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ヒッカドゥワ郊外の海に浮かぶ呪いの祠シーニガマ・デーワーラヤ

2022年1月19日

ヒッカドゥワ駅から北2キロにあるシーニガマの沖合に、人々が呪いをかけるために訪れる島があります。

その島には300年前に建てられ、一説では1,300年以上の歴史があると言われ、デボル神が祀られています。

人々はなぜ、呪いをかけにこの島を訪れるのか?

本記事では、シーニガマ・デーワーラヤについて紹介します。

シーニガマ・デーワーラヤの場所

ヒッカドゥワからゴールロードを北に2キロ行った海側に門があり、シーニガマのバス停があります。

ゴールロード側の内陸側には、鉄道のシーニガマ駅があります。

シーニガマ駅に停まる列車は少ないため、ヒッカドゥワからコロンボ方面に走るバスに乗ってシーニガマで降りれば、すぐそこです。

ゴールロードに面する門をくぐったところにある本土側と、船で渡る沖合の島にそれぞれ祠があります。

名前の意味

村の名前シーニガマの「シーニ(සීනි)」は砂糖、「ガマගම)」は村という意味で、「砂糖の村」という意味の村名です。

本土側の祠「シーニガマ・シュリ・デボル・マハー・デーワーラヤ」の意味は以下の通りです。

シュリ(ශ්‍රී )は国名スリランカ、首都名スリジャヤワルダナプラコッテにも使われている「聖なる」を意味する言葉。
デボル(දෙවොල්)は祀られている神様の名前です。
マハー(මහා)は、大王(マハーラージャ)などと使われますが、「大」を意味します。
デーワーラヤදේවාලය)は、ヒンドゥー教の神々などを祀る祠のことです。

つまり、「シーニガマの聖なるデボル神の大祠」という意味の名前になります。

沖合の島にある祠「シーニガマ・ムフドゥ・ウィハーラヤ」の意味は以下の通りです。

ムフドゥ(මුහුදු)は、海を意味します。
ウィハーラවිහාර)は、仏教寺院のことです。

つまり、「シーニガマの海の寺院」という意味になります。

シーニガマ・ムフドゥ・デーワーラヤと記載されているものもあり、日本の神仏習合と似ていて、本来であればデーワーラヤでしょう。

また、シンハラ文字の「ワ」は英語表記の場合は「V」あるいは「W」と表記されるため、DewalaとDevala、WiharaとViharaという表記があります。
そして、アヌラーダプラをアヌラーダプラヤと、アルウィハーラをアルウィハーラヤいうことがあるように、語尾に「ヤ」をつけることもあります。

女神パッティニ

ゴールロードに面した門をくぐると、建物があります。

海のところまで行くと、パッティニ神だと思われる魚に乗った女神が祀られています。

パッティニとは?

パッティニは、子宝・健康・貞節の女神とされ、天然痘から守ってくれる女神だったようです。

パッティニは、インドのタミル・ナードゥ州、ケーララ州、スリランカのジャフナや南西海岸で信奉されている女神です。
タミル語ではカンナキ、シンハラ語ではパッティニに呼ばれています。

アヌラーダプラを都としたラージャラタの王ガジャバーフ1世(在位113年〜135年)が、現在のケーララ州コンドゥガールに都を置いていたチェラ王国からパッティニの信仰をスリランカに持ち帰ったと言われています。

パッティニは、タミル語の叙事詩『シラパティカラム』のヒロインのカンナキだとされ、そのあらすじを見ると呪いとも関係しているようです。

叙事詩シラパティカラムのあらすじ

チョーラ朝の首都プハー(現在のタミル・ナードゥ州プーンプハー)の港町の新妻カンナキが主人公です。

カンナキは、海の商人コヴァランと恋に落ちて結婚します。
ところが、コヴァランは踊り子マダヴィに恋をして身を寄せて、代金を注ぎ込み、財産を失います。

カンナキは、コヴァランが帰ってくるのを待ち続けます。
インドラ神の祭りで歌合戦をしたコヴァランはマダヴィと分かれることを決め、カンナキの元に戻ります。
カンナキはコヴァランを許します。

