イギリス人設計のオールドタウンホールと日本寄贈の消防車
ジェフリーバワは建物に合わせて家具まで設計した建築家として知られていますが、イギリス領セイロン時代に同じく建物から家具まで設計したイギリス人建築家がいました。
その名はJ・G・スミサー(J. G. Smither)。コロンボ7にある国立博物館(Colombo National Museum)、マラダーナにある国立病院、ゴールフォートにあるセールセインツ教会、ジャフナの時計塔などを設計したセイロン公共事業局の建築家です。
本記事では、コロンボ最大のマーケットであるペターマーケットに隣接するオールドタウンホールについて紹介します。
オールドタウンホールとは?
オールドタウンホールは1873年にセイロン公共事業局のイギリス人建築家J・G・スミサーによって建設されました。
ペターのメインストリートの東端に建っています。
尖ったアーチや鋳鉄製の柱を多用したネオ・ゴシック建築が目をひきます。J・G・スミサーは建物の木工細工に合わせて家具を自ら設計し、椅子の背もたれが、各窓の木製アーチのデザインに似せて作っています。
オールドタウンホールの南側には、劇を行うエディンバラホールも建てられました。
これはオールドタウンホールが建設される前年にセイロン総督に就任したウィリアム・ヘンリー・グレゴリーの妻オーガスタ・グレゴリーが著名な劇作家であったことが影響しているかもしれません。オーガスタ・グレゴリーはアベイ座(アイルランド国立劇場)を設立し、アイルランド文芸復興運動で知られる人物です。
セイロン総督のウィリアム・ヘンリー・グレゴリーの名は、在スリランカ日本国大使館のあるグレゴリーズ・ロード(現在のR・G・セナナーヤカ通り)やヌワラエリヤのグレゴリー湖(Lake Gregory)に残されています。
オールドタウンホールは1924年までの50年間ほどコロンボ市庁舎として使われ、1925年にコロンボ市庁舎はウィハーラ・マハ・ディーウィ公園に隣接したタウンホールに移転しています。
タウンホールを設計したのは、ジェフリーバワが長くディレクターを務めた設計事務所を設立したS. J. エドワードです。
参考)
1980年にプレマダーサ首相が荒廃していたオールドタウンホールを博物館として改修することを決定し、1984年にかけて改修が行われます。
オールドタウンホールの2階と東側の屋外に博物館が作られ、南側のエディンバラホールは露天商が出店するエディンバラマーケット(現オールドタウンホールマーケット)となり、現在に至ります。
オールドタウンホール博物館

Googleマップには、オールドタウンホールの位置に、オールド・セイロン・シナゴーグとも登録されています。
建物にはユダヤ教のダビデの星が施されています。シナゴーグとしても使われていたのかもしれません。

オールドタウンホールの1階には消防隊がいて、入口には日本から寄贈された消防車があります。

以前は寄贈した日本側の団体名が日本語で書かれていましたが、塗装を塗り替えたのか日本からの寄付であることは目では確認できませんが、管理人さんが日本からの寄付された消防車だと言っていました。

2階に上がろうとすると、管理人が出てきます。

管理人さんが博物館の入口の鍵が置かれている部屋に鍵を取りに行きます。

まず通されるのが、1906年の市議会を再現した15体の蠟人形がテーブルを囲む部屋です。

写真が置かれていて、この部屋で市議会が行われていたことが分かります。
この後は議会場の周囲を囲む通路に案内されます。

最初に管理人さんが鍵を取りに行った部屋にまず入ります。この部屋の奥に扉があり、そこから通路に出ます。

1785年(オランダ統治時代)のコロンボの地図が展示されています。かつてのベイラ湖が現在よりも広く、ペターが島のようになっているのが分かります。オールドタウンホールからフルフツドープをつなぐダムストリートまでベイラ湖が広がっていたようです。

窓からはオールドタウンホール前のラウンドアバウト(Gas Works Junction)を見下ろせます。

窓は紐で引っ張ると、窓が開くようになっていて、建築当時は最新の窓だったのではないかと思います。

古いタイプライターやラジオも展示されています。
最後にチップを要求されましたので、500ルピーを払いました。
屋外博物館

以前は屋外博物館に入ろうとすると、博物館の人に声をかけられ、オールドタウンホールの2階と合わせてチップを要求されましたが、まず最初に屋外博物館を訪れた際は無料で見学ができました。
こちらを見た後に、オールドタウンホールの2階に上がろうとしたら管理人さんが出てきました。2階は鍵がないと入れませんのでチップが必要ですが、屋外博物館のみであれば、タイミングによってはチップなしで見学ができそうです。

屋外博物館には古い機械が展示されています。これは道路を作る際に使ったロードローラー。

ガスメーター、ガスオーブン、ガスポンプ。

ガスメーター。

蒸気機関で動くローリー。

猫が寝ていました。

水道管と湯沸かし器。

移動式図書館。

背景のレリーフが美しいです。

タウンホールの模型。

道路標識。

コロナ前はゴールフェイスグリーンに置かれていた石碑がこちらに移されています。
オールドタウンホールマーケット

オールドタウンホールの南に建つオールドタウンホールマーケットは、元はタウンホールに隣接して建てられた劇場ホール「エディンバラホール」でした。

屋外博物館と同じ模様が見られます。


関連記事・参照
Lankapura:Old Town Hall, Colombo
Amazing Lanka:Colombo Old Town Hall Building and Museum
History of Ceylon Tea:THE TEA PLANTER AND HIS COOK
Department of National Museums:Colombo National Museum
ウィキペディア:オーガスタ・グレゴリー
ウィキペディア:アベイ座
SPICE UP LANKA CORPORATION (PVT) LTD Managing Director
SPICE UP TRAVELS (PVT) LTD Managing Director
「旅と町歩き」を仕事にしようとスリランカに移住。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年4月、法政大学社会学部社会学科を卒業後、六本木の人材系ネットベンチャーに新卒入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長を経てネットベンチャーを退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当しながら、新宿ゴールデン街で訪日外国人向けバーテンダー。
2016年7月、スリランカに初めて渡航し、法人設立の準備を開始。
2017年1月、SPICE UP LANKA CORPORATION (PVT) LTDを登記。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年2月、スリランカ観光情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」オープン。
2020年8月、ニュースレターの配信を開始。
2020年10月、WAOJEコロンボ支部立ち上げ初代支部長に就任。
2023年2月、スリランカ日本人会理事・広報部長に就任。
2025年6月、SPICE UP TRAVELS (PVT) LTDを登記。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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