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地理学者による詳細なグラフと表が多数掲載された『南アジアの国土と経済 (第4巻) スリランカ』

2022年4月14日

オーストラリア国立大学名誉教授(地理学)、スリランカのジャヤワルダナ政権のマハヴェリ川開発計画に関するオーストラリア高等弁務官付き顧問であったB.L.Cジョンソン氏が南アジア4か国の自然・経済・文化等に関して詳述した4分冊の最終巻が今回紹介する『南アジアの国土と経済 第4巻 スリランカ』です。

日本図書館協会選定図書、全国学校図書館協議会選定図書になった本で、古い本ですが、古いからこそスリランカ内戦前の状況が分かり、貴重な本だと思います。

本書はデータをまとめた地図、表、グラフなどが豊富に掲載されています。

その数は図が100点、表が39点、訳者補遺の表が14点で、合計153点もあります。

データの詳細を知りたい方は、ぜひ本書をご覧ください。
本記事では、注目した記述をピックアップして紹介します。

本書の概要

第1巻インド、第2巻バングラデシュ、第3巻パキスタンに続く、第4巻が本書『スリランカ』です。

1978年にB.L.Cジョンソン氏が調査を行い、原書の発行が1981年、日本語訳の発行は1985年。

翻訳はアジア経済研究所の4名の方が行っています。

本書は以下の7章で構成されています。

第1章:文化と環境の伝統
第2章:国民所得者
第3章:伝統的自給農業
第4章:食糧自給を目指して
第5章:永年作物
第6章:農業以外の資源と製造業
第7章:人口の分布と都市化

参考)
ジェトロ・アジア経済研究所
公益財団法人全国学校図書館協議会
公益財団法人日本図書館協会

気候・カースト・民族

気候

ウェットゾーンとドライゾーンの境界はニゴンボ、クルネーガラ、マータラ。
ウェットゾーンの飛地がウーワ盆地のバドゥッラ付近でナムヌクラ山塊を取り囲んでいる。

スリランカで最も乾燥している地域は、マンナール近辺の北西部沿岸部と、南部沿岸のハンバントタ近郊のヤーラである。

ジャフナ半島で溜池が見られないのは、地表に浸透性のある石灰岩が露出しているため。
ジャフナは地下水と天水による水田耕作が行われている。

カースト

■シンハラカースト
ゴイガマ(耕作者)
カラーワ(漁師)
サラーガマ(シナモンの樹皮むき職人)
ドゥラーワ(やしの実採り)
その他:仕立て屋、散髪屋、家事使用人などの小カースト

14-15世紀以降、南インドの低カースト手織り職人であったチャリヤが、シナモンの樹皮むき労働者として調達されてサラーガマと呼ばれるようになった。

サラーガマは、オランダ統治時代には富と地位を獲得して上昇していった。

■タミルカースト
ブラーフマン
ウェッラーラ
コヴィヤール
ハリジャン(不可触民)

ポルトガル時代に水田耕作を破棄してしまった土地を再び開墾するために、タンジャーヴールから奴隷労働者を導入。

オランダ人はシナモンに加えて、アレカやしの実や象も数商の対象にした。
兵士はジャワやアンボンから調達し、その人たちがスリランカマレーの起源となった。

ポルトガル人もオランダ人もムスリムを通商上のライバルとみなした一方で、真珠貿易の仲買人や事業家として利用した。

オランダ人は、野生シナモンの採集と小地主によるコーヒー、胡椒、ココヤシの実、さとうきび、綿花、タバコなど輸出向け作物栽培を組み合わせた混合経済とともに、シナモンのプランテーションをこの島に導入した。

インド・タミル(移民労働者)

シンハラ仏教徒は自家用の食糧生産のためには労力を惜しまなかったが、他者のために働くことは好まなかった。

コーヒーの場合、収穫は一時期に限られるため、南インドからタミル人労働者を季節労働者として、極めて劣悪かつ不健康な条件のもとに調達するのが一般的であった。

何千人という労働者がマラリアに倒れ、特にドライゾーンを移動する間の被害は甚大であった。

19世末に茶に加えてゴムも導入された。

茶とゴムの場合はより恒常的な労働力を必要としたが、賃労働に対するシンハラ人の偏見が相変わらず強かったため、プランテーション経営者は農園内にインド・タミル人向けの居住地を設けた。

