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『コーヒーを通して見たフェアトレード―スリランカ山岳地帯を行く』

2022年3月31日

スリランカでコーヒー生産を行う会社「Kiyota Coffee Company」、日本で各国のコーヒーを輸入販売してカフェも経営する会社「ナチュラルコーヒー」、フェアトレードを推進する特定非営利活動法人「日本フェアトレード委員会」を運営する清田和之さんの書籍『コーヒーを通して見たフェアトレード―スリランカ山岳地帯を行くを紹介します。

著者・清田和之さんとは?

1946年、熊本県生まれ。熊本県立濟々黌高校、静岡大学工学部卒業。
1978年、学校法人北部学園・北部幼稚園を設立。
1992年、『売上100倍達成への軌跡―再春館・顧客満足のテレマーケティング』を発行
1994年、有機無農薬コーヒーの輸入・販売を行う(株)ナチュラルコーヒーを設立。
2003年、ブラジルコーヒーの輸入販売を開始
2004年、特定非営利活動法人日本フェアトレード委員会を設立。スリランカ紅茶の輸入・販売を開始。
2007年9月〜2010年3月、JICA・草の根技術 協力事業「コットマレー地域の小農民によるアラビカ・フェアトレード・コーヒー栽培のコミュニティ 開発」を実施
2010年10月、『コーヒーを通して見たフェアトレード―スリランカ山岳地帯を行く』を発行
2013年2月、『
セイロンコーヒーを消滅させた大英帝国の野望―貴族趣味の紅茶の陰にタミル人と現地人の奴隷労働』を発行
2014年 12月、スリランカに現地法人 Kafoga(Kandy Forest Garden)Productsを設立 

参考)
広島大学平和センター:スリランカにおける小規模コーヒー農家の持続可能性 ― 流通面からの検討

本書の概要と背景

地産地消の食にこだわる幼稚園を運営する傍ら、優希無農薬専門コーヒー販売店「ナチュラルコーヒー」を営んでいる清田さんは、1997年にブラジルのコーヒー産地を訪れ、コーヒー産業における労働者の苦難の歴史について知ります。

コーヒーが大暴落した2002年に再度ブラジルを訪れ、コーヒー農園で「フェアトレード」と出会います。
2003年からブラジルコーヒーの輸入販売を始め、2004年にブラジルを再度訪れると、2年前に暗かったコーヒー農村が明るくなっていて、それがドイツのNGOによるフェアトレードによる影響だと知ります。

この年、清田さんは特定非営利活動法人日本フェアトレード委員会を設立し、スリランカ有機紅茶の輸入販売も始めます。
その年末、2004年12月のスマトラ島沖地震の津波被害を受けて、翌年にスリランカに渡航した清田さんは、かつてスリランカがコーヒーの一大産地であったことを知り、スリランカでのコーヒー探しを開始。

2007年9月から2010年3月にかけて、JICA・草の根技術協力事業「コットマレー地域の小農民によるアラビカ・フェアトレード・コーヒー栽培のコミュニティ 開発」を実施し、2008年8月にコットマレー郡ラヴァナゴダ村に小さなコーヒー工場が完成。

清田さんがブラジル、スリランカの生産地を見て考えたこと、フェアトレードに関する考えたが記述されています。

ブラジルのコーヒー略史

清田さんは、サルヴァドール、東山農園などを訪れて、その様子を本書に書かれています。
本書に書かれていたことと、ネットで参照したものを踏まえて、以下にブラジルのコーヒー略史を記載しました。

1549年、サルヴァドールがポルトガル領ブラジルの最初の首都となる。
サルヴァドール・デ・バイーア歴史地区は世界遺産に登録されている。
サンパウロ、リオデジャネイロ、ブラジリアに次ぐ第4位の人口規模の町。

1727年、ブラジルでコーヒーの生産がスタート

1850年、ブラジルが世界のコーヒー生産量一位になる

1888年、奴隷制が廃止になる

1908年に日本人移民がサントス港に到着

1911年に銀座にカフェーパウリスタが創業し、サントス州からコーヒーが無償で提供される

1927年に三菱岩崎家3代目当主・岩崎久彌がコーヒー農園を買い取って「東山農園」を設立。
「東山(とうざん)」は三菱創始者で久彌の父・岩崎弥太郎の雅名。

参考)
ウィキペディア:サルヴァドール
コーヒータウン:コーヒー大国ブラジル!気候や歴史的背景を通じて生産量世界一の理由を紹介
中南米の専門旅行会社(株)アルファインテル:サントス
東山農事の歴史 昭和16年

