シーターワカ王国の遺跡が残るアビッサウェッラの観光案内

スリランカ鉄道のケラニ谷線(Kelani Valley Railway Line)の終着駅であるアビッサウェッラの町は、別名、シーターワカプラとも呼ばれ、シーターワカ王国の都(プラ)が置かれた町でした。
シーターワカ王国はポルトガルとの戦争で勝利するなど精強を誇った王国で、町には王国関連の遺跡が残されています。
またインド叙事詩「ラーマーヤナ」のシータ姫が隠されていた場所でもあったと言われています。
この記事ではアビッサウェッラの町とシーターワカ王国の遺跡群について紹介していきます。
シーターワカ王国とは?
コーッテ王国の建国の王パラークマバーフ6世は、ライガマ、ヴァンニ、ジャフナ王国を支配して1450年に全島統一を達成するも、その死後、コーッテ王国は弱体化します。
1463年に山間部が反戦が起きキャンディ王国の前身が作られ、1505年にはポルトガルがゴールに到着します。
1521年にコーッテ王国の王ヴィジャヤバーフ6世は3人の王子に殺害され、王国は3つに分割されます。
長男ブヴァネカバーフがコーッテ王国、次男パララジャシンがライガマ公国、三男マヤドゥンネがシーターワカ王国と3つに分かれますが、その中でも精強を誇ったのがシーターワカ(現在のアヴィッサウェッラ)に都を築いたシーターワカ王国でした。
1538年にシーターワカ王国はライガマ公国を併合します。
1557年にポルトガルのコロンボフォート(要塞)を包囲し、1559年にはムッレリヤワの戦いでポルトガルに勝利します。
1565年にコーッテの都を落としてコーッテ王国の領土の半分ほどを治めます。
1570年にキャンディ王国を支配下に治めます。
シーターワカ王国の建国の王マヤドゥンネと息子で2代目の王ラジャシンハ1世は勇猛果敢であった伝えられています。
ところが、マヤドゥンネ王が死去すると、キャンディ王国が独立。
2代目ラジャシンハ1世王がキャンディ王国との戦争後に死亡すると、ポルトガルにライガマ公国を奪われ、1593年にポルトガルによって滅ぼされます。
シーターワカ王国の遺跡群と観光スポット
シーターワカ宮殿、シーターワカ要塞

要塞跡 ※本ページの冒頭の写真は宮殿跡
2代目の王ラジャシンハ1世の宮殿と言われている遺跡がシーターワカ川の土手の上に残っています。
宮殿跡に隣接して、宮殿を破壊したポルトガルが作った要塞跡が残っています。
宮殿も要塞も土台が残っているだけですが、宮殿の土台はかなり大きいです。
緑に埋もれており、まさに遺跡と言える雰囲気です。
ラジャシンハ1世は勇猛さで知られ、初陣は14歳だと言われています。
マヤドゥンネ王時代は軍の指揮官として活躍し、ポルトガルを打ち破ったブッレリヤワの戦いの後、ライオンの王という意味の名前をもらっています。ラジャは王、シンハはライオンの意味です。
名称:Seethawaka Raja Maligawa、Seethawaka Fort
王のヒンドゥー寺院
宮殿・要塞とちょうど川を挟んだ反対側の土手の上にあるヒンドゥー寺院「Barandi Kovila」。
シーターワカ王国の遺跡の中でも最も保存状態が良いものがこちらです。
ポルトガルに破壊され、土台だけが残っていますが、レリーフなど綺麗な彫刻を見ることができます。
ラジャシンハ1世はポルトガルとの戦いにおいて、ケララなどマラバル海岸の軍との協力関係を持った縁で、ヒンドゥー教に改宗しています。
この寺院はシーターワカ王国時代の建てられた、あるいはその前(ポロンナルワ時代)に建てられたという2説がありますが、ラジャシンハ1世の時に手が加えられているのはたしかなようです。
ヒンドゥー教に改宗したラジャシンハ1世は仏教施設を破壊し、仏教僧の殺害したとも言われており、仏教僧がシーターワカ王国から離反し、王国の衰退に影響したという説があります。
また、ラジャシンハ1世が父のマヤドゥンネを殺害したという噂もあり、それはキャンディ王国内だけであったというオランダ人使者が書き残していますが、父殺害が理由で仏教僧との関係が悪化したという説もあります。
名称:Barandi Kovila
ラジャシンハ1世の墓
