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仏歯寺を管理するアスギリ大寺とマルワトゥ大寺

2026年8月27日

キャンディにある仏歯寺を管理する二大総本山は、世界遺産「聖地キャンディ」に含まれる古寺です。

一つが旧市街の北東にある森住のアスギリ大寺(アスギリ・マハー・ウィハーラヤ)、もう一つがキャンディ湖の南にある村住のマルワッタ大寺(マルワトゥ・マハー・ウィハーラヤ)です。

アスギリ大寺にはキャンディで2番目に古い建造物である王家の火葬場があり、夜のペラヘラの最終日のゴール地点にもなっています。

マルワトゥ大寺は王家の花園だった場所にあり、傘下に5,000弱の寺を有するシャム派最大の総本山です。

仏歯の保管者は、世俗最高指導者(ディヤワダナ・ニラメ)、アスギリ大寺の最高指導者(マハー・ナーヤカ)、マルワトゥ大寺の最高指導者(マハー・ナーヤカ)の3名で構成されています。

本記事では、アスギリヤ大寺とマルワッタ大寺の見所について紹介します。

アスギリ大寺とは?

アスギリ大寺(あるいは接尾語のヤを加えてアスギリヤ)は、格子状のキャンディ旧市街の北東の丘の上にあります。その境内は広く、多くの寺院が点在しています。

キャンディロードのすぐ北を通るスリランカ鉄道マータレー支線の線路の先にアスギリ大寺の門(パハラ・ワハルカダ)があります。シンハラ語で「パハラ」は下を意味し、「ワハルカダ」は門を意味します。

王家の火葬場(アスギリ・ゲディゲー・ラージャマハ・ウィハーラヤ)

門をくぐって坂を上っていくと、夜のペラヘラ最終日のゴール地点でもあるアスギリ・ゲディゲー・ラージャマハ・ウィハーラヤがあります。

シーターワカ王国からキャンディ王国を独立させたウィマルダルマスーリヤ王は、仏歯寺が保管されていたシーターワカ王国領内だったラトゥナプラ郊外のデルガムワ寺院から仏歯を運び、アスギリ・ゲディゲー・ラージャマハ・ウィハーラヤに保管しています。

ポーヤデーの夜のペラヘラ最終日に仏歯はここに運ばれ、翌日の昼のペラヘラが開始されるまで仏歯が安置されます。

この寺院(ウィハーラヤ)は、キャンディ最古のナータ神殿に次いで、2番目に古い建造物です。ガンポラ王国最後の王ウィクラマバーフ3世(在位1357〜1374年)が、この地で火葬されたチャンドラワティー王妃を偲んで建立したと伝わっています。キャンディ王族の多くが、ここで火葬されています。

ゲディゲーとは石造りの仏殿を意味し、ウダ・マルワ(上段)、メダ・マルワ(中段)、パッレ・マルワ(下段)と3つのマルワ(基壇)があります。王族火葬はメダ・マルワ(中段)で行われたと伝わります。

建築様式はキャンディ最古の建造物であるナータ神殿、ガンポラ王国時代の古寺ガラダデニヤ寺に似ています。下段に仏像が安置され、見事な壁画が見られます。

イギリスが鉄道のマータレー支線を敷設するときの工事で、王家の墓は破壊されています。線路敷設の場所に墓の場所が最適だったとも、イギリス支配を確立するために王家の墓を意図的に破壊したとも言われています。

アスギリ新寺(大仏塔・博物館・菩提樹・僧院学校・王室の池)

さらに丘を登っていくと、巨大な仏塔に向かってまっすぐ伸びる長い階段があります。この階段を登って新寺院(本院)の境内に入ることもできます。

ぐるっと車で回って、門(イハラ・ワハルカダ)を通過して、境内に入る方が一般的です。

境内に入って坂を上っていくと、大きな仏塔があります。地上階は博物館、2階は瞑想場、3階は美しい壁画と彫刻に囲まれたメインフロアーになっています。

地上階の博物館の入口に「Evolution of Bhikku Education in Sri Lanka」と書かれているのが、アスギリヤが僧院学校を発展させてきたことを伺わせます。

3階の外の回廊からはキャンディの町を見渡せます。

本院の奥には僧院学校があり、多くの僧侶が学んでいます。

アスギリ大寺の歴史は古く、クルネーガラを都としたパラークラマバーフ4世(在位1305〜1335年)の指示のもと、シリワルダナ司令官によって創建されました。 創建当初の建物は、現在のトリニティ・カレッジの敷地内に建てられたと伝わります。

アスギリ大寺に入った仏教僧たちは、パーンディヤ朝に滅ぼされたヤーパフワ王国のワラスガラから来たとされ、 ワラスガラのパーリ語名が「アッチャギリ」で、アスギリの名の由来だとされています。 

アスギリの創建を指示したパラークラマバーフ4世は、「パンディタ・パラークラマバーフ(学者パラークラマバーフ)」としても知られる知識人でした。彼はクルネーガラに仏歯寺を建て、現在のキャンディをセンカダガラと命名したのも彼だと言われています。

聖遺物への奉納儀式の標準手順を定めた書物『ダラダー・シリタ』を執筆し、僧院学校の保護・発展を支援しています。

アスギリ旧寺院、アスギリ中寺院

新寺院の門を出て、さらに丘を登っていくと、アスギリ中寺(メダ・パンサラ)があり、さらにその先にアスギリ旧寺(プラナ・パンサラ)があります。

アスギリ中寺は1767年に、アスギリ新寺は1768年に建てられたそうです。

マルワトゥ大寺とは?

