マーケットと交通のハブ「コロンボ旧市街ペター」

コロンボ旧市街であるペターについて紹介します。
ペターはムスリム商人やタミル商人が多い町で、商店が立ち並び、大きなローカルマーケットもあります。
コロンボと全土を結ぶ鉄道駅・公営バスターミナル・私営バスターミナルがあり、スリランカ一の交通のハブでもあります。
ペターがどんな町なのかは、まずその名前を知ると見えてきます。
目次
街の名前の由来
ペターはシンハラ語ではピタ・コトゥワ(要塞の外)、タミル語ではプラッコーッタイ(要塞の外の町)と言います。
ペターとは、タミル語の村を意味するペーッタイから生まれたアングロ・インディアン語で、要塞の外の郊外を意味する言葉です。
アングロ・インディアン語とは、ヨーロッパ人(主にイギリス人。他にフランス人、ポルトガル人など)とインド人の混血であるアングロ・インディアン人が使う言葉です。
インドのケララ州の州都ティルヴァナンタプラムの王宮の郊外にもペターという町があります。
インドのマハーラーシュトラ州アフマドナガル県のアフマドナガル城の郊外都市もペターと呼ばれています。
インドのタミル・ナードゥ州州都のチェンナイには、セントジョージ要塞の郊外にロイペターという町があり、これも同じ語源かもしれません。
オランダ統治時代はコロンボフォートがオランダ領ゼイランの首都・要塞・城であり、その城下町として形成されたわけです。
参考)
Wikipedia:Anglo-Indian people
BBC:The young Anglo-Indians retracing their European roots
オランダの足跡
ペターとコロンボフォートは、ポルトガル時代は一つの城壁に囲まれた一つの町でした。
オランダはポルトガルからコロンボフォートを奪取し、現在のコロンボフォートを星形要塞に変更し、フォートとペターの間に運河を築いて2地区を分離し、それぞれを海と湖に囲まれた島のような町にします。江戸で例えると、コロンボフォートが本丸、ペターは江戸城西の丸下といったところでしょう。
オランダ時代に築かれた碁盤目の街区がペターには今も残されています。
オランダ時代の鐘塔「カイマンズゲート」
オランダ時代のペターのメインストリートの城門に建てられていた鐘塔に掲げられていた鐘が、現在のメインストリートの脇に保存されています。
メインストリート(旧コニング・ストラート)
メインストリートはオランダ統治時代の主要道路で、当時はオランダ語で「Koning Straat(King’s Streetの意味)」と言われていたそうです。同名の道はアムステルダムやブリュッセルにもあります。
オランダ語由来のカイザーストリート
東西に走るカイザー・ストリート(Keyzer Street)は、オランダ語で皇帝を意味する「Keizer」が由来だと言われています。
オラニエ公に由来するプリンスストリート
プリンスストリートの由来は、オランダ王家のオラニエ公(Prince of Orange)だそうです。
旧オランダ総督公邸のオランダ時代博物館
プリンス・ストリートには、1692年から1696年までオランダ領ゼイラン総督を務めたトーマス・ヴァン・リーの公邸として使われた二階建て邸宅が現在も保存されています。
1697年から1796年には、教員養成大学と聖職者教育機関として使われています。
イギリス領セイロン時代には兵舎として使われ、1900年からは警察訓練学校、1932年からはペター郵便局として使われていました。
1971年のモンスーンの大雨で外壁の一つが崩れて建物は放棄されます。
王立アジア協会とダッチ・バーガー・ユニオンが建物の取り壊し計画に反対し、1973年にセイロン観光局、考古局、スリランカ・オランダ同窓会、国立公文書館の代表からなる委員会が設立され、建物を修復してオランダ植民地時代の博物館とすることを決定。
1977年からオランダ政府の財政支援を受けて修復が開始され、1981年に完成し、翌1982年に博物館として一般公開されました。
2017年から長期休業していましたが、2024年6月から博物館として営業を開催しました。(2024年5月時点で中庭の修復は完了していません。)
オランダ語由来のマルワッタロード
ペターの東端を南北に走るマルワッタロードは、シンハラ語のマル(花)が由来ではなく、こちらもオランダ語のmarketを意味するmarkt(マルクトゥ)と、シンハラ語の庭(ワッタ)の合成語だそうです。
オランダ語由来のマリバンストリート(マリバン・ビスケット創業地)
ペターを東西に走るマリバンストリートは、同じくオランダ語のmarkt(マルクトゥ)と専用道路(バーン)に由来するそうです。
マリバン・ビスケット(Maliban Biscuit)の創業地でもあり、社名は通り名に由来します。
マリバン・ビスケットの創業者、Angulugaha Gamage Hinni Appuhamyはゴールの高速道路入口付近の村Akmeemana出身です。
アップハミーは1928年にペターのファースト・クロス・ストリートでティー・キオスクを創業し成功します。
1935年にマリバン・ストリートにマリバン・ホテルを開業して成功し、ベースライン・ロード、ノリス・ロード、チャタム・ストリートにもホテルを開業します。
その後、コタヘナでベーカリーを開業。当初はパンを販売していたが、後に手作りのビスケットをラインナップに加えたと言います。最初に製造したビスケットのひとつが、マリバン・マリー・ビスケットだそうです。
1954年にスリランカ初となる機械化されたビスケット製造施設を操業(インドからビスケットカッターを購入)します。それが現在のマリバン・ビスケット・マニファクチャラーです。
1965年に現在のラトマラーナ工業団地に工場と本社を移転しています。
参考)
Maliban:Our Heritage
Wikipedia:Maliban
インド系商人の町へ
コロンボがオランダからイギリスの手に渡ると、コロンボフォートのオランダ要塞は取り壊され、イギリスはフォートにビルを次々に建設します。
コロンボフォートとともにコロンボ港に接するペターは、イギリス統治下のインド各地からムスリム商人、タミル商人が移り住む町となります。
ポルトガル人が来る前からコロンボに住んでいたのが、アラブ商人とスリランカ沿岸民族ムックヴァッルの混血スリランカン・ムーアです。
そこに、ムスリム商人とタミル商人が暮らし始めた町であり、現在でもペターで一番多いのがムスリム、続いてタミルです。
多様な人々が行き交うインドは喧騒と混沌と言われますが、インド系が多く、様々な人たちがいるペターはリトルインディアと言えるかもしれません。
落ち着いていて、綺麗と言われるスリランカの違った一面が見られる場所です。
パールシーが建設したカーン時計塔
ムンバイ出身のパールシー(ゾロアスター教徒)のカーン家が建設した時計塔がペターの西の入口に立っています。
パールシーはインドではタタ財閥を創設したことで知られていますが、スリランカでも最大級のコングロマリットであるジョンキールズホールディングスはパールシーの一家が筆頭株主で、スリランカ有数の大富豪です。
カーン家はコロンボ・オイル・ミルズを経営していた裕福な家庭。
時計塔のプレートには、Framjee Bhikhajee Khanの2人の息子BhikhajeeとMunchershaw Framjee Khanによって、1923年1月4日、父の45回目の命日にコロンボ市議会を通じてコロンボ市民に捧げたことが記述されています。
チェッティが建てたヒンドゥー寺院とキリスト教会
タミル・ナードゥ州の商人チェッティからの移民も多く、ペターの北東から伸びるシー・ストリート、シュリ・カティレサン・ストリートにはチェッティの建設したヒンドゥー寺院、キリスト教会が並んでいます。
また、隣接した丘を走る「ヴィヴェカンダ(ヒンドゥー教の指導者)の丘」、それに平行して走る道「ニュー・チェッティ」にもチェッティが建設したヒンドゥー寺院、ヒンドゥー学校、キリスト教会が並んでいます。
ペターのファースト・クロス・ストリートには、レッドモスクよりも古い19世紀に建てられたムルガンを祀るヒンドゥー寺院が残されています。