お金を稼ぐために二人はパーンディヤ朝の都マドゥライ(現在のタミル・ナードゥ州第二の都)に渡ります。

コヴァランは、カンナキの足輪の一つを商人に売ってお金を得ます。
ところが、その商人が足輪は盗まれたパーンディヤ朝の王妃の足輪で、コヴァランはそれを盗んだといい、それを聞いたパーンディヤ朝の王はコヴァランを捕らえて処刑してしまいます。

夫が殺されてしまったことを聞いたカンナキはマドゥライの宮殿に行き、もう片方の足輪を割って投げ入れて、その足輪が女王のものではなく、カンナキの足輪であることをパーンディヤ朝の王に証明します。
王妃の足輪には真珠が入っていましたが、カンナキの足輪にはルビーが入っていました。

そして、カンナキはマドゥライの町を呪いで焼き払います。
焼き尽くされたマドゥライの町を見て、パーンディヤ朝の王はショック死します。

カンナギは、マドゥライを去り、チェラ王国の山岳地帯に向かい、インドラ神に連れられて、天国に昇ります。
このことを知ったチェラ王国の王家は、都ヴァンティ(現在のケーララ州コンドゥガール)に、カンナギを祀る寺院を建立し、パティニと呼びました。

参考)

Wikipedia:Pattini
Wikipedia:Kannaki Amman
Wikipedia:Kannagi
Wikipedia:Silappatikaram
Wikipedia:Gajabahu I of Anuradhapura
Wikipedia:Puhar, Mayiladuthurai
Wikipedia:Kodungallur

呪いをかけるために島へ渡る

パッティニ女神に子宝や健康を祈る場合は本土側でお祈りをして終わりですが、呪いをかけたいことがある場合は島に渡ります。

呪いと関係ないであろう子供たちはビーチを楽しんでいました。

島へは船で渡ります。

一人で乗ったため、往復500ルピーを払いましたが、他の参拝者と乗れば、おそらく数十ルピーぐらいかと思います。

島にボートを接岸して上陸しますが、けっこう波があり、波でボートが上に上がったタイミングを見て、島に飛び降ります。
船のスタッフさんがサポートしてくれるので、怖くはありません。

上の写真の、島の右側に船は接岸します。

呪いをかける

参拝者の皆さんは、黒胡椒・ネギ・マスターシードなどが入ったビニール袋、ココナッツ、赤唐辛子、お線香を手に持っています。

まずは、お線香に火をつけます。

お線香はこちらに刺します。

ヒンドゥー寺院でも見られる、ココナッツの叩き割りを行います。

ココナッツの叩き割りは、シンハラ語でポルガハナワーと言います。
ポルはココナッツの意味で、ガハナワーは叩く・打つという意味です。

続いて、赤唐辛子や黒胡椒を石で潰します。

誰を呪うのか?

この島で呪う人たちを調査した例では、以下のような相手に対して呪いをかけたと記録されています。

・盗難にあった人がその犯人を呪う
・殺人事件で家族を亡くした人が犯人を呪う
・隣人トラブルの相手
・旦那の浮気相手とその両親
・浮気した旦那
・畑を荒らした犯人
・息子のガールフレンドの家族
・家の屋根や門を壊した犯人
・土地問題で揉めている姉妹
・自分の結婚に反対する家族
・政敵(政治家の場合)や競合事業者(実業家の場合)

呪う相手が分かっている場合もあれば、盗難事件の犯人や殺人事件の犯人など呪う相手が誰だか明確に分かっていない場合もあるようです。

不正をする相手がいて、その人を罰してほしいと神に願う行為が呪いであり、不正がない人を呪うことはできない(効果がない)そうです。

スリランカの村は小さく、村の人がどこに何をしに行ったのかは村の中に知れ渡りやすいです。

「不正行為によって被害を受けたのでシーニガマに行ってくる!」と言って、出掛けることもあるようです。
シーニガマに呪いに来たところ、実際に窃盗の犯人が謝罪に現れたという男性のエピソードが調査では紹介されています。

