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ペターの旧オルコット邸(アーナンダカレッジ開学の地)

2025年4月28日

神智学協会の初代会長であり、近代スリランカ仏教復興運動、プロテスタント仏教の創生を主導し、多くの仏教学校の設立に関わったオルコット大佐の私邸がペターにあります。

本記事では旧オルコット邸について紹介します。

仏教の近代化・仏教学校設立に貢献したオルコット

ヘンリー・スティール・オルコット(Henry Steel Olcott)は神智学協会の創設者の一人で、亡くなるまで神智学協会の会長を務めた人物です。

神智学協会は西洋と東洋の智の融合を目指した思想で、アメリカのニューエイジ運動、大衆的オカルティズムの起源となったとも言われます。シュタイナー教育(ヴァルドルフ教育)を提唱したルドルフ・シュタイナーは神智学協会に所属した後に独立して人智学運動を行っています。

神智学協会は西洋に対して仏教やヒンドゥー教などの東洋の宗教思想を普及させるとともに、インドやスリランカの東洋では西洋科学的な解釈でヒンドゥー教や仏教、ゾロアスター教にアプローチし、特に関心を寄せた仏教の近代化に貢献したと言われています。

当時の神智学協会の影響は絶大だったと言われていますが、オルコットは仏教との公式の対話を行った最初の欧米人とも言われています。

オルコットは1880年に初めてセイロン(コロンボ)に上陸し、ゴールにて五戒を受けて仏教徒となり、1881年に『仏教教理問答』を出版しています。

その後、スリランカ各地での仏教学校の設立に関わっています。以下に列記します。

1886年にコロンボに英語仏教徒学校(現在のアーナンダ・カレッジ)
1887年にキャンディにダルマラージャカレッジ
1888年にクルネーガラにマリヤデーヴァカレッジ
1891年にコロンボにムセウスカレッジ
1891年にガンパハにシッダールタ・クマラ・マハ・ヴィディヤラヤ
1891年にバドゥッラにダルマドゥータカレッジ
1892年にゴールにマヒンダカレッジ
1913年にアンバランゴダにダルマソーカカレッジ
1925年にコロンボにナーランダカレッジ

また、1885年に仏旗のデザインのために任命された委員会の顧問を務めています。

その功績を称えて、コロンボフォート駅の駅前の立像はオルコットの像で、駅前の道はオルコットマーワタ(オルコット通り)と名がついています。

オランダ統治時代のペターは湖に囲まれた島のような土地で、現在の鉄道駅やオルコットマーワタはイギリスによって埋め立てれて土地の上に作られていますが、オルコット邸があったマリバンストリートの隣に新たに開通した大通りに、オルコットの名を冠したのだと思われます。

当時の一等地ペターに建てられた私邸

オルコットが到着した翌年の1881年から1885年にかけてペターのマリバンストリートに建てられた2階建ての私邸にオルコットは住みました。

19世紀のコロンボにおいて、ペターは外国人や商人が住む一等地でした。マリバンストリートは、大手ビスケット会社のマリバンの創業地でもあります。

建物はオランダ建築様式の影響を残す貴重なもので、ラテライト、レンガ、石灰モルタルで作れた長方形型(15m x 13.4m)をしています。

1階と2階は木造の床で仕切られて、木造の階段でつながっているそうです。

同じペターに残るオランダ建築と言えば、旧オランダ総督邸であるオランダ時代博物館がありますが、それに比べると屋根の高さが低いです。オランダ時代博物館は天井がかなり高いので、旧オルコット邸が特別に屋根が低いわけではなさそうですが、入口が閉ざされて内部が見られないので、公開してもらいたいところです。

マリバンストリート側の正面と裏側にそれぞれベランダがあり、正面には入口が4つ、裏側には入口が6つあるそうです。1階には4つの部屋があり、そのうちの1つがオルコットの部屋で、彼が1906年にスリランカを離れるまで住んでいたと言われています。

アーナンダカレッジ開学の地

オルコット邸の1階にオルコットの部屋と仏教神智学協会の本部が、2階に仏教神智学協会が設立したピタコトゥワ英語仏教徒学校(現アーナンダカレッジ)が2階に開校しています。

オルコット邸は次第に手狭となり、1929年に隣接地に神智学会によって仏教徒の施設(Bauddha Mandiraya=Buddhist Mansion)が建てられ、その後、学校はマラダーナ(現在のアーナンダカレッジ)に移転しています。

旧オルコット邸は1999年にコロンボ管轄管区が官報によって保存を宣言されています。

仏教神智学協会本部とオルコット通り

仏教神智教会の本部は、1929年1月28日に現在のオルコット通り(旧ノーリスロード)にビルが完成して移転しています。

1967年のオルコットの60回忌に仏教神智教会の前の通りがオルコット通りと命名されるとともに、オルコット通りに面するフォート駅前にはオルコット像が設置されています。

関連記事・参照

LANKA PRADEEPA:Olcott Building
Sunday Times:Col. Olcott’s first vision house gone for dried fish
Wikipedia:Henry Steel Olcott
Ananda College:History
Ananda College Old Boy’s Association:History of Ananda College
Wikipedia:Ananda College

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