かつての国道1号線を結ぶ「新日本スリランカ友好橋」
2021年11月に日本の有償援助でゴールデンゲートケラニ(第二ニューケラニブリッジ)が完成しました。
第二とある通り、この橋は既存のニューケラニブリッジに並行して架けられた新橋です。
そして、”ニュー”ケラニブリッジという名前から分かる通り、オールドブリッジに当たる存在があります。
それが今回紹介する「新日本スリラン カ友好橋(別名:ケラニブリッジ)」です。
イギリスがスリランカに建設した国道1号線上のケラニ川に、イギリスが架橋したヴィクトリアブリッジに代わる新しい橋として日本が建設しています。
目次
新日本スリランカ友好橋とは?
2000年9月、日本の有償援助で完成したのが「新日本スリラン カ友好橋」です。
1992年2月に日本が無償援助で建設した「スリランカ日本友好橋」の拡張と、老朽化したヴィクトリアブリッジを撤去して、新たな橋をかけて、合計6車線の橋として開通されました。
日本語では新日本スリラン カ友好橋、英語ではSri Lanka Japan Friendship Bridgeと表記されています。
1895年にイギリスによって架橋された鉄製「ヴィクトリアブリッジ」は、コロンボとキャンディを結ぶ国道1号線上にあり、コロンボとニゴンボやプッタラムを結ぶ国道3号線の起点に接続していました。
その後、新しいコロンボのゲートウェイとして、ケラニ河上流100mにニューケラニブリッジが架橋されました。
ニューケラニブリッジの架橋に伴い、国道1号線のルートはヴィクトリアブリッジを通るルートから、ニューケラニブリッジを通るルートに変更になりました。
国道1号線でなくなったとはいえ、国道3号線の起点とコロンボを結ぶ位置にあるヴィクトリアブリッジの交通量は増加し、渋滞が頻発していました。
また、100年弱の年月が過ぎたヴィクトリアブリッジは老朽化し、危険性がありました。
そこで、1992年2月に日本が無償援助で、2車線のヴィクトリアブリッジに並行して、4車線の「スリランカ日本友好橋」を完成させます。
続いて、日本の有償支援によって、ヴィクトリアブリッジ(2車線)を撤去して、スリランカ日本友好橋の車幅を広げた合計4車線の新しい橋をかける計画が作られます。
その後、交通量の増大が大きいことから、合計6車線の橋を作ることに計画が変更されています。
既存のスリランカ日本友好橋の車線増幅し、ビクトリアブリッジの撤去跡に新しい橋が建設されました。
ビクトリアブリッジには歩道がありませんでしたが、新日本スリランカ友好橋には歩行者用道路が導入され、歩行者の通行の利便性と安全性が確保されました。
グランドパス交差点の改良
新橋の架橋とともに、橋の南側に位置するグランドパス交差点の改善が行われました。
グランドパス交差点は、警官 2名の常駐による交通整理が不可欠なラウンドアバウトでした。
そこで、信号システムを導入し、ラウンドアバウトを撤去することで、交通状態を緩和しています。
道路開発庁職員の日本での研修
本プロジェクトでは、スリランカの道路開発庁(RDA)に対して、日本(東京・大阪)での 2 ヶ月間の研修を実施しています。
箱桁橋(box girder bridge)を設計するためのコンピュータ・ソフトウェアの活用、箱桁橋の視察等 が主な内容でした。
橋の歴史
ヴィクトリアブリッジから新日本スリランカ友好橋までの歴史は以下の通りです。
1820年、イギリスによってコロンボとキャンディを結ぶ国道1号線(A01:キャンディロード)の建設が始まります。
国道1号線はコロンボフォートを起点にケラニ河を渡って、ペリヤゴダに入るルートです。
1822年、橋の現在地であるトタランガ(Thotalanga)に船橋が作られます。
21隻のボートを7mごとにおき、ボートの上に木材のデッキを置いて、全長150mの船橋を構築。
1895年、イギリスによって鉄製「ヴィクトリアブリッジ」が架橋されます。
1986年、イギリス政府の調査でヴィクトリアブリッジの老朽化が指摘されます。
この調査に基づき、日本政府による無償援助が決定されます。
1987年、ヴィクトリアブリッジに対して、重量制限が課せられ、通行できるのは乗用車以下となります。
1992年2月、ヴィクトリアブリッジに並行して、4車線(片側2車線)の「スリランカ日本友好橋」が完成します。
これにより、ヴィクトリアブリッジはペリヤゴダからコロンボへの2車線一方通行の橋となりました。
2000年9月、日本が老朽化したヴィクトリアブリッジを撤去し、「新日本スリラン カ友好橋」を架橋しました。
プロジェクト関係者
発注者
スリランカ民主社会主義共和国・道路開発庁(RDA:Road Development Authority)
資金提供者
独立行政法人国際協力機構(JICA)
借款契約概要
円借款承諾額:29億2,900万円
円借款実行額:21億6,400万円
交換公文締結:1993年6月
借款契約調印:1993年8月
金利:2.6%
返済期間:30年(うち据置 10年)
援助形態:一般アンタイド
貸付完了:2002年1月
設計
日本橋梁構造研究所
他
施工
鹿島建設
他
工期
コンサルタント選定:1994年2月〜1994年3月
詳細設計:1994年10月〜1995年9月
工事完了:1998年4月〜2000年9月
参照)
JICA:日ス友好橋拡張事業
JICA:Sri Lanka – Japan Fridenship Bridge Widening Project
MAGA:Sri Lanka-Japan Friendship Bridge
株式会社日本構造橋梁研究所:海外業務
外務省:日本の政府開発援助(ODA)
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「旅と町歩き」を仕事にするためスリランカへ。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年3月、法政大学社会学部社会学科を卒業。
2005年4月、就活支援会社に入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長などを経験して就職支援会社を退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当。
2016年7月、初めてスリランカに渡航し、会社の登記を開始。
2016年12月、スリランカでの研修受け入れを開始。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年1月、スリランカ情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開始。
2020年8月、不定期配信の「スパイスアップ・ニュースレター」創刊。
2023年11月、サービスアパートメント「スパイスアップ・レジデンス」開始。
2024年7月、スリランカ商品のネットショップ「スパイスアップ・ランカ」開設。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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