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古代の巨大仏塔遺跡「ギリハンドゥサーヤ」

2022年4月28日

トリンコマリー郊外にある古代の巨大仏塔遺跡「ギリハンドゥサーヤ」について紹介します。

古代ギリシャにも知られた港町「ティリヤイ」

トリンコマリーから北に45キロ、車で1時間の距離に古代から知られるタミル人の港町ティリヤイ(シンハラ語ではティリヤーヤ)があります。

その内陸の丘の頂上「ギリハンドゥサーヤ」はあります。

ティリヤイは、紀元2世紀のギリシャの地理学者プトレマイオスの地図に「タラコリ・エンポリアム」と記載され、少なくとも紀元前6世紀から存在したのではないかと言われている古い港町です。

参考)
Wikipeida:Thiriyai

丘の上にある巨大仏塔「ギリハンドゥサーヤ」

ティリヤイから内陸に5キロの丘にあるギリハンドゥサーヤ。
その名前の意味は、ギリが「山」や「丘」、ハンドゥが「音」を表すハンダ、サーヤが「仏塔」で、「丘の音の仏塔」といったところでしょうか。

トリンコマリーの半島の丘の上にシヴァ神を祀る「コネスヴァラム寺院」がありますが、ティリヤイの丘もシヴァ神とも関係づけられるともされ、シヴァ神は踊る姿(ナタラージャ)で知られ、音楽とも関係する神ですので、「音」の由来はシヴァ神にあるかもしれません。

ギリハンドゥサーヤを見学する

仏塔がある丘の頂上までは石段が続いています。

岩に覆いかぶさる木が、この一帯が遺跡であることを物語っているようです。

途中には、小さな仏塔、石柱、階段、池、石橋跡、建物跡など僧院があったこと想像させる痕跡が残されています。

仏旗が見えてきたら、もうすぐ頂上です。

頂上に到着!!
遺跡が見えてきました。

ついにワタダーゲが見えました。

2つのガードストーンの間にムーンストーンがあり、ガードストーンの後ろにはマカラが描かれた階段の手摺りがあり、その先に仏像が見えます。

これらは、アヌラーダプラやポロンナルワより前のパッラヴァ芸術の様式だと言われています。

ポロンナルワのクワドラングルにあるワタダーゲのように、大きな円の壁があり、そして支柱が並び立っています。

ワタダーゲは、4つの方角に入口があり、それぞれに仏像が安置されますが、ギリハンドゥサーヤも同じ構造です。

ガードストーンの後ろにマカラが描かれた手摺りが見えます。

丘の上からは、ティリヤイの町の方を見ると、その先に海が見えます。

ワタダーゲ以外の建物の跡も残されています。

スリランカ最古の仏塔と言われる謂れ

この遺跡から2つの碑文が発見されています。

1つの碑文は、アヌラーダプラの王アガボディ6世(在位741〜781年)の治世23年目(763年)に、その碑文が作られたと書かれたサンスクリット語のものです。

アッガボディ6世は、大乗仏教の高僧アモガヴァジュラを中国に派遣し、アモガヴァジュラは742年に中国に到着しています。
アッガボディ6世は、パッラヴァ朝の支援で王になったマナワンナ王が創始したアヌラーダプラ王国第2ランバカンナ朝の王です。

スリランカの歴史年表:建国から現在まで

パッラヴァ朝及びパッラヴァ朝の大乗仏教の影響があったのでしょう。

もう1つの碑文は、ワタダーゲの南側にある8世紀頃に作られたとされる碑文です。
つまり、1つ目の碑文と同時代のものです。
こちらの文字は、パッラヴァ文字に似たもので、同様のものがシーギリヤでも発見されているそうです。

その碑文には、兄弟の商人トラプサとバハリカの名前と、仏塔の名前が11行に渡って刻まれています。

トラプサとバハリカは、ラージギルに向かう途中で、悟りを得た直後のブッダに会い、施しをして弟子入りしたとされる商人です。

トラプサとバハリカは、ブッダに礼拝するものを求め、ブッダは自らの髪の毛を渡したとされています。

港町ティリヤイにやってきた際に、丘の上にブッダの髪の毛を祀る仏塔を建て、それがギリハンドゥサーヤだということです。

それに基づくと、ギリハンドゥサーヤはブッダが生存中に建築が始まった、スリランカ最古の仏塔、さらには世界最古の仏塔ということになります。

一般に、スリランカ最古の仏塔は、アヌラーダプラにある仏塔「トゥパーラーマヤ」だと言われています。
トゥパーラーマヤは仏教に帰依した最初のスリランカの王テーワナンピヤティッサ王によって建てられたとされています。

近くの港町ティリヤイが、紀元2世紀のギリシャの地理学者プトレマイオスの地図に「タラコリ・エンポリアム」と記載され、少なくとも紀元前6世紀にはあったとされることから、ギリハンドゥサーヤが最古の仏塔である可能性はあります。

仏塔が現在の規模になったのは、アッガボディ6世が治世した8世紀とされ、その後に、ポロンナルワ王国を建国したウィジャバーフ1世によって修復されたそうです。

ギリハンドゥサーヤ近くにはワサバ王(在位67〜111年)が建設したとされる貯水池があります。

ヒンドゥー教が勃興する前は、タミル人にも仏教徒が多く、海の交易を行なっていたタミル人がインドから仏教をスリランカにもたらした可能性はありそうです。

ただ、スリランカの伝承では、アショーカ王が使者として送ったマヒンダがアヌラーダプラの王と出会ったとされており、そのため、トゥパーラーマヤが最古ということになっているのかもしれません。

南インドと仏教の関係で言えば、紀元前3世紀に南インドで栄えたサータヴァーハナ朝は仏教王国です。
その都アマラーヴァティーは現在も年一回盛大な仏教祭典が行われるテランガーナ州の州都です。

サータヴァーハナ朝の後の時代に南インドで盛況を誇ったのが、ギリハンドゥサーヤにも関わったであろう南インドのパッラヴァ朝です。

パッラヴァ朝は、世界遺産のヒンドゥー寺院「マハーバリプラムの建造物群」で知られますが、唐からやってきた玄奘三蔵はパッラヴァ朝の都カーンチープラムにも訪れとも言われています。

インドの王朝は仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教と複数の宗教を保護していることも多いですが、パッラヴァ朝は仏教が主勢力のスリランカには、仏教の支援を行なった可能性はあります。

参考)
Amazing Lanka:Thiriyaya Girihandu Seya
Wikipedia:Trapusa and Bahalika
Wikipedia:Girihandu Seya
Wikipedia:Vasabha of Anuradhapura
Wikipedia:Aggabodhi VI of Anuradhapura
ウィキペディア:パッラヴァ朝

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