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スリランカコーヒーの歴史に魅了された男の、四半世紀に及ぶ歩み。【清田和之氏インタビュー】

2024年2月01日

清田和之(きよたかずゆき)は、キヨタコーヒーカンパニー(KCC)の工場があるマータレーへ車を走らせていた。

昨年喜寿を迎え、今年で78歳になるという清田は、2002年に初めてスリランカに訪れてからというもの、この20年余りで来訪した回数は100回ほどに達する。

「コーヒーの歴史の中でも、スリランカには面白いコーヒーの歴史があるんだよ」と語る清田。「紅茶の国」と言われて久しいこの国も、実は”コーヒー”産業が全盛を迎えていた時代がかつて存在したのだ。

誰もが忘れていたコーヒーの歴史。その復活にその名を刻んだのがまぎれもないこの男、清田和之である。2024年も清田は、スリランカコーヒーのさらなる発展のため、故郷熊本からスリランカへ足を運ぶ。今回筆者がそこで目にしたのは、一筋縄には進まない泥臭い活動の記録と、そして清田の内面で決して消えることのない、スリランカコーヒーへの蒼い炎だった。

スリランカコーヒーの栄華と衰退

この島にアラブ人により、コーヒーの木が伝わったのが1505年。そして1658年にはコーヒー栽培に興味を持ったオランダ人によって当時植民地だったスリランカでコーヒー栽培が試みられるようになる。現在世界最大のコーヒー豆生産国ブラジルでさえ初めてコーヒーの木が持ち込まれたのが1727年のこと。つまりスリランカは、ブラジルの200年以上も前より、珈琲時計の針を刻み始めていたということになる。

そんなスリランカコーヒーは1860年代に栄華を極める。1868年にはコーヒー豆生産量が初めて5万トンも超える。これは当時の世界ランキングにおいて、ブラジル、ジャワ(現在のインドネシア)に次ぐ第3位。現在の日本のコーヒー豆輸入量が約40万トンであることを踏まえると、この規模がいかほどのものだったかが分かるだろう。

だが「諸行無常(しょぎょうむじょう)」とでもいうべきか、当時のスリランカコーヒーを”さび病”が襲う。この病に侵されたコーヒーの木の葉は、やがて光合成機能を失ってしまい、3年も経てば枯れてしまう。1861年にアフリカのビクトリア湖周辺で発見されたこの病気は、無情にも1869年にスリランカでも観測された。

その後この島からコーヒーは次第に姿を消していくことになる。そしてそこで代替してきたのがゴム、そして今やこの国の代名詞ともいえる「紅茶」であった。清田は自身の著書で、コーヒーが消えた原因はさび病それ自体ではなく、当時の宗主国イギリスによる紅茶栽培への政策転換によるものだと考察する。

ともかくそれから長い間この国ではコーヒーの存在は忘れ去られていた。現地の人でも知らない人が多かった。しかしその歴史と邂逅(かいこう)し、魅了された1人の日本人がいた。その人物こそが清田だった。

この地のコーヒーとその歴史に魅せられた清田

清田は第二次大戦後の1946年、熊本県泗水町(現菊池市)で生まれた。大学は静岡大学に進学し、卒業後はそのまま静岡で就職。結婚後は地元熊本で幼稚園を開園、姉が経営を務める再春館製薬所の再建に参画するなどビジネス方面でも活躍したのち、1994年に熊本で完全オーガニックの「ナチュラルコーヒー」をオープン。

スリランカに初めて訪れたのは2002年の4月。当時は有機栽培の紅茶の視察のために訪れた。ブラジルで有機無農薬で栽培されたコーヒー豆を探す中で、ある時スリランカの面白いコーヒーの歴史を知った。それからというもの清田は、スリランカコーヒーに魅了され、気付けば22年が経っていた。

当初は、現地の農家の人たちは、コーヒー豆の種類の違いや適切な取り扱いなどはほとんど何も知らなかった。何度も根気強く説明する日々。コーヒー焙煎用の機械もこの国にはなく、清田自身が日本から送ったこともあった。そんな清田の周りには、清田と同じくスリランカコーヒーを発展させたいと志す日本人や現地の人が集まってきた。

