日本人墓地、アーサー・C・クラークの墓があるボレッラ墓地
ボレッラ墓地内には日本人墓地があり、日本人会が毎年9月に墓参会を行っています。
日本海軍のコロンボ空襲によって亡くなったイギリス連邦軍の方々、スリランカに長く住んだSF作家アーサー・C・クラークや、スリランカの独立運動に影響を与えたヘンリー・ペドリス、駐日大使を務められたダンミカ・ディサーナーヤカさんのお墓などがあります。
本記事では、ボレッラ墓地について紹介します。
目次
ボレッラ墓地とは?
ボレッラ墓地は1866年に設立されています。
それ以前の墓地は、現在の大統領官邸近くにあったゴールフェイス墓地で、ゴールフェイス墓地にあったお墓は1920年代にボレッラ墓地に移転されています。
墓地は宗教ごとに区分けされていて、ローマカトリック教徒、聖公会、無宗派のキリスト教徒、仏教徒、ヒンズー教徒のセクションがあります。
イギリス連邦軍の墓地「カナッテ墓地」と「コロンボ日本人墓地」もあります。
ボレッラ墓地は、コロンボ市議会によって所有・運営されています。
コロンボ日本人墓地
コロンボ日本人墓地は、 1928年(昭和3年)11月に錫蘭日本人会によって設立されたようです。
1965 年当時の高瀬侍郎スリランカ大使がご寄贈された鎮魂碑。
戦前にスリランカに渡ってこられた方や、第二次大戦中の日本軍の戦没者、異国の地で病に倒れられた方等、20 数柱の方々のお腹があります。
新日本空調のスリランカ法人に27年務められたNagae Junさんのお腹。
幻のお茶と書いてあります。
戦前に幼くして亡くなった方のお墓。
ご家族のお墓のようです。
三五教が設立したオイスカのボランティアだった方。
英連邦戦争墓地があり、さらに多くの戦争墓が敷地内に分散している[2]。戦争墓には、ドイツ兵、ドイツ商船員、ドイツ抑留民、オーストリア看護シスターなど、様々な人の墓がある。第一次世界大戦の英連邦軍兵士は60人以上、第二次世界大戦の英連邦軍兵士は300人近くがここに埋葬されている。
イギリス連邦軍のカナッタ墓地
日本海軍が1942年4月5日、イースターの日に行ったコロンボへの空爆の日付が刻まれています。
トリンコマリーやキャンディにあるイギリス連邦軍のお墓と似たお墓が並んでいます。
アーサー・C・クラークの墓
「2001年宇宙の旅」で知られるSF作家アーサー・C・クラークは、1956年から2008年に亡くなるまでの52年間スリランカに住みました。
きっかけは友人とスリランカを旅行したことで、最初に住んだのはウナワトゥナ、その後にコロンボに引っ越し、コロンボで他界しています。
クラークはダイビング好きで、ヒッカドゥワ、トリンコマリー、ニラヴェリなどでよくダイビングをしていたと言います。
1957年にクラークは、トリンコマリー沖でダイビングして古代コネスワラム寺院の海底遺跡を発見しています。
その後、トリンコマリー近郊にダイビングスクールとダイビングショップを設立しています。
1979年から2002年までスリランカのモラトゥワ大学の学長も務めています。
1989年に「スリランカにおけるイギリスの文化的利益への貢献」によって大英帝国勲章コマンダーに任命。 1998年に爵位を授与。
2005年にはスリランカの最高市民栄誉であるSri Lankabhimanyaを授与されています。
駐日大使を務められたダンミカさんのお墓
UNPのメディア担当顧問、国立スリジャヤワルダナプラ大学のシンハラ語・マスコミュニケーション学部部長、スリランカ国営通信社の会長、スリランカ国営ラジオ放送協会の会長、スリランカ国営テレビ協会の会長、スリランカ国営独立テレビネットワーク会長 兼 CEO、立教大学客員講師、外務省研修所客員講師などを歴任され、日本文化への造詣が深く、日本語が堪能でいらしたダンミカさんはコロナ禍の2020年8月になくられています。
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墓地内の簡易地図、各墓への行き方
イギリス連邦軍のカナッテ墓地は案内がありますが、それ以外は案内がありませんので、お墓を見つけるの大変です。
アーサー・C・クラークの墓の近くにいるスタッフに「アーサー・C・クラーク?」と聞かれて、すぐに案内してくれましたが、チップを要求されました。
行き方が分かっていれば、チップを払う必要もありませんので、以下を参考にしてください。
ボレッラ墓地はコロンボ8、ゴルフ場の近くにあります。
ボレッラ墓地の入口は以下の3つの門があります。
・西門(南北に走るベースラインロード沿い)
・北門(斜めに走るBauddhaloja Mawatha沿い)
・東門(ゴルフ場への道沿い、駐車場有り)
日本人墓地、ダンミカさんのお墓、アーサー・C・クラークのお墓は、ともに東門から近いです。
Googleマップ上の日本人墓地、アーサー・C・クラークのお墓の場所は正確ではありません。
東門→日本人墓地→ダンミカさんのお墓→アーサー・C・クラークのお墓 の順番で回ると迷わずに訪れることができます。
東門から入る
東門を入ると、左手に古い火葬場があります。新しい火葬場ができ、今は使われていないようです。
東門の正面にモニュメントがあります。
日本人墓地へ
上のモニュメントの右側の道を行き、南北の道と最初に交わる角(東門を背にして左手側)に日本人墓地があります。
この写真の奥に東門入口のモニュメントが見えます。
ダンミカさんのお墓へ
日本人墓地まで来た道を、そのまま西側に進むと、また南北に走る道と交差します。
その交差の右手側(東門を背にして)にダンミカさんのお墓があります。
アーサー・C・クラークのお墓
ダンミカさんのお墓の斜向かいの奥にアーサー・C・クラークのお墓があります。
以下の写真はダンミカさんのお墓を背にして、アーサー・C・クラークのお墓がある方向を撮影したものです。
手前の木の右側にアーサー・C・クラークのお墓があります。
イギリス連邦軍のお墓
イギリス連邦軍のお墓はGoogleマップ上で正しい位置にありますので、以下を参照してください。
長閑な墓地
墓地内は静かで緑が多く、長閑です。
音楽関係の方のお墓には楽器や音符などが刻まれていて、いくつか目にしました。
東門側に仏教徒、ヒンドゥー教徒のお墓があり、北門側、西門側にキリスト教徒のお墓があります。
キリスト教徒のお墓が占める割合が多いように思いました。
宗教によってお墓の形が異なり、特徴的な大きなお墓もありますので、訪れてみてください。
参考)
Wikipedia:Kanatte Cemetery
Wikipedia:Arthur C. Clarke
「旅と町歩き」を仕事にするためスリランカへ。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年3月、法政大学社会学部社会学科を卒業。
2005年4月、就活支援会社に入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長などを経験して就職支援会社を退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当。
2016年7月、初めてスリランカに渡航し、会社の登記を開始。
2016年12月、スリランカでの研修受け入れを開始。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年1月、スリランカ情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開始。
2020年8月、不定期配信の「スパイスアップ・ニュースレター」創刊。
2023年11月、サービスアパートメント「スパイスアップ・レジデンス」開始。
2024年7月、スリランカ商品のネットショップ「スパイスアップ・ランカ」開設。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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