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スリランカの有機紅茶栽培事業・サリーリサイクル事業を支援するNPO法人パルシック

2022年1月07日

2003年にスリランカで活動を開始し、マータラ県デニヤヤ地域での有機栽培紅茶事業、ジャフナ県・ムライティブ県とコロンボ県をつなぐサリーリメイク事業を行なっているNPO法人パルシック(PARCIC)について紹介します。

パルシックの活動国はアジアの広範囲に及び、東ティモール・スリランカ・マレーシア・パレスチナ・日本国内・トルコ・レバノン・シリア・インドネシア・ミャンマーなどで活動実績があります。

内戦や災害などによる緊急支援から関わり、現地の人たちの経済的自立支援をする事業を立ち上げ、長期的に関わっているのが特徴です。

また、経済的自立をする人の主体として女性を重視しているのも特徴的です。

パルシックの母体であるアジア太平洋資料センターが、調査研究・政策提言や定期刊行物・教材の制作をしていることもあってか、パルシックもアジア太平洋資料センターも詳細な年次報告書が毎年公開されています。

年次報告書には各国の歴史的経緯や最新の政治・経済の状況などについても記載されているため、国際情勢を知る上でも参考になります。

また、悪天候や災害、政治などの様々な要因で活動を休止したり、拠点を変更した経緯、駐在員を撤退させて現地の自立運営に移行し遠隔支援を行なっていることも書かれていますので、国際的に活動するNPOの活動がどういうもので、その困難や支援後の現地の状況についても理解するのにも役立ちます。

本記事は、パルシックの概要とスリランカに関連する活動についてまとめました。

目次

パルク(PARC)とパルシック(PARCIC)

2008年にアジア太平洋資料センター(PARC:パルク)から分離独立してできたのがパルシックです。

そこで、まずはアジア太平洋資料センターについて見ていきます。

アジア太平洋資料センター(PARC)とは?

1969年にベトナム反戦運動の中で英文季刊誌『AMPO(A Report From the Japanese People’s Movement)』を創刊したのがアジア太平洋資料センターの起源です。

1973年に社会活動家の武藤一羊さん、アジア学者・人類学者の鶴見良行さん、国際問題評論家の北沢洋子さんらが中心にアジア太平洋資料センター(PARC:Pacific Asia Resource Center)を設立し、AMPOはアジア太平洋資料センターの発行物となります。

アジア太平洋資料センターの代表を1996年まで務めていたのが武藤一羊さんです。
武藤さんは原水爆禁止日本協議会国際部、ベトナムに平和を!市民連合に関わった後に、アジア太平洋資料センターを設立。
1983年から2000年にかけてニューヨーク州立大学ビンガムトン分校の社会学部教授を務め、1998年にはピープルズ・プラン研究所を設立されています。