そして2012年には現地法人が誕生。2017年には、清田を”ヒーロー”と尊敬するナリーンという青年が、コーヒー豆の卸売りを主に行う「キヨタコーヒーカンパニー(Kiyota Coffee Campany、KCC)」を設立。コロナや経済危機といった荒波に揉まれながらも、会社として存続してきた。そしてKCCのコーヒー豆は、海外のコンペティションでも高い評価を得るまでに成長し、P&SやArpico Supercenter(アルピコ)、Cargills(カーギルス)等の国内大手スーパーや飲食店でも商品として取り扱われるようになった。

KCCがこれまでに受賞したアワードの数々

スリランカコーヒーの“今”と、清田の願い

そして時は2024年。マータレーのKCCの事務所で、清田は曇った表情でナリーンを見つめていた。

2023年のスリランカはここ数年でも類をみないほど雨が続いた。そしてその雨の影響でコーヒー豆の収穫が極端に少なくなっているとナリーンは訴える。そしてこの問題は他の国内コーヒーカンパニーも同様に直面しているという。

他にもいくつか問題があった。まずナチュラルコーヒーがKCCに頼んだ500kgの豆のうち、200㎏分が送られていなかった。そしてナチュラルコーヒーからKCCに送付したコーヒーパックの代金が長らく未納のままであった。

KCCが会社として自立した今、ナチュラルコーヒーも甘やかすわけにはいかない。このままでは取引は継続できないと清田は強調した。翌日マータレーの工場から熊本のナチュラルコーヒーとオンライン会議を行った。

そこで、ナチュラルコーヒーに代金をきちんと支払うこと、今回は200㎏の豆を輸入しないことが決まった。またKCCにおけるコーヒー豆不足に関しては、ナチュラルコーヒーが取引をしているブラジルのコーヒー豆を輸入する案を清田が提案し、その方向で話もまとまった。

「あれは自分なりのソリューションだね」清田は安堵した表情でそう振り返る。

KCCのマータレー工場で話し合う様子。右が清田で左にいるのがナリーン。中央の人物はこの清田の活動を支えてきた相棒ピアテッサ。日本語を話すことができる。

こんなにも泥臭いものなのか。

筆者は清田とナリーンの話し合いの場に同席していたが、外から見ていた時に最初に浮かんだ感想がそれだった。「スリランカはなんでそうなるのかな」と清田でさえも愚痴をついこぼしてしまうほど、この国でビジネスを成功させるのは一筋縄にはいかない。普通であれば事業撤退ということが考えられるだろう。だが清田は立ち止まらない。

「悩んでる暇もないなあ。わざわざスリランカの豆にのめりこんでしまったからね。これが幸か不幸か。でも楽しいことがいっぱいあるわけだな。これでいいコーヒーができるといいなと思うね。ビジネスのところはナチュラルコーヒーがやっているから、個人的にはお金をつぎ込むだけ」

そう言うように、清田はいつも自腹を切ってスリランカを訪ねている。過去には借金をしたこともあった。自分の財力では限界もあって、JICAの「草の根協力事業」制度を活用して取り組んでいたときもあった。

「以前の5万トンに戻すとかそういう話ではないんだけど。そしてこのコーヒーによって人々の生活が潤うっていう。フェアトレードの概念はそこから出てきた。ブラジルでもフェアトレードはやっていたけど、スリランカは豆がない、コーヒー農家もいない。(いたとしても)すごい貧困な人々がコーヒー農家だったから、そういう人たちのところでコーヒーができたならば、生活向上につながることで、スリランカでやってみようと。スリランカとブラジルを比べると何もかも違うわけだ。ブラジルはある程度できているわけで、(スリランカは)何もないところから始まるわけだ。そういうところに面白さを感じているね」

清田は損得勘定なんかで動いていないのだ。心の奥底にはいつも、光り輝く松明が燃え盛っている。スリランカコーヒーの発展とスリランカの人々への国際貢献という思いが。

その思いは、スリランカ人自身の手でコーヒー会社ができたことや、新しい改良種「ラクパラカン」ができたことなどを通して萌芽してきた。この20年余りのスリランカコーヒーの歩みを、「商品化も進み、珈琲を飲む人も増えた。珈琲文化が広まってきたな」と評する。