独立後、インド・タミル人は本国に帰還し、英語を話すバーガーなどもオーストラリアなどへと移住した。

民族分布

スリランカ・タミル:142万4000人(1971年)
インド・タミル:117万5000人(1971年)
スリランカ・ムーア:82万8000人(1971年)

スリランカ・タミルが多いのは、ジャフナ、バッティカロア、コロンボ、トリンコマリー、マンナール、キャンディ。東海岸で過半数を超えてるのはバッティカロアのみ。

インド・タミルが多いのは、ディンブラ茶園、ウーワ茶園、キャンディ北郊外、コロンボ。

スリランカ・ムーアが多いのは、トリンコマリー南郊外、カルムナイ、バッティカロア、パーシクダー南郊外、プッタラム、コロンボ、ゴール、ベールワラ、キャンディ。

キリスト教徒が多いのは、プッタラム、マンナールなどの西海岸。

農業

ウェットゾーンではふんだんな湿気と土地不足。
ドライゾーンでは水不足と土地に余裕がある。

ドライゾーンの農業

播種のための整地は11月と12月にたけなわとなり、地元の労働力だけでは足りず、ウェットゾーンからの季節労働者を雇わなければならない。同様の労働力不足は3月と4月の収穫時にも起こる。

ヘーナ耕作

最も栽培されているのはクラハン(シコクビエ)、とうもろこし、キャッサバ、油料種子のごま、からしな、唐辛子、バナナ、豆類、カボチャ、瓜類など。

ジャフナの農業

河川が全く存在しないが、ワウニヤやマンナールなどの河間地と異なるのは、地下に中新生の石灰岩の素晴らしい帯水層があること。

この石灰岩層にある井戸は赤色土地域の集約的な園芸農業に灌漑水を供給している。
パルミラヤシはトディーと砂糖の供給源であり、種々の建築材ともなる。

主要換金作物は唐辛子。

ムーング豆が土壌に窒素を与えるために栽培される。

赤色土での農業の一番の問題は水の供給。
ヤラ期の終わりの7月から9月になると、井戸水が半塩水になる危険があり、潟湖近くの土地では地表の塩分化が起こる。
ただビートの根と甜菜はかなりの程度の塩分に耐え、唐辛子と玉ねぎも2000ppmまでの塩分には耐えられる。

ウェットゾーンの農業

ヨーロッパ人の到来以来、ウェットゾーンの村民の多くは自分の土地から直接得られる所得以外に付加的な所得を得てきた。
すなわち農園や宝石採取、あるいは都市でのサービス業や手工業からの賃金を得ることができるようになった。

一年中ある程度の雨がある気候のため、ウェットゾーンの作付けカレンダーでは、ドライゾーンほど労働需要に季節性がない。

一年生の作物の中では唐辛子が非常に重要。

シナモンの場合は単作の小規模農園が一般的であるが、ココアやコーヒーの場合はゴムの木の下で、バナナやパイナップルはココヤシの下で間作されている。

菜園

第二次世界大戦中、スリランカには対日戦争遂行のための連合軍の東南アジア司令本部が置かれた。
丘陵地隊の涼しく健康な気候のため、ヌワラエリヤは軍事病院やレクリエーション施設に格好の地であった。
これらの施設や兵営に新鮮な温帯野菜を提供できるよう、土地の農民は種子と肥料を与えられた。

ヌワラエリヤだけでなく、交通の便の良いバドゥッラ県やキャンディ県の一部で集約的な蔬菜栽培産業が発展した。

低地部で利用されるジャガイモの種芋が特産品で、遠くはジャフナ半島の市場向け菜園まで送られる。ジャガイモの全栽培面積のうち、79%はヌワラエリヤとバドゥッラであり、総生産量の84%を産出する。

