで青年海外協力隊として、現地の子供たちへのサッカー指導に日々奮闘している。練習後に誰もいなくなったグラウンドの片隅で、これまでの活動や人生について尋ねてみた。
目次
恐怖は辞めるときも、今でもずっとある。今は目の前のスリランカのサッカーに対して何ができるかを考えている。
—本日はインタビューよろしくお願いします。それでは牧野さんの簡単な自己紹介をお願いします。
牧野:名前は牧野稔、1984年の8月生まれの39歳です。出身は岡山県倉敷市で、大学進学後から6年間仙台にある東北大学に通っていました。その後電力会社に就職して、主に建築関係の仕事を11年ほどしてきました。仕事の内容は自社設備の営繕業務でした。私は発電所に勤務していたので、発電所内の建築物等の新築工事、増改築工事、修繕工事を担当していました。青年海外協力隊(以下「協力隊」)は、丁度コロナ禍の2020年に悩みに悩んで仕事をやめた後に、何しようかなと考える中で出会ったんですね。そういう制度も確かあったなと思って。気付いた時から申込みまでの期間がすごく短かったので、急いで申込を作って、その後幸い内定をもらい、今スリランカでサッカー隊員として活動しています。
—学生時代はどういったことを学ばれていたのですか?
牧野:大学院までずっと建築の勉強をしていましたね。
—それで、そのまま建築関係の仕事に進んでという形なんですね。そこで11年働かれたと思うのですが、コロナは仕事を辞めるに至る決断や考え方にどう影響したのですか?
牧野:コロナはきっかけにしか過ぎないんですよ。まあ10年も働くと大体その仕事がわかるようになるんですよね。35歳のときに、55、60歳までの残りの20年、25年をずっとこれをやっていくのかなあという気持ちもあり、そこでコロナがきて今度は在宅勤務を強いられるようになったんです。会社に行かずにオンラインで仕事をしなさいという、それもかなり苦痛だったんですよ。全くやっていることが面白くないなっていう時期になって。悩んで悩んで。でもやっぱり会社員だと収入があるので、それはそれで大事な生活要件なんだけどなーと思ったんですが、辞めましたね笑
—辞めるという決断は怖くはなかったのですか。
牧野:いや怖いですね。今でも怖いですよ笑
—いわゆる「レールを外れる」という。
牧野:おっしゃる通りです。
—僕はその「レールを外れる」ことに対してかなり恐怖を持っています。牧野さんはその恐怖に対してどう向き合い対処してきたのでしょうか。
牧野:恐怖は私もありますよ。それは辞めるときも、今でもずっとあります。協力隊の活動期間は2年間なので、終わって日本に帰った後何をするのかという問題は常に付きまとうんですよね。でもあまり考えすぎたところで、答えも今パッと出るものでもないので。仕事をしていたときは5年10年先を考えながらやっていたんですけど、最近は目の前のスリランカのサッカーに対して何ができるかということに目を向けています。
実際辞めるときは、すごい悩んで夜寝られない時期もありました。いよいよ考えつかれて、考えるのやめようって。そこの判断は、やった後悔よりやらなかった後悔のほうが大きくなるから、じゃあとりあえず「辞める」という行動を取ろうという理由で最後は決めましたね。大概辞める人って転職先が決まっているのですが、私はない状態でとりあえずやめるっていう。
—多くの人は同じ業界で転職しようと考えると思うのですが、牧野さんはなぜサッカー隊員になろうと思ったんですか?
牧野:サッカー隊員になったのは、協力隊に行きたいと思った時に、どの職種で行けるのかと考えた中で、サッカーという職種が自分の経験で活かせるんじゃないかなという理由で選びました。
建築関係の仕事もあったのですが、海外での二年間の生活を純粋に楽しめるような活動がいいなと思いサッカーを第一希望にしました。JICAの面談の際にも「牧野さん品質管理のほうが向いているんじゃないですか」と言われたのですが「できることは品質管理関係かもしれないですけど、やりたいことはサッカーです」と答えました笑
—ちなみにサッカーのご経歴は?
牧野:小学校一年生から高校三年生までですね。実績はないです。サッカー指導者になろうと思ったこともないです。
—牧野さんが協力隊に行くとなったとき、周りはどんな反応でしたか。
牧野:会社の人には、辞めた後も付き合いがあったので話しました。両親には会社辞めて協力隊に行くみたいな話はしていたんですけど、兄弟には話さなくて。
—話さなかった理由が?