キャンディ湖越しに見るマルワトゥ大寺

マルワトゥ大寺(あるいはマルワッタ大寺)は、コッテ王国の属国としてキャンディ王国を建てたセーナーサンマタ・ヴィクラマバーフ王(在位1473年 – 1511年)によって創建されたと言われています。

マルワトゥの名は、その場所が王室の花園だったことに由来します。マルは「花」、ワトゥ(ワッタ)は「園」を意味します。

キャンディ湖の南の道は、サンガラージャマーワタといい、スリランカで最後のサンガラージャ(最高位の仏僧)となったウェリウィタ・シュリー・サラナンカラに由来します。

サンガラージャマーワタ沿いにある門(ワハルカダ)を通って、坂を上っていくと、小高い丘の上にマルワトゥ寺院があります。

ちなみに、門の斜め前、キャンディ湖の手前にある白い壁(ワラークル・バンマ:雲の壁という意味)に囲まれているのは古井戸(グーグルマップではMalwathu Maha Vihara Bodiyaと登録されている)です。

18世紀に造れた旧王室花園エリア

寺院は大きく二つのエリアに分かれています。

門をくぐった先に八角堂があるのが、マルワトゥ・ウィハーラヤ、あるいはプシュパーラーマ・ヴィハーラと呼ばれるキャンディ時代(キールティ・シュリー・ラージャシンハ王(在位1747-1782年)のとき)に造られたエリアです。パーリ語でプシュパは「花」、アーラーマは「園」を意味します。

スリランカの仏教界は具足戒(ウパサンパダー)が途絶えていたことから、サラナンカラ僧侶がキールティ・シュリー・ラージャシンハ王に依頼し、王がオランダ東インド会社に協力を求めて、アユタヤに使節を派遣。アユタヤのボロムコット王(在位1733-1758年 )がウパーリ僧侶をスリランカに派遣することを決定。

1753年のエサラ月(7月)の満月の日(エサラポーヤ)に、マルワトゥ大寺の戒壇(ウポサタガラ)において、ウパーリ長老を導師としてサラナンカラ僧侶が具足戒を受けました。これによってスリランカ最大の仏教宗派であるシャム派(シヤム・ニカーヤ)が創始され、マルワトゥ寺院はその大本山となりました。

この時に、キールティ・シュリー・ラージャシンハ王が王室の花園を寄進して造られたエリアがこのエリアです。

この歴史的受戒と仏教復興の功績をたたえ、ウパーリ僧侶とサラナンカラ僧侶の等身大像が並んで展示されています。

左がサラナンカラ僧侶、右がウパーリ長老

キャンディのエサラ・ペラヘラを現在の形にしたのもウパーリ長老です。ウパーリ長老がスリランカに来るまでは、キャンディのペラヘラはキャンディの4つの守護神への崇拝を中心としたお祭りでしたが、ブッダへの帰依を強調するものへと変更し、仏歯が先導し、その後、4守護神や人々が続く形に変更しています。

2人の長老の等身大像の奥には、ポーヤ・ゲー(戒堂)があります。重要な会議や、毎年行われる具足戒の儀式が執り行われる建物で、キールティ・スリー・ラージャシンハ王の治世(1747年 – 1781年)に建設されたもの。内部には美しい仏像が安置されています。

16世紀に造られたウポサタ寺エリア

もう一つのエリアが、奥にあるウポサタ・ヴィハーラ(ポーヤマルー・ヴィハーラ)と呼ばれる、1542年に建てられたとされるエリアです。

ウポサタとは満月(ポーヤ)のときに行われる布薩を意味します。
ポーヤマルーのポーヤは満月、マルーは基壇を意味します。
ウポサタ・ウィハーラとポーヤマルー・ウィハーラは、ともにポーヤに布薩を行う寺院を意味します。

1753年にウパーリ長老を導師としてサラナンカラ僧侶が具足戒を受けたのが、このエリアです。

ウェリウィタ・シュリー・サラナンカラ長老のために捧げられた「サンガラージャ・パンサラ」は現在、サラナンカラ・サンガラージャ博物館となっています。

キールティ・シュリー・ラージャシンハ王から贈られた扇や印章など展示されています。

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