ヌワラエリヤ県、バドゥッラ県、キャンディ県でキャベツの95%、ニラの90%、人参の86%、ノールコールの85%を産する。

家畜

家畜はスリランカの農業経済では副次的な役割しか果たしていない。

■1978年の調査データ
牛:154万1513頭
水牛:81万4407頭
山羊:45万頭
豚:4万1000頭
羊:2万3000頭

ヒンドゥー教徒が山羊を供犠に使用するジャフナが頭数で全国の山羊の1/3、羊の4/5を占めている。

開発

入植地

1932年に農業・土地相となったD.S.セーナナーヤカのもとで1935年に土地開発令が施行され、入職を促進。
1939年〜1953年の間に27の入植地が建設された。
最大のものはガル川(分譲者数3565人)、パラクラマ湖(分譲者数2780人)

 1940年代に根絶されるまで、マラリアはドライゾーンへの入植を躊躇させる最大の理由であった。
マラリアを媒介するハマダラカに対する殺虫剤として導入されたDDTの効果が人工学的に確認されたのは、おそらくスリランカが世界で最初であったろう。

ハンバントタのベラガマはマレー人の入植地として計画された。

水資源開発

最初に完成したのがガル・オヤ開発。
ガル川の全流域はドライゾーン内に位置し、流出の91%はマハ期のもの。
ヤラ期に商品作物としてタバコの栽培が奨励されている。

2番目に完成したのがウダ・ワラーウェ貯水池計画
流況はマハ期63%、ヤラ期37%。

マハーウェリ川開発
ウェットゾーンの水稲は一般に天水に依存し、補助的にエラ(用水路)からの流れを利用する。

三大輸出品

茶は絶対必要な飲料ではなく、コーヒーのような代替品が存在する。
天然ゴムは合成ゴムとの競争の脅威にさらされており、食用油の場合もココヤシの代替品がある。

■1978年の栽培面積
ココヤシ:451,472
茶:242,903
ゴム:226,328

■茶の栽培面積と生産
高地茶:総面積の41%、総生産の36%
中地茶:総面積の38%、総生産の31%
低地茶:総面積の21%、総生産の33%

スリランカの茶栽培の過去最高値は、1965年22万8236トンで、そのうち22万4281トンが輸出された。

1950年と比較して、1960-1962年と1972-1974年は、世界市場の紅茶価格は50%下落した。

その理由の一つは、東アフリカ諸国の新規参入による過剰生産で、スリランカのシェアは1947年の36%から1978年には20%に低下した。

スリランカは赤道に近い位置にあり、茶栽培地域の相当部分が年間を通じてフルに生産できるため、インドよりも生産面では利点がある。

茶の月別の生産量はある程度降水量に比例して変動し、雨期の後で生産量は上がるが、加工された茶の品質はこれとは逆の関係にある。ウーワ盆地の縁辺にあるニューバーグでは、高価格で最高に香りの良い茶葉は、生産量の少ない乾期に生産される。

6-7月に始まり、地元で「ウーワ風」として知られている少し乾いた風は、茶葉を萎らせ収量を減少させるが、品質を良くして価値を高める。

高品質の茶は数カ所に分散し、二つのモンスーンから雨を得ている「中央高地頂上部」で栽培される。

ウーワ風ほどではないが、北東モンスーン期の「ディンブラ風」によって品質が高まる。

植樹後2年で平らにされて、摘採が可能となる。

摘採は樹が古くて、ゆっくりと成長する高地茶の場合は17日ほど、若いVP茶では4-5日間続けられる。

窒素肥料が雨期に4-12回与えれる。

低地の茶樹は1.5-2年間に、
高地の茶樹は5年間に一度の剪定が行われる。
(高地では成長が緩慢なため、サイクルが長い)

