タミルの侵略者を倒したドゥトゥゲムヌ王
デーワーナンピヤ・ティッサ王の死後、弟のウッティヤ王子が彼の後を継ぎました。
そして、その後は弟のマハーシワ、その次は弟のスーラティッサが王位に就きました。
スーラティッサ王の時代に、セナとグッティカの二人のタミル人兄弟が馬を持ち込み、スーラティッサ王に勝利し、ランカーを支配しました。
彼らはアセラ王によって倒されるまで協力してランカーを支配しました。
アセラ王の時代にチョーラ朝の支配者エラーラがアセラ王を倒して、アヌラーダプラを奪いました。
エラーラ王は敵味方双方に対して、正義を貫いた良き支配者だったと言われています。
紀元前1世紀頃のランカーは3つの都市から支配されていました。
エラーラ王がアヌラーダプラから、ケラニティッサ王がケラニヤから、カーワンティッサ王がマーガマから支配していました。
王族の争いのため、王は無実の阿羅漢を罰しました。人々と大臣たちは恐れました。
神々は激しく起こり、海が荒れて、大地に海が流れ出しました。
海を鎮めるために、ケラニティッサ王は美しい自分の娘デーウィを黄金の船に乗せて、海に向かわせました。
海を鎮めるための生贄として姫は海に送られたのです。
デーウィの船はスリランカの南海岸にあるキリンダに漂着しました。
近くに住んでいたカーワンティッサ王はデーウィを救い、彼女を王妃にしました。
ランカー・ウィハーラ近くに彼女が上陸したことから、彼女はウィハーラマハーデーウィと名付けられました。
ウィハーラマハーデーウィとカーワンティッサ王は二人の子どもをもうけました。
長男ゲムヌと次男ティッサです。
ある日、カーワンティッサ王は3人前のライスを作り、息子たちを呼び、3つの約束について話しました。
一つ目は仏教僧侶に対して決して無礼をしないこと。
2つ目は兄弟がお互いに争わないこと。
兄弟二人は同意して、喜んで二人前のライスを食べました。
3つ目はタミルの侵略者と戦わないこと。
二人は同意せず、3つ目のライスは食べませんでした。
ゲムヌ王子は彼のベットに横になり、体を丸めました。
ウィハーラマハーデーウィ女王がこれを見ていて、ゲムヌに「なぜ、大きなベットに小さく丸まって寝ているのですか?」と尋ねました。
王子はこのように答えました。
「これより向こうは浅い海(ゴタ・ムフダ)で、もう一方にはタミルの侵略者がいます。どうして私は手足を伸ばして寝れるでしょうか?」
ゲムヌ王子が16歳のとき、体格の良い若者に成長していました。
彼は弓矢と刀に長けていました。
また、馬と象の乗り手のエキスパートでもありました。
弟のティッサが防衛のためにディガーワピに送られている一方で、ゲムヌはマーガマに住んでいました。
カーワンティッサ王は年をとり、衰弱していましたが、彼は侵略者たちとの将来の戦争に備えて、陸軍の創設を始めました。
彼は武術に優れた10の大きな兵団「ダサ・マハ・ヨーダヤス」を作りました。
兵団の名はナンダミトラ、スランニマラ、マーハソーナ、ゴータインバラ、テラプッターバヤ、バラナ、ウェールスマナ、カンチャデーワ、プッサデーワ、ラッビヤワサバでした。
カーワンティッサ王は10の兵団に対して、二人の王子の間での戦争には加担しないように約束しました。
カーワンティッサ王は仏教僧を尊敬していたので、ティッサマハーラーマとチッタラパッバタ・ウィハーラ(シトゥルパッワー)など多くの寺院を建設しました。
一方、ゲムヌ王子はタミルの侵略者たちを倒すアイディアに夢中になっていました。
カーワンティッサ王は嬉しくなかったので、そうしないように王子に伝えました。
父王の拒絶にイライラしていたゲムヌ王子は、女性の装飾品を贈り、父をあざけり、彼を女だと言いました。
王は怒りました。
彼は王子を捕まえるように命じました。
ところが王子はマラヤ・ラタに逃げました。
彼は変装して、コットマレーにいき、農家の家族と暮らしました。
この王子の反抗的な行いから、彼はドゥトゲムヌ(ドゥッタ・ガミニ)と呼ばれるようになりました。
カーワンティッサ王は64歳まで生き、マーガマで亡くなりました。
ディガーワピにいたティッサ王子は父王の臨終の儀式に参加するため急いでマーガマに戻りました。
その後、彼は母ウィハーラマハーデーウィと王室の象カンドゥラを連れて、ディガーワピに戻りました。
カーワンティッサ王の大臣たちはドゥトゥゲムヌが王位を継承すべきであり、戻るようにとドゥトゥゲムヌに伝達しました。
ドゥトゥゲムヌはマーガマに戻り、聖職授任式を行った後に、王として宣言しました。
彼は弟に母と王室の象カンドゥラを渡すように要求しました。
ティッサ王はその要求に応じなかったため、ドゥトゥゲムヌ王は弟と戦うために向かいました。