2021年〜2022年にかけて開講されている「武藤一羊の英文精読」が、アジア太平洋資料センターのオンラインショップに掲載されています。

アジア太平洋資料センターの設立目的は、「アジア・ 太平洋そして第三世界の人びとと対等・平等な関係をつくること」とあります。

活動内容は、調査研究、政策提言、社会教育活動(PARC自由学校)、教材制作(オーディオヴィジュアルやブックレット)など。

設立初期は、英文での海外への情報発信に力を入れていたようですが、現在は日本語での日本社会への情報発信に重きがあるようです。

パルシックにつながる活動は、1990年代後半から開始している民際協力活動です。

1990年代後半、タイの河川流域での環境保全・住民のネットワークを組織。

1999年、住民投票でインドネシアからの独立が決まった東ティモールで、インドネシア国軍・併合派民兵による破壊・暴力行為が発生し、東ティモールへの緊急支援を開始。

2002年、インドネシアから独立した東ティモールでコ ーヒー生産者支援・フェアトレード事業を開始。

2003年、2002年のスリランカ内戦停戦合意を受けてスリランカ北部の漁民支援を開始。

以降の活動については、アジア太平洋資料センターのウェブサイトをご覧ください。

参考)
PARC公式ウェブサイト:PARCのあゆみと連帯経済への取り組み
PARC公式ウェブサイト:英文AMPO
PARC公式ウェブサイト:2007年度活動報告
PARCオンラインショップ:武藤一羊の英文精読
ウィキペディア:アジア太平洋資料センター
ウィキペディア:オルタ (雑誌)
ウィキペディア:武藤一羊
ウィキペディア:鶴見良行
ウィキペディア:北沢洋子
ウィキペディア:ベトナムに平和を!市民連合
ウィキペディア:原水爆禁止日本協議会

パルシックとは?

2008年4月1日、アジア太平洋資料センターは、調査研究・政策提言、月刊誌発行・開発教育教材制作・PARC自由学校などを担うアジア太平洋資料センター(PARC)と、民際協力活動とフェアトレード事業を両輪とするパルシック(PARC-IC:PARC Interpeoples’ Cooperationの2つのNPO法人に分割されています。

アジア太平洋資料センターの略称であるPARCに、 民際事業を意味するInterpeoples’ Cooperationを付け加えて、パルシック(PARCIC)と名付けられています。

民際協力は、アジア太平洋資料センターが「現場を持って活動する」をモットーに1990年代後半から始めたもので、パルシック設立時は、アジア太平洋資料センター時代に行なっていた東ティモールとスリランカでの民際事業を引き継いでいます。

現在の活動国は西はパレスチナ、南はインドネシア、東は東ティモールとアジア全体に広がっています。

パルシックの創設時から現在も代表理事を務められているのが井上禮子さんです。
井上さんは太平洋資料センターでは、翻訳や編集などを担当されていたようです。

1992年にブラジル・リオデジャネイロで行われた地球サミットに参加され、
1999年にインドネシア国軍・民兵が破壊活動を行う東ティモールに入り活動し、
2003年に停戦中のスリランカ北東部に入り、調査活動を行なわれています。

参考)
パルシックホームページ
パルシックFacebookページ
独立行政法人環境再生保全機構:特定非営利活動法人パルシック代表理事 井上礼子さん
東京都国際交流委員会:特定非営利活動法人パルシック(PARCIC)

スリランカに詳しい研究者・中村尚司氏

スリランカでの活動は、2003年にパルシック代表理事・井上禮子さんと、理事・中村尚司さんが調査に入られたことから始まっています。

中村さんはアジア経済研究所で、スリランカと南インドを主な対象に農村経済の研究などをされ、セイロン大学(現在はコロンボ大学、ペラデニヤ大学、ケラニヤ大学、スリジャヤワルダナプラ大学に分かれている)への留学も経験され、スリランカに関する著作も発表されています。

また、民際学の提唱者でもあります。

パルシックが民際事業・民際教育事業を行っていることや、スリランカで長く活動しているのは、中村さんがいらっしゃることも大きいのでしょう。

中村さんが専務理事をされていた特定非営利活動法人JIPPOは、2020年2月に解散し、残余財産についてはパルシックに譲渡されています。

参考)
公益財団法人大同生命国際文化基金:中村尚司 氏

スリランカの事務所

以下の4ヶ所に事務所を置き、活動をしていたようです。

ジャフナ事務所:2004年〜2011年12月
デニヤヤ事務所:2010年〜 ※駐在員は2016年3月に撤退
ムライティブ事務所:2011年3月〜2017年12月15日
コロンボ事務所:〜2016年3月

参考)
パルシック公式ウェブサイト:スリランカ

スリランカでの緊急支援・復興支援

以下、時系列に紹介します。

ジャフナ県での干物づくり支援(2004年4月~2013年9月)

2002年2月22日に停戦合意が締結され、ジャフナの漁民は避難先から戻りましたが、内戦によって住宅・道路などのインフラ、漁船・漁具など収入源となる漁業に必要など、ほぼ全てのものが破壊されていました。