ゴム

ゴムの栽培地は、標高400m以下のウェットゾーンで、2000mmを超す降雨が年中偏りなくある地域に限定されているため、茶に比べて分布範囲が制限される。

特に日本向けの輸出のゴム玩具と風船製造には潜在的な需要がある。

ココヤシ

米に次いで第2位の栽培面積をもつ。
ココヤシ栽培地の持ち主の85%は米も栽培している。

水はけの良い土壌で、降水量が1300mmを超え、降雨が時期的に偏らない、陽光と高温と湿度がある標高550m以下の地域で栽培されている。

成長して果実をつけるまで7〜10年かかり、生産の最盛期までに8〜10年かかるが、一旦成長してしまえば60年間生産を維持する。

ココヤシの60%は国内向けで、凶作年には輸出禁止の措置が取られる。

ココヤシは主にシンハラ人の農園や小地主によって栽培されている。

栽培地の中心は、砂質土壌の沿岸部、特に「ココヤシの三角地帯」と呼ばれるコロンボ周辺から北はチラウ、東はクルネーガラとマータラの境界付近にいたる地域である。

利益の点からみるとココヤシの実は茶やゴムとは比べものにならないほど低く、このことがヨーロッパ人の関心を惹かなかった理由でもあった。

小輸出作物

合計して輸出額の3%を占めるもの。

1972年の第一次土地改革法により個人が所有できる土地面積の上限は20haと定められ、1975年の土地改革修正法により、国籍に関わらず、一般法人所有の土地は接収されることになった。

換金作物の小規模農園は、企業家や専門的職業を持つ階層の貯蓄や投資の対象であったり、農村の少数の金持ちが買い集めたり相続した資産なのである。

■1978年の栽培面積(ha)
シナモン:21,926
カカオ:8,567
胡椒:7,449
コーヒー:6,438(1976年)
カルダモン:4,509
シトロネラ:4,259

シナモン、シトロネラ、カシューナッツは小規模農園で単独栽培される。
ドライゾーンではカシューナッツ単作のプランテーションが最近作られた。

シナモン

シナモンスティックは2位以下を大きく引き離して世界最大の輸出国である。
シナモンの71%はマータラ県とゴール県に集中している。。

カカオ

カカオの90%はマータレー県とキャンディ県に集中している。

カカオは庇蔭樹を必要とするため、ゴム、ココヤシなどとともに小規模農園とエステートの両者で栽培されているが、単独で栽培されることは滅多にない。

標高600m以下の地域で間作される。

コーヒー

コーヒーの60%はキャンディ県、マータレー県、キャーガッラ県で栽培されている。

コーヒーは1875年には最大の輸出量4万3,514トン(農地は10万1200ヘクタール)を記録。

細菌性の病害によって、1886年には9,144トンまで減少。

現在、アラビカ種とロブスタ種の両方ともゴムやココヤシの下で間作され、好結果を生んでいる。

カルダモン

カルダモンはマータレー県41%、キャンディ県36%、キャーガッラ県12%の3県に集中(89%)している。

シトロネラはハンバントタ西部とマータラ県のウェットゾーンとドライゾーンの境界地に限定される。

輸出用の高級品にもなるカルダモンは通常、茶の大規模エステートで副次的に栽培される

胡椒

胡椒は支柱となる植物が必要なため、カポック、アレカヤシ、あるいは茶園やカカオ園の庇蔭樹とともに小規模農園とエステートで栽培される。

カカオ同様に高湿度で豊富な降水量(1650mm-2500mm)が必要。

2-3年で実がなるようになり、およそ8年で最盛期を迎え、15年過ぎると収量が落ちる。

クローブ

クローブの木はウェットゾーン南西部の湿潤地帯の標高700m以下のところで栽培されている。

実がなるまでに3年かかる。

1本の木から2500個のクローブを生産し、50年間生産を続ける。

ナツメグ

ナツメグの木は、クローブと似た地域で栽培されるが、より標高が高いところで見られることもある。

ナッツの核からナツメグが得られ、外皮からはメースが得られる。

パパイヤ

パパイヤは全県で栽培されるが、ドライゾーンの東海岸と標高500m以上ではあまり栽培されていない。

5年間実をつけるが、3年目のものが最も品質が良い。

農業以外の資源

漁業

魚介類の輸出は車海老(プローン)と伊勢海老(ロブスター)が全体の90%で、主に日本、アメリカに向けて輸出されている。

漁業に携わる人たちは、社会で最も貧しい階層の人たちである。
スリランカでは、漁業は伝統的にムダラーリを中心として組織されている。
ムダラーリとは、主な市場と取引のある仲介業者たち。

