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シーギリヤロックが、地球の歩き方『世界の魅力的な奇岩と巨石139選』に掲載!

2021年3月19日

スリランカのシーギリヤロックが、株式会社地球の歩き方が2021年3月18日に発行した、旅の図鑑シリーズ『世界の魅力的な奇岩と巨石139選 不思議とロマンに満ちた岩石の謎を旅の雑学とともに解説』に掲載されました。

2020年12月末までは発行所を株式会社ダイヤモンド・ビック社、発売元を株式会社ダイヤモンド社が行っていましたが、2021年1月1日から学研グループに事業譲渡され、発行所が株式会社地球の歩き方、発売元が株式会社学研プラスになっています。

本書の一番最後のコラム「世界の巨大一枚岩 上からくらべてみました!」には、15の巨大一枚岩の大きさが比較されていますが、その中にもシーギリヤ・ロックが入っています。

こちらの本は、ページをペラペラとめくって、139もの奇岩・巨岩の写真と解説を見るだけでも十分楽しめます。

本書には「岩の種類と基礎知識&用語集」がまとめられていますので、世界の奇岩・巨岩の中でも、シーギリヤロックがどんな岩で、どんな特徴があるのかが比較して理解できます。

本書で取り上げられている南アジアの奇岩・巨岩は、「シーギリヤロック」「クリシュナのバターボール」「ハンピの巨岩地帯」の3つです。

クリシュナのバターボールは、スリランカの王朝にも関係したパッラヴァ朝の主要港として発展したマハーバリプラムにあるバランスロックです。
ハンピの巨岩地帯は、スリランカの王朝にも関係したヴィジャヤナガル王国の都が置かれてた町にあります。

それぞれ世界文化遺産に登録されていますが、スリランカとも関係を持つほどに影響力を持った歴史に名を残す王朝が栄えていました。

本記事では、この南アジアから選出された3つの奇岩・巨岩について紹介していきます。

世界文化遺産「シーギリヤロック」

本書の「岩の種類と基礎知識&用語集」では、火山岩頸(volcanic neck)の例として、シーギリヤロックとアメリカの「デビルスタワー」が紹介されています。
火山岩頸の説明を本書から以下に引用します。

山の火道内でマグマが硬化してできる深成岩が、その後の浸食によって山が削られ、地表に露出する。こうした状態を火山岩頸。

岩頸の他の代表例には以下のようなものがあります。
アメリカ:「デビルスタワー」「シップロック」「アガラスピーク」「スタインズ・ピラー」
フランス:「サン・ミシェル・デギュイユ岩峰」「ポリニャック城」「ジュルビエ・ド・ジョン」
イギリス:「エディンバラ城」
イタリア:「ストロンボリッキオ島」
サントメ・プリンシペ:「カン・グランデ峰」
日本:「孀婦岩」「筆島」「雪彦山」「縫道石山」「城山」「烏帽子山」

シーギリヤロックのページの書き出しは以下のように始まります。

20億年以上前の火山活動時にできた花崗岩柱が、数億年にわたる風化・浸食で現れたが巨岩シーギリヤ・ロック。
その高さは地表から約195mで、地下に埋まっている花崗岩(火山岩頸)のごくわずかにすぎない。

世界文化遺産「クリシュナのバターボール」

クリシュナのバターボールは、世界遺産「マハーバリプラム」に登録されているバランスロックです。

チェンナイから南に55kmほどにあるヒンドゥー教の聖地「マハーバリプラム」にあります。

マハーバリプラムは、パーラール川の河口にあり、パーラール川の上流にある、マハーバリプラムから西に65kmほどにあるカーンチープラムに都を置いたパッラヴァ朝の東西貿易(海のシルクロード)の一大拠点として栄えました。

「クリシュナのバターボール」は、形がバターボールをナイフで切ったようで、バターボールが大好物の神・クリシュナに因んで付けられた名前です。

パッラヴァ朝の時代に象を使って動かそうとしたものの動かせなかったという言い伝えが残っています。

ライオンをシンボルとするパッラヴァ朝

興味深いのは、パッラヴァ朝はシンハラ王朝と同様に、ライオンをシンボルとしていた王朝でした。

シンハヴァルマン2世(在位438年〜460年)
シンハヴィシュヌ(在位575年〜600年)
ナラシンハヴァルマン1世(在位630年〜668年)
など、「シンハ」と名のつく王がいます。