ブラジルへのコーヒー移民、スリランカへの紅茶移民

スリランカには紅茶農園が広がっているが、紅茶農園の労働者のほとんどが南インド出身のタミル人だ。スリランカがコーヒー栽培から紅茶栽培へと替わった際、イギリスによって南インドから強制的に連れて来られた人たちである。

と本書にありました。

ところが、鈴木睦子 著『スリランカ 紅茶のふる里 』には、新天地を求めて南インドから来た移動労働者であると書かれています。

スリランカ 紅茶のふる里 』については、後日紹介しますが、当時のインドから各地へ移動した労働者について記述されていて、非常に参考になりますが、それと似たようなことが『コーヒーを通して見たフェアトレード―スリランカ山岳地帯を行く』にも、日本からブラジルに移民した人の言葉が紹介されています。

移民になったのはここで働けば日本の10倍は稼げると思ったからですよ。

それを踏まえて、清田さんはこう書かれています。

日本人のブラジル移民100周年を記念して、日本でもブラジルに渡った人々の功績などが華々しく紹介されることがあるが、それは成功したごく一部の人であり、ほとんどの日系人は大変な生活を強いられているのが現状なのだ。

南インドからスリランカに移民した人々の状況も似ていて、夢を求めて、あるいは当時の厳しいインドよりは良い環境を求めてスリランカに渡ったものの、そこは楽園ではなかったわけです。

スリランカで「成功したごく一部の人」が、アンバ農園のかつてのタミル人農園主だったのでしょう。

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フェアトレードとは何か?

フェアトレードで大事なことの一つに、”継続的な取引”がある。

と清田さんは書かれています。

ブラジルのコーヒー農家さんの発言が印象的です。

「2002年、2003年とドイツのフェアトレード団体が同じ価格で買ってくれました。今年はまだ収穫前だけど、買い付けの予約が入っています。それだけじゃない、来年2005年の分もすでに予約があります。おかげで私たち農家は、安心して生産に励むことができています。」

また、清田さんは大企業が一部のフェアトレード商品を扱ってブランドとしてフェアトレードを利用していることを指摘し、貧困国の中小農家の支援がフェアトレードの本質だと書かれています。

ヨーロッパのフェアトレードを日本にそのまま持ち込むことに、私は大きな違和感を感じてしまう。ヨーロッパから何かが日本に入ってくるとき、その多くが日本人にとって”ブランド”になる。食品、化粧品、ファッション用品、音楽、文化、考え方や思想までも。(中略)FLOラベルのある商品を買えば、それで”フェアトレード”になるのだろうか。FLOラベルを貼ろうとした場合、日本ではフェアトレード・ラベル・ジャパン(FLO日本支部)にラベルの申請手続きをし、許可を得てライセンス契約をしなければならい。そしてラベル1枚につき手数料を払うという仕組みだ。(中略)アメリカ・シアトルを本拠地とする世界的なコーヒーチェーン店も、フェアトレード・ラベル・ジャパンとライセンス契約を結び、”フェアトレード”として店頭で販売している。(中略)フェアトレードというのは、弱小な生産者を支援し生活を守ることがその最初の理念ではなかったか。日本でフェアトレードの紅茶として販売されているスリランカのスタッセン紅茶は、私も訪れたことがあるが巨大な農園を持っている。(中略)貧困国の中でも最も困っている中小の農家を支援するはずのフェアトレードが、いつしか”ブランド”にすり替わってしまってはいないだろうか。

また、ブラジルのコーヒー農園を訪ねた時のこと農園主の言葉が紹介されています。

ブラジルのあるコーヒー農園を訪ねたとき、農園主が言った言葉が印象的だ。「多国籍企業の社員でコーヒー農園など見に来た人は誰もいない。彼らはコーヒー価格をニューヨークでいじっているばかりだ」そのブラジルに、こんな言葉がある。「CARA A CARA」「顔と顔」つまり「生産者の顔が見える」という意味である。これこそ、まさにフェアトレードの基本精神だと思う。

参考)
コーヒー危機の原因とコーヒー収入の安定・向上策をめぐる神話と現実-国際珈琲協定(ICA)とフェア・トレードを中心に-

なぜ、生産者に還元されないのか?

