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宝石だけじゃない!宝石の町「ラトゥナプラ」の観光情報を一挙ご紹介!

2020年10月15日

ラトゥナプラはサバラガムワ州ラトゥナプラ県の州都及び県都です。
サンスクリット語で「ラトゥナ」は宝石、「プラ」は町という意味で、古代から世界に知られた宝石の町でもあります。

スリランカの国土の25%に宝石が眠っていると言われており、スリランカで宝石採掘が行われている町は30以上ありますが、その中でも最も有名な町がラトゥナプラです。

ラトゥナプラは米、フルーツ、ジャガリー、茶、ゴムの生産でも知られています。

スリランカの7大紅茶産地の一つがラトゥナプラのあるサバラガムワです。
紅茶は標高別にハイ、ミドル、ローと分けられますが、ラトゥナプラはスリランカの中央高地の麓にあり、ラトゥナプラ周辺で採れる茶はロー・グロウン・ティーに分別されます。

サバラガムワは世界一純度の高いグラファイト(黒鉛)が採られることでも知られています。
日本の小学校の国語の教科書(光村書店)に掲載された『一本の鉛筆の向こうに』の最初に登場する鉛筆の材料にもなるグラファイトを採掘する鉱夫のポディマハッタヤさんが働いていたのはボガラ鉱山で、ボガラはサバラガムワ州第二の都市ケガーッラの南にある町です。

本記事では、そんな宝石以外にも多くの資源を持つラトゥナプラについてご紹介します。

ラトゥナプラへの行き方

ラトゥナプラはコロンボから南東に100kmほどにあり、車であれば2時間半〜3時間ほどの距離です。

ラトゥナプラはコロンボとエッラ、バドゥッラ、バッティカロア、ポットゥビル(アルガムベイ)などを結ぶ幹線道路上にあり、バドゥッラ行きなどのバスで行くことができます。

ラトゥナプラとパナドゥーラを結ぶ幹線道路もあり、両都市を繋ぐバスも走っています。

町の中心にはバスターミナルもあり、キャンディ行き(アビッサウェッラ経由)のバスもあります。

イギリス統治時代の1921年にコロンボからアビッサウェッラを経由してラトゥナプラまで鉄道が敷設されたが、アビッサウェッラ – ラトゥナプラ間は1976年に廃線となっています。

シリセーナ政権時代にラトゥナプラ高速道路(E06)計画が作られ、2019年までにラトゥナプラの東にあるPelmadullaの町までがコロンボまで高速道路でつなぐ計画がありましたが、実現していません。

文化の交差点ラトゥナプラ

スリランカの文化は、海岸に近い低地「パハタ・ラタ」と、山岳部の高地「ウダ・ラタ」の二つに大きく分かれますが、サバラガムワ州はその中間部にあたり、文化が混在しています。

また、サバラガムワ州の中心都市ラトゥナプラは、先住民ヴェッダーが信仰した聖山「スリー・パーダ」の麓であり、シンハラ王朝のお寺も作られ、スリランカを植民地支配したポルトガル、オランダが要塞や教会を建て、イギリスがプランテーション(茶、ゴムなど)を作ったため、さらに多様な文化、積み重なった歴史が見えてきます。

古代から宝石の町として世界に知られたラトゥナプラには交易を通じて、様々なものが伝わっていたかもしれません。

古から伝わる宝石の町

スリランカは古代から世界に知られた宝石の産地でした。

古代イスラエルのソロモン王がシバの女王にスリランカ産のルビーで求婚したことから始まり、イギリス王室はスリランカ産のブルーサファイアを婚約指輪に使う伝統があり、チャールズ皇太子がダイアナ妃に、ウィリアム王子がキャサリン妃に贈っています。

ジュエリーとして世界最大のブルーサファイア「ブルー・ジャイアント・オブ・ザ・オリエント(486.25カラット)」はラトゥナプラで採掘されています。

スリランカにアラビアからやってきたムスリム(イスラム教徒)が住み始めたのは、宝石の取引のためだと言われており、現在も多くのムスリム商人がスリランカで宝石・ジュエリーに関わっています。スリランカにおける最初のムスリムの町「ベールワラ」は宝石の町として知られていますが、ベールワラは宝石の「取引」の町であって、宝石は採掘されません。ラトゥナプラなどで採れた宝石がベールワラに運ばれ取引されて、アラブ商人を介して、中東やヨーロッパに届けられていたのです。