シンハヴィシュヌはカラブラ朝を破って領土を南に拡大し、スリランカの君主とも抗争したそうです。

スリランカの建築に影響を与えたパッラヴァ朝

パッラヴァ朝はその高い建築技術で知られ、それがタミル人によってスリランカにも伝播したと言われています。

スリランカでも石窟寺院が多く見られますが、パッラヴァ朝は建築様式を変えていった経緯が遺跡として残されていて、大変貴重であると言われています。

古い様式は、修行地として作られた石窟寺院です。

花崗岩の岩山を掘削して、その内部に寺院を作ったものです。

外部から隔絶された、風雨がしのげる、内部が薄暗い寺院です。

その次に出てくるのが、参拝者が訪れる神殿として石堀寺院。

屋外にある巨岩を掘り込むことによって作られた寺院のため、修行者でもなくても参拝がしやすいタイプです。

さらにその次に出てくるのが、切り出した石やレンガを積み上げた石造寺院です。

それぞれのタイプの寺院が世界遺産に登録され、見られるのがこの遺跡の特徴です。

石窟寺院:ヴァラーハ・マンダパ窟、マヒシャマルディニー・マンダパ窟、トルムールティ窟、アーディ・ヴァラーハ窟
石彫寺院:パンチャ・ラタ(5つの山車の意味)、ダルマラジャ・ラタ
石造寺院:海岸寺院

世界最大規模の石彫りのレリーフ「ガンガーの降下」も傑作とされています。

スリランカにも遠征した王・ナラシンハヴァルマン

シンハラ王朝のマナヴァルマ王子は、パッラヴァ朝の王・ナラシンハヴァルマンが、宿敵であるチャールキヤ朝の王・プラケーシン2世と戦う際に支援しています。

プラケーシン2世は、ナラシンハヴァルマンの前の王・マヘーンドラヴァルマン1世(在位600〜630年)を破り、パッラヴァ朝の北側の領土を手に入れています。

ナラシンハヴァルマンは、プラケーシン2世を倒し、バーダーミを占領して破壊。

支援をしてくれた見返りとして、スリランカでの王位継承で争うマナヴァルマ王子を支援するために、スリランカに2回遠征しています。

ナラシンハヴァルマンの治世に、三蔵法師こと玄奘がカーンチープラムを訪れています。

ナラシンハヴァルマンは「マハー・マッラ(偉大な戦士)」とも称され、彼に因んで付けられた町の名前が、マーマッラプラム(現・マハーバリプラム)です。

この時代のスリランカはアヌラーダプラ時代の後期です。

現在の地名「マハーバリプラム」は、インド神話におけるマハーバリの町という意味です。
マハーは偉大な、バリはアスラの王を意味し、マハーバリの治世は喜びに満ち、讃えられました。
ケララ州では年に一度、マハーバリが現世へ戻ることを祝うお祭り「オナム」が行われています。

世界文化遺産「パッタダカルの建造物群」に影響を与える

世界文化遺産「パッタダガカルの建造物群」は、ムンバイから南東に460kmにある寺院群。

チャールキヤ朝の都として栄えたバーダーミの北東12km、マラプラバー川の西岸に建築されました。
パッラヴァ朝の建築を取り入れて作られた寺院群で、世界遺産登録されています。

チャールキヤ朝の8代目の王・ヴィクラマーディティヤ2世は、パッラヴァ朝の建築に感銘を受けて、建築家グンダを招聘して南インドの王領各地から石工や彫刻家たちを多数招いてパッタダカルに多くのヒンドゥー寺院を建設しています。

世界文化遺産「大チョーラ朝寺院群」を築くチョーラ朝に滅ぼされる

パッラヴァ朝がパーンディア朝と争う中で、
846年、パッラヴァ朝の封臣「ヴィジャヤーラヤ・チョーラ」が、パッラヴァ朝の封臣ムッタライヤル家からタンジャーヴールを奪って本拠とします。

2代目の王・アディティヤ1世(在位871年〜907年)がパッラヴァ朝を滅ぼします。

パッラヴァ朝の首都・カーンチープラムは後に、ヴィジャヤナガル王国とバフマニー朝の係争地になっています。

3代目の王・バラーンタカ1世(在位907年〜955年)は、パーンディヤ朝の首都・マドゥライを陥落させ、スリランカのシンハラ王朝からの援軍も破り、パーンディヤ朝を併合、パーンディヤ朝の王はセイロン島に逃亡します。

チョーラ朝の絶頂期の王・ラージャラージャ1世(在位985年〜1014年)は、アヌラーダプラ王国を滅ぼします。

ラージャラージャ1世が、チョーラ朝の首都・タンジャーヴールに建築したブリハディーシュヴァラ寺院を世界遺産「大チョーラ朝寺院群」として登録されています。
寺院の別名は建設した王の名からラージャラージェーシュヴァラ寺院といいます。

ラージャラージャ1世の子 ラージェンドラ・チョーラ1世は、アヌラーダプラからポロンナルワに行政府を移していますが、チョーラ朝の首都も遷都させ、ガンガイコンダチョーラプラムを首都とし、父が建設した寺院と同名のブリハディーシュヴァラ寺院を建設し、こちらも世界遺産に登録されています。