今後の展望とは

帰りのフライトが数時間後に迫る中、コロンボのとある中華料理屋でライオンビールを片手に、今回の活動をこう締めくくった。

「全体的に見ればよかったなと。キヨタコーヒーが独り立ちしてきているなと感じるね。外から見ると問題がいっぱいあるんだけどね。でもここまでよくやってきたなと感じるね。まるで通勤しているような感じだよ」

そして「大体フィニッシュ。スリランカに来るのもそろそろかな」と自身の旅が終わりに近づいていることも示唆する清田。その一方で今後のビジョンもしっかり持ち合わせている。

「1000トンのスリランカコーヒーを海外に輸出していきたいな」

1000トンと言えば、コーヒー豆の日本への輸出ランキングで十数番目に位置する数量。同程度の水準の国はコスタリカなどがいる。「そのためには何百万本の植栽・苗を作る必要がある。10年スパンで考えんていかないとね」

今や世界第二位のコーヒー豆生産量を誇るベトナムも、かつては30番程度であった。それが80年代後半以降、政府が政策として力を入れると急激に生産量を伸ばし、今の地位を築くに至った。「同じように政府が旗を振って、珈琲を重要な産業と位置付ければ可能なことなんだよ。想像した絵を描けてないね。それをキヨタコーヒーとしては訴えてるんだけどね」

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ここまで長い旅路だった。どんな状況でも心が折れることは決してなかった。そのわけを「いい加減な性格と、ライオンビールのおかげ」と冗談めかす。

そんな彼に、スリランカコーヒーとはどのような存在か最後に尋ねてみた。

「一心同体的なところはあるな。あんま考えたことないけどね。ナチュラルコーヒーでもいろんな国の豆を扱ってるけど、スリランカコーヒーが自分の中で一番だから。ナチュラルコーヒーからはやめなさいと言われるけどね(笑)」

結局今後も我が子のようなスリランカコーヒーの近況を訪ねるために、この国に来ることをやめないのだろうな。そう思わせるほどに、ライオンビールを飲み干す清田の表情は非常に満ち足りたものであった。

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あとがき

今回、1月8日から10日までの2泊3日の間、ありがたいことに清田さんに密着する機会をいただいた。

私が清田さんを初めて知ったのは『錫蘭(セイロン)浪漫』という書籍を読んだ時のこと。

スリランカに対しては、紅茶がどうやら有名らしいという程度の認識しか持ち合わせていなかった。

そんなものだから、ここがかつてコーヒーの国だったという事実を知ったときはびっくりした。そしてその復活に情熱を燃やした日本人がいるとは。それも現在進行形で。

私はこの密着で清田さんを見て心を動かされたことがある。

それは清田さんのスリランカコーヒーにかける、清くまっすぐな情熱だ。

かっこよくて、まぶしかった。

その一方で、自分に対して幾ばくか、さびしさというのか悲しさというのか、そんな類の感情も抱いた。

俺にはそれほどまでに情熱を注げるものがないな。そしてこれからの人生でそんなものに出会えるんかな。

清田さんを見ていると、そのように魂を燃やして生きること、人生の意義を見つけて生きていくことが、人をどこまでも突き動かしていくのだなと実感する。

いつか自分にもそんな“北極星”が見つかるといいな。そう切に願いながらコロンボへの帰途についたのであった。

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参考文献

・上島珈琲株式会社. “コーヒーの歴史”. https://www.ucc.co.jp/enjoy/encyclopedia/history/index.html, (参照2024-01-28)
・神原里佳(2023).『錫蘭(セイロン)浪漫:幻のスリランカコーヒーを復活させた日本人』.合同フォレスト
・清田和之(2023).『スリランカ 幻のコーヒー復活の真実』.文芸社
・清田和之(2013).『セイロンコーヒーを消滅させた大英帝国の野望 貴族趣味の紅茶の影にタミル人と現地人の奴隷労働』.合同フォレスト
・Slweb.”THE HISTORY OF COFFEE CULTIVATION IN SRI LANKA”.HAUSBRANDT.2020-06-06. https://cafebistro.lk/2020/06/06/the-history-of-coffee-cultivation-in-sri-lanka-roar-media-article/, (参照2024-01-30)

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