ラトゥナプラの町の南側には、河口の町カルタラに流れ着くカル・ガンガ(カル川)が蛇行して流れています。

カル・ガンガ

この川の流れがラトゥナプラに宝石をもたらしていると言われています。
かつては川をさらって宝石を採掘する方法もよく行われていたといいます。
現在は川の生態系を守るため、川をさらう宝石採掘は禁じられています。

雨季の5月に洪水がよく起きており、恵みをもたらす川は災害ももたらしている。

宝石採掘場

宝石採掘の町として知られるラトゥナプラの周囲には採掘場をいくつも見かけることができます。

スリランカでは今も伝統的な方法で宝石の採掘が行われています。
宝石の採掘は土地を借りて、採掘権を取得して、採掘作業員を雇い、掘立小屋を立てて、採掘が行われます。

巨大な穴が掘られたダイヤモンドの採掘場とは異なり、田んぼの中や湿地帯に掘立小屋が点在する長閑な情景は世界に知られた採掘場という響きとギャップがありますが、そこに人々の息遣いが感じられます。

宝石採掘を見学することも可能です。

男性であれば、地下20〜30mまで掘られた採掘穴に入り、中の様子を見ることができます。

そこはインディ・ジョーンズの世界。他では味わえない冒険が体験できます。

スリランカ人の鉱員が先導してくれますが、足場となるゴムの木は濡れて滑るため、落ちないようにゆっくり気をつけて下りて行きます。

中は蒸し暑く、水が滴り、坑内の底は泥水が溜まっていますので、水着で入るのベターです。

カメラやスマホは持って降りると危ない上に、水に濡れてしまう恐れもあるため、坑内に到着したら、入口でビニール袋に包んで、滑車で下まで運んでくれます。坑内の写真が撮れたら、またビニール袋に入れて、入口まで滑車で運んでくれます。

登って戻るのもまた大変ですが、スリランカ人の鉱員が一緒に登ってくれます。

外に出た後は、洗い場がありますので、水を浴びて綺麗にします。

迷信で女性は採掘坑に入ると災いが起きると言われており、女性が採掘坑内に入ることはできませんが、採掘坑の中を上から見たり、坑内に空気を送る機械、坑内から水を排出するポンプ、採掘坑を作るゴムの木と葉、採掘穴から掘り出した土砂、土砂から宝石を選り分ける溜池などを見ることで、採掘の工程を知ることができますので、訪問されることをお勧めします。

宝石の見学をご希望の方は、本ページの問い合わせフォームからお問い合わせください。

宝石取引場

Amba Gaha Yata Gem Market

国立宝石ジュエリー局(National Gem and Jewellery Authority, Ratnapur)があるFrank Hettiarchchi Streetと、ジュエリーショップが立ち並ぶメインストリートと幹線道路のA4 HighwayをつなぐZaviya Mawathaと、A4 Hightwayに囲まれた小さな三角形の空き地が、毎日宝石取引が行われているAmba Gaha Yata Gem Marketです。

空き地には大きなマンゴーの木があり、それが名前の由来です。

シンハラ語でAmbaはマンゴー、Gahaは木、Yataは下という意味で、Amba Gaha Yata Gem Marketはマンゴーの木の下の宝石市場という意味になります。

スリランカ各地に宝石取引市が開かれる町がありますが、多くは曜日が決められています。
毎日行われているのは、ここラトゥナプラぐらいだと言われています。

早朝や夜に行くと端にプラスチックのテーブルと椅子が積み上げれた状態になっています。

取引が始める時間(8時〜9時頃に始まるもよう)に合わせて、掃き掃除をして、テーブルと椅子、パラソルを並べて、テーブルをふき、マーケットの準備が始まります。

徐々に宝石を持った人たちが集まりだし、9〜10時には多くの人でごった返します。

宝石を紙に包んで持ち歩いている人が多く、宝石にライトを当てて、宝石を売り込む人、ライトを照らして品定めをしている人などの様子が見られます。

外国人である日本人が行くと、当然、多くの人が売り込みのため話しかけてきますが、あくまで見物客という様子でいれば、そこまでしつこいことはありません。

時計塔マーケット

スリランカの町の中心地には時計塔が建っていることが多いですが、ラトゥナプラの時計塔近くの通りにもパラソルが開かれ、路上で宝石のトレーディングが行われていました。

ラトゥナプラ国立博物館

ラトゥナプラ国立博物館(Ratnapura National Museum)は1988年にオープンした博物館です。

「Ehelepola Walauwa」と呼ばれる歴史的な建造物を使っていて、Ehelepolaは家主であったEhelepola Nilameのファーストネームで、Walauwaはシンハラ語で邸宅という意味です。

