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「インフィニティープールの生みの親ジェフリーバワ」は本当か?

2022年4月13日

スリランカを代表する建築家ジェフリーバワについて、インフィニティープールの生みの親と紹介されることがあります。

ところが英語の媒体ではそのように紹介されることはなく、その記述は日本語の媒体で特徴的に見られます。

本記事では、インフィニティープールとジェフリーバワの関係について紹介します。

インフィニティープールとは?

インフィニティープールとは、プールの縁が存在しないかのように見せかけたプールのことです。
ヴァニッシングエッジプールとも呼ばれます。

インフィニティー(infinity)とは「無限」を意味します。
ヴァニッシング(vanishing)とは「消える・見えなくなる」という意味があります。

プールの水面が海や空と重なり、境目が曖昧になり、無限に続くようなプールに見える、あるいは縁が見えないように設計されます。

高級リゾートをアジアを中心に展開してきたアマンリゾートや、シンガポールのマリーナベイサンズのインフィニティープールが代表的な存在として知られており、アジアリゾートの顔ともいえるものとなっています。

ヘリタンス・カンダラマのインフィニティープール

世界初はロサンゼルス郊外の邸宅のプール

英語のウィキペディアには、世界最初のインフィニティープールは、ベルサイユ宮殿の噴水と言われ、現代建築における最初のインフィニティープールは、アメリカ人建築家のジョン・ロートナーが設計したレイナー・バーチル邸と書かれています。

「シルバートップ」の愛称で知られるロサンゼルスに建てられたレイナー・バーチル邸に作られたインフィニティープールは、1971年に公開された映画『007ダイヤモンドは永遠に』でも撮影されたと記載されていたため、実際に映画を観てみました。

映画の後半30分頃に敵役ホワイトの別荘としてシルバートップが登場し、インフィニティープールでのバトルシーンもあり、プールを映画で観ることができます。

以下の参考に、シルバートップの写真が見られるサイトのリンクを貼っておきました。
シルバートップはロサンゼルスで知られた邸宅のようです。

参考)
Wikipedia:Infinity Pool
houzz:Silvertop
LUXATIC:Silvertop, One of L.A.’s Most Iconic Houses, On the Market for $7.5 Million
Wikipedia:John Lautner

ホテルにいち早く導入したジェフリーバワ

インフィニティープールが映し出された映画の公開から8年後、ジェフリーバワは設計を依頼されたホテルに、ジェフリーバワにとって初めてとなるインフィニティープールを設計します。

それが、1979〜1981年に建設されたトライトンホテル(現 ヘリタンスアフンガッラ)です。

デイヴィット・ロブソン著『ジェフリー・バワ全仕事』には、1985年にダッカで行われたバワの講演での発言が引用されています。

「すべてが同じ高さにある。もしも世界が平地だけだったら、地平線にアフリカが見える。」

ヘリタンスアフンガッラのプールの水面と砂浜はプールに入ると、同じ高さになり、海と空とつながるように設計されています。

現代建築初のインフィニティープールがあるレイナー・バーチル邸は、ハリウッドの東にあるシルバーレイクの西側の丘の上に建ち、海辺にはありません。

ジェフリーバワ初の、そしてスリランカ初のこのインフィニティープールは、個人の邸宅ではなくホテルに取り入れたことと、ビーチの高さに合わせたことで、海・水平線・空とプールの水面をつなげたことが画期的だったのではないかと思います。

世界に広めたアマンリゾート

インフィニティープールを世界に広めたのは、アマンリゾートだと思います。

ジェフリーバワがインフィニティープールを導入したトライトンホテルが開業した7年後(1988年)、アマンリゾートが最初のリゾート「アマンプリ」をプーケット島に開業します。
アマンプリのインフィニティープールはプールの底が黒いことから「ブラックプール」とも呼ばれます。