また、相手が悪くなくて一方的に攻撃する黒魔術はやったらやり返すの連鎖が起こる一方で、呪いは連鎖は行いものであるそうです。

以下の記事は長文ですが、非常に興味深いですので、ご一読ください。

カーリー神など凶暴な神が人気があることや、仏教徒と呪いの関係、離島に呪いの場所があることについてなど、様々な点が考察されています。

参考)
The Cursing Practice in Sri Lanka as a Religious Channel for Keeping Physical Violence in Control: The Case of Seenigama

呪いを叶えるデボル神の神話

シーニガマに住むまで

呪いを叶えてくれるのは、島の祠に祀られているデボル神です。

デボル神は、クドゥプラという町の王ラージャシンハの息子「マハーサミ王子」だと言い伝えられています。

ラージャシンハ王には7人の息子がいましたが、暴れ者であったことから民衆が王子たちのことを王に告げ口し、それを知った王子たちは怒って民衆を殺してしまいました。

王は王国を救うため、王子たちを船に乗せて追放します。
王国があった場所は一説では、インドのケーララ州の州都ティルバナンタプーラムとしています。

王子たちが乗った船は難破してしまいますが、サクラ神(日本では帝釈天)が石の船を作り、救われます。

王子たちはジャフナ、ドンドラ岬、コッガラ、ギントタ、ドダンドゥワと上陸を試みますが、その土地を治めている神々によって上陸が阻まれます。

王子たちはシーニガマで上陸を試みますが、シーニガマを治めていたパッティニ女神が7つの火の山を出現させて、上陸を阻みます。

7人の王子は装飾品を火の山に投げ込むことで火を水に変え、シーニガマに上陸し、最も強いマハーサミ王子だけでもシーニガマにいられるようにパッティニ女神にお願いします。

パッティニ女神は、7人の王子がそれぞれの場所で、病人を治す代わりに人々から供物をもらうように伝え、マハーサミ王子がシーニガマに住むことを許可します。

そうして、シーニガマ、ウナワトゥナ、ドダンドゥワ、ウェラゴダ、ギントタ、アンバランゴダ、パーナドゥラの7ヵ所に王子が住んだと言われています。

そして、マハーサミ王子はデボル神となります。

王子たちが住んだ7つの村の祠のうち、最も有名な祠がシーニガマです。

ウナワトゥナビーチの岬にある祠も知られた存在です。

この話はシンハラ民族の始祖であるセイロン島に渡ってきたヴィジャヤ王子の逸話とも似ていることから、マハーサミ王子をヴィジャヤ王と先住民のヤッカ族のクヴェニとの間に生まれた息子とする説もあるようです。

ウェラゴダの妾の家

7人の王子が住んだ村の中で、シーニガマから最も近いのが、シーニガマの北5キロにあるウェラゴダです。
ムーンストーンの宝石採掘で知られるミーティヤゴダの近くの村です。

この村に関するデボル神の神話があります。

デボル神は、ウェラゴダにある妾の家に住むようになります。

デボル神は毎朝、シーニガマまで歩いて行き、米・魚・ココナッツを持って妾の家に帰ってきます。

妾はデボル神が毎日どうやって米・魚・ココナッツを持って帰ってきているのか不思議に思います。

デボル神と妾の間には息子がいました。
息子が大きくなると、妾はデボル神が何をしているのか調べるように息子に言います。

息子がデボル神の後をついて行くと、デボル神は米をビーチの砂から作り、魚を杖から作り、ココナッツの木に頭を垂れるように命じてココナッツを得ていることを目撃します。

デボル神は、息子の行いを裏切りと感じ、激怒して息子を殺してウェラゴダを離れます。

参考)

Amazing Lanka:Seenigama Devalaya
Lankapura:Seenigama Muhudu Viharaya
Wikipedia:Devol (deity)
SUNDAY OBSERVER:The Seenigama Devalaya
Wikipedia:Sri Siddha Suniyam Deviyo
ウィキペディア:カーリー
ウィキペディア:マハーヴィディヤー

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