しかし、仏教僧の仲介により、その戦いは避けられる、二人の兄弟は一生を通じて協力していくことになります。
ティッサ王はディガワーピに残り、その地域の農業開発を見ることを許されました。
ドゥトゥゲムヌ王は母と王室の象をマーガマに連れ帰りました。
ドゥトゥゲムヌ王はタミルの侵略者と戦うために、象、馬、馬車、兵士を集め始めました。
ドゥトゥゲムヌ王は十分な穀物が確保されていることを確認しました。
ドゥトゥゲムヌ王はマヒヤンガナまで進軍し、マハウェリ河の浅瀬であるアンバティッタカまで進みました。
ドゥトゥゲムヌ王はウィジタプラにあった守りを固めたエラーラの要塞を占領しました。
その後、彼はエラーラがいるアヌラーダプラへ進軍しました。
ドゥトゥゲムヌ王は「他でもない私がエラーラを倒す!」と宣言しました。
その後、決闘になりました。
エラーラが槍をゲムヌに投げつけた時、彼はそれをかわし、彼は自分の象にエラーラの象マハーパッバタに牙を突き刺せます。
その後、ゲムヌは槍をエラーラに向けて投げつけました。
エラーラは象とともに地面に落ちました。
エラーラを殺したこの歴史的な戦いの後に、勝利の行進を首都、アヌラーダプラまで行い、ランカーを一つに統一しました。
エラーラの兵士であったディガジャントゥは甥のバッルカに助けを求めるメッセージを送りました。
バッルカはエラーラの死後7日後にインドから陸軍を伴いやってきました。
バッルカ軍もドゥトゥゲムヌ王によって撃退されました。
その勝利を祝った後に、ティッサウェワでの水のお祭りとともに、お清めの儀式が執り行われました。
その後、ドゥトゥゲムヌ王はエラーラ王の適切な葬式を行うことにしました。
エラーラが落ちた場所に、彼の名誉にモニュメントを建立し、そこを通る全ての人に対して敬意を示すため沈黙を守るように指示しました。
その後、ドゥトゥゲムヌ王は仏教の発展のために尽力しました。
彼は多くの寺院を建立し、サンガに対する義捐金を継続的に拠出しました。
彼の最初のストゥーパはミリサウェティヤといいます。
その後、エサラポーヤの日に諸外国から多くの仏教僧が参加して、ルワンウェリセーヤの建設のために、礎石が置かれました。
多くの祝祭を行いながら、聖遺物を安置する個室が造られました。
ドゥトゥゲムヌ王は仏教僧のために、石柱の9階建てで1000室を有するローワーマハーパラーサーダ(真鍮の宮殿)も建てました。
ローワーマハーパラーサーダは高さと幅がともに200フィートのアヌラーダプラで最も高い建物でした。
ルワンウェリセーヤが完成する前に、ドゥトゥゲムヌ王は病に倒れました。
彼は弟のティッサを呼び寄せ、ルワンウェリセーヤを完成させるように伝えました。
ティッサは王がもう長くないこと、ルワンウェリセーヤの完成までもたないことを悟りました。
ティッサはすぐにストゥーパを白い布で覆い、王を駕籠に乗せてストゥーパの周りを回らせました。
多くの仏教僧たちとともにルワンウェリセーヤを礼拝した後に、王は息を引き取りました。
ドゥトゥゲムヌ王は国全体を統一し、仏教の発展に大いに貢献しました。
彼の統治は24年間続きました。
ドゥトゥゲムヌ王の後は弟のティッサが継ぎました。
「旅と町歩き」を仕事にするためスリランカへ。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年3月、法政大学社会学部社会学科を卒業。
2005年4月、就活支援会社に入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長などを経験して就職支援会社を退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当。
2016年7月、初めてスリランカに渡航し、会社の登記を開始。
2016年12月、スリランカでの研修受け入れを開始。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年1月、スリランカ情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開始。
2020年8月、不定期配信の「スパイスアップ・ニュースレター」創刊。
2023年11月、サービスアパートメント「スパイスアップ・レジデンス」開始。
2024年7月、スリランカ商品のネットショップ「スパイスアップ・ランカ」開設。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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