美食と豪邸で知られるチェッティが移り住んだコロンボのシーストリート
ネパールで塩の交易を担ったタカリ族は美食文化を作ったことで知られますが、南インドのチェッティアールも塩の交易を担い、美食文化を築きました。
チェッティアールは海外貿易のために、スリランカ、ミャンマー、マレーシア、シンガポール、ベトナムなどに移住し、現在もそのコミュニティーが存在しています。
スリランカのコロンボのシーストリート(Sea Street)には、チェッティのジュエリーショップ、レストラン、そして、ヒンドゥー寺院が並んでいます。
タミル人のお祭り「タミルタイポンガル」では、多くのヒンドゥー教徒がシーストリートの寺院を訪れ、チェッティの名を掲げるレストランは混み合います。
本記事では、チェッティアールとシーストリートについて紹介します。
目次
豪邸と美食で知られる豪商チェッティアールとは?
チェッティアールの町「チェッティナードゥ」
チェッティアールは、インドのタミル・ナードゥ州チェッティナードゥを拠点に貿易商・商業銀行家として富を築いたことで知られるインドの商人です。
チェッティナードゥは、タミル・ナードゥ州第二の都市マドゥライの北東90キロにあります。
チェッティは、古代タミル語のエッティが由来とされ、エッティはタミルの君主から商人に授けられる称号だとされています。
ナードゥは”土地”を意味し、チェッティナードゥは、「チェッティの地」という地名です。
タミル・ナードゥ州のタミルナードゥは、「タミル人の地」という意味です。
スリランカは歴史的にタミル人のチョーラ朝やパーンディヤ朝と深い関係がありますが、タミル・ナードゥ州の州都チェンナイがある地域は「チョーラナードゥ」とも呼ばれます。
そして、第二の都市マドゥライがある地域は「パーンディヤナードゥ」とも呼ばれます。
他にはコングナードゥ、トンダイナードゥと呼ばれる地域もあります。
チェッティナードゥは、1601年から1949年まで続いたラムナードゥ王国の領土内にありました。
ラムナードゥの名は、ラーマーヤナでランカ島のラワナを倒すために、ラーマ王が渡ったとされる「ラーマセトゥ(英語名はアダムスブリッジ)に由来しています。
チェッティの語源は、”セトゥ”であるという説もあります。
ポロンナルワ王国が占領したラメスワラムや、ラーマナタプラムなど現在もラーマ王の名が残る町があります。
参考)
Wikipedia:Chettinad
Wikipedia:Sivaganga district
Wikipedia:Kanadukathan
Wikipedia:Chola Nadu
Wikipedia:Pandya Nadu
Wikipedia:Kongu Nadu
Wikipedia:Tondaimandalam
Wikipedia:Ay dynasty
Wikipedia:Chera dynasty
Wikipedia:Ramnad estate
富を築いたチェッティアール
チェッティアールは、ナットゥコッタイ・チェッティアール、ナガラタールなどとも呼ばれました。
ナットゥコッタイのナットゥは「田舎」を意味し、コッタイは「砦」を意味します。
これはチェッティアールが砦のような豪邸に住んだことに由来します。
チェッティナードゥ駅に「カナドゥカタン(Kanadukathan)」という町があり、そこに現在もチェッティアールの豪邸が何軒が残されています。
ナガラタールは、ナガラが「町」を意味し、タールは「住人」という意味です。
カナドゥカタンの町を作り、そこに住んだ人々という意味なのかもしれません。
ナガラタール、チェッティアールと似た名称に、植民地時代の南インドやスリランカの現地の高官にムダリヤールという役職があります。
おそらく、チェッティアールの”ール”は人を意味するのでしょう。
チェッティアールはそうすると「商人」ということになりそうです。
チェッティアールは、17世紀に塩・スパイス・宝石の交易を担い、18世紀後半には綿や米も取り扱うようになり、インド内陸地から沿岸貿易まで活動の幅を広げます。
19世紀には商業銀行家として活動していきます。
その活動範囲はスリランカ、ミャンマー、マレーシア、シンガポール、インドネシア、中国などに広がり、各地のスパイスや食材・食文化をチェッティナードゥに持ち帰り、豊かな財力を背景に、美食文化を築きます。
スパイスを贅沢に使っているのが特徴とも言われます。
チェッティアールの豪邸も、その財力によって築かれたものです。
チェッティアールの人たちは、スリランカやマレーシアなどの移住先にも、チェッティナードゥの文化・食を持ち込み、各地で独自の発展を遂げています。
マレーシアでは、中国人とマレー人の混血のプラナカン(ババニョニャ)が知られていますが、マラッカではチティーと呼ばれるチェッティとマレー人の混血の人たちのコミュニティーがあります。
チェッティアールは、タミルタイポンガルなどの習慣を各地に持ち込んでいます。
参考)
Wikipedia:Chettiar
Wikipedia:Nagarathar
Wikipedia:Chitty
美食と言われるチェッティナードゥ料理
チェッティナードゥ料理については、カレー好きな方々が熱い文章を書かれているので、そちらを参照ください。
参考)
On Trip JAL:カレー界に新ヒーロー誕生か?チェティナード料理を探るインド旅
AJANTA:インド滞在記2017④ 「タンジョールからチェティナード」
エスニック見ーつけた!チェッティナード料理のメッカ「カライクディ」へ!【南インド(タミル)②】
Wikipedia:Chettinad cuisine
スリランカン・チェッティ
チャッティアールのスリランカへの移住が多かったのは、スリランカの沿岸部がポルトガルやオランダに支配されていた16世紀から17世紀半ばです。
主にコロンボ、ゴール、ジャフナなどの港町に移住し、スリランカンチェッティと呼ばれています。
現在、スリランカンチェッティは約15万人いると、コロンボチェッティ協会は公表しています。
2012年のスリランカの国勢調査でも6,075人と記録されています。
アカデミー賞を受賞した映画『イングリッシュ・ペイシェント』の原作で、ブッカー賞を受賞している小説『イングリッシュ・ペイシェント』の作者であるマイケル・オンダーチェは、スリランカ生まれでスリランカンチェッティとオランダバーガー人の家系です。
また、日本との深い関係で知られるジャヤワルダナ大統領も、スリランカンチェッティの家系だと言われています。
スリランカンチェッティには、ヒンドゥー教徒とキリスト教徒が多く、ポルトガルやオランダが支配した地域で商売をしていたからでしょう。
ジャヤワルダナ大統領はキリスト教徒の家に生まれて、後に仏教に改宗しています。
参考)
Colombo Chetty Association of Sri Lanka
Roar media:Sri Lanka’s Lesser Known Minorities: The Chetties
Wikipedia:Sri Lankan Chetties
Wikipedia:Michael Ondaatje
WikipediaChristopher Ondaatje
スリランカンチェッティの町シーストリート
スリランカンチェッティの町として知られているのはコロンボのコタヘナにあるシーストリート(Sea Street)です。
通りの南端はチェッティの名がつくジュエリーショップです。
通りの北側には、チェッティナードゥというレストランがあります。
コロンボでヒンドゥー寺院が多いのは、このシーストリートと、バンバラピティヤの南にあるミラギリヤ(Miragiriya)です。
タミルタイポンガルなどタミルやヒンドゥー教の祭日には、多くのヒンドゥー教徒がシーストリートやミラギリヤのヒンドゥー寺院に集まります。
また、ヒンドゥー教のお祭りで、パレードがシーストリートの寺院を出発して、ミラギリヤの寺院に向かう様子が見られることがあります。
Srimath Ukra Veera Maha Kali Amman Kovil