ヒンドゥー寺院「Barandi Kovila」の北3kmにラジャシンハ1世の墓(Tomb of King Rajasinghe-I )があります。
バス通りに標識があり、草の中を降りていくと橋があります。
右手に竹藪があり、その橋を渡った先に墓があります。
ラジャシンハ1世はキャンディ王国と戦いの帰り道に、竹で足を怪我して、怪我から感染症となり、死亡したと言われています。
囲いの中に岩がいくつかある、簡素なお墓です。
名称:Tomb of King Rajasinghe-I
ケラニバリークラブ
ヒンドゥー寺院とラジャシンハ1世の墓の間には、1884年にイギリス人プランターによって設立されたケラニバリークラブ(Kelani Valley Club)があります。
イギリス統治時代は象レース、クレイ射撃、ラグビーなどが行われていたそうです。
1900年代にスリランカ人の農園主たちに経営が渡り、茶、ゴム、ココナッツなどの農園を経営するスリランカ人が集う場所になっています。
立派なクラブハウスが建っていましたが、写真を撮らせてもらえませんでしたので石碑の写真です。
名称:Kelani Valley Club
マニヤンガマ石窟寺院
シーターワカ宮殿から南東に2.5kmほど行った山の中腹に仏教寺院があります。アヌラーダプラ時代にアヌラーダプラからこのお寺まで道がつながっていたといいます。
入口を入ると、右手に洞窟の下に作られた本堂があり、大きな涅槃像が安置されています。
ワッタガーミニ・アバヤ王はアヌラーダプラを追われた際、ダンブッラの石窟寺院で匿わられ、再起してアヌラーダプラを奪還していますが、この石窟寺院にもワッタガーミニ・アバヤ王が隠れていたという伝説があるそうです。
左の岩山の上にお堂があり、右奥の岩山の上にもお堂があり、登っていくとタイから支援を受けて建てられた仏像が安置されています。
頂上まで登ると、隣の山の岩山の上にも仏教寺院があることがわかります。
お寺の入口に戻り、少し坂道を登ると、シーギリヤロックの入口に似た二つの岩の間から入る入口があります。
その奥を登っていくとお堂があります。
入口に戻り、さらに坂を登るとキャンディで見るような大きな屋敷があります。
このお寺はキャンディ王国7代目、マドゥライ出身の王家に代わって2代目のカーティ・シュリ・ラジャシンハ王が改修をしていますので、その名残だと思われます。
1776年、カーティ・シュリ・ラジャシンハ王はこのお寺でのペラヘラを初め、現在も続けられています。
名称:Maniyangama Rajamaha Viharaya
Yakahatuwa Gala

行く途中に見えた水田
石窟寺院の山にYakahatuwa岩と呼ばれる大きな岩山があります。
石窟寺院の若いお坊さんは訪問時の夕方にYakahatuwa Galaに行ってキャンプして一泊するので一緒にどうか?と誘ってくれました。
猪が出て危ないので道案内を頼んだほうがいいとトゥクトゥクドライバーに言われましたが、構わず、グーグルマップを見ながら、山道をかなり歩きましたが、登った山のどこ道を行って最終的にどこかの民家に着いてしまい、たどり着けませんでした。
フィリップ・グナワルデナ・グランド
アビッサウェッラ出身の政治家で、スリランカ最初の政党「Lanka Sama Samaja Party」を設立し、スリランカ独立運動にも関わったフィリップ・グナワルデナの名前を関したグランドです。
アビッサウェッラで一番大きなホテル「Seethawaka Regency」から400mのところにあります。
クマリ滝
ラジャシンハ1世の娘、クマリが溺死したという言い伝えがあり、クマリ滝(Kumari Ella)という名前がついています。
落差4mの小さな滝です。
アビッサウェッラのバスターミナルから7.5kmです。
ヘワイッナ滝
クマリ滝のすぐ近くにあるヘワイッナ滝(Hewainna Waterfall)は、別名クマリ・ワラ滝(Kumari Wala Ella)とも言います。
シーターワカ・ボタニカル・ガーデン
世界遺産「シンハラージャ森林保護区」エリアの特有の植物品種を研究・保存するために作られたボタニカルガーデン(Seethawaka Botanical Garden)。
