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戦国時代の英雄の丘に建つミャンマー寺院

2023年5月12日

コロンボのマーリガーカンダの最高地点には貯水池があり、その近くに100年ほどの歴史があるミャンマー寺院があります。

本記事では、ミャンマー寺院のマクタラマ寺院とマーリガカンダについて紹介します。

シーターワカ王国の王が布陣したマーリガカンダ

スリランカ戦国時代の英雄で、ムッレリヤワの戦いでポルトガル軍を撃退したことでライオン王(ラージャシンハ)と呼ばれたシーターワカ王国の王ラージャシンハ1世が、ポルトガルのコロンボ要塞を包囲した際に、陣地を置いたのがコロンボの小高い丘であるマーリガカンダです。

キャンディの仏歯寺はシンハラ語では「ダラダー・マーリガーワ(仏歯の宮殿)」と言い、英語名キャンディの由来はシンハラ語の「カンダ・ウダ・ラタ(山の上の国)」ですが、マーリガカンダは「宮殿の丘」という意味です。

ラージャシンハ1世が陣地を構えた丘であることからその名がつきました。

ラージャシンハ率いるシーターワカ王国軍は、兵士5万人、ゾウ2200頭、牛4万頭、小口径青銅砲150門で構成されていました。

さらにコロンボ要塞を海上封鎖するために軽ガレー船65隻が海上に布陣していました。

対するコロンボを守るのは、司令官ジョアン・デ・コレイア・デ・ブリトが率いるポルトガル兵300人、シンハラ兵(ラスカリン)700人、民衆6万人です。

ゴアからの救援を防ぐため、西海岸の雨季を狙って、シーターワカ王国軍は1587年6月4日にマーリガーカンダに布陣。

それを知ったブリトはゴアに小型船を送り、救援要請をします。

ラージャシンハ1世は、コロンボの南側のベイラ湖の水を抜くことから攻城戦を開始します。1ヶ月を要して水を抜くための掘削を行います。

8月3日の夜、ラージャシンハ1世は最初の攻撃を行います。ポルトガルの火力の前に敗れ、翌朝までに死者400人、負傷者2,000人を出します。

その後3回に渡ってコロンボ要塞への攻撃を行いますが、いずれも撃退されます。

雨季が終わりに向かい、9月11日にゴアからの最初のポルトガル軍の援軍が到着。
さらに10月4日、10月23日、11月4日、1588年2月15日、2月18日と援軍が到着し、ポルトガル軍は2000人となり、シーターワカ王国軍は撤退を決めます。

この戦いで、シーターワカ王国軍は5000人を失ったと言われています。

貯水池

マーリガカンダは2つの頂上があり、低い方の頂上にヒッカドゥウェ・スリ・スマンガラ僧侶が建学した仏教学校「ウィデヨーダヤ・ピリウェナ」と、アナガリーカ・ダルマパーラが創設した「マハボディ・ソサエティー」があります。

最も高い頂上には貯水池があります。

マクタラマ寺院

マクタラマ寺院は、貯水池道路(Reservoir Lane)沿いにあるミャンマー寺院です。

創建は1924年で、来年で100年目を迎えます。

菩提樹の奥に高いビルがあり、その横の階段を下りていくと、お堂があります。

ミンガラバー!ミンガラバー!と声をかけたら、ヤンゴン出身の32歳の若いお坊さんが出てきて、お話してくださいました。

100名を超えるミャンマー僧侶が暮らしているとのこと。

彼はケラニヤ大学への留学のため、先月にコロンボに来たばかりだそうです。

このままお坊さんを続けるのか、還俗して結婚するか迷っているとのことでした。

ビルマ文字の看板。

寺院がある場所は、ウィデヨーダヤ・ピリウェナとマハボディ・ソサエティーの丘を過ぎて、レザボワーレーンを登っていき、少し下ったところです。

参考)
Wikipedia:Maligawatta

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