インディアン・ムーアの赤いモスク「ジャミ・アル・アルファ・マスジット」
インドからやってきたムスリム商人をまとめてインディアン・ムーアと呼びます。インドは広いのでインディアン・ムーアの中にも出自とする地域・宗教・民族で様々なグループがあり、アラブ商人とタミル海洋民族パラヴァルとの混血マラッカール、グジャラート州のシーア派商人ボーラ、グジャラート州のスンニ派商人メモンとコージャなどがあります。
ペターに移り住んだインディアン・ムーアのコミュニティーが建設したのが、ペターの観光名所であるレッドモスクです。
建設を担当したのはインド在住のイギリス人建築家で、インド・サラセン様式(インドのイスラム建築とヨーロッパ建築の融合)で建てられました。
ペターの東にあるグナシンハプラには、オールド・ムーア・ストリートにはイスラム商人の商店が、ニュー・ムーア・ストリートにはモスクが点在しています。
メモンのモスク「メモン・ハナフィ・マスジット」
グジャラート州のスンニ派商人のメモンたちが建設したモスク「メーモン・ハナフィ・マスジット」がサード・クロス・ストリートにあります。
ボーラのモスク「サイフィー・マスジット」
グジャラート州のシーア派商人ボーラたちが建設したモスク「サイフィー・マスジット」がフォース・クロス・ストリートにあります。
ヒンディー語由来のバンクシャルストリート