世界遺産「ハンピの建造物群」

ベンガルールの北350kmほどに位置する世界遺産「ハンピの建造物群」。

数多くの奇岩・バランスロックが見られる絶景で知られています。

この絶景は、巨大な花崗岩大地が風化・浸食によって形作られたものです。

この地をヴィジャヤナガル王国が首都にしたため、石造りの宮殿や寺院が作られ、それらが世界文化遺産として登録されています。

1336年に建国者の兄弟ハリハラとブッカは、トゥグルク朝から独立を宣言し、ヴィジャヤナガル王国を建国します。

首都に定めたのが、トゥンガバドラー川の南岸「ヴィジャヤナガル」、現在のハンピです。

ヴィジャヤ(勝利の)ナガル(都)という意味があります。

トゥンガバドラー川はクリシュナ川に合流する川で、その流域は豊かな土地であったため、歴史的に複数の王朝が衝突してきた場所でもあります。

ジャフナに遠征軍を送る

1377年に3代目の王に即位したハリハラ2世は、

1398年にスリランカ北部のジャフナ王国に遠征軍を送っています。

そして、ジャフナ王国に毎年の貢納を誓わせたそうです。

この時代のスリランカはジャフナ王国がセイロン島で最大勢力を誇っていた時代です。

シンハラ王朝のガンポラ王国は、ジャフナ王国に対する防衛のために、コーッテにジャヤワルダナ要塞を現在のスリジャヤワルダナプラコッテに建造しています。

ベンガルール(バンガロール)を築く

1537年、ヴィジャヤナガル王国の配下の領主ケンペ・ガウダ1世が泥で城を築き、ヴィジャヤナガル王国の地方都市として建設したのが現在のベンガルール(バンガロール)です。

ハンピを去る

1565年、ヴィジャヤナガル王国は、デカン・スルターン朝(ムスリム5王国)との「ターリコータの戦い」で敗れ、王都・ヴィジャヤナガル(現・ハンピ)から、ペヌコンダに遷都しています。

1592年、ペヌコンダからチャンドラギリに遷都し、王・ヴェンカタ2世はチャンドラギリ城で暮らしています。

チャンドラギリ城は観光名所の一つになっています。

1606年、チャンドラギリからヴェールールに遷都しています。

ヴェールール、ベンガルールの「ルール」はカンナダ語で町を意味するようです。

まとめ

本書がシーギリヤロックが掲載されることが分かっていましたので、予約注文しまして、発行日の3月18日に届きました。
まだ新しい本の匂いがします。

奇岩・巨石は意外にも知らないものが多く、また139もありながら、実際に行ったことがあるのはシーギリヤロックの1つのみ。

シーギリヤロックと同じ火山岩頸であり、映画『未知との遭遇』のラストシーンで知られるデビルスタワーをはじめ、他の国の奇岩・巨石も観にいきたいと思います。

眺めているだけで楽しいですので、是非、本書を手に取ってみてください。

参照)

【地球の歩き方】見て読んで世界を学べる「旅の図鑑シリーズ」より新刊3タイトルを同時発売。世界の指導者/世界の奇岩・巨岩/世界の首都・主要都市をテーマに楽しく教養が身につく!
株式会社地球の歩き方

ウィキペディア「岩頸」
ANA Travel & Life「南インドの玄関口! チェンナイの定番人気おすすめスポット12選」
世界遺産ハンター.com「世界遺産の町、マハーバリプラムの石窟寺院」
世界遺産と建築19 ヒンドゥー教建築1:インド編
ウィキペディア「マハーバリプラム」
ウィキペディア「マハーバリ」
ウィキペディア「パッラヴァ朝」
ウィキペディア「カーンチープラム」
ウィキペディア「パッタダカル」
Wikipedia「Narasimhavarman I」
Wikipedia「Mamallapuram」
ウィキペディア「パーンディヤ朝」
ウィキペディア「チョーラ朝」
ウィキペディア「ブリハディーシュヴァラ寺院」
Wikipedia「Gangaikonda Cholapuram」
ウィキペディア「ハンピ (インド)」
ウィキペディア「ヴィジャヤナガル王国」
ウィキペディア「トゥグルク朝」
ウィキペディア「ハリハラ1世」
ウィキペディア「ブッカ1世」
ウィキペディア「ハリハラ2世」
ウィキペディア「トゥンガバドラー川」
ウィキペディア「ペヌコンダ」
ウィキペディア「チャンドラギリ」
ウィキペディア「チャンドラギリ城」
ウィキペディア「ヴェールール」
ウィキペディア「ベンガルール」
ウィキペディア「地球の歩き方」

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