  • 北の消費者と南の生産者
  • 北の儲ける人と南の貧困な人
  • 北の搾取してきた国と南の植民地されてきた国

という3つの関係を清田さんは指摘し、どこにお金が集まっているのかを解説されています。

2002年にコーヒー価格の世界的な大暴落が起こり、ここ10年ほどコーヒーの生産者価格は安値に歯止めがきかなくなっている。(中略)しかし、日本で私たち消費者が買う際のコーヒーの価格は決して安くなってはいない。(中略)中間にいる、コーヒー流通の業者、生豆を買う企業側に儲けが渡っているのである。現在、コーヒー業界には4つの巨大企業がある。

清田さんは企業名を記載せず、イニシャルのみを書かれていますが、クラフト、ネスレ、P&G、サラ・リーの4社のことでしょう。

映画「おいしいコーヒーの真実」のページでは、ショートムービーが見られますが、非常に分かりやすいと思います。

オックスファムのレポートのデータが、本書で引用されています。

オックスファムの『コーヒー危機』のレポートによれば、インスタントコーヒーは1kgあたり、生産者価格1.54ドルが、小売りでは26.40ドルと計算されている。生産者価格の、なんと17.1倍である。

大航海時代の始まりは、香辛料が中間貿易を担うイスラム商人やヴェネツィア商人を介すことで、ヨーロッパでの価格が生産地(インドネシア、インド、スリランカなど)での価格の10〜20倍にもなったことが契機になっていると言われますが、かつての貿易商人たちが現代ではグローバル企業に入れ替わっただけのように思います。

参考)
映画「おいしいコーヒーの真実」
ヤフー映画:おいしいコーヒーの真実
ウィキペディア:コーヒー豆
ウィキペディア:オックスファム

モノカルチャーの国々

コーヒー貿易に経済を依存している国々として、以下の国が数字とともに挙げられています。

■輸出に占める割合
・ブルンジ:コーヒー80%、茶19%
・エチオピア:コーヒー54%
・ウガンダ:コーヒー43%
・ルワンダ:コーヒー31%
・ホンジュラス:24%

スリランカはコーヒーではなく、アパレルと茶が大きな割合を占めています。

安く買い叩かれるスリランカの小さなコーヒー農家

スリランカのコーヒー農園を訪れた清田さんは、コーヒー価格が大暴落した2002年に訪れブラジル農園よりも安い価格でしか販売できていないことを知り、驚かれています。

大企業が経営する高地の茶農園と違い、一軒一軒の個人農家の庭先に植えられているスリランカのコーヒーについて、このように書かれています。

日本でいうトマトやキュウリなどの家庭菜園レベルだ。コーヒー”栽培”などと言うようなものではない。まして”ファーマー”などとても言えない。

この状況から、日本に輸出できるようにコーヒー生産支援を続けた奮闘記が本書には書かれています。

具体的な内容は是非、本書をご覧ください。

また、スリランカでは茶は一年中収穫されていますが、清田さんが訪れた地域のコーヒー豆の収穫は12月からと記載がありました。

スリランカのコーヒー略史

スリランカの農業省が発行したテキストから清田さんが引用しているスリランカのコーヒー史を以下にまとめました。

1503年、アラビア人によりセイロンにコーヒーが伝わった。
1658年、当時セイロンを植民化したオランダにより、コーヒー栽培が大規模に拡大された。
1868年、セイロンで”さび病”が大発生し、コーヒー農園が荒廃。
1995年、貧困地域にコーヒー生産の技術指導やコーヒー苗の提供を開始

イギリスによる茶栽培が始まった時はタミル人移民が労働を担ったと書きましたが、コーヒー農園で働いたのはシンハラ人だったようです。

140年前にコーヒー農園で働いた労働者は、現地人のシンハラ人であった。

私は、コロンボでムスリムファミリーと暮らしていたことがありますが、お腹が痛いときはコーヒーを出されましたが、そのことを本書にもありました。

スリランカの人々は、コーヒーの葉は止血剤に、実は胃腸薬に使っているという。

スリランカ標準時間の変更

スリランカが標準時間を変更したことが書かれていましたが、私はこのことは本書を読んではじめて知りました。

日本との時差は現在の3時間半ではなく、3時間の方が分かりやすかったのにな〜と思いました。

1996年にスリランカはエネルギー消費を抑えるために時間を30分早め、
2006年4月14日に、スリランカは時間を30分遅くし、インドの標準時に合わせた。

現在、スリランカはエネルギー不足に直面してます。

まとめ

フェアトレードの理念と問題、コーヒーの歴史がコンパクトに書かれていて、大変読みやすい本でした。

また、スリランカのコーヒー栽培の実態が垣間見られます。

スリランカのコーヒー農家さんやコーヒー工場、スリランカのコーヒー豆に関する記述は本記事では取り上げませんでしたが、面白いですので、是非、本書をご覧になってみてください。

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