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スリランカの首都にあるコッテ王国遺跡

2020年7月13日

1412年から1597年まで存在したコッテ王国(シンハラ文字の発音に従うとコーッテー王国)の都は、現在のスリランカの首都「スリジャヤワルダナプラコッテ」にありました。

そのため、町にはコッテ王国時代に建てられたものが遺跡として保全されおり、博物館も含めて全て無料で見ることができます。

本記事では、コッテ王国時代の各遺跡についてご紹介していきます。

コッテ王国の場所

コッテ王国は現在のエトゥラ・コッテ(Ethul Kotte)にありました。

アトゥラとはシンハラ語で内側を意味します。

コッテはシンハラ語ではコーッテーと発音します。
コーッテーはタミル語で要塞を意味する「コッティ(Kottei)」や、シンハラ語の「コッタ(クッション、枕)」が由来だとされています。

この地に要塞を建設したのは、シンハラ王朝のガンポラ王国に仕えたタミル人の大臣ニッサンカ・アラケーシュワラが建設したことから、コッティ、コーッテーと呼ばれたとされています。

つまり、エトゥラ・コッテはコッテ王国の城壁の内側にあった王国の中心地だったということです。

町の中心を南北に走るコッテロードがコッテ王国時代も、現在もメインロードになっています。

この道を中心として遺跡が点在していますので、コッテ・ロードの北端(王国当時の要塞の北の入口)からご紹介していきます。
※上の地図で赤丸が遺跡、青い線が堀、赤い線が城壁が見られる場所で、それらを順番にご紹介します。

北の入口(Pass of Mosquitos)

コッテ・ロードの起点には「コッテの古代要塞(Ancient Fortress of Kotte」と記載された標識が立っています。

北を流れるコロンナワ川(Kollonnawa Oya)が二つに分かれて、逆Y字形になっているところが要塞の北の入口になっていたようです。
要塞の東側は現在は国会議事堂が浮かぶディヤワンナ湖(Diyawanna Lake)があり、西側はコロンナワ運河(Kolonnawa Canal)となっており、天然の要塞となっています。

コッテ王国の歴史

この土地を選んだのは、ガンボラ王国の王ヴィクラマヴバーフ3世のときに、大臣・軍略家を務めたニッサンカ・アラケーシュワラです。
ジャフナ王国との戦いの拠点として、要塞を建築しています。

ニッサンカ・アラケーシュワラは、14世紀にタミル・ナードゥ州の古都カーンチープラムからスリランカにやってきたアラガッコーナーラ家出身です。

ニッサンカ・アラケーシュワラは築いた要塞を「ジャヤワルダナ・プラ(勝利をもたらす町)」と名付け、西海岸からジャフナ王国を排除します。

ヴィクラマヴバーフ3世の後を継いでガンポラ王国の王になったのは、ヴィクラマヴバーフ3世の妹とニッサンカ・アラケーシュワラとの間に生まれたブワナイカバーフ5世です。

そして、ニッサンカ・アラケーシュワラが亡くなると、息子のクマーラ・アラケーシュワラがコッテを統治します。

アラガッコーナーラ家の影響力が高まっていきます。

ブヴァナイカバーフ5世の後は、ブヴァナイカバーフ5世の弟・ヴィラ・バーフ2世が継ぎますが、その後を継いだのはヴィラ・アラケーシュワラです。
ついにガンポラ王国の王に、タミル人のアラガッコーナーラ家が就いたわけです。

ヴィラ・アラケーシュワラ王は明の鄭和と戦い、敗北して鄭和によって明に連行されます。

ヴィラ・アラケーシュワラと家督を争っていたパラークラマバーフ6世が、明にいたシンハラ人から推薦されて、明の永楽帝がパラークラマバーフ6世が即位して、コッテ王国を創建し、ジャヤワルダナ・プラを首都としています。

パラークラマバーフ6世はスリランカ全土を統一した最後の王となります。
その際、北部のジャフナ王国に攻め込んだサプマル・クマーラヤ王子は、その勝利を記念して、「シュリー(聖なる・偉大なる)」を都に加え、「シュリージャヤワルダナプラ」となります。

参考)
Wikipedia:Kingdom of Kotte
Wikipedia:List of Sri Lankan monarchs
Wikipedia:Alagakkonara
Wikipedia:Vira Alakesvara of Gampola
Wikipedia:Ming–Kotte War
Wikipedia:Parakramabahu VI of Kotte
Wikipedia:Bhuvanaikabahu VI of Kotte

城壁が残るSiri Perakumba Pirivena, Sri Rahula Dahampasala

コッテ・ロードの北の起点からコーッテー・ロードを南へ300m行ったところに、Siri Perakumba Pirivena, Sri Rahula Dahampasalaの門が見えます。
このお寺の敷地の奥に城壁の跡が残っています。

