ペターのジュエリーショップ&ヒンドゥー寺院ストリート

オランダ時代の旧市街からコタヘナに向かって伸びるシーストリートには、南インドのタミル・ナードゥ州から移り住んだ金の宝石細工職人たちが開いたジュエリーショップと、彼らが建立したヒンドゥー寺院が並んでいる。
彼らの一部はキリスト教に改宗しており、シーストリートに平行して走る道には、キリスト教会も並んでいる。
本記事では、ペターのジュエリーショップとヒンドゥー寺院が並ぶシーストリートについて解説する。
目次
シーストリートとは?
ペターのメインストリートの東端に建つオールドタウンホールから北に伸びているのがシーストリートだ。
その名が示すように海岸線に沿って伸びていた道だと思われる。
東側を走るバス通りの名はSea Beach Road、Sea Beach RoadとSea Streetをつなぐ小道の名は、Beach StreetとSea Beach Laneでそれぞれ勾配があり、Sea Streetが少し高くなっているのが分かる。
英語名のSea Streetは、シンハラ語名ではヘッティ・ウィーディヤという。
ヘッティはこの通りにジュエリーショップを開いたヘッティ(チェッティ)のことで、ウィーディヤとは通りのことをいう。つまり、ここはチェッティストリートということである。
通りの南側にはジュエリーショップが、通りの北側にはヒンドゥー寺院が並んでいる。
チェッティとチェッティアール
チェッティとは、タミル語の「エッティ」(タミル王によって商人に与えられた称号)に由来すると言われ、パーリ語ではセッティ、シンハラ語でヘッティ、またはシトゥという。
チェッティはタナ・ヴァイシャという交易カーストまで遡る家系を持つとされ、北インドからムガル帝国が侵攻し、マディケーリ(旧コダグ王国の首都)からインド南部へと追いやられたという。
豪邸と美食で知られる大富豪チェッティアール
インドのタミル・ナードゥ州の第二の都市マドゥライの東にチェッティ・ナードゥと言われる地域がある。銀行家、塩やスパイスの交易商人として財を成し、豪邸で美食で知られる南インドのチェッティアールが暮らした町である。
「ナードゥ」とは土地や国を表し、タミル・ナードゥ州はチョーラ・ナードゥ、パーンディヤ・ナードゥ、コング・ナードゥなどに分けられる。
チェッティアールの豪邸は広い中庭と広い部屋、それを支える柱が目を引くが、ジェフリーバワが自邸ナンバー11の中庭に並べた柱もチェッティアールの柱である。
「イアール」はタミル語で「人」を意味する接尾語。スリランカの近代史によく名前出てくるムダリヤールは南インドとスリランカの植民地現地高官のことだが、この言葉も「第一の」という意味のムタリに、人という意味の「イアール」を合わせた言葉である。
イギリス植民地の南インド・セイロン・ビルマ・マラヤ・シンガポールにおける銀行家として冨を蓄積したチェッティアールの足跡は現在もコロンボに残っている。

1906年マドラス(現チェンナイ)でインディアン銀行(Indian Bank)を創業したラーマスワミ・チェッティアール(S. Rm. M. Ramaswami Chettiar)はセイロン(現スリランカ)にも進出し、コロンボのゴールロードに現在も支店がある。
イギリス植民地下の20世紀初頭のマドラスでは3つのイギリス系銀行があり、そのうちの一つであるアーバスノット銀行が破綻し、それを引き継ぐ形でチェッティアールたちが立ち上げたのがインディアン銀行である。
金細工街、ジュエリーショップ街を形成したコロンボ・チェッティ

マレー半島のマラッカでは、タミル・ナードゥ出身の銀行家はチェッティアール、それ以外のタミル・ナードゥ出身の人々をチェッティといって、区別しているという。
タミル・ナードゥ州では農業地主のヴェッラーラー・チェッティアール、織物業のデヴァンガ・チェッティアールと、職業によって別のカテゴリーがあるようだ。
コロンボのシーストリートのチェッティは、南インドのマハラジャたちに金細工師として雇われていた人たちだったという。シーストリートにあるビルにはチェッティアールと書いてあり、チェッティの中でも成功した人はチェッティアールと呼ばれるのかもしれない。