1989年、アマンリゾートはバリ島に「アマンダリ」を開業しますが、そのインフィニティープールも目をひく設計で話題となります。

参考)
アマンリゾート公式サイト:アマンプリ
アマンリゾート公式サイト:アマンダリ

アマンリゾートとジェフリーバワの関係

2001年、ジェフリーバワがアーガー・ハーン建築賞の審査委員長を受賞したことで、ジェフリーバワの建築が世界から再発見されます。

その再発見の過程で、アマンリゾートとジェフリーバワの関係が噂されるようになります。

エイドリアン・ゼッカとジェフリー・バワの間接的な繋がり

ジェフリーバワの兄ベイヴィス・バワの邸宅に長年暮らしたオーストラリアのアーティスト「ドナルド・フレンド」は、セイロン島の次に、バリ島に向かいます。

ドナルド・フレンドは、バリ島のサヌールに計画されていた「バトゥジンバール・パヴィリオンズ」の設計者の一人にジェフリー・バワを推します。

そうして、1972-1975年にバリ島に建設されたのがバトゥジンバール・パヴィリオンズです。
複数のパヴィリオンで構成されたバトゥジンバール・パヴィリオンズのうち、ジェフリーバワが設計したパヴィリオンを後に、アマンリゾートを創業するエイドリアン・ゼッカが購入します。

エイドリアン・ゼッカとジェフリーバワは直接あっていないそうですが、これがジェフリーバワがアマンリゾートの原点、あるいはアジアンリゾートの源流などと言われる元になっているようです。

バトゥジンバールにはついては、『アマン伝説 創業者エイドリアン・ゼッカとリゾート革命 』に詳しく書かれています。
アマン伝説の最初の章は、ジェフリーバワとベヴィスバワについて書かれていますので、ジェフリーバワ好きな方にもオススメの本です。

また、『Geoffery Bawa The Compelte Worksにもバトゥジンバールについて掲載されています。

参考)

ピーター・ミュラーとジェフリー・バワの間接的な繋がり

バリ島でセレブレティーが集まったリゾート「タンジュンサリ」のオーナー「ウィヤ・ワォルントゥ」とドナルド・フレンドは、サヌールに新たなリゾート「マタハリ」を計画します。

ドナルド・フレンドが設計者として声をかけたのが、後にアマンリゾートの設計を手掛けるピーター・ミュラーでした。

ピーター・ミュラーはドナルド・フレンドの誘いでバリ島入りしますが、新たなリゾート「マタハリ」は実現しませんでした。

Geoffery Bawa The Compelte Works』には、アマンダリについても書かれています。

また、『アマン伝説 創業者エイドリアン・ゼッカとリゾート革命 』には、ウィヤ・ワォルントゥのことも詳しく書かれています。

サヌールにある「Villa Batujimbar」、「タンジュン・サリ・ホテル」、「ハイアット リージェンシー バリ」をマイマップにまとめました。

参考)
FAUST Adventures Guide:バリの神秘を体現するリゾートと熱帯に恋した建築家アマンダリ/ウブド・バリ島 Amandari  Ubdo, Bali

ケリー・ヒルとジェフリー・バワの間接的な関係

アマンウェッラのインフィニティープール

ウィヤ・ワォルントゥとドナルド・フレンドがバリ島のサヌールで計画していたマハタリは実現しませんでしたが、その計画地とコンセプトは「バリ・ハイアット」として形になります。

このバリ・ハイアットの現場建築家として活躍したのが、同じく後にアマンリゾートの設計を手掛けるケリー・ヒルです。

アマンリゾートは、2005年にゴールフォート内にアマンガッラを、タンガッラ郊外にアマンウェッラを開業していますが、アマンガッラの改装をしたのと、アマンウェッラを設計したのはケリー・ヒルです。

2019年にアマンウェッラを訪問した際に、ジェネラル・マネージャーから聞いた話では、「ロッジアはジェフリーバワの建築を取り入れてケリー・ヒルが設計した」とのことでした。

アマンウェッラのロッジア

 

ヘリタンス・カンダラマのロッジア

まとめ

インフィニティープールの生みの親はアメリカ人建築家のジョン・ロートナーのようですが、ホテルのメインプールに導入したジェフリー・バワの存在は大きかったでしょう。

また、インフィニティープールの知名度を上げたアマンリゾートの関係者(創業者エイドリアン・ゼッカ、建築家ピーター・ミュラー、建築家ケリー・ヒル)ともジェフリー・バワは間接的につながり、影響を与えたと噂されています。

アマンリゾートの宿泊費は高額ですが、ジェフリー・バワが設計したスリランカのホテルはリーズナブルに泊まることができます。

インフィニティープールの元祖でないとしても、プールをはじめ、周囲の自然に溶け込むバワ建築の魅力は変わりません。

スリランカにお越しの際は、是非、ジェフリー・バワ建築を堪能していただけたらと思います。

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