牧野:私の兄弟も一般常識の強い兄弟で(笑)。会社を辞めたことに対してブーブー言われるのがいやだったんですよね。会社を辞めてからも一年ほどは、ずっと新潟県にいたんですけど、その間働いている体で兄弟とは連絡をしていました。「いやー仕事忙しいよ8月」って。辞めたことも私がスリランカに赴任してから初めて知ったそうです。
—その後ご兄弟のリアクションなどは両親通じてお聞きしましたか。
牧野:最後は好きで元気してるんならいいんじゃないのって。思っていたほど反対はされなかったです。まあもうスリランカ来ちゃってましたけど(笑)
純粋にサッカーを楽しんでもらえればそれでいい。自分の練習メニューの工夫でどうやったら子供たちがより楽しんでもらえるか。
—サッカー隊員の活動を始めて一年経ったと思うんですけど、この一年間振り返えってみてどうでしたか。
牧野:この協力隊での海外生活が、私は初海外なんですよ。海外旅行にも行ったことがなくて。やっぱり楽しいですね。些細な会話でも、自分の勉強した言葉が通じるのが楽しくて。食べ物や何気ない生活一つ一つが楽しいですよね。
協力隊に関しても面白くやっています。会社と違って自分のやりたいことがこの活動ではできるので。自由にできるっていうのはすごく気持ちいいですね。
—そこは日本での社会人生活と違うところですよね。逆に裁量がいきなり与えられて戸惑ったことはないのですか。
牧野:ストレスはやっぱりありますよ。こうすれば正しいんじゃないのかという正解はないので、日々こういう指導でいいのかなと悩むことはあるんですけど。でも自分のやりたいことができるっていうのは素直に楽しいですね。最初はこういう風にやってみたけどなんか反応がいまいちだなー、次はちょっとこういう風にやってみるかな?みたいなトライアンドエラーの繰り返しですね。
—もどかしさを感じる部分はありましたか。
牧野:スリランカに来る前にサッカー指導者として行くんだから、二年間という活動期間の中でどんなことをしようかと、予めイメージはしてきたんですけど、それはちょっと難しいなっていうのを活動を始めて3か月くらいに感じて。もっと子供たちが練習に自主的に取り組んでくれるような環境を作れば、自分の二年の活動が終わって帰っても、それは続いて行ってくれるだろうという観点も僕はあったんですけど、まあいかんせん子供たちは練習が好きじゃないのでね(笑)。
—今はどういう気持ちで取り組まれているのですか。
牧野:純粋にサッカーを楽しんでもらえればそれでいいってのがあるんですよね。自分の練習メニューの工夫でどうやったら子供たちがより楽しんでもらえるか。あとはやっぱり頭を使うということですね。大人に言われたことだけをずーっと繰り返していたりするだけじゃなく、自分でそのプレーは何を考えてやったのかが出るような、そういった面は身に付けてほしいな。ただ上手くなるというよりも頭を使う、そういう練習を目指してやっていますね。
あとはコミュニケーションですね。ここは本当にコミュニケーションのないサッカーをやってくれるんで。全員でもっと一つの試合に集中、向き合ってくれるような雰囲気を作りたいなと。パス欲しいならパスくれって言えよっていう。そしてパス出すなら、相手がちゃんともらう状態にあるのかって見ろよって。お前ひとりでやってるんじゃないぞって。
—なかなか改善しないと(笑)。
牧野:でも今日割と声は出てたと思いますね。技術云々じゃなくて。あれは一年の成果です。
—子供たちにはサッカーを通してどういう経験をしていって欲しいですか。
牧野:やっぱりスポーツとして楽しんでほしいですね。「今日は午後から2時間サッカーの時間だ、楽しみだな」という気持ちは持ってほしい。練習後も友達同士殺伐とするんじゃなくて「今日はよかったね、またやろうな」という雰囲気も。心の成長があればいいかなと思います。
—活動期間も残り1年だと思いますが、今後の目標や達成したいことを教えてください。
牧野:一つは、チームワークをもっと向上させたいです。もう一つは、子供たち同士の教える関係ですね。レフェリーを子供たちにもさせて、その子の判断を尊重できるような試合をやりたいなと。あと毎年新しい子が来るじゃないですか。その子にもう一度私が一から教えるんじゃなくて、一年間やってきた子供たちに、去年と同じように教えてみろよって。