チェッティのセイロン島への移住は、スリランカ建国の王に従って移民した職人など古代からあったとも言われているが、多くなったのはポルトガル植民地時代とオランダ植民時代だという。
オランダ領セイロンの三大都市であったコロンボ、ジャフナ、ゴールを中心に沿岸の港町に移住したチェッティはスリランカン・チェッティと言われるが、特にコロンボに集中していることからコロンボ・チェッティとも言われる。
ジャフナ王国があったナルールにチェッティが住んだ名残が、チェッティストリート、チェッティストリートレーンとしてその名を残している。
2012年の国勢調査ではスリランカン・チェッティは6000人とされているが、コロンボ・チェッティ協会は15万人ほどいると記載している。
マラッカ、ジャフナ、コロンボそれぞれのチェッティは現地人との同化が進んでいるというので、どこまでチェッティとするかで人口数は大きく変わりそうだ。
1919年にコロンボ・チェッティ協会が設立され、ニゴンボ、チラウ、プッタラムにチェッティの協会が設立。1983年にスリランカ・チェッティ協会が設立され、1986年にコロンボ4のセント・ピーターズ・カレッジ講堂にて、コロンボ・チェッティ協会とスリランカ・チェッティ協会は統合され、スリランカ・コロンボ・チェッティ協会として生まれ変わっている。
コロンボ・チェッティの著名人
イギリス最大の文学賞であるブッカー賞を受賞したイングリッシュ・ペイシェント(映画化されて、第69回アカデミー賞の作品賞・監督賞など9部門で受賞)を書いた作家のマイケル・オンダーチェはコロンボ・チェッティだ。
コロンボ・チェッティ協会の会長、ココナッツ繊維局の初代会長、ココナッツ研究所の会長などを歴任したR.I.フェルナンドプル(R.I.Fernadupulle)、
スリランカ最大の広告代理店グラント・マッキャン・エリクソン(現:電通グラントグループ)の創設者レジー・カンダッパ(Reggie Candappa)、
国際海洋法裁判所の初代事務局長を務めたグリタクマール・チェッティ(Gritakumar E. Chitty)、
セイロン初の公務員として1845年に立法評議会のメンバーに選出されたサイモン・カシー・チェッティ(Simon Casie Chitty)などもコロンボ・チェッティだ。
第二代大統領J.R.ジャヤワルダナは、K・M・デ・シルヴァとハワード・リギンズによって書かれた彼の伝記によれば、祖先はチェッティだという。
立ち並ぶジュエリーショップ

シーストリートの南側はジュエリーショップが並んでいる。
ここの通りのジュエリーショップは営業日であれば、シンハラ、タミル、ムスリムと地元の人たちが多く集まっているのを見かける。

祝日にはバナナの花などが飾られ、タミル人の町らしい雰囲気も見られた。
20世紀初頭のビル群

シーストリートの真ん中あたりには、重厚な歴史ある建物がいくつか残っている。

かつてのチェッティのビジネスの拠点だったのであろう。
ヒンドゥー寺院群(オールド&ニュー・カティレサン・コヴィル)

シーストリートにはいくつもヒンドゥー寺院、ヒンドゥー神を祀った祠があるが、その中でも最も歴史があるのが、正面からセント・ポールズ・マーワタが伸びるオールド・カティレサン・コヴィル(Old Katiresan Kovil)である。およそ100年の歴史があるという。
その北側には、ニュー・カティレサン・コヴィル(New Katiresan Kovil)が、南側にはシュリ・ムットゥマリ・アンマン・コヴィルがある。

