旧オランダ人街ペターに残るオランダ時代博物館

コロンボ旧市街のペターはオランダ統治時代の区画が残っている町です。
かつてはオランダ総督をはじめ、オランダ人が住んでいた町でした。
ペターには古い建物が現在もいくつも残っていますが、その多くがイギリス統治時代のものです。
おそらくオランダ時代の唯一の建物として残されているのが今回ご紹介するオランダ時代博物館です。
改修工事のため2017年から長期休業していましたが、2024年6月から営業を再開しました。
この博物館は、オランダ植民地時代の建物をそのまま利用したもので、植民地支配に関する資料や当時の調度品などを展示しています。
目次
基本情報
営業時間
9時~16時30分(入館は16時まで)
◎月曜休館
入場料
大人 Rs.500 / 子ども Rs.300
アクセス
庶民の町ペターの雑踏のど真ん中に位置する、オランダ時代博物館。本当にこの通り沿いにあるの?と少し不安になりますが、進んでいくとちゃんとあります。写真中央に見える白い柱の建物がそれです↓
ここが入口です↓
博物館の歴史
オランダはポルトガル軍を破った後、1656年から1796年までスリランカの主要沿岸都市を支配・統治しました。この博物館はもともと、1692 年から 1697 年までオランダ領セイロン総督を務めたトーマス・ヴァン・リー(Thomas Van Ree)の私邸として建てられたものです。
その後、この建物は時代によってさまざまな目的で利用されました。
1704年から1796年までは、聖職者と教師の養成機関でした。博物館の入口上部にある、「神が家を建てるのでなければ、労働者の労苦はむなしい(詩篇127篇の引用)」と書かれた碑文は、この時代のもの。
また当時は同じ建物内に、オランダ東インド会社の資金提供を受けた孤児院もありました。
1796年にイギリスがスリランカの支配権を引き継ぐと、キャンディ王国との戦争で出たイギリス軍の負傷者を治療するための軍病院に転用されます。
その後、19世紀後半からは兵舎、1900年頃からは警察訓練学校、1932年からは郵便局として使われました。
1971 年、経年劣化で弱っていた外壁の 1 つがモンスーンによって崩壊し、建物全体の取り壊しが検討されましたが、論争の末、オランダ統治時代の博物館へと改築することに決定。1977年からオランダ政府の財政支援を受けて工事が開始され、1982年に博物館として一般公開に至りました。
展示内容
博物館に一歩踏み入れると、周辺の町の喧騒が嘘のように静か。
ただ、空調は扇風機のみでエアコンがないため、とても蒸し暑いです。
展示室1「オランダのスリランカ来航」
オランダがバッティカロアに到着し、キャンディに接触したときのことが紹介されています。
展示室2「スリランカ各地のオランダ要塞」
コロンボフォート、ゴールフォート、トリンコマリーのフォート、ニゴンボフォート、バッティカロアフォート、カルタラフォート、マータラのスターフォート、マンナールフォート、ジャフナフォート、カトゥワナフォートが紹介されていました。
コロンボフォートとペターが最も強固な要塞だった頃の絵があり、フォートもペター現在よりもせまく、ゴールフェイスにも要塞が伸びている様子が興味深いです。
ペターはその後、要塞の壁が取り払われて町を拡張したと解説されていました。
ゴールフォートの絵を見ると、現在のFlag Rock Bastionにオランダ東インド会社がはためき、現在のチャーチストリートの丘の下に教会が描かれていました。
現在の丘に上にアマンガッラと並んでいるオランダ教会は描かれていませんでした。
展示室3「武器・コイン・食器など」
オランダ東インド会社が使っていた剣、銃、食器、タバコ、コイン、ジュエリー、スリランカ側の武器やアクセサリーなどが展示がされています。これはどんな人が使っていたんだろう、と考えるとわくわくします。
中庭
1階を見終えると中庭に出ます。休業前には見どころの一つとされていた庭ですが、2024年8月現在はまだ工事中でした。係の人に聞くと、3~4か月後には完成予定とのことでしたが、あまり進んでいる様子はなかったのでもう少しかかりそうな予感。(2025年4月下旬でも進展していませんでした)
2階へ移動
2階へ続く階段と、その先の廊下は、木のぬくもりが感じられてとても素敵な雰囲気。
2階からは中庭を見渡せます。(ただし、現在は工事中 笑)
2階の天井はかなり高いです。
ゴールフォートのホテル「フォートバザール」や、パークストリートミューズの東南アジアレストラン「Monsoon」のようです。
オランダ家具展示1
2階には2部屋あり、両室ともオランダ人たちが使った家具が展示してあります。
バワ建築を訪れたときに見かけるような椅子が並んでいて、これは必見です。
オランダ家具展示2
当時のオランダはヨーロッパの強国であり、ヨーロッパ各地の良い家具を使っていたそうです。
オランダ東インド会社のスリランカの組織図が書かれていて、どんな役職があったのかが解説されていました。
出口への廊下
最後に1階に戻る階段へとつながる廊下には、オランダ東インド会社がスリランカでどんな経済活動をしていたのかが紹介されていました。
シナモン交易、シナモンプランテーション、象の輸出(北中部の象はマンナール港から、南部の象はマータラ港から)、ココナッツ繊維から作るコイル、マンナール湾の真珠採取、プッタラムとハンバントータの塩、コーヒーが取り上げられていました。
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早稲田大学文学部4年
アジアの歴史や文化に興味があります。趣味は読書、旅行、美術館巡り。
カラフルなスリランカの景色が大好き!
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