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仏教伝来時の王デーワーナンピヤティッサ

2024年9月22日

パンドゥカーバヤ王の死後、彼の息子のムタシヴァが王になりました。国に平和が訪れたため、ムタシヴァは60年間統治することができました。

彼は果物の木々や花々が植えられた美しいマハーメーガワナ公園を作った王様です。

彼には10人の息子と二人の娘がいました。

徳と頭脳において最も優れていたのは、次男のデーワナンピヤ・ティッサでした。彼はムタシヴァの跡を継いで王になりました。

彼の治世で多くの奇跡が起きました。その中でも最も衝撃的だったのは、海底深くに埋もれていた宝石が地表に現れたことです。それらの宝石は全て王にもたらされました。

デーワーナンピヤ・ティッサ王はインドに良い友がいました。彼はアショーカ王と言います。お互いに会ったことはありませんでしたが、使節を通じて贈り物やメッセージの交換をしていました。デーワーナンピヤ・ティッサが捧げられた宝石やジュエリーをみたときに、この価値の計り知れない宝物はアショーカにふさわしいと思いました。

王は使節を通じて、この全ての宝物をインドのアショーカの元に送りました。

使節のリーダーは彼の甥であるアリッタ王子でした。

アショーカ王はこの使節団を歓迎しました。

彼は彼らに様々な称号を与えました。例えば、アリッタ王子は司令官に、他の者たちには他の称号を与えました。称号を与えることはインド宮廷における慣習でした。

アショーカ王は大臣たちに、返礼の品として何が相応しいか尋ねました。

彼らは戴冠式に必要な全てのものを送ることにしました。

若い姫がメッセージを携えて送り出されました。メッセージにはこうありました。「私は三宝に帰依した弟子です。あなたもこの信仰を受け入れてください。私がここに送ったものを使って2度目の戴冠式をしてください。」

アショーカ王の祖父は、マウリヤ朝を設立したチャンドラ・グプタ王です。アショーカはビンドゥサーラ王の息子で、歴史的な記録によれば、アショーカは即位するために、何人もの兄弟を殺さなくてはいけなかった。そのため、彼はチャンダーソーカ・アショーカ、つまり恐怖のアショーカと言われていました。彼は自身の力を強固にすると、パータリプトラを都に定めて統治しました。

アショーカがどのようにして仏教徒になったかを学ぶことはとても興味深いです。

ある日、王は宮殿の窓に立って外を見ました。その時、彼は若い隠者が静かに慎重に歩いているのを見ました。これは新米のニグローダでした。

彼を見て、王は喜びました。彼は使者を使わし、その新米のニグローダを宮殿に招待しました。王は彼を歓迎して言いました。

「適切な場所を見つけてお座りください。」

彼は周りを見渡し、玉座に向かい、座りました。彼は玉座から王と部下たちに説教を行いました。

説教を聞いて、王は仏教徒になりました。この時から彼はダルマーソーカ・アショーカ、つまり、正義のアショーカとして知られるようになります。

この二人の王の友人関係と、第三結集がインドで行われた結果、アショーカ王の息子であるダルマーソーカ・アラハント・マヒンダがスリランカに来ました。

デーワーナンピヤ・ティッサ王は鹿狩りに出ている時に、ミヒンタレーロックの頂上でアラハント・マヒンダを見ました。

アラハント・マヒンダは王の賢さをテストするため、いくつかの質問をしました。

アラハント・マヒンダは王にマンゴーの木を見せて、彼に木の名前を尋ねました。

王は「マンゴーの木です。」と答えました、

「この木以外にもマンゴーの木はありますか?」と僧侶は尋ねました。

「多くのマンゴーの木々があります。」と王は答えました。

さらに僧侶は尋ねました。「このマンゴーの木と、それ以外のマンゴーの木以外にも、木はありますか?」

王は答えました。「多くの木々があります。しかしそれはマンゴーの木ではありません。」

アラハント・マヒンダが尋ねました。「この木以外のマンゴーの木と、マンゴーの木ではない木以外に木はありますか?」

「はい、ここにあるマンゴーの木です。」と王は答えました。

僧侶はさらに王をテストするために尋ねました。「親戚はいますか?」

「たくさんいます。」と王は答えました。

僧侶の次の質問は「あなたの親戚ではない人たちはいますか?」でした。

「私の親戚ではない人は、もっとたくさんいます。」と王は言いました。

そして、僧侶は尋ねました。「親戚と、それ以外の人たち以外には誰がいますか?」

王は答えました。「はい、私自身です。」

僧侶は王が賢い人であると分かり、とても喜び、「あなたは鋭い心を持った統治者だ!」と言いました。

デーワーナンピヤ・ティッサ王はその後、アラハント・マヒンダの説教を聞いて、すぐに仏教徒になり、仏教を広めるために宗教的な活動をしました。

この期間に、アラハント・マヒンダの尼であるサンガミッタがスリランカに来ました。

サンガミッタはインドにある菩提樹の分け木を持ってきました。

彼女が到着したことで、スリランカに比丘尼の僧団が作られました。

デーワーナンピヤ・ティッサ王の治世は、スリランカに仏教で設立されたことで知られています。

王はマハー・メーガワナあるいはマハメワナー公園と呼ばれる公園をサンガに寄付し、幾つもの宗教センターをそこに建設しました。

後に大学となる私たちの最初の仏塔である、トゥーパラーマヤとマハーウィハーラがそこに建設されました。

さらに、サマーディ仏像、聖なる菩提樹、その他の聖地がこの期間にアヌラーダプラに集まりました。

仏塔の設立にあたって王は、アラハント・マヒンダからアドバイスを受けました。

スリランカに仏教が導入されて、私たちの社会には大きな影響がありました。

王が仏教徒になったことで、人々もすぐに仏教徒になりました。

それまで人々と木や岩、死者などに祈っていましたが、それらの慣習が変わりました。

木々に対して祈っていた人たちにとっては、菩提樹が祈りの対象に変わりました。

人々の暮らし方も完全に変わりました。

社会全体がより平和と正義を愛するようになりました。

仏教徒によって国が統治されるべきという原理は、ここで始まりました。

社会が安定してなければ、王が宗教に多くの時間を捧げることはできませんでした。

それまでは人々が自給自足の生活をしていたのは確かです。

人々の多くは農民でしたが、宗教行事を行う十分な時間が持てるようになりました。

彼らは文化的な活動に従事する余暇もありました。

デーワーナンピヤ・ティッサ王は、農業のために水を供給するため、ティッサ・ウェワを建設しました。この貯水池は400エーカー近くのエリアをカバーしました。

デーワーナンピヤ・ティッサ王は60年間に渡って国を統治したと言われています。

彼の治世は平和と繁栄がが続いた期間でした。

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