そこで、パルシックが行ったのが、ジャフナで伝統的に行われている干物づくりを通じた収入向上の支援です。

品質改良の技術支援や乾燥台などの機材を提供することで、干物の商品価値を高め、販売価格を10%〜20%ほど向上する結果が得られた報告されています。

2004年12月26日のスマトラ島沖地震による津波と、2006年7月26日~2009年5月18日の第4次イーラム戦争の影響で事業は中断を余儀なくされるも、2010年から再開されて、2013年9月まで継続して行われました。

参考)
パルシック:内戦復興支援の一歩として干物づくりを開始(2004年4月~2013年9月)
パルシック:ジャフナ県の漁村で干物づくり支援(2010年10月~2013年9月)

ジャフナ県での津波復興支援(2005年1月~2005年12月)

2004年12月26日のスマトラ沖地震による津波で被害を受けた漁師と女性の支援を行っています。

津波直後は緊急支援として、医薬品や食料、日用品の調達・配布を行っています。

その後、漁具を失った漁師を対象に、地引網と漁船を提供。
並行して、衛生的な乾燥魚の作り方とその販売の方法を指導して、女性の収入向上を支援しています。

参考)
パルシック:津波復興支援(2005年1月~2005年12月)

ジャフナ県での養鶏支援(2007年4月~2009年12月)

2006年7月に始まった第4次イーラム戦争を受けて、2007年初頭にパルシックが食料配布。
その後、始まったのがジャフナ県での漁村の貧窮世帯を対象として養鶏支援です。

各漁村から20世帯前後を対象に、1世帯に雄鶏1羽、雌鳥9羽の計10羽の鶏、鶏を犬や狐などから保護するための鉄製の鶏小屋、給餌器、1ヶ月から2ヶ月分の餌を配布。
また、女性たちに筆記用具を配布して、鶏卵数、販売価格、経費も記録できるように、帳簿付けやマーケッティング活動などの研修を実施。

参考)
パルシック:ジャフナ県で養鶏を支援(2007年4月~2009年12月)

トリンコマリー県での学校修復支援(2009年4月~2010年3月)

第4次イーラム戦争で、政府軍による空爆が行われたトリンコマリー県ムトゥールの破壊された学校の修復支援。

地元の教育省の協力を得て最も被害の大きい学校12校を選定し、教師と保護者で組織するSocial Development Society (SDS) で相談して各学校で修復したい内容を決め、SDSが中心となった修復作業を支援されています。

参考)
パルシック:東部州トリンコマリー県で学校修復支援(2009年4月~2010年3月)

ジャフナ県・ムライティブ県での緊急人道支援(2009年8月~2012年2月)

2009年8月から2010年1月まで難民キャンプでの食料配布、
2010年2月以降はジャフナ県での魚の網、漁船、エンジンを提供、
2012年からはムライティブ県での漁村の復興支援を行っています。

2009年5月18日にスリランカ内戦が終結しました。
そして、かつてのLTTE(タミル・イーラム解放のトラ)支配地域に住んでいたタミル人は全員が、ヴァヴニヤ地方、ジャフナなどの難民キャンプに収容されました。
スリランカ政府軍がその周囲を警戒し、一般の人はアクセスできず、収容された人々は働くことも、畑仕事をすることもできませんでした。
パルシックは、この難民キャンプに対して食料配布を行っています。

2010年1月から収容された人々が出身地域に帰り始めたことを受けて、ジャフナ県での漁具・漁船の提供に移り、その後、ムライティブ県に活動を拡大しています。

参考)
パルシック:スリランカ緊急人道支援(ジャフナ県)(2009年8月~2012年2月)

トリンコマリー県での洪水被災者支援(2011年1月~5月)

