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7月のポーヤデー「エサラポーヤ」〜カタラガマペラヘラ〜

2023年7月31日

スリランカでは毎月の満月の日はポーヤ・デーと言われる祝日で、仏教に関連することをお祝いする日です。

2023年7月(エサラ月)のポーヤ・デイは2回あり、7月3日がアディ・エサラ・ポーヤ、8月1日がエサラ・ポーヤです。

1か月に2回ポーヤデー(満月の日)がある場合、片方はそのままポーヤーで、もう片方は追加・余分を意味するシンハラ語”アディ”が付けられます。

グレゴリア暦の7月と、エサラ月は完全には一致していませんので、8月1日はニキニではなく、エサラなのでじょう。

エサラポーヤは以下の日だと言われています。

  • ブッタ(釈迦)が最初の説教(初転法輪)を行ったこと
  • 仏歯がスリランカに到着したこと
  • 摩耶夫人がブッタ(シッダルダ王子)をご懐妊したこと

また、キャンディの仏歯寺は、キャンディのマルワトゥ・マハー・ウィハーラヤと、アスギリヤ・ラジャ・マハー・ウィハーラヤが1年交代で僧を送っていますが、その交代のタイミングは7月のポーヤデーとされています。

本記事では、エサラ・ポーヤについてご紹介していきます。

ブッタが悟りを得た仏教最大の聖地「ブッタガヤ」

ブッタガヤを模したガンガラーマ寺院の塔

ブッタが29歳で修行のために林に入る際、ブッタの父がブッタの警護を兼ねて5人の修行者を同行させます。

6年間の激しい修行をし、35歳になっていたブッタはガヤ地区で沐浴した後に、村娘のスジャータからミルク粥の布施を受け、体力を回復します。

体力を回復したブッタは、過度の快楽が不適切であるのと同様に、極端な苦行も不適切であると思い、修行をやめます。

修行をやめたブッタを見た5人の修行者は、ブッタが修行から堕落したと思い、ブッタを置いて、サールナートの鹿が多くいた林「鹿野苑」に去ります。

体力を回復したブッタは菩提樹の下に座り、瞑想を行い、悟りに達します。

その場所が仏教の最高の聖地であり、仏教の八大聖地、四大聖地でもある「ブッタガヤ」です。

初転法輪と仏教教団の発祥地「サールナート」

ガンガラーマ寺院の法輪

悟りを得たブッタは、修行を共にした5人の修行僧に悟りを説くため、ガンジス川の聖地「ヴァーラーナシー」の北10kmほどにあるサールナートに向かいます。

サールナートで、ブッタの説法を聞いた5人は悟りを得て比丘となり、ブッタの最初の弟子「五比丘」と呼ばれるようになります。

この初めてブッタが仏教の教義(法輪)を説いたことを初転法輪といい、これを祝うのがエサラ・ポーヤです。

法輪はブッタが説いた八正道のシンボルでもあり、インド国旗の中央に描かれ、スリランカの仏教寺院でも法輪が見られます。

こうして、「三宝」である「仏(ブッタ)・法(法輪)・僧(修行者)」が揃い、仏教教団が発祥します。

サールナートは仏教の四大聖地の一つになっています。

仏歯(ブッタの犬歯)

エサラ・ポーヤは仏歯がスリランカに到着したことも祝っています。

インドのカリンガ国から女性の仏教修行者のクマ(Khema)がアヌラーダプラに持ち出し、ダンマチャッカ(法輪堂)に納められたとされています。

現在もキャンディの仏歯寺に納めれているとされています。

安居(ワッサ)の始まり

安居(あんご)とは、比丘(仏僧)が一室に集まって修行することを言います。

パーリ語ではVassaといい、雨を意味するそうです。

安居は仏教の発祥地である北東インドの雨季(6月中旬〜9月中旬頃)に行われるようになったとされています。

現在の雨季とは少しずれていますが、安居の期間は7月のポーヤデーから10月のポーヤデーまでです。

シンハラ語では雨が降る「ワヒナワー」、雨が降った「ワッサー」と言いますが、シンハラ人は”v”を”w”と発音しますので、おそらく語源は同じかと思います。

日本でも雨季に由来することから「雨安居(うあんご)」、あるいは夏に行われることから「夏安居(げあんご)」とも言います。

通常、比丘(出家した仏僧)は行脚して托鉢を行います。
タイやミャンマーでは比丘が壺を持って行列して歩く托鉢が見られます。

雨が多いこの時期に外を歩いて托鉢することが難しいことから一室に籠って修行します。
雨季に出歩いて、草木の若芽や土から出てきた昆虫たちを踏みつけてしまうことを避ける目的もあると言われています。