Ehelepola Nilameは1811年〜1814年のキャンディ王朝最後の王Sri Vikrama Rajasinhaの下で、政府の高官でも最上位にあたる地位にあった人です。稲作のために、ラトゥナプラに貯水池と運河を作り、現在もその恩恵を受けていると言われています。

キャンディ王にイギリスとの共謀・裏切りの疑いをかけられ、家族を虐殺されてしまいます。

1815年にイギリスがキャンディ王朝を打倒した後は、イギリスの統治を担う高官となりますが、1817年〜1818年のウバ大反乱が発生し、イギリスに疑惑を抱かれ拘束され、モーリシャスに送られ他界した人物です。

博物館省管轄の国立博物館はコロンボ、キャンディ、ゴール、そしてラトゥナプラの4つです。
そのため、宝石の展示だけではなく、考古学、地質学の展示や、キャンディ王朝の工芸品や武器の展示などもあります。

博物館の前には象やサイなどの動物のレプリカが置かれた公園があります。

市内の歴史的建造物

時計塔

第一次世界大戦の戦没者の慰霊のためにイギリスによって、終戦の年の1918年に建てられました。
塔には戦没者の名前が刻まれたプレートがはめ込まれています。

オランダ要塞跡地(図書館、警察署、国立宝石ジュエリー局)

時計塔の前の丘の上には、かつてオランダの要塞(Ratnapura Dutch Fort)がありました。

現在は、図書館、警察署、国立宝石ジュエリー局などが立ち並んでいます。

それぞれ歴史を感じる立派な建物で見応えがあります。

警察署の道沿いの壁には絵が描かれています。

その道の向かいには大きなスーパー「Cargills Food City」があり、ラトゥナプラがそれなりに大きい町であることを感じさせてくれます。

Carthigasen Memorial

S.T.Carthigasenはスリランカの独立運動でも活躍したエンジニアです。

報道機関のLake Houseを創業し、スリランカの独立運動の主要人物のDon Richard Wijewardenaとともに、ケンブリッジ大学で学生を時代を過ごしたそうです。

ディストリクト・エンジニアとしてラトゥナプラに赴任しますが、1913年のラトゥナプラ洪水で人を助けて命を落としました。
彼を記念した墓です。

バプテスト教会

ラトゥナプラ国立博物館の近く、Carthigasen Memorialの向かいあたりにあるバプテスト教会(Baptist Church)は1873年にポルトガルによって建てられた小さな教会です。

現在、裏手にあるFerguson High Schoolは最初、バプテスト教会で3人の女学生からスタートしています。

バプテストはギリシャ語のバプテスマ(沈むの意味)に由来し、浸礼(水に浸かる)での洗礼を行うイギリス発祥で、イングランド国教会から分離したプロテスタントの一教派。アメリカではプロテスタントが一番多いが、その中でもバプテストが一番多いと言われています。

聖ルカ教会

バプテスト教会の裏手の丘を登る坂道の入口にある小さな教会、聖ルカ教会(St. Luke’s Church)。

ロンドン出身でインドで司祭を30年以上務め、Royal Asiatic Society of Sri Lankaのプレジデントも務めたReginald Coplestonによって設立されています。

1843年にはスリランカで最古の学校の一つとされるSt. Luke’s Collegeが教会に隣接して建てられています。

バンクオブセイロン ラトゥナプラ支店

聖ルカ教会の坂道をさらに登っていくとあります。

銀行ではありますが、歴史がありそうな綺麗な建物を使っています。

聖ペトロ&聖パウロ教会

商店が並ぶラトゥナプラの中心地、カテドラル・ロードにある、道の名前の由来でもある大きな教会、聖ペトロ&聖パウロ教会(St.Peter’s and Paul’s Church)。

ポルトガルがシータワカ王国を倒し、ラトゥナプラ郊外にある大サマン寺院(Maha Saman Devalaya)を破壊し、要塞と教会を作りましたが、キャンディ王国がラトゥナプラを奪還した際にポルトガルの要塞と教会は破壊されます。