2011年1月初旬と下旬に起こった洪水で、被害の大きかったトリンコマリー県南部を対象に2つの事業が行われています。

1つは新学期開始前に文具が洪水被害にあってしまったムトゥール郡の学校16校の生徒3,950人を対象としたノートやペンなどの教育用品の配布。
もう1つはウェルガル郡、セールウィラ郡、ならびにカンタレー郡で全壊もしくは半壊した家屋合わせて207軒を対象としたセメントブロックや木材等の簡易住宅の建設資材の配付です。

参考)
パルシック:洪水被災者支援(2011年1月~5月)

ムライティブ県での帰還漁民への漁具配布事業(2012年3月~12月)

内戦終結に伴い、ムライティブ県マリタイムパットゥ郡に帰還した漁民への漁具配布事業が行われています。
内戦開始の1983年に村を離れて、28年後の2011年に戻ってきた漁民もいるようです。

事業前半の3月〜7月は、マリタイムパットゥ郡の6つの漁業協同組合391世帯を対象に、ファイバーグラス・ボート22隻、外付けエンジン22機、漁網321セット、カヌー(または伝統漁船テッパン)86セットを配布。

事業後半の8月〜12月は、11の漁業協同組合206世帯を対象に、ファイバーグラス・ボート55隻、外付けエンジン55機、漁網32セット、伝統漁船41セットを配布。

漁業には欠かせないものの単価が高いファイバーグラス・ボート とエンジンの配布には「リボルビング・スキーム」を採用し、半額は返済不要のグラントとして事業費でカバーし、残りの半額は漁民が漁協に返済するように設計。

これによって返済金が漁協に蓄積され、各漁協は積み立てられた資金を、いまだ支援を受けられていない人や地域の再生のために使うことができたそうです。

参考)
パルシック:ムライティブ帰還漁民への漁具配布事業(2012年3月~12月)

ムライティブ県での帰還民生活再建緊急支援事業(2013年3月~2017年12月)

2013年3月、ムライティブ県マリタイムパットゥ郡のコクトルワイ村・カルナドゥカーニ村・コクライ村で、帰還民の生活向上・コミュニティ復興のための事業を開始しています。

共同井戸の建設、戦争によって解体した漁協活性化のための研修実施、せり場の建設、村民が皆で利用できるコミュニティセンターの建設とセンターを利用したプログラムを実施されています。

その後、マリタイムパットゥ郡内の他の村落、隣接したプドゥクディルプ郡の村落にも活動地域を広げ、漁網の配布を実施。
さらに、水産資源の枯渇が懸念されているため、持続可能な漁業につなげるために、エビやカニの蓄養、淡水魚の稚魚放流など簡易的養殖の導入を行っています。

2016年11月からは、ムライティブ県の中でとりわけ貧困が顕著な内陸に事業地を移し、マリタイムパットゥ郡・プドゥクディルプ郡・オトゥスターン郡・トゥヌカイ郡の淡水池で漁業を営む漁民を対象に、資源管理と漁協強化による生活向上を目指した事業を実施されています。

生簀を池に設置し稚魚を中間育成し漁獲量の安定を図り、コンピュータ研修や海外視察研修など様々な研修を実施して、漁民の収入の向上と漁協の強化を支援しています。

参考)
パルシック:ムライティブ県帰還民の生活再建緊急支援事業(2013年3月~2017年12月)

マータラ県での洪水被災者支援(2017年6月~10月)

2017年5月25日の豪雨による洪水・土砂崩れで60万人近くが被災したことを受けて、マータラ県コタポラ郡の15村において、被災者支援を行っています。

1.緊急食糧、衛生用品、日用品のセットを150世帯に配布
2.文房具セットを5つの学校で合計377生徒に配布
3.靴と靴下のセットを5つの学校で合計250人に配布
4.マットレスを100世帯に配布
5.洪水、土砂崩れによって家屋が損壊した167世帯に家屋を修復するため建設資材や建設技術者の支援
6.防災セット(救急箱、防水バッグ)を250世帯に配布
7.小規模な土砂崩れの土砂撤去(2世帯)

