Spice Up 観光情報サイト スリランカ観光・情報サイト

世界遺産の仏教遺跡を巡るアヌラーダプラ観光

2024年11月01日

紀元前4世紀頃から11世紀までアヌラーダプラ王国の都として栄えた、古都アヌラーダプラ。インドから仏教が伝わった聖地でもあります。
世界有数の遺跡群が集中する、スリランカの「文化三角地帯」の一角をなし、1982年には「聖地アヌラーダプラ」として世界遺産に登録されています。

アヌラーダプラの見どころは、点在する仏教遺跡。悠久の歴史を感じます。
同じく古都として有名な場所にキャンディがありますが、実はアヌラーダプラの方が都が置かれていた時期は古く、期間も長いので、個人的にはこちらの方が見どころが多いように思いました。(オシャレカフェなんかは、キャンディの方が断然多いですが。)
歴史好きの方、仏教に興味のある方、田舎の空気を吸いたい方には、非常におすすめのスポットです。

今回はそんなアヌラーダプラの回り方や歴史について詳しくご紹介していきます。アヌラーダプラ観光を考えている方はぜひ参考にしてください。

アヌラーダプラへのアクセスについてはこちら↓

聖地アヌラーダプラへの行き方

歴史

後ほどご紹介する遺跡に関係する王の話を中心に、アヌラーダプラの歴史をさらっと見ていきます。

紀元前500年頃、シンハラ人の祖先と言われるヴィジャヤ王がインドからスリランカへ移住し、タンバパニ王国を建設しました。(彼についての史料は少なく、あくまで伝説の域のようです。)

紀元前380年頃、バンドゥカバーヤ王がアヌラーダ・ガマ(アヌラーダ村)を都として開発し、アヌラーダ・プラ(アヌラーダ街)と呼ばれるようになります。彼はごみ処理システムの確立や、病院、宗教施設、貯水池等の建設を行い、人々の生活を豊かにしました。

アヌラーダプラ建設の王「パンドゥカーバヤ」

紀元前3世紀、デーワーナンピヤ・ティッサ王の時代に、インドのマウリヤ朝のアショーカ王の息子マヒンダ王子によってスリランカに初めて仏教が伝わりました。ブッダの死から237年後のこと。王は仏教を保護し、寺院や仏舎利塔、比丘の生活施設などを建設しました。

仏教伝来時の王デーワーナンピヤティッサ

紀元前2世紀、ドゥッダガーマニー王やワラガンバ王が南インド系征服者を追放しますが、その後も南インド系民族との抗争は続きます。

タミルの侵略者を倒したドゥトゥゲムヌ王

アバヤギリ、ダンブッラ石窟寺院などを建設したワラガンバ王

以後、10世紀にヴィジャヤバーフ1世がアヌラーダプラを放棄しポロンナルワに遷都するまで、1400年もの期間にわたってアヌラーダプラは王都として機能しました。

ポロンナルワ建国の王ウィジャヤバーフ

入場料

アヌラーダプラ観光のメインは、南北5km、東西2kmにわたって遺跡が点在している遺跡地区。市街地と遺跡地区の間に明確な境界はなく、どこからでも入ることができます。しかし各所にチケットカウンターが設置されており、そこを通ると「遺跡地区の入場チケット」の購入を求められます。
お値段は、【US$30】。チケット代はCentral Cultural Fundというスリランカの遺産管理機関によって遺跡群の保存に使われるようです。

↑チケットカウンター

↑チケット

ですが、このチケットが必要ない無料エリアも存在します。ただ、インターネット上で他の人の体験談を見ると、訪れた時期によって違うのか、担当したスタッフによって違うのかわかりませんが、無料で見ることができた区域は皆バラバラのようでした。ざっくり、ゆるゆる、おおらかなスリランカらしい現象ですね。
今回私がスタッフの人に尋ねたときには、下の地図の「16番~19番(クルネガラジャンクションより南)は無料、それ以外は有料」と明言していましたが、皆さんが訪れた際には異なる可能性も……。