お寺の境内に残る城壁

お寺の境内に残る城壁

アラケーシュワラの宮殿 or 霊廟

本記事の冒頭の写真がアラケシュワラの宮殿 or 霊廟の写真です。
コッテ・ロードとアラケーシュワラ・ロードの交差点にこの標識があります。

しばらく歩くと、上記のムーンストーンと矢印を合わせたようなインジケーターが道路に点々と続いています。
これを辿って小高い丘を登っていくと、そこに宮殿 or 霊廟 跡があります。


アラケーシュワラ王の宮殿、あるいは霊廟と言われています。
研究で決定的な証拠が見つかっていないため、どちらか断定できていないそうです。

大きな長方形の土台が2つ並んでいるのが見えます。
手前の石柱は、本記事後半にご紹介するラジャ・マハ寺でも見られます。

2つの土台の奥にある小さい土台

ランパート・クロス・ロード

道路に埋め込まれた矢印を遡っていくと、途中で王の名前がついたアラケーシュワラ・ロードと交差します。

さらに、矢印を遡ると、ランパート・ロード(城壁通り)との交差点に辿り着き、そこから矢印は始まっています。
矢印が埋め込まれていた道がアラケシュワラ・ランパート・クロス・ロードという名前であることが分かります。
この道には王の名前と城壁という言葉が使われているのが気になります。

1stレーン・ランパート・ロードと内堀城壁

先ほど辿ってきたアラケーシュワラ・ランパート・クロス・ロードの南端にいくと、別の方向に矢印が埋め込まれた道1stレーン・ランパート・ロードが見えてきます。

この矢印を辿って到着するのが内堀の跡です。

堀の上に築かれた城壁

東西に長く残っていてます。
コッテの要塞は東西と北は水路によって守られていますが、南側は陸地のため内堀と外堀が作られ、防御がより強固に作られています。

この堀を東側に伝っていくと、堀の下まで降りて、ベッダガナ・ウェットランド・パークにスリランカ・ニッポン・アベニュー(スリランカ日本通り)に出ることができます。

堀の下側の城壁(湿地帯につながる道に通じる)

2ndレーン・ランパート・ロードの城壁

内堀

スリランカ・ニッポン・アベニューの北側と南側に1本ずつ並行して水路が流れています。
ちなみに、この道の名前はスリランカ・ニッポン・アベニューという名前がついており、道の途中にあるスリランカ日本教育文化センターに由来しているものと思われます。

スリランカ日本教育文化センター

この堀の南側は湿地帯で、現在は公園(ベッダガナ・ウェットランド・パーク)となっています。

ベッダガナ・ウェットランド・パークの入口を過ぎると左手に4thレーン・ランパート・ロードが見えてきます。

4th Lane Rampart Roadの矢印は2つ!

4thレーン・ランパート・ロードにも矢印があり、矢印はランパート・ロードとぶつかるとなくなります。
ランパート・ロードを左手に曲がってしばらくいくと、2ndレーン・ランパート・ロードに遺跡の標識があります。

2ndレーン・ランパート・ロードを下っていくと、大きな城壁が並んでいるのが見えます。

2nd Lane Rampart Roadの城壁

2nd レーン・ランパート・ロードはそれなりに急な坂で、コーッテ王国が湿地帯、城壁、丘によって守られていたことが分かります。

コロンボ・サンスリー通り

ベッダガナ・ウェットランド・パークを過ぎてしばらく歩くと、スネスララマ寺(Sunethrarama Viharaya)という大きなお寺が見えてきます。
その脇の道に、また道路に矢印が埋め込まれています。

内堀から2nd レーン・ランパート・ロードを通過してこの道のところまで城壁が続いています。

矢印はこの道の最高点に達したところで、矢印が途絶えます。
グーグルマップ で位置を確認すると、アラケシュワラ宮殿 or 霊廟の真南にあたる位置で矢印が止まっています。
宮殿 or 霊廟は王国内の最も高い丘の上にあったことが分かります。

アンガンピティヤと城壁

ランパート・ロードからコーッテ・ロードに戻ると、斜め向かいにアンガンピティヤ・ロードに矢印が埋め込まれているのが見えます。

しばらくいくと、左右に城壁が見られる。
コーッテ王国の残っている城壁の中でも最も大きいものがこの城壁だと思います。

矢印はさらに続いていて、終点までいくと、アンガンピティヤ・プレイグランドに辿り着きます。

アンガンピティヤ・プレイグランド

アンガンピティヤとは、軍の訓練場のことです。
アンガンはスリランカ伝統武術「アンガンポラ」のことで、上の写真の門に柱にアンバンポラを行う人が描かれています。

ピティヤは「広場」などの意味があります。

この場所は古地図にも記されています。

コッテ考古学博物館

コッテ・ロードに戻ると、斜め向かいにコッテ考古学博物館が見えます。

コッテのライオンと呼ばれたスリランカ独立運動の中心人物エドワード・ウォルター・ペレラの邸宅を改装したものです。

コッテ王国に関する遺跡が展示されており、無料で見学が可能です。(館内は撮影禁止)

