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『怒らないこと』役立つ初期仏教法話1 スリランカ初期仏教長老アルボムッレ・スマナサーラ の紹介

2020年6月01日

シリーズ累計40万部のスリランカ初期仏教長老アルボムッレ・スマナサーラによる「怒らないこと」シリーズの第一弾の『怒らないこと』について、この記事ではご紹介します。

雑念が湧かないシンプルな瞑想法を紹介している本として、『現代人のための瞑想法』 -役立つ初期仏教法話4-を以前に紹介しましたが、そのシリーズの第一弾にあたるのが本書です。

私は「自分があまり怒らないタイプ」だと思っていて、自分は「怒らないこと」はすでにできていることだと思い、最初はこの本に興味を持ちませんでした。
ところが『現代人のための瞑想法』を読み、アルボムッレ・スマナサーラ長老が伝えている内容をもっと知りたいと思い、こちらを読んでみました。

怒ることの範囲、怒りの種類などが書かれていて、自分はあまり怒らない方だと思っていたことがとても恥ずかしくなりました。

本書には心に響く文章がいくつもありましたが、その中の一部をこの記事で紹介したいと思います。

怒りの種類

パーリ語には怒りを説明する言葉がいくつもあるそうです。
本書ではその一部として、以下の8つの怒りが紹介されています。

1)ウパナーヒー:怨み。一旦怒りが生まれたら、なかなか消えない。
2)マッキー:いつでも自分のことを高く評価して、他人の良いところを軽視して見る性格。
3)パラーシー:張り合うこと。いつも他人と競争し、倒そうとする気持ち。
4)イッスキー:嫉妬すること。他人の良いところを認めたくない気持ち。
5)マッチャリー:物惜しみ。自分が持っているものを他人も使用して喜ぶのは嫌なのです。分かち合ってみんなで楽しみましょう、という性格ではないのです。
6)ドゥッバチャ:反抗的。他人から学ぶことは、本当は死ぬまでやらなくてはならないことなのです。しかし、他人にやるべきことをあれこれと言われると受け入れがたく、拒絶反応が怒る。これも怒りです。
7)クックッチャ:後悔。過去の失敗・過ちを思い出しては悩むこと。
8)ビャーパーダ:激怒。

私が思っていた怒りは1の「怨み」と8の「激怒」ぐらいで、思っていた以上に怒りの定義は広いのだなと思いました。
一切怒らないことを本書は推奨していますので、この時点でなかなか難しく、深い内容になりそうだなと思いました。

イエスキリストのエピソード

スリランカでは2019年4月21日に連続爆破テロが起きました。

ニュースメディアで以下の文章を見て、私は驚きました。
犯人たちへの赦しを口にされているのです。

■クリスチャン新聞
スリランカ東部バティカロアでイースターの日曜日に爆破されたペンテコステ系福音派教会シオン教会の牧師ロシャン・マヘセン氏が、犯人たちへの赦しと、祈り支援してくれたすべての人々への感謝を述べた。

■毎日新聞

現地の遺族には敬虔(けいけん)なキリスト教徒が多く、容疑者への「許し」を口にする。

キリスト教の赦しに関することが、この本にも取り上げられています。

「不倫をした女は医師で殴って殺す」というユダヤ教の戒律に従って、人々が不倫した女の人を捕まえた時のことです。
そこにイエスが現れて「あなたがたは何をしようとしているんですか」と聞きます。

「この女は不倫をして旦那を裏切った。だから、我々が神さまの教えに従って、石で殴って殺すのだ」と人々は答えます。

するとイエスは、「よく分かりました。では、最初に何も罪を犯していない人から石を投げてください。」と言って去ったのです。

その言葉を聞いたとたん、誰も石を取ることができなくなってしまいました。

ここでイエスが言っていることは、つまり「赦してあげてください」ということです。
どこまで赦すのかというと、「どこまでも」です。
赦しにはリミットがないのです。

怒りはすぐに伝染する。

この部分を読んで、怒りはまるでウイルスのようだなと思いました。

例えばディスコで若者が40人ぐらい踊っているとします。そこに、ヤクザのような人がいきなり入ってきて「こら、何やってるんだ」ときつい言葉で怒り始めると、どうなりますか。40人の喜びがいっぺんにサッと消えてしまうでしょう?