そして一番の注意点が、このチケットは購入日当日に限り有効であるということです。したがって、2日に分けて観光すると2回チケット代を払うことになってしまいます。
私たちはアヌラーダプラに到着したのが午後だったため、その日中に遺跡地区を回り切れる自信がなく、翌日に回すことにしました。代わりに到着日は、アヌラーダプラの中心地からトゥクトゥクで1時間ほどの場所にある「ミヒンタレー」へ夕日を見に行きました。丘の頂上にあるマハ―・サーヤ大塔からは夕日に染まるアヌラーダプラの街を一望することができます。
このように「着いた日はミヒンタレーへ、翌日は朝からアヌラーダプラの遺跡地区を回る」というルートはおすすめです。
↑ミヒンタレーの夕日

注意点

アヌラーダプラの遺跡群は、ほとんどが入口で靴と帽子を脱ぐように言われます。日中は地面がとても熱いので、靴下を履いていくことをおすすめします。
また仏教の聖地のため、短パン・ミニスカートなど露出の多い服装は控えた方が良いでしょう。

交通手段

タクシーやトゥクトゥクで回ることもできますが、私は自転車で回ることをおすすめします! アヌラーダプラの街はシーギリヤなどと比べると観光地化されておらず、のどかな田舎の空気がただよっているので、自転車で回るととっても気持ちが良いです。 

自転車は宿で貸してくれるところが多いようです。筆者の宿泊した「Villa DeLorenta」では1000ルピー、「Lake House Homestay」では無料で貸し出していました。

おすすめルート

今回、私は次のようなルートで回りました。
市街地→イスルムニヤ精舎⇒スリー・マハ―菩提樹⇒ルワンウェリ・セーヤ大塔(⇒ムーンストーン)⇒アバヤギリ大塔⇒サマディ仏像⇒クッタム・ポクナ⇒ジェータワナ大塔→市街地

これらをすべて自転車で回り、合計【4時間】ほどかかりました。

ここからは、このルートの順番にしたがってアヌラーダプラ遺跡地区の見どころをご紹介していきます。

イスルムニヤ精舎  Isurumuniya Temple

紀元前3世紀にインドから仏教が伝来した際、当時のデーワーナンピヤ・ティッサ王が仏教を保護するとともにこの精舎を建設したとされています。

入口で靴を預け、チケットを買います。こちらはUS$30の遺跡地区全体のチケットとは別で、一人500ルピーです。

正面の本堂には、スリランカのお寺でよく見られる極彩色の仏像がいくつか安置されています。天井の意匠も美しいです。

よく見ると、本堂脇の岩肌にも仏教彫刻が施されています。そしてその前で猿が、本堂に備えてあったハスの花をむしゃむしゃ。

寺院裏側から岩を登っていくと、見晴らしの良い場所に出ます。遠くには白い仏塔がそびえ、手前には参拝用の白い服を着た人々が行列をつくって歩いているという、仏教国らしい風景を見ることができました。

左手にある宝物殿には、5世紀の作品と言われる「恋人の像The Lovers」があります。彫られているのは、紀元前2世紀にこの地にいたサーリヤ王子とその恋人マーラと言われています(諸説あるようです)。マーラはカーストが低く、身分差の恋だったとか。5世紀の作品がこんなに綺麗な状態で残っているのも、紀元前にいた恋人たちのエピソードが残っているのも驚きです。

スリー・マハ―菩提樹  Jaya Sri Maha Bodhi

白い壁に囲まれているのが菩提樹。アヌラーダプラが聖地としてあがめられるのは、この木の存在ゆえ。ブッダが悟りをひらいたブッダガヤの菩提樹の分け木で、紀元前3世紀にインドから仏教が伝来した際、インドのアショーカ王の王女サンガミッタによって持ち込まれ、スリランカのデーワーナンピヤ・ティッサ王によって植樹されたと言われています。

やはり仏教徒の方々にとっては特に重要な場のようで、他のスポットと比べてもお祈りしている人の数が断然多かったです。

ルワンウェリ・サーヤ大塔 Ruwanweliseya Stupa

アヌラーダプラには、ルワンウェリ・サーヤ、アバヤギリ、ジェータワナという3つの大きな仏塔(Dagoba、Stupa)があります。このルワンウェリ・サーヤ大塔は3つの中でも最も古く、紀元前2世紀に当時のドゥッタガーマニー王によって建設が始められ、息子のサッダーティッサ王子によって完成にいたったと言われています。その後も仏教信仰の重要な拠点として多くの王に保護されてきました。