僧が托鉢のために行脚しない代わりに、在家仏教徒は比丘が滞在するところに食事をお布施(持参)します。

比丘にとって安居は、集中して修行ができる期間となります。
在家仏教徒にとって安居は、集中して説法を聴くことができるため期間となります。

つまり、安居は比丘・在家の双方にとって大切な期間となります。

日本では、僧侶が具足戒を受けた年数を数える単位「臘」を、安居明けに締めて数えるため夏臘とも言われます。
安居を経験した数は寺院内の僧侶の序列に関係するため、安居はとても重要なようです。

臘は元々は中国において冬至後の第三の戌の日(臘)に行う、猟の獲物を先祖百神に供える祭り「臘祭」を意味したそうです。

中国の二十四節気は冬至を1年の起点にしていますので、年が明けて臘がやってきたわけです。

お寺では一室に90日間籠って修行する安居が明けた後に臘を数えるようになったようです。

安吾が重要な期間であることが想像できます。

安居に始まる7月のポーヤデー「エサラポーヤ」には安居入りの法要が行われ、
安居が終わる10月のポーヤデー「ヴァプポーヤ」にはカティナ衣の法要が行われます。

在家信者は
安居入りの法要では、修行に入る前の比丘にお布施をし、
カティナ衣の法要では、修行を終えた比丘にお布施をします。

カティナ衣とは、安居を終えた比丘が臨時に着用することが許される衣のことです。

安居で集中して修行を行った比丘は、一時的に戒律の緩和が許されますが、カティナ衣を身につけることで、戒律の緩和が許されていることを示せるのです。

初期仏教では、比丘は私有物を持つことを禁じられていました。

所有することを許されていたのが、以下の三衣一鉢(さんねいっぱつ)です。

下着「安陀会(あんだえ)」
普段着「鬱多羅僧(うったらそう)」
儀式・訪問着「僧伽梨(そうぎゃり)」
托鉢をするための「鉢」

カディナ衣はその3つとは異なる一時的に身につけることができる衣です。

ミャンマーやタイでは今も托鉢の様子が見られますが、スリランカでは托鉢は見られません。
それは安居の状態(比丘がお寺にいて、村人が食事をお布施する)が通年行われているからだそうです。

これはスリランカが一度衰退した歴史的経緯によるものかもしれません。
キャンディ王国時代にタイ(シャム)から僧侶を招いてサンガ「シャム・ニカーヤ」を創設し、仏教を再興しています。

シャム・ニカーヤに所属できるのは、スリランカのカースト制度で上位に位置づけられる農業カースト「ゴイガマ」のみです

キャンディ王国の領土は雨の多い湿潤地域の丘陵地帯にあるため、農民である在家信者が通年で食事をお寺にお布施するようになったのかもしれません。

安居入りの法要は、日本にあるスリランカ系寺院、上座部仏教寺院でも行われています。

スリランカ人僧が長老を務める渋谷区の日本テーラワーダ仏教協会での雨安居入り法要

八王子にあるスリランカ系寺院「正山寺 釈迦牟尼国際佛教センター」での雨安居入り法要

東南アジアでも祝われるエサラポーヤ

毎月あるポーヤデーの中でも、雨安居に入る7月(エサラ・ポーヤ)は、カンボジア 、タイ、ラオス、ミャンマー、インドネシアなどの国でも祝われます。
特に有名なのは、インドネシアの世界文化遺産に登録されている仏教遺跡の「ボロブドゥール寺院」と「ムンドゥット寺院」でのお祭りのようです。

エサラ・ポーヤはサンスクリット語由来のAsalha Puja(Asalhaはサンスクリット語の7月)、あるいは、法輪を意味するダルマからDhamma Dayとも呼ばれるようです。

7月のカタラガマペラヘラ、8月のキャンディペラヘラ

7月のエサラ・ポーヤに合わせて行われ代表的なペラヘラは南部の聖地カタラガマで行われる、カタラガマ・ペラヘラです。

キャンディで行われるペラヘラは、「エサラ・ペラヘラ」とも呼ばれるため、エサラ・ポーやに行われると勘違いされることもありますが、翌月の8月(ニキニ月)の満月の日「ニキニ・ポーヤ」に最終日を迎えるように開催されます。

キャンディ・ペラヘラはエサラ月の新月にスタートして合計15日間取り組みます。
最初の5日間はパレード(ペラヘラ)は行われず、後半の10日間にペラヘラが町を練り歩きます。

関連記事

8月のポーヤデー「ニキニポーヤ」〜キャンディペラヘラ〜

https://spiceup.lk/kandy-perahera-festival/#i-3

参照)

ウィキペディア:ブッタガヤ
サールナート
ウィキペディア:三宝 
ウィキペディア:四諦
ウィキペディア:八正道
ウィキペディア:ダラダー・マーリガーワ寺院
Wikipedia:Khema 
Wikipedia:Asalha Puja
Wikipedia「Vassa」
The Rain Retreat (Vas Season)
やさしい仏教入門「安居、雨安居、夏安居」

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