参考)
パルシック:南部 洪水被災者支援(2017年6月~10月)

スリランカでの民際事業

デニヤヤ県でのキトゥル作りを支援(2010年4月~2011年3月)

スーパーなどで売られているキトルやハクルは、ほとんどが砂糖が添加されており、伝統的な美味しさが失われつつあります。

一方で、デニヤヤの山の中の農民は、孔雀ヤシの樹液からキトゥルやハクルを作っても、市場に出すことができていませんでした。

そこでパルシックは、地元NGOと共に、デニヤヤのキトゥルを市場に出す支援を行いました。

参考)
パルシック:南部州デニヤヤで糖蜜づくりを支援 (2010年4月~2011年3月)

デニヤヤ県での小規模紅茶農家支援(駐在支援2011年4月~2016年3月、遠隔支援2016年4月〜)

デニヤヤの各農家にはクジャク椰子の木は1〜2本しかなく、茶栽培が本業であったことと、「化学肥料や農薬を散布で茶摘みをする娘の手が荒れているので有機栽培に転換したい」という相談を受けたことから、2011年から紅茶の有機栽培転換へ支援内容を変更しています。

スリランカの紅茶産地は7つに分けられますが、その中で標高が最も低いルフナ地区にあるのがデニヤヤです。

ルフナ茶は中東で人気の低地紅茶の産地ですが、中東の政情不安と世界的な不況によって、紅茶産業は沈滞し、地域の小農民たちは安定的な価格と販路を必要としているそうです。

ヌワラエリヤ・ウバ・ディンブラなどの高地帯の産地はイギリス人経営のプランテーション農園が元になっている茶園で働く農民である一方で、デニヤヤは個々に畑を持つ小規模農家が中心です。

デニヤヤが位置するのは、世界自然遺産に登録されているシンハラージャ森林保護区の南側の山間地帯です。

シンハラージャ森林保護区は、スリランカに残された貴重な熱帯雨林で、周辺南部各地の重要な水源地帯にもなっています。
そのため、スリランカ政府や地域住民はこの地域の環境問題への関心が高く、紅茶生産を有機に転換することは、地域の課題でもあったそうです。

また、本来は農薬散布後は一定期間は茶摘みをしませんが、そのような知識や規制がないために農薬散布直後に茶摘みを行うことによって、農民の健康被害と、紅茶消費者の健康にも良くない状況がありました。

そこでパルシックは、化学的に合成された農薬を使用せずに茶を栽培する支援を始めています。

まずはじめに、25世帯の紅茶農家を集めて有機茶農家共同組合「エクサ」を結成し、紅茶の有機転換に着手。
エクサとは、シンハラ語で”共同・連合”を意味する言葉です。

農薬を使用しない有機栽培は、土から作るためとても手間暇がかかる作業です。

エクサのメンバーは、牛を飼い、牛の糞やバナナの皮など、自然由来の堆肥を作っています。
また、スリランカ国内で有機紅茶栽培に取り組む紅茶農園の訪問、日陰樹の植栽などの畑の整備などもされたそうです。

茶葉の加工は、有機栽培の茶葉を専門に取り扱う工場で行われています。

2012年に支援先の農家が50世帯に拡大し、
2020年には支援先の農家が80世帯に拡大しています。

日本向けにデニヤヤ茶に有機ベルガモットの香料を配合した「アールグレイ紅茶」を開発・製造し、
2013年4月から日本国内でフェアトレード商品として販売を開始しています。
2014年に「アールグレイ紅茶」は、一般社団法人 ソーシャルプロダクツ普及推進協会が行っているソーシャルプロダクツ・アワードで、特別賞を受賞しています。