参考)
Wikipedia:Kotte Museum

ランブリック・ホール

コッテ考古学博物館から南に300m弱いくとミッション・ロードがあります。
ミッション・ロードをいくと、英国国教会があり、シュリ・ジャヤワルダナ・プラ・カレッジがあり、その奥に1822年にイギリス人神父サミュエル・ランブリックによって建てられたホール「ランブリック・ホール(Lambric Hall)」があります。

クリスチャン・スクールを開校し、教えていたそうです。
現在はシュリ・ジャヤワルダナ・プラ大学校(Sri Jayawardenapura Maha Vidyalaya)となっています。

ベッダガナ菩提樹

ミッション・ロードから一本南の道であるバッダガナ・ロードをいくと、バッダガナ菩提樹(Baddagana Bo Tree)があります。
コッテ王国時代の菩提樹のようです。
菩提樹のすぐ先はスリランカ・ニッポン・アベニューの終点と交わり、ベッダガナ・ウェットランド・パークの敷地の端に当たります。

ベヘラカンダ・メモリー

ベッダガナ・ロードから1.3キロ、途中にベッダガナ公立墓地を通り、しばらく歩くとベヘラカンダ・メモリー(Veherakanda Memorial)があります。

こちらはコッテ王国の初代の王パラークマバーフ6世の霊廟ではないかとされています。

参照)
Veherakanda Ruins of Kotte Kingdom

外堀

外堀の標識

ベネラカンダ・メモリーからコーッテ・ロードに戻り、統一国民党(UNP)の本部の北側にいくと、外堀の跡地があります。

奥までいくと、堀の跡が見えます。

コーッテ・ロードの反対側にも堀があり、コッテ・ロードを挟んで南側から守りを固めていたことが分かります。

コーッテ・アンバラマ

アンバラマは休憩所のことで、スリランカ各地に残されています。
古代の休憩所と書かれていますが、今も現役で上裸のおじちゃんと寝転がってスマホをいじる若者が休んでいました 笑

このコッテ・アンバラマがある位置はピタ・コッテ(コッテの外という意味)と呼ばれる地域になります。

ちなみに、コロンボ11はタミル語でペター (要塞の外)と呼ばれますが、シンハラ語ではピタ・コトゥワ(ピタが外、コトゥワが要塞)と呼ばれています。

内堀から北側がインナーシティー、内堀から外堀の間がアウターシティー、外堀より北全体をアトゥル・コーッテ(コッテの内の意味)、外堀より南がピタ・コーッテとなるようです。

コッテ古代トンネルゲート

トンネル跡が残っていますが、Ananda Sastralayaという学校の敷地内にあるため、見られませんでした。

Kotte Heritage 1: The Tunnels:こちらのサイトで画像が見られます。

ラジャ・マハ寺

石柱が周囲に建っている

コッテ王国初代王のパラークマバーフ6世が建てたお寺でラジャ(王)マハ(大)ヴィハラ(寺)という意味の名前。
オランダが侵略した際に寺は破壊されてしまったと言われています。

キャンディ王国がイギリスに併合された翌年の1818年に再建され、本堂ではライオン二匹に掲げられたビクトリア女王の絵が見られます。

ビクトリア女王のポートレート

オススメルート

今回ご紹介した場所をまとめたのが上の地図です。
その中でも見応えがあるのは以下の5つ(オレンジ色)です。

  • アラケシュワラの宮殿 or 霊廟
  • 1stレーン・ランパートロードの内堀と城壁
  • 2ndレーン・ランパート・ロードの城壁
  • コーッテ考古学博物館
  • ベハラカンダ・メモリー

これに加えて、途中にあるベッダガナ・ウェットランド・パークはとてもユニークな湿地帯の様子を見られますのでオススメです。

まとめ

コロンボから日帰りで楽しめるコッテ王国の遺跡巡りをご紹介しました。

コッテ王国の要塞はシータワカ王国に包囲された際に、かなり破壊されたと言われており、そこまで残っているものが多くありませんが、その分、短い時間で回ることができます。

スリジャヤワルダナプラコッテにはジェフリーバワ建築の国会議事堂やアペ・ガマというスリランカの伝統文化を伝えるパークもありますので、そちらも合わせて回ってみてもよろしいかと思います。

湖畔で食事が楽しめるオシャレなレストランが入っているウォーターズ・エッジでランチ休憩をするのもオススメです。

湖周辺は自然が豊かなで野鳥や生き物の姿を見かけます(宮殿or霊廟跡にも野鳥がいました)ので、ハイキングにも良いです。

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