—単純に解を与えるのではなくて、教えた子たち自身が自分の頭で考えて、次の子に伝播していくような。
牧野:究極の理想は私が来た時にもうあのトレーニングの準備が整っているという。(もしそうなったら)俺泣いちゃうよって(笑)。うわ!コーンが並んでる、もう日本に帰れるって。そういう自発的な動きと、あと友達相互の関係といった面を育てていきたいですね。
—今日の練習後には片付けをしてる子達も何人か見かけました。
牧野:あれも昔はなかったんですけど、最近手伝ってくれる子は出てくるようになりましたね。
—それも責任感があるかどうかですよね。自分が関係しているかという。経験的に思うのですが、責任感がある子は主体的にやるし、声も出して盛り上げようとする。
牧野:確かにねえ。ラインを上げろっていう指示も、昔は私がよくやってたんですけど、最近ある子が言うようになったんですよ。そしてそういう子は確かに片付けも手伝ってくれる。
ほんとに子供の成長って面白い。何か一つできるようになると、次から次へとできるようになるし。一方私が片付ける傍らで、ずっとボールを蹴り続ける子もいて。で、それを取りにいかないんですよね。こいつらどうしてくれるって(笑)。
—ここまで聞いてると牧野さんはサッカー指導者だけでなくて、先生という感じがしてきます。
牧野:意識して先生みたいになったというより、結果的になったなと。子供たちに初めて会った時は、練習慣れしてないからか、人の言ったことを聞かないし、理解しないし、実践しなくて。すごくコミュニケーションが不思議だなと感じたのを覚えています。
直感で、まずやってみるっていう。結果は後からついてくるので。
—そこも残りの期間で進めていけたらということですね。逆にサッカーの活動以外で、残りのスリランカ生活はどういう風に過ごしていきたいですか。
牧野:実は一年間のスリランカ生活で、一回だけキャンディへ旅行に行ったんですよ。めちゃくちゃ移動で疲れて。
—キャンディで疲れてたら、もうどこも行けないような気もしますけど(笑)。
牧野:そうなんですよ。だからあとスリランカで何を楽しもうかと。私、趣味がドローンなので、綺麗な景色をドローンで撮って、動画編集までしたいなと。そしてBGMまでつけて、自分でムフフと笑って終わりです。
—少し変わってますね(笑)。活動終了後は日本に帰られると思いますが、その後のプランは何かお考えでしょうか。
牧野:具体的には決まってはないのですが、私は会社を辞めたときに地域おこし協力隊をやりたいと思っていたんですよ。協力隊から継続して地域おこし協力隊に取り組んで、その先の生活につながるような住処というか、何かが見つかればいいなとは思いますね。
—帰国後したいことはある程度決まってると。では以前のように企業勤めるというのは。
牧野:もう向かないと思いますね。11年働いといてなんですけど。勤めていた会社が転勤が多く、結局今いる場所もいずれは転勤するんだろうなっていう気持ちで住むと、人との触れ合いがすごい希薄になるんですよね。自分の生活がもっと自分の地域と関わりを持って生きていければいいなという気持ちがありますね。実は協力隊に採用されてからの訓練の一つで、島根県の海土町というところで3ヶ月生活していたんですね。そこは町(島)をあげて地方創生に取り組んでいて、雰囲気もよくとても面白い町だったんですよ。日本に帰ってからは、そんな地域で生活していけたらいいなという思いがあります。
—最後にお聞きしたいことが一つあります。今後の進路に悩んでいる学生や、今のまま仕事を続けていいのかなと悩みを持つ方は、きっと多くいらっしゃると思います。牧野さん自身も過去そうだったと思うのですが、そういった方々や過去の自分にアドバイスがあれば教えてください。
牧野:いっぱい悩んでもいいと思うんですけど、あまり決断は深く考えずにやるのも一つ案だと思います。直感で、まずやってみるっていう。結果は後からついてくるので。
2001年熊本県生まれ。北海道大学法学部の4年生。2023年10月から2024年3月までインターン生として活動。
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