元々はゴムと茶のプランテーションだった土地に作られています。
アビッサウェッラのバスターミナルから南西に10kmの距離にあります。
ウダ滝
ウダ滝(Ella Uda Ella)はシーターワカ・ボタニカル・ガーデンから700mのところにある滝。
アビッサウェッラへの行き方
アビッサウェッラはコロンボ県の東端に位置し、県の西端にあるコロンボと鉄道のケラニバリー線(Kelani Valley Line)でつながられています。
紅茶畑が見られるメイン線、目の前に大海原が広がる海岸線は景色を楽しむ路線として知られていますが、ケラニバリー線も目を楽しませてくれる路線です。
コロンボを出発すると、そびえ立つロータスタワーが見え、大きなゴルフ場「ロイヤル・コロンボ・ゴルフ・クラブ」を抜け、住宅スレスレの中を走り、ヌゲゴダの大通りと交わる踏切を通り、線路まで服屋がはみ出た服問屋が集まるマハラガマからは、左右に何度も蛇行しながら走り、アヴィッサウェッラ近くは緑の中を道路と並行して走るその景色が素晴らしいです。
ただ、残念なことにアビッサウェッラ在住者がコロンボに通勤するための路線となっているためか、コロンボ発アビッサウェッラ行きの鉄道の出発時刻は16:10、16:35、17:25、20:00と遅い時間しかありません。
また、アビッサウェッラ発コロンボ行きの鉄道の出発時刻は4:55、5:35、6:25、12:35と午前中に集中しています。
鉄道の旅を楽しむにはアビッサウェッラで一泊して、翌日の12:35発の鉄道でコロンボに戻るのが良いでしょう。
イギリス占領時代はアビッサウェッラから南のラトゥナプラを経由のOpanayakaまでの路線と、アビッサウェッラから北のYatiyanthotaを繋ぐ路線がありましたが廃線になっています。(Yatiyanthota路線が1942年に、Opanayaka路線が1973年に廃線)
バスはコロンボからアビッサウェッラ行きを始め、ハットン行き、ラトゥナプラ行き、バドゥッラ行きなどのバスで行くことができます。
バスの所要時間は2時間〜3時間ほどです。
移動時間、現地での移動のことを考えると、車をチャーターしてしまうのがお勧めです。
アビッサウェッラの代表的なホテルは景色の良い丘の上にあり、歩いて登り下りするのは大変です。
また、シーターワカ王国の遺跡はメインとなる「宮殿・要塞跡」と「ヒンドゥー寺院」は市内から徒歩内ですが、それ以外は離れた場所にあります。トータルで考えると、車があった方が便利です。
YKKランカの工場

マニヤンガマ石窟寺院に近くにあったタンク
スリランカに進出している代表的な日本企業の一つであるYKKの工場が、町の北部にあるBOI(スリランカ投資局)のシーターワカEPZ(輸出工程ゾーン)内にあります。
スリランカの輸出品はアパレル、紅茶、ゴムなどが知られていますが、アパレルのBrandixやTeejay、アイスクリーム最大手のエレファントハウス、その他にゴム、紅茶などの工場がシーターワカEPZには集まっています。
町の中心はバスターミナル
町は大きなバスターミナルが中心になっています。
バスターミナルのビルに各種ショップが入り、近くには銀行、スーパーなどがあります。
外国人が観光で訪れる町ではないため(あの分厚い地球の歩き方にさえ掲載されていません)、外国人向けのホテルやレストランは皆無です。
後述するホテルで宿泊するか、食事をする場合以外はお酒を飲む場所はあまりなさそうですので、お酒を飲みたい方はバスターミナル近くのスーパー(カーギルス・フード・シティー)で買っておくといいでしょう。
※お酒の購入はスリランカでは21時までですので、それまでにご購入下さい。
鉄道駅はバスターミナルから西に少し行ったところにあります。
代表的なホテル
観光地化されていませんので、ホテルはごくわずかです。
代表的なホテルが2軒あります。
結婚式場にも使われるような地域を代表するホテルですが、観光地価格ではありませんので、リーズナブルに泊まることができます。
シーターワカ・リージェンシー
アビッサウェッラのバスターミナルから南東に2.5kmほど行った丘の上にあるホテルです。