ポルトガルの子孫たち(その多くがスリランカ人との混血)が、破壊された教会を場所を変えた建てたのがこの教会です。

ゴア生まれで、スリランカ中を布教のために回ったジョセフ・ヴァズ(Joseph Vaz)の影響を受けていると言われています。

仏教寺院、ヒンドゥー寺院、モスク

Shri Bodhirajaramaya

町の南東には仏教寺院、ヒンドゥー寺院、モスクがあります。

スリランカはどこの街に行っても、四宗教の施設を目にすることが多いです。

Rathneswaram Sivan Kovil

Jennath Jumma Mosque

レストハウス ラトゥナプラ

バスターミナルの東の丘の上にレストハウスが建っています。

ラトゥナプラの行政官が住んだ屋敷を改装したもので、リーズナブルな価格で歴史的な建物に泊まることができます。

スリランカの各地に歴史を持つレストハウスが残されていますが、外国人向け・富裕層向けに近年になって改装されたレストハウスは高級ホテルですが、国内マーケット向けに長年運営されてきたレストハウスは贅沢な滞在はできませんが、立地と立派な建物からすると、コスパよく滞在できます。

ラトゥナプラには高級ホテルがありませんので、滞在先の一つの選択肢になるでしょう。

レストランでビールを飲んで休憩したり、食事をするのも良いでしょう。

食事はローカルメニューが中心で、ローカルレストランほどの安さではありませんが、リーズナブルな値段で楽しむことができます。

名称:Ratnapura Rest House

レストラン

ベーカリーでの朝食

ラトゥナプラは観光地として開けた町ではありませんので、オシャレなカフェやレストランは見かけませんでした。

町のパン屋さんなどローカルなお店で楽しむか、上記のレストハウスに行かれるのがいいでしょう。

かつて、タイの宝石加熱技術は優れていたため、多くのタイ人が宝石ビジネスのためにラトゥナプラに来ていたそうです。その名残りでラトゥナプラにはタイ料理屋さんが多くあります。

郊外にある聖地

大サマン寺院

ラトゥナプラの郊外に山の神サマンを祀る大サマン寺院(Maha Saman Devalaya)があります。

サマン神はラトゥナプラの守護神です。

ラトゥナプラはスリランカの聖山「スリー・パーダ(アダムス・ピーク)」の麓の町で、登山の入口でもあります。

山は別名、Samanthakutaとも言われ、サマンの山という意味があります。

頂上にある足跡は仏教徒はブッタの、ヒンドゥー教徒はシヴァ神の、イスラム教徒はアダムの、キリスト教徒は聖トーマスの足跡としていますが、先住民族はスリー・パーダにはサマンがいると信仰していたと言われています。

現在の地に寺院が建てられたのは、1270年代にダンバデニヤ王国の王パラークマバーフ2世の支援者で大臣のAryakamadevaによるとされています。

コーッテ王国のパラークマバーフ4世の時代に拡張されます。

シータワカ王国のラジャシンハ1世を倒したポルトガルはお寺を破壊し、1618〜1620年に要塞と教会(Ratnapura Portuguese fort)を建築します。

キャンディ王朝2代目の王で、仏教復興のためにタイ(Siam)から仏教僧を招聘したKirti Sri Rajasinha王がこの土地を奪還。

キャンディ王国3代目の王、ラジャシンガ2世がポルトガルの要塞と教会を破壊し、お寺を再建しています。

ラジャシンガ2世はポルトガルを排除することをオランダに頼んで王様で、その影響からか、お寺の本堂の扉にはオランダ様式の扉のデザインが見られます。

取材時は本堂でプージャ(お祈り)をしていましたが、本堂内は撮影禁止です。

ラトゥナプラのペラヘラは毎年9月に大サマン寺院を起点に行われます。

ポルトガル占領時代に仏歯を保護した寺院

ラトゥナプラの町から15km北にある仏教寺院「Delgamuwa Rajamaha Viharaya」はポルトガル統治時代に仏歯を隠した場所とされています。

ポルトガルによってコーッテ王国が滅ぼされた際、シーターワカ王国に仏歯が渡され、この寺院に11年間保管されたと言われています。

仏典堂(Pothgul Viharaya)

世界遺産のダンブッラの石窟寺院、世界遺産のアヌラーダプラにあるアバヤギリヤ大塔を建てたワッタガーミニ=アバヤ王が建てたとされる石窟寺院。

キャンディ王国2代目の王Kirthi Sri Rajasingheの時代に改修されています。

バタドンバ洞窟(Batatotalena Cave)