スリランカの守護神は孔雀を乗り物にする軍神ムルガン(カタラガマ)だが、これらの寺院はムルガン、兄であるガネーシャ、父であるシヴァ、母であるパールバティなどが祀られている。

チェッティアールは慈善活動で称えられているという。学校、病院、寺院に資金を提供し、その多くは今も重要な文化的ランドマークとなっているというが、シーストリートのヒンドゥー寺院群はまさにそうである。
タミルの槍祭りアーディヴェルの出発地
上半身や頬、舌を串刺しにした苦行者が歩くタミル人のお祭りアーディヴェルのスタート地点は、シーストリートの東隣の道、「シュリ・カティレサン・ストリート(Sri Kathiresan Street)」にある、「シュリ・カティヴェラユタ・スワミ・コヴィル(Sri Kathirvelayutha Swami Kovil」だ。
朝にシュリー・カティヴェラユタ・スワミ・コヴィルを出発し、ゴールロードを通って、バンバラピティヤにあるシュリー・マーニカ・ヴィナヤーガラ・テンプル(Srī Mānika Vinayāgar Temple)まで行進する。
バンバラピティヤには、 オールド・カティレサン・ヴァジラ・ピッラヤール・コヴィル(Old Katirēsan Vajira Pillayar Kovil)、カティレサン・ピッラヤール・コヴィル(Kathiresan Pillayar Kovil)と、同じような名前の寺院が存在する。
キリスト教会群

チェッティの一部はポルトガル統治下でカトリックに、オランダ統治下でオランダ改革派教会に、イギリス統治下でイギリス国教会に改宗し、教会も建てている。
シーストリートの東に平行して伸びるシュリ・カティレサン・ストリートの南側にはヒンドゥー寺院が点在しているが、北側にはコロンボ・チェッティが建てた聖トーマス教会、聖母マリア教会などが並んでいる。
コタヘナの丘を通るニュー・チェッティ・ストリート(New Chetti Street)にある教会群とヒンドゥー寺院群もチェッティたちが建てたものだ。
関連記事・参照
EXPLORE SRI LANKA:The Goldsmiths of Sea Street
Sunday Times:From Sea Street to Gold Street: New Gold Centre in Colombo
Love Sri Lanka:Old & New Kathiresan Temple
Lonely Planet:New Kathiresan Kovil
MooreTravelTips.com:Colombo Old and New Kathiresan Kovils Hindu Temple
minube:New Kathiresan Temple
roar media:Sri Lanka’s Lesser Known Minorities: The Chetties
Colombo Chetty Association of Sri Lanka公式サイト
Colombo Chetty Association of Sri Lanka:Prominent Chetties
Melaka Chetti公式サイト
Wikipedia:Chettiar
Wikipedia:Sri Lankan Chetties
Wikipedia:Chitty (disambiguation)
Wikipedia:Gritakumar E. Chitty
Wikipedia:Chettinad
Wikipedia:Karaikudi
ウィキペディア:コダグ王国
JOSHUA PROJECT:Sri Lanka Chetti in Sri Lanka
Wikipedia:Nagarathar
Wikipedia:Indian Bank
QUIRKY WANDERER:Mansions of Karaikudi in Chettinad
Time Out:Adi Vel reverence for Lord Murugan
Kataragama.org the Kataragama-Skanda website:Colombo’s Adi Vel Festival

SPICE UP LANKA CORPORATION (PVT) LTD Managing Director
スリランカ日本人会理事 兼 広報部長
WAOJEコロンボ支部理事(初代支部長、2期~4期事務局長、5期企画部長)
「旅と町歩き」を仕事にするためスリランカへ。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年4月、法政大学社会学部社会学科を卒業後、人材系ネットベンチャーに新卒入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長などを経験して人材系ネットベンチャーを退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当しながら、新宿ゴールデン街で訪日外国人向けバーテンダー。
2016年7月、初めてスリランカに渡航し、会社の登記を開始。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2022年12月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開始。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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