結婚式場としても使われるホテルで、エッフェル塔やビッグベンなどのレプリカが記念撮影用に置かれています。
パープル・サン・リゾート
バスターミナルの裏の丘の上にあるホテル。グーグルマップ で調べるとバスターミナルから徒歩15分ほど(ちょうど裏手にありバスターミナルの北側から行っても、南側から行っても同じぐらいかかります)と出ますが、丘をかなり登ったところにあり、荷物を引いて歩くのは少し大変です。バスターミナルからトゥクトゥクで行くほうが楽でしょう。
丘の上にあるため、景色も素晴らしいはずです。
取材でこちらのホテルに泊まる予定でしたが、間違えて丘の途中にある他のホテルにチェックインしてしまい未取材です(笑)
町の中心地、遺跡があるエリアにも近くて好立地です。
まとめ

シーターワカ川
アビッサウェッラは鉄道の終着駅、主要駅は歴史のある町ですが、アビッサウェッラについては、日本語で情報はほとんどありませんでした。
かつてスリランカのほとんどを支配した強い王国の都が置かれていただけあり、それなりの見所がありました。
王朝は2代しか続かず、ビーチや湖などの分かりやすい景勝地がある訳ではありませんので、今後も観光地化は進まないと思いますが、歴史好きの方はぜひ訪れてみてください。
アビッサウェッラの観光マップ
アビッサウェッラへの旅行をアレンジする
アビッサウェッラへはバンダラナイケ国際空港やコロンボから最も便利なアクセス方法はカーチャーターです。
本記事でもご紹介している郊外の見所も訪れる際は車があった方が便利です。
アビッサウェッラへの旅をご検討されている方、ご相談をご希望の方は以下のフォームよりお問い合わせください。
関連ページ
参照ページ
Seethawaka or Sita Waka Avisaawella Ramayana Site
Sitawaka Fort and the Palace of Rajasinghe I
Barandi Kovila of Sitawaka Kingdom
Barandiya Kovil – Hindu temple of Sri Lanka’s ancient capital Sitavaka
Kelani Valley Club
List of gentlemen’s clubs in Sri Lanka
Maniyangama Raja Maha Viharaya
A Throwback To The Time Of Kings
Philip Gunawardena
Seethawaka Botanical Garden
Kumari Ella Falls
Hanwella Ella Uda Ella Falls (Kahana Ella)
YKK 海洋プラごみを主材料にしたファスナー開発
2020年2月17日 YKKスリランカ社が、スリランカ労働省主催「社会対話の促進と良好な職場環境」の表彰において優秀賞を受賞

「旅と町歩き」を仕事にするためスリランカへ。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年3月、法政大学社会学部社会学科を卒業。
2005年4月、就活支援会社に入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長などを経験して就職支援会社を退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当。
2016年7月、初めてスリランカに渡航し、会社の登記を開始。
2016年12月、スリランカでの研修受け入れを開始。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年2月、スリランカ情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、ホステル「スパイスアップ・ハウス」開設。
2020年8月、週刊「スパイスアップ・ニュースレター」創刊。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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