その後、アールグレイ羊羹を商品開発して発売。


現在はフレーバーを付けていない「ルフナ茶」とフレーバーを付けた「アールグレイ茶」が、それぞれリーフとティーバッグで販売されています。

商品はパルシックが運営するオンラインフェアトレードショップ「パルマルシェ」から購入できます。

2016年にパルシックの現地駐在員が撤退し、デニヤヤは現地の自立運営へ移行されています。

参考)
パルシック:デニヤヤ小規模紅茶農家支援(2011年4月~)
パルマルシェ:紅茶のストーリー
パルマルシェ:紅茶商品一覧
一般社団法人ソーシャルプロダクツ普及推進協会:ソーシャルプロダクツ・アワード

ジャフナ県・ムライティブ県でのサリーリサイクル事業(駐在支援2013年4月~2018年3月、遠隔支援2018年4月〜)

北部の寡婦女性たちを対象にミシンを提供、縫製技術を指導して、コロンボをはじめとする南部の女性から寄付してもらったサリーをリメイクして、ブラウスやバッグなどの縫製製品を作るサリーリサイクル事業をジャフナ県で開始。

2014 年後半からはプロのスリラ ンカ人デザイナーによる商品開発を実施。

2015年4月には事業地をムライティブ県にも拡大しています。

縫製製品は「サリーコネクション」のブランド名で、コロンボのショップやオンラインショップのパルマルシェで販売されています。

2017年にスイス、ドイツ、イギリスでの販路拡大のために営業活動をし、定期的に購入してくれる先が日本、アメリカ、スイス、シンガポールに拡大。
スリランカ国内では、取扱店舗数がコロンボを中心に20店舗に。

2018年3月にパルシックの駐在員・事務所が撤退し、
2018年4月からは、女性グループが自立して製造販売を行っています。

2020年4月に縫製技術向上研修を実施。

2021年1月に 2週間 のフォローアップ調査を実施。
コロナ禍で古着サリーの収集が難しくなってい ることから、綿布とサリーを組み合わせた商品の開発を開始。
企業から 発注を受けたロゴ入りエコバッグの製作。

参考)
パルシック公式ウェブサイト:スリランカの南北女性をつなぐサリー・リサイクル・プロジェクト(2013年4月~)
パルマルシェ:サリーコネクション エコバッグ(裏地あり)
パルシック:2020年度活動報告
地球の歩き方:サリー・リサイクル・プロジェクト「Sari Connection」

ジャフナ県での会社設立・ゲストハウスの運営

2013 年9月に会社「KAIS(KAI はタミル語で「手」の意)」を設立し、
2014年にジャフナでゲストハウスをオープンしました。

2016年にはジャフナで2つ目のゲストハウス「KAISシティゲストハウス」を開業。

2018年3月にNPOパルシックとしての北部での活動を終え、その後はKAISが、ゲストハウスの運営、北部各地のガイド、サリーリサイクル製品の販売、ジャフナの女性たちが作る乾燥魚の販売などを担っています。

ジャフナは内戦中は立入禁止区域でしたが、その後は訪れることができるようになり、観光需要も高まっていました。

ところが、2019年の連続爆破テロによって宿泊者が激減し、続いて2020年はコロナ禍で入国が停止され、残念ながら2020年12月末にゲストハウスは閉館しています。

スリランカのフェアトレード商品

アールグレイ紅茶

パルシックが支援を行ってきたデニヤヤの小規模紅茶農家が栽培し、製造されたルフナ茶にアールグレイの香りを付けたフレーバーティーです。

アールグレイ紅茶ようかん

2017年、白あんにアールグレイ紅茶を練り込んだアールグレイ紅茶ようかんを販売開始。

ルフナ茶

2017年9月、フレーバーをつけていないストレートのルフナ茶の販売を開始。

有機スパイスの商品化

2021年にデニヤヤで栽培した有機ブラックペッパーを商品化。
ブランド名はシンハラ語で道を意味する「パーラ」を使った「パーラスパイス」。
将来的には他の事業地のスパイスも巻き込んだ展開をしていく予定とのこと。