現在でも国内外の仏教徒がここを訪れるそうで、私が訪れた際にも、蓮の花を手に仏塔の周りをぐるぐると回りながら祈りをささげている人々の姿が見られました。

↑周囲はたくさんの象に守られています。

ムーンストーン(クイーンズ・パビリオン)  MoonStone(Queen’s Pavilion)

こちらは、私は体力的に厳しかったため訪れていないのですが、ガイドブックによく掲載されており、地元の人にも何度かおすすめされたため、見どころの一つだと思います。
王妃の建物跡であるクイーンズ・パビリオンの石門の階段口にある、半径の石盤がムーンストーンです。ここに施されている彫刻は、輪廻、つまり生と死の終わりのないサイクルと、このサイクルから解放されて涅槃に至る道を象徴しているそうです。

アバヤギリ大塔  Abayagiriya Stupa

アヌラーダプラ三大仏塔の2つ目。高さ75メートルと最も大きく、迫力がありました。
紀元前1世紀にワラガンバ王(ワッタガーマニ・アバヤ王とも)によって建てられました。一説によると、ワラガンバ王はタミル軍にアヌラーダプラを追われて流浪生活を送っていた際、ジャイナ教の僧侶から「国を放棄した」と言われたことを屈辱に感じ、その恨みから権力復帰後ジャイナ教寺院を破壊し、その跡地にこの仏塔を建てたのだとか。

サマディ仏像  Samadhi Buddha Statue

4世紀頃のものだと言われており、アヌラーダプラ時代の彫刻家の技量を表す作品として知られています。ドロマイト(苦灰石、白雲石とも)から作られています。
静かに瞑想する仏と、その周りでさわさわと葉を揺らす菩提樹。なんだかとても心穏やかになれる空間です。↑この仏像は角度によって違った表情が見られると言われていますが、わかるような、わからないような。

↑帰ろうとすると、林の奥からゆっくりと牛の群れが近づいてきました! なんとものどかな風景です。

クッタム・ポクナ(ツイン・ポンズ)  Kuttam pokuna(Twin Ponds)

かつてアバヤギリ大塔近くの僧院で修行していた僧たちの沐浴場の跡で、8、9世紀頃に造られたと考えられています。ツイン・ポンズと呼ばれることもありますが2つの池は同じ年代のものではなく、小さい方(北側)の池の方が大きい方(南側)の池よりも古いそうです。
個人的には、今回回った中で一番「遺跡」感があってテンションが上がりました。
↑池の周りにはやはり猿。猿もここで沐浴したりするのでしょうか。

ジェータワナ大塔 Jatavana Stupa

アヌラーダプラ三大仏塔の3つ目。3世紀にマハーセーナ王の命によって建てられたレンガ造りの仏塔です。当時は高さが122メートルほどあったと言われ、世界でもトップクラスに高さのある建造物でした。復元後の現在は70メートルほどですが、レンガで造られた仏塔としては今でも世界一の大きさを誇ります。記録によると、この仏塔にはブッダの帯の遺物が保管されていたそうです。

まとめ

以上、アヌラーダプラについてご紹介してきました。

私の思うアヌラーダプラの魅力は大きく分けて3つ。
1つ目は、遺跡をたくさん見られるところ。人間に忘れられ遺跡となった場所を猿たちが我が物顔で陣取っている光景は、長い時の流れを感じさせ、思わず物思いにふけってしまいます。
2つ目は、仏教に触れられるところ。菩提樹や仏塔を前に、粛々と祈りを捧げる巡礼者たち。街中を満たす、お線香のような香り。やはり聖地アヌラーダプラ、ほかの街と比べても仏教色が強く、興味深いです。
3つ目は、田舎の空気を味わえるところ。観光客がそこまでおらず緑が多いので、のんびりした空気が流れています。すれ違うスリランカ人も皆にこにこしていて、異国の地なのにふるさとに帰ってきたような、どこか懐かしい気分になりました。

このように魅力溢れる街、アヌラーダプラ。皆さんもぜひ行ってみてください!

# 関連キーワード