漁獲量は西海岸が一番大きい。
ネゴンボからゴールやハンバントタにかけてはシンハラ人が優勢。
マンナール、ジャフナ、トリンコマリー、バッティカロアではタミル人が多数派。
この他に東海岸の二つの県には相当数のムーア人がいる。

干物生産の半ば以上はジャフナで行われている。

黒鉛

黒鉛(グラファイト)は潤滑剤として年間3万3500トン輸出されていたが、石油の重潤滑油によって代替されて大幅に輸出が減少。

主にアメリカ、イギリス、日本に輸出されている。

宝石

1978年は輸出総額の4%を占め、香港、日本、スイスの3カ国に83%を輸出している。

製塩

長期に渡る陽光と乾燥の気候に、潟状の微小起伏の地形が相まって、スリランカの北西部と南東部には海水の自然蒸発を行うに適した地域がいくつかある。

自由貿易区

香港系12社
米国系6社
日本系2社
タイ系2社
その他12カ国から1社ずつ

都市と雇用

雇用者数

コロンボ県81.7%
カルタラ県4%
キャンディ県2.8%
マータラ県2.5%
ジャフナ県2.2%
ゴール県1.8%
都市人口の52%がコロンボ県。

人口2万以上の都市の総人口のうち、82%はウェットゾーンに集中。

マンナール

漁業と製塩が第一の産業。
スリランカ・タミル人が多く、ジャフナの縮小版。

キャンディ

キャンディはその歴史的・宗教的な結びつきと、比較的健康的で準高原避暑地的な気候の故に、教育の一大中心地として発展してきた。

同地には、イギリス系の宣教師団や後のシンハラ系の諸団体によって、スリランカの上流階層向きにイギリスをモデルにした全寮制の学校が建てられたが、独立後、同国の主要大学がペラデニヤに設立されたことで、同地の教育的機能は一層強まることになった。

コロンボ

コロンボは、スエズ運河とシンガポールの中間にほどよく位置し、イギリスの海洋戦略と通商網の給炭港として重要な位置を占めたのである。

製粉、タバコ、茶の梱包といった工業は、港の周辺に立地しているが、近代的な工場の多くは住宅地には不適な低地や、住宅開発のとくに東側の周緑に立地している。

マウントラビニア近くのラトマラーナ空港に沿って密集している工業地区は、元々は第二次世界大戦時にイギリスが造った軍事施設にその起源がある。

小売業はムスリムの商品とタミル人の職人の伝統的な中心地であるペターにほぼ集中している。

最も人口密度が高いのがコーッチカデーであり、下層のタミル人やムスリムが密集して住む地区である。

コーッチカデーの北はやや人口密度が下がり、下中層のタミル人地区となる。

キャラニ川の湾曲部に、工業や市場向けの野菜栽培地の入り混じった下層の住宅地が再び現れる。

コロンボの人口の67%は基準値以下の住宅に居住し、約15万7000人が不法占拠者として掘立小屋に住んでいる。

掘立小屋は、低地の湿地帯や公有地の一角、運河や道路・鉄道沿いの連なっている。

エアランカの就航地

マドラス、ボンベイ、シンガポール、バンコク、パリ、ロンドン

まとめ

日本語の媒体では、スリランカの国土は北海道の8割程度で説明されることが多いですが、本書は「熱帯の小島スリランカは、スコットランドやタスマニアより小さく、ニューヨーク州の半分ほどの広さ」と序文が始まります。

歴史的な経緯や統計データがまとめらていて、今のスリランカを知る上で、とても有益でした。

巻末の訳者補遺には、本書の元になっている1970年代後半以降の1980年代後半までの数値をまとめた14の表も掲載されています。

地理や歴史がお好きな方にはお勧めの一冊です。

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