スリランカでの民際教育事業

パルシックは、スリランカ・東ティモール・マレーシアなど民際事業を行っている活動国で、スタディーツアー・海外研修・オンラインツアーなどの民際教育事業を行っています。

スタディーツアー、海外研修

海外研修は、依頼を受けた日本の大学や学校に合わせてプログラムを組んでいます。
一般の人が参加できるスタディーツアーも毎年開催しています。

スリランカでは、デニヤヤの紅茶農家を訪ねるツアー(紅茶農家でのホームステイ・茶摘み・工場見学等)やジャフナなどの北部を訪れるツアーが開催されています。

2012年7月15日〜21日、復興に取り組む漁村の人びとと触れ合う旅
2013年1月5日〜9日、有機紅茶をつくる人びとを訪ねる旅
2013年8月18日〜25日、復興に取り組む人々と触れ合う旅
2013年12月26日〜2014年1月2日、おいしい紅茶のルーツを訪ねる旅
2014年8月17日〜24日、少数民族タミル文化の伝統に触れる旅
2014年12月25日~2015年1月1日、 おいしい紅茶のルーツを訪ねる旅
2016年8月21日〜28日、少数民族タミル文化の伝統に触れる旅
2017年8月14日〜24日、中村尚司と歩く スリランカの歴史ツアー
2017年12月17日~24日、おいしい紅茶のルーツを訪ねる旅 フェアトレード紅茶ツアー
2019年3月16日~24日、フェアトレード有機農業ボランティツアー

2018年には、デニヤヤでエコツアーの内容の充実化・ホームステイの受け入れ対応・施設管理の整備に取り組み、平均1か月に1組のエコツアー客の受け入れたそうです。

新型コロナウイルスの影響で海外渡航が難しくなってからは、活動拠点がある各国と繋いだオンラインツアーを開催しています。

報告会・講座・オンラインツアー

スリランカに関連するイベントや講座が例年開催されています。
コロナ禍までのリアルの報告会やセミナーは広報活動として行われています。

2008年10月31日、和平プロセスにおける日本の役割
2009年5月28日、討論集会:スリランカ内戦の行方と日本の役割 ※反差別国際運動(IMADR)と共催
2009年12月9日、スリランカ 紛争被害地域支援の課題〜日本の関わり〜
2011年10月7日、スリランカの平和と復興支援を考える
2012年11月29日、ジャフナ乾燥魚事業報告会
2013年12月10日、ジャフナ県乾燥魚事業報告会&映画「やさしい女」上映会
2015年2月18日、緊急討論会 「大統領選挙とこれからのスリランカ」
2015年5月15日 、2015年のスリランカ:政局、人権、民族融和
2016年3月19日、スリランカ おいしい紅茶の探索研究〜飲む・食べる・しゃべる〜
2016年9月21日〜2017年12月20日、スリランカ学
2018年10月1日、紅茶のフェアトレードから考える
2019年5月15日 、緊急セミナーと祈りのつどい スリランカ連続爆破事件の背景にあるものは? アーユス仏教国際協力ネットワークとの共催
2019年11月5日、スリランカ内戦復興を振り返る
2020年11月19日、「季節の紅茶を楽しもう!」
2020年12月11日、おうちから参加できるEARTHCAMPのオンラインスタディツアー in スリランカ(共催)
2022年2月10日、スリランカからお届け!ペッパーの魅力

参考)
パルシック:2008年度活動報告
パルシック:2009年度活動報告
パルシック:2010年度活動報告1
パルシック:2011年度活動報告
パルシック:2012年度活動報告
パルシック:2013年度活動報告
パルシック:2015年度活動報告
パルシック:2016年度活動報告
パルシック:2017年度活動報告
パルシック:スリランカ・南部マータラ県デニヤヤ おいしい紅茶のルーツを訪ねる旅

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