怒りは自分を焼き尽くす「火」

三国志の中で怒りで死んでしまう登場人物がいますが、それぐらい怒りは自分を害するものであるということが分かりやすく書いてあります。
特にこのマッチ棒の例えが、とても分かりやすいと思いました。

自分のからだに火をつけたら、触れるもの全てに火をつけて破壊することができます。でも、その前に何が起きますか?まず自分が燃えているのです。

マッチの場合も同じでしょう。「ゴミを燃やそう」と思って、マッチで火をつけると、先に燃えてしまうのはマッチです。

人に殴られても怒らない

先日、スリランカの5つ星ホテルで、国旗の貢納式が行われている中、お客さん同士が殴り合いの喧嘩をしていました。
こんな優雅なところで、雰囲気を台無しにする喧嘩が始まる一部始終をたまたま隣の席にいたため、見ていました。

貢納式の様子をを撮影していたスリランカ人女性が、階段を登ってきた欧米人女性が撮影画面に入ってしまったことに対して怒り、「この状況も見えないビッチが!最低ね!せっかくの撮影が台無しだわ。」と言い放ったのです。
それに対して、ビッチと言われた女性が怒り、撮影を邪魔します。
撮影中の女性はさらに怒り、欧米人女性を平手打ちします。
平手打ちされた女性も平手打ちを仕返しします。

貢納式の様子はひとり占めできる状況ではありませんし、撮影画面に人が入ってしまったことに腹を立てることもおかしいですし、そんな人の発言に反応して、大人気なく撮影の邪魔をするのもイマイチです。
どっちもどっちで、どちらかがもう少し大人だったら、こんな醜いことにはならなかったのになと思いました。

それを遥かに上をいくエピソードが紹介されていました。

サーリプッタ尊者という、怒らないこと、謙虚であることで大変有名なお坊さんがいます。ひとりのバラモンガ「じゃあ、本当にその人が偉いかどうか確かめていよう。」と言って、サーリプッタ尊者を尾けていって、後ろからすごい勢いで殴ったのです。ところがサーリプッタ尊者は振り向きもせず、そのままずっとゆっくり歩いているのです。バラモンの人は殴ってから反応を待ち構えていましたから、拍子抜けしてしまって、後ろから尾いていくことにしました。それでも、サーリプッタ尊者は見ようとはしません。「これはとんでもないことをした。この人は殴られたということさえ気にならないんだ。やっぱり、自分がやったことはとんでもないことだ。」と思い、ひざまずいてサーリプッタ尊者に謝ります。すると「なんでしょうか。何をしたのですか」とサーリプッタ尊者が聞くのです。「おそらく、あのときに私を殴ったのはこの人はではないか」という妄想もないのです。バラモンの人はこれが縁で仏教徒になりました。

今ある状況を肯定的に捉える

コロナの影響で私たちを取り巻く状況は変わりました。
こんな時に必要な心持ちが書かれています。

1日孫と遊んだら、体がクタクタに疲れますね。だから、孫が帰ってしまったら「やっと自分の時間に戻ったんだ、ゆっくり休もうではないか」と思えば、そこでまた別の楽しさが生まれてくるのです。孫がいないことを「ああ寂しい」と思うのではなく、「昨日は孫にあっちこっち引っ張られて、大変だった。今日はゆっくり、のんびりできるんだ」というふうに切り替えることです。

何があろうとも拒絶せず、状況を受け入れて楽しむことです。

まとめ

まだまだご紹介した文章やエピソードが紹介されていました。
最後にご紹介したコロナで変わった環境に対して怒らないことも大切ですし、マスメディアやソーシャルメディアで見た内容に怒ったり、自分が発信したことに対する反応に怒ったりすることなく、冷静に対処していきたいなと思いました。

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