メインストリートの北を走るバンクシャル・ストリート(バンクシャルはヒンディー語で倉庫)は倉庫街のストリートだったと言われています。
現在、バンクシャルストリートの西側には造花屋さんが並んでいます。

中国の陶磁器が売買されたチャイナストリート

バンクシャルストリートと交差するチャイナストリートは、1840年にイスラム商人のアッセナ・マリカーが創業したお店をはじめ、中国製の陶磁器(英語でchina)を販売していた会社があったことから付いた通り名です。
参考)
Wikipedia:Indian Moors
Wikipedia:Sri Lankan Moors
Wikipedia:Marakkar
Wikipedia:Paravar
Wikipedia:Mukkuvar (India)
Wikipedia:Sri Lankan Mukkuvar
Wikipedia:Memons in Sri Lanka
Wikipedia:Khoja
神智学協会のオルコットの足跡
旧オルコット邸
マリバンストリートには、神智学協会の創設者の一人であるオルコットの邸宅が残されています。
近代スリランカの仏教再興運動を担った彼はここに自宅を構え、コロンボ仏教神智学協会、イングリッシュ・ブッティスト・スクール(現在のアーナンダカレッジ)をこの邸宅内に設立しています。
1890年まで学校として使われていた当時の建物が保存されています。
オルコット通り
マリバンストリートの南にはバス通りでもあるオルコット通り(Olcott Mawatha)があります。
1967年のオルコットの60回忌に、オルコットが設立した仏教神智学協会の本部が通りにあることから、その名がつけられています。
仏教神智学協会の本部

オルコット通りには、コロンボ仏教神智学協会(Colombo Buddhist Theosophical Society)が入居する仏教会館(バウッダ・マンディラヤ)が建っています。
コロンボ仏教神智学協会は1880年6月17日にオルコット邸にて設立され、1929年1月28日にこのビルが完成して、移転しています。ちなみに、コロンボ仏教神智学協会は1998年に法人化されたようです。
参考)
Colombo Buddhist Theosophical Society公式サイト
フォート駅前のオルコット像
フォート駅の前にはオルコット像が、オルコット通りに向かって設置されています。
1967年に駅前の道路を拡張する際に、通りの名前をオルコット通りと命名し、合わせて駅前にオルコット像を設置したようです。
オールドタウンホールと博物館
スリランカ全島を統治したイギリスは、ポルトガルやオランダが防衛ために築いたコロンボフォートとペターの城壁を取り壊し、堀やベイラ湖の一部を埋め立てました。
そして、メインストリートの城門と堀の外にあった場所にコロンボ市役所を建てます。
コロンボ市役所を設計したのは、ゴールフォートのオールセインツ教会、コロンボ国立博物館、コロンボジェネラルホスピタル、ジャフナ時計塔を設計し、グランドオリエンタルホテルの改修を手掛けたジェームス・ジョージ・スミサーです。
建設と担当したのは、コロンボ総合郵便局、コロンボ国立博物館、コロンボ税関、ザヒラ・カレッジ、ゴール・フェイス・ホテル、ビクトリア・アーケード、コロンボフォートのバッタンバーグ砲台、フィンレイ・モアビルなどを建設したムスリム商人のArasi Marikar Wapchie Marikarです。
参考)
Wikipedia:James Smither
Wkipedia:Pettah Market
Wikipedia:List of Sri Lankan Moors
Wikipedia:Colombo National Museum
ひっそりと佇む歴史ある「聖フィリップ・ネリ教会」
ペターには教会が3つありますが、その中でも歴史が長いのが、オルコット通りにある聖フィリップ・ネリ教会です。
マーケットの集積地
雑貨屋が集まるオールドタウンホールマーケット

オールドタウンホールを設計したジェームス・ジョージ・スミサーは、その南隣に劇場としてエディンバラホールを設計しています。
それが後に公設市場となって、現在はオールドタウンホールマーケットと呼ばれています。
オールドタウンホールの屋外博物館と同じ装飾が見られます。
コロンボゴールドマーケット
運河だったセント・ジョーンズ川を埋め立てて造られた道セント・ジョーンズ・ストリートと交差する部分に作られたのがセント・ジョーンズ・フィッシュマーケットです。
セントジョーンズフィッシュマーケットは2010年にペリヤゴダに移転し、跡地はジュエリーショップが入居するペターゴールドマーケットになっています。
参考)
Sunday Times:Famous city landmark – the St. John Fish Market – moves to Peliyagoda
野菜、果物、スパイスのボーディ・ラージャ・マーケット2