シーストリートの北端近くにある小さめのヒンドゥー寺院です。
New Kathiresan Kovil

シーストリートで一番大きいヒンドゥー寺院です。
Sri Suryas Hotel

ニューカティレサン寺院(New Kathiresan Kovil)の隣にあるレストランです。
2020年のタミルタイポンガルのランチタイムは満席で入れませんでした。
グーグルマップの口コミ数が、シーストリートで最も多いレストランでもあります。
人気店なのでしょう。

後日、オニオンドーサをこちらでいただきました。
私はバンガロールに住んでいた時にドーサをよく食べていたので、美味しいドーサはなんだか嬉しくなります。

マサラチャイを注文すると、スリランカでは珍しいインドを感じるスパイシーなチャイが出てきました。(キリテーではない!)
New Saraswati Cafe

ニューカティレサン寺院(New Kathiresan Kovil)の正面にあるお店です。
2020年のタミルタイポンガルの当日は混み合っていましたが、こちらのお店には空き席がありましたので、こちらでランチをいただきました。

マサラドーサを注文しました。

お茶を頼むと、こちらのお店もインドを感じる容器で出してくれました。
美食を意識して訪れませんでしたので、シンプルな料理を頼んでしまいましたが、また改めてシーストリートを訪れたいと思います。
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SPICE UP LANKA CORPORATION (PVT) LTD Managing Director
SPICE UP TRAVELS (PVT) LTD Managing Director
「旅と町歩き」を仕事にしようとスリランカに移住。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年4月、法政大学社会学部社会学科を卒業後、六本木の人材系ネットベンチャーに新卒入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長を経てネットベンチャーを退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当しながら、新宿ゴールデン街で訪日外国人向けバーテンダー。
2016年7月、スリランカに初めて渡航し、法人設立の準備を開始。
2017年1月、SPICE UP LANKA CORPORATION (PVT) LTDを登記。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年2月、スリランカ観光情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」オープン。
2020年8月、ニュースレターの配信を開始。
2020年10月、WAOJEコロンボ支部立ち上げ初代支部長に就任。
2023年2月、スリランカ日本人会理事・広報部長に就任。
2025年6月、SPICE UP TRAVELS (PVT) LTDを登記。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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