アバヤギリ、ダンブッラ石窟寺院などを建設したワラガンバ王
ドゥトゥゲムヌ王の死後、国政はスームズには機能せず、10人の王が続きました。
ドゥトゥゲムヌ王の息子のサーリヤ王子が王室には属しない綺麗な女性と結婚したときに、彼は王位に就くことを諦めなければいけなかった。
ドゥトゥゲムヌ王の弟であるサッダ・ティッサが後を継ぎました。ティッサは”敬虔な”という意味があります。
彼の名前が示しているように、彼は敬虔な王で8年間統治しました。
彼の後、トゥッラッタナ、ランジャティッサ、カハッラータ・ナーガが次々と統治しました。
彼らはサッダ・ティッサの息子たちでした。
ワッタガーミニ・アバヤとして知られるワラガンバは四男でした。
カハッラータ・ナーガが統治していたときに、彼の司令官が彼を殺し、権力を掌握しました。
この不道徳な統治の間、ワラガンバ王子は隠れて暮らしました。
人々は統治者に対してうんざりしていたので、本来の王位継承者を見つける方法を欲していました。
そのため、伝統に乗っ取ることにしました。
伝統によれば、王室の象は豪華に飾り付けられ、大臣たちの後をついて村々を回ります。
もし王室の象がある人物の前でひざまづいたら、その人が王位継承者にふさわしい人物です。
王室の象がワラガンバ王子を見た時、彼の前でひざまづきました。
王室の象は王子を背中に乗せて、村を回り、王宮に戻ってきました。
ワラガンバ王子は司令官を殺し、王となりました。
彼はカッラータ・ナーガの妃、アヌラー・デーウィを彼の配偶者の一人とし、彼らの息子マハー・チューッリカを自分の息子としました。
彼にはソーマー・デーウィという名の別の妃もいました。
ワラガンバ王が統治できたのは、非常に短い期間でした。
彼の統治は、首都を包囲した南インドからの侵略者たちによって邪魔され、侵略者たちは14年間に渡って統治しました。
このため、ワラガンバ王は避難しなければいけませんでした。
彼が逃げているとき、ギリという名の一人のニガンタが、アヌラーダプラのアーラーマを占領しながら叫びました。
「偉大な黒いシンハラ人が逃げいている」と王を侮辱しました。
王はそれを聞いたとき、「もし私の願いが果たされるなら、ここに仏教寺院を建てる」と思いました。
彼が逃げいているときに、彼の息子であるマハーナーガ王子、アヌラ妃、その息子のマハー・チューッリカ、ソーマー・デーウィ妃たちも王の馬車で逃げていました。
馬車を軽くして、スピードを上げるために、ソーマー・デーウィは自ら馬車を降りました。
馬車を降りたソーマー・デーウィ妃はタミルの支配者に見つかり、彼は彼女をインドに連れ帰りました。
ワラガンバ王は14年間の逃亡生活で、仏教僧や村人たちから支援を受けました。
ウェッサギリの森で王に出会ったクッピガラのマハー・ティッサ僧侶は彼を最もよくサポートしました。
王は長い亡命期間を過ごしながらも、陸軍を集めました。
ついにワラガンバ王はアヌラーダプラに戻り、侵略者ダーティカを殺して、王位に就きました。
王位を握った後に、彼が最初に取り組んだのは、ニガンタのギリが住んでいたアーラーマを取り壊し、大きな寺院をそこに建設することです。ニガンタのギリという名前と王のアバヤという名をくっつけて、王はこの寺院をアバヤギリ・ウィハーラと名付けました。
この寺院はスリランカの仏教史において、重要な位置を占めました。
この寺院は何世紀にも渡って建設され、マハー・ウィハーラがサンガの間の不和が起きた際に、徐々に大乗仏教を学ぶセンターになっていきました。
次に王はソーマー・デーウィ妃をインドから連れ戻しました。
ソーマー・デーウィ妃に敬意を示して、彼女が馬車を降りた場所に寺院を建てて、ソーマーラーマヤと名付けました。
この王は感謝の心が強かったと記録されていて、政府の財務が長く続いた戦争のためにほとんど空っぽであっても、彼はためらうことなく、感謝を表現することにしました。
彼が森に棲んでいたときに、彼に住まいを提供したダンブッラの石窟は巨大な寺院に作り変えられました。
寺院はいくつもの仏像、壁画などで彩られ、この寺院は現在、ランギリ・ダンブル・ウィハーラヤとして知られています。
彼の統治期間で最も重要な出来事は、これまで比丘たちによって口頭で伝えられていたティリピタカ(パーリ仏典)を書き記したことです。
これはマータレ近くのアル・ウィハーラにて行われました。
仏教僧たちが集まり、ダンマについて議論をして、ヤシの葉に書き記したことで、将来に渡って保存されました。
ワラガンバ王は様々な障害の中で統治をした称賛されるべき人物です。
最初、彼はたったの5か月間しか統治ができませんでした。
14年間も森に隠れた後に、彼は戻ってきて、王位につき、12年間統治しました。
アヌラーダプラを統治した王になったのです。
ワラガンバ王は特別な地位を占めます。
SPICE UP LANKA CORPORATION (PVT) LTD Managing Director
SPICE UP TRAVELS (PVT) LTD Managing Director
「旅と町歩き」を仕事にしようとスリランカに移住。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年4月、法政大学社会学部社会学科を卒業後、六本木の人材系ネットベンチャーに新卒入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長を経てネットベンチャーを退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当しながら、新宿ゴールデン街で訪日外国人向けバーテンダー。
2016年7月、スリランカに初めて渡航し、法人設立の準備を開始。
2017年1月、SPICE UP LANKA CORPORATION (PVT) LTDを登記。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年2月、スリランカ観光情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」オープン。
2020年8月、ニュースレターの配信を開始。
2020年10月、WAOJEコロンボ支部立ち上げ初代支部長に就任。
2023年2月、スリランカ日本人会理事・広報部長に就任。
2025年6月、SPICE UP TRAVELS (PVT) LTDを登記。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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