シュリー・ボーディ・ラージャ・マーワタとフィフス・クロス・ストリートの間にある屋根付きの屋外マーケット。
野菜、果物、スパイスなどが販売されています。
別名はFederation of Self Employees Market 2。
服や雑貨のボーディ・ラージャ・マーケット1
シュリー・ボーディ・ラージャ・マーワタにある屋根付きのマーケット。服や雑貨が売られています。
別名はFederation of Self Employees Market 1。
近代的なピーブルズ・パーク・コンプレックス
オールドタウンホールマーケットと隣接してあったコロンボ最古と言われるマーケットがあった場所です。
プレマダーサ大統領時代に、ペターの東隣のグナシンハプラの開発に合わせて建設されました。
書店、文房具屋、食器屋、雑貨、旅行会社、レストランなど様々なお店が入っています。
服や雑貨のマルワッツ・ロード・ホーカーズ・ストール・コンプレックス
マルワッツ・ロード(フロント。・ストリート)にあり、服屋などが入っています。
サリー屋さんが集まるアスラム・マーケット
細長いビルに所狭しと、サリー屋さんがたくさん入っています。
4階建てのビルで、どの階も基本的にサリー屋さんが並んでいます。
旧倉庫街にあったマニングマーケット
1918年から1925年までイギリス領セイロン総督を務めたウィリアム・マニングにちなんで命名されたマニング・マーケット。
元々はマニング食料倉庫(Manning Food Warehouse)と呼ばれた倉庫街でした。
マーケットが元々あったのはピープルズ・パーク・コンプレックスの北を走るカッチェリ・ロードです。
ピープルズ・パーク・コンプレックスの建設にあたり、市場は一時的にマニング食料倉庫に移されましたが、ピープルズ・パーク・コンプレックス完成後にその中に入居することにはならず、マニング食料倉庫に維持され、マニングマーケットと呼ばれるようになりました。
2011年にペリヤゴダへの移転が発表され、2020年11月にペリヤゴダにニュー・マニング・マーケットが開業しています。
マニングマーケットは、イギリスによって埋め立てられたオルコットマーワタより南側にあります。
参考)
roar media:Colombo’s Dying Market Place: The Manning Market
ADA deraa:New Manning Market complex in Peliyagoda declared open
倉庫と工場の跡地に作られたフローティングマーケット
2014年8月にオープンした92の露店で構成された水上マーケット。
水上マーケットの開発と美化工事は、都市開発庁(UDA)によって1億5,000万ルピーをかけて行われました。
再開発の目的のひとつは、ペターにおける無許可の露天商を歩道から移転させることとも言われています。
青空マーケットのキャレーポラ
フローティングマーケットの東、オルコットマーワタ沿いで行われる青空マーケットです。
交通のハブ
フォート駅

1917年に開業したコロンボの中央駅。
当初、コロンボに鉄道が敷設された際は、駅の東側にあるコロンボターミナスが終着駅で、コロンボフォート駅は現在のセクレタリアット・ホールト駅の位置にある小さな駅でした。
コロンボターミナス駅の次にマラダーナ駅がターミナル駅として建設され、三代目のターミナル駅として開業したのが現在のフォート駅です。
参考)
Wikipedia:Fort Railway Station
roar media:The Time-Tested Landmarks Of Maradana
セントラル・バス・スタンド(CBS)

1964年にランカ・サマジャ党(LSSP)のアニル・ムーネシンゲが通信大臣及びセイロン運輸局(Ceylon Transport Board)の総責任者となったときに、建設をしたバスターミナル。
スリランカ運輸局(Sri Lanka Transport Board)が運営する(国営)赤色のバスのターミナルで、コロンボと全国各地を公営バスで結んでいます。
参考)
Wikipedia:History of Sri Lanka Transport Board
バスティアン・マーワタ・バスターミナル

コロンボと全国各地を結ぶ私営バスターミナル。空港や主要な町へはACバス(マイクロバス)も出ています。
マータラ行き、ウェリガマ行きの大型の高速バスもあります。
グナシンハ・バス・スタンド
ニゴンボ行きの高速バス(マイクロバス)の乗り場は、セントラル・バス・スタンドの北、ピープルズ・パーク・コンプレックスの南にあるグナシンハ・バス・スタンドにあります。

SPICE UP LANKA CORPORATION (PVT) LTD Managing Director
スリランカ日本人会理事 兼 広報部長
WAOJEコロンボ支部理事(初代支部長、2期~4期事務局長、5期企画部長)
「旅と町歩き」を仕事にするためスリランカへ。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年4月、法政大学社会学部社会学科を卒業後、人材系ネットベンチャーに新卒入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長などを経験して人材系ネットベンチャーを退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当しながら、新宿ゴールデン街で訪日外国人向けバーテンダー。
2016年7月、初めてスリランカに渡航し、会社の登記を開始。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2022年12月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開始。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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