仏陀がスリーパーダの頂上を訪れた後にこの洞窟で過ごし、その後、デーガハワーピ仏塔に向かったとされています。

世界自然遺産への拠点

スリー・パーダ(アダムス・ピーク)の登山口

世界遺産「スリランカの中央高地」を構成するピーク・ワイルドネス・保護区にある聖山「スリー・パーダ」への伝統的な登山口がラトゥナプラの北東にあります。

ポロナルワ王国の王パラークマバーフ1世やニッサンカ・マーラが登った登山道で、王たちが作った休憩所(Ambalama)が残されています。

ラトゥナプラ側の登山道は長く険しいため、反対側のナラサニヤ側の登山道の方がポピュラーです。

シンハラージャ森林保護区

ラトゥナプラから南に50kmほどにある世界遺産「シンハラージャ森林保護区」への拠点としてもラトゥナプラは知られています。

シンハラージャ森林保護区の入口もいくつかありますが、最もポヒュラーなのがラトゥナプラ側のKudawaの入口です。

ラトゥナプラからKudawa方面までバスが出ているため、バスで行くことできますが、一般的にはコロンボやラトゥナプラから車で行きます。

ラトゥナプラ郊外の滝

郊外に滝がいくつかあります。

Katugas Ella

落差6mの滝。Ellaは滝という意味です。
ラトゥナプラの北に4.5km、車で10分ほどの距離にあります。

Rajanawa Ella

落差12mの滝で、滝壺のプールにアヌラーダプラの王ワッタガーミニ=アバヤを軍隊の兵士を入れたという伝説があり、王という意味の「Raja」が滝の名前についているそうです。
宝が隠された扉があるという噂があるそうです。
ラトゥナプラから南東に7km、車で15分ほどの距離にあります。

Bopath Ella

落差30mの滝で、菩提樹(Bo tree)の葉(Path)の形に似ていることからこの名がついているそうです。
この地域を治めた人たちが水浴びをしたと言われており、サマン神が現れたとも言われています。
彼氏に振られて自殺した少女の幽霊が出るという噂や黄金の宝が隠されているという噂があります。
竹のボートに乗せてもらえることがあるそうです。
ラトゥナプラから北に17km、車で40分の距離にあります。

Kirindi Ella

落差116mの大きな滝です。
ラトゥナプラから約26km、車で50分ほどの距離にあります。

まとめ

ラトゥナプラは宝石だけではなく、先住民族のサマン神、シンハラ王朝ゆかりの場所、ポルトガルやオランダに関係するコロニアル建築、農作物(茶・ゴム・米・フルーツ・ジャガリー)と多様なものがあります。

ぜひ色々と回ってみてください。

ラトゥナプラ観光マップ

ラトゥナプラへの旅行をアレンジする

ラトゥナプラへはバンダラナイケ国際空港やコロンボから最も便利なアクセス方法は、カーチャーターで高速道路を使って向かうことです。

本記事でもご紹介している郊外の見所も訪れる際は車があった方が便利です。

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    参照ページ

    ウィキペディア「サバラガムワ州」
    ウィキペディア「ラトゥナプラ県」
    ウィキペディア「ラトゥナプラ」
    ウィキペディア「ケーガッラ県」
    ウィキペディア「ケーガッラ」
    ウィキペディア「グラファイト」
    光村書店「一本の鉛筆の向こうに」
    ウィキペディア「バラゴムノキ」
    Ratnapura – The Gem City
    Ratnapura’s Historic Colonial Gems
    Wikipedia「Ratnapura」
    Wikipedia「Maha Saman Devalaya」
    Sts. Peter and Paul Cathedral, Ratnapura
    Wikipedia「National Museum of Ratnapura」
    Wikipedia「Ratnapura Dutch Fort」
    Wikipedia「Ratnapura Portuguese fort」
    Diocese of Colombo「St. Luke’s Church, Ratnapura」
    Wikipedia「St. Luke’s College, Ratnapura」
    Wikipedia「Reginald Copleston」
    Wikipedia「E06 expressway 」
    Kirindi Ella – waterfalls with hidden treasure trove in Ratnapura District
    Amazing Lanka「Rajanawa Ella Falls」
    Wikipedia「Bopath Ella Falls」
    Amazing Lanka「Katugas Ella Falls」

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