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ペターのテキスタイル街「3rd Cross Street」

2025年5月03日

コロンボ旧市街ペターは、ストリートごとに出自の異なる人たちが集まっています。

本記事では、インドのグジャラート州から渡ってきたスンニ派ハナフィー学派のムスリムであるメモンの町、サードクロスストリート(3rd Cross Street)を紹介します。

メモンとは?

メモンは世界に180万人ほどいると言われるイスラム教スンニ派のハナフィー学派(インド、パキスタン、バングラディシュ、アフガニスタン、ウイグル自治区、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギス、カザフスタンに多い)の人たちで、パキスタンのシンド州、インドのグジャラート州やムンバイに多く住んでいます。

その出自から以下の4つのグループに分けられます。

-インド・グジャラート州のカーティヤーワール半島のカーティヤーワールメモン
-インド・グジャラート州カッチ県(旧カッチ王国)のカッチメモン
-インド・グジャラート州バントバの町のバントバメモン
-パキスタン・シンド州のシンドメモン

南アフリカのダーバンはインド移民が多い町で、カーティヤーワール半島から渡ったカーティヤーワールメモンが多くいます。カーティヤーワール半島出身のマハトマ・ガンディーが弁護士時代に住んだダーバンの家は、メモンが所有していたとも言われています。

メモンの起源は、シンド州のロハナ族(商業や交易を営むヒンドゥー教徒)の一部がイスラム教に改宗し、アラビア語で信者を意味する「ムアミン」と呼ばれたのが変化して、メモンと言われるようになったというのが有力な説です。(他にも説があります。)

メモンは商業と慈善活動で知られ、毎年4月11日(あるいは4月10日)をメモンデーとして祝い、人道的な奉仕活動を行っています。

ダウディーボーラ(グジャラート州に多いシーヤ派)と違い、メモンには宗教的な指導者はいないそうです。

スリランカにおけるメモン

スリランカのメモンは、カーティヤーワールメモンのサブグループに分類され、グジャラート州のカーティヤーワール半島にある、ジュナーガド県クティヤナ、ポールバンダル県ポールバンダル(マハトマ・ガンディーの出身地)、ラジコト県ウプレタの3つの町から来たものが多いといわれています。

スリランカに最初にやってきたメーモンは、1870年にペターに店を構えたマンナセスと言われています。彼はジャフナで織物の行商していたといいます。

1930年代初頭よりインドのテキスタイルをメモンがペターで販売するようになります。ペターのサードクロスストリートにあるメモン・ハナフィー・マスジットには1931と書かれています。

メーモンがスリランカに増えたのは、1947年のインドとパキスタンの分離独立で、グジャラート州の特にジュナーガド県では暴動によって避難を余儀なくされた人たちは世界の様々な場所を目指し、その一部の人たちがペターにやってきました。

スリランカにはメモンは1万人ほどのコミュニティーがあり、その多くがコロンボに住んでいます。

コッルピティヤにメモン会館があり、メモンの代表的なモスクがペターのサードクロスストリートにあるハナフィマスジットです。

スリランカのメモンで有名な人物を一人挙げると、スリランカメーモン協会会長を務め、スリランカ初のメーモンの国家議員になり、外務副大臣にもなったバイラ氏です。

サードクロスストリート

ペターのサードクロスストリートには、メモン・ハナフィー・マスジットとテキスタイルのお店が並んでいます。

メモンの人たちはインドのテキスタイルをペターで売ってきたと言われていますので、長く営まれてきたテキスタイル屋さんが並んでいるのでしょう。

参照、関連記事

Sunday Times:Getting to know the Memons
Wikipedia:Memon people
Wikipedia:Memon
Wikipedia:Memons in Sri Lanka
Wikipedia:Lohana

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