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森に眠る古代遺跡リティガラ〜古代の瞑想センター・アーユルヴェーダ病院・図書館など〜

2022年5月12日

3つの世界遺産アヌラーダプラ、ポロンナルワ、ダンブッラの中間点に位置し、スリランカ北部の最高峰、アーユルヴェーダの薬草の宝庫とも言われる厳重自然保護区の一つで、古代の僧院遺跡が残るリティガラについて紹介します。

リティガラとは?

スリランカ北部の最高峰

リティガラは、スリランカの古代文明の第一の都「アヌラーダプラ」、第二の都「ポロンナルワ」、古代からの石窟寺院「ダンブッラ」の中間点にある、スリランカ北部の最高峰で、ドライゾーンの最高峰の山で、シーギリヤ、ダンブッラ、ミヒンタレーなどもよりも高い山です。

「リティ」は、シンハラ語で「棒」を意味し、丘の斜面に生える常緑樹のウパスの木が40m以上の高さになることからウパスの木を意味している、あるいは棒のように長い険しい岩という意味だと考えられています。「ガラ」は、「岩」を意味します。

リティガラには海抜700mを超える4つの峰があり、北3つの峰と南の峯の間には2本の小川が流れる渓谷があります。
リティガラの最高峰は南の「リティガラ・カンダ」で、海抜766m、周囲の平野からは600mの高さになります。

スリランカに3つある厳重自然保護区の一つ

山の最上部は雨が多く、中央高地でしか見られない珍しい植物相が見られ、ヒョウやナマケグマなどの絶滅危惧種も生息していることから、スリランカに3つある「厳重自然保護区(Strict Nature Reserves)」の一つとして厳重に監視・保護されています。(リティガラ、ハクガラ、ヤーラの3つが厳重自然保護区に指定されています。)

リティガラの最上部が保護区に指定されたのはイギリス統治時代の1941年で、現在は森林局が植物相を、野生生物局が動物相をそれぞれ保護対象として指定し、特別な許可を得た生物学者など例外的な人以外は入ることができます。

古代の僧院遺跡

渓谷の麓から中腹にかけて古代の僧院跡が残されています。
こちらは入場料を払うことで見学が可能です。

リティガラの僧院はパンドカバヤ王(前437-367)、
スラティッサ王(BC187-BC177)の治世に、サンカ・ヴィハーラとして知られる別の仏教寺院がリティガラの麓に建設されたそうです。
ランジ・ティッサ王(紀元前119~109年)が創設し、パダナグハラ・パリヴェーナの伝統を受け継ぐ僧院群に貯水池を奉納したことが、この地で発見された碑文に記録されています。

ジェッタティッサ王はインドの侵略者から国を救う前に、リティガラで軍隊を組織したそうです。

古代の瞑想センター・瞑想の道・アーユルヴェーダ病院・図書館などが見られますが、それらはセーナ1世(846~866 AD)が僧侶に寄進して建設したものだとされています。

リティガラは、パンスクリッカという禁欲的な仏教宗派の拠点でした。

周囲に貯水池が多くあることから、リティガラ周辺には住人も多く、王国の重要な仏教拠点として栄えます。
禁欲的なパンスクリカの僧院でしたが、それとは裏腹に多くの寄進が行われ、財力も蓄えたとも言われます。

ところが、チョーラ朝によってアヌラーダプラが滅ぼされるとリティガラも放棄されます。

イギリス植民地時代の調査官ジェームス・マンテルによって山の森林の中から再発見されるまで、森の中で眠っていた古代遺跡です。

仏教僧院遺跡巡り

山の麓から山頂に向かって、僧院遺跡が残っています。

麓の沐浴場を過ぎて階段を登るとレセプションホールがあり、さらに階段を登ると病院跡があり、一番上には瞑想台があるという階層的に遺跡が残されています。

入場料を払う

駐車場の奥に考古学事務所があり、そこで入場料500ルピーを支払います。

沐浴場「バンダポクナ」

考古学事務所の裏にあるのが、巨大な沐浴場「バンダポクナ」です。

アヌラーダプラやポロンナルワにも「ポクナ」がありますが、ポクナとは沐浴用の人工池のことです。
「バンダ」は、体を意味します。

バンダポクナは決壊する前は、約900万リットルもの水を湛えた巨大なポクナであったとされ、多くの巡礼者が訪れていたと考えられています。

インドでも見られる「ガート」と呼ばれる池を囲む階段が見られます。

9世紀に僧侶のために、アヌラーダプラの王セーナ1世が拡張整備をしたとされています。

奥の方までいくと、ガートが崩れています。

レセプションホール

山道を登っていくと、台座が残された遺跡があります。


これらは、僧侶たちの聖域への入口を示すレセプション・ホールであったと推測されています。
許可を得た巡礼者のみが、レセプションホールの後ろにいる僧侶を訪ねることはできたと考えられています。

瞑想の道「チャンカマ・パス」1

レセプションホールを抜けると、石畳の山道が上に続いています。

道は、歩いて行う瞑想のための道だったのではないかと考えられています。

アーユルヴェーダ病院 or 食堂「ジャンタ・ガラ」

さらに登っていくと、病院あるいは食堂であったとされる建物跡があります。

「ジャンタ」は温められたお湯を意味し、「ガラ」は家を意味します。

下の写真の左側奥にお湯を入れたと考えられている正方形の石桶があります。
石桶の手前には、薬草の調合あるいは食べ物の調理の際に使われたと見られる挽き石が並べられています。

治療は、薬草を溶かし込んだ薬湯に患者を浸からせて行なったと考えられています。

瞑想の道「チャンカマ・パス」2

病院跡と最上部にある瞑想台との間にも瞑想の道があります。

道の途中には円形になっている部分があります。

図書館「スッタ」

瞑想の道を出て、左側のジャングルの道を進むとあるそうですが、私は見落としてしまいました。

数100メートル進むと、岩の上にある建物の跡があり、そこに経典や儀式用具を保管していたと考えられています。

現代のような貸出をする図書館ではなく、椰子の葉の写本や祭具を保管する保管庫であったと推定されています。

孤立した岩の上にあるため、野生動物や害虫から保管物を守らやすかったと考えられています。

瞑想台「パダナ・ガラ」

リティガラ遺跡は、禁欲的な宗派「パンスクリカ」の僧院として造られていますが、パンスクリカ僧院の最も特徴的なのが、この二つ一組の瞑想台だと言われています。

「パダナ」はパーリ語で、「努力、運動」を意味するそうです。

写真手前に小さい台があり、奥は床が高い大きな台になっています。

瞑想の道を登ってきたのは、写真の奥からです。
つまり、瞑想の道を登り切ると、手前に床の高い大きな台があり、その奥に床が低い台があります。
この2つの台は石の橋で繋がっています。

奥の小さい瞑想台の裏にはさらに階段があります。

そこを登ると、もう一組の2つの瞑想台があります。

こちらも階段手前が床の高い大きい瞑想台になっています。

ここが遺跡の最上部です。

装飾小便器

パンスクリカの僧侶たちは、派手な装飾を嫌い、他の寺院で見られる仏教寺院3点セットの「菩提樹・仏塔・仏像」がありません。

唯一装飾がされているのが、この小便器だと言われています。

装飾した小便器に小便をすることは、禁欲を是とするパンスクリカの僧侶たちの装飾品に対する侮蔑的行為だったそうです。

僧侶たちが暮らす洞窟

リティガラには、紀元前1世紀から紀元後数世紀の間に僧侶のために作られた洞窟が70個あります。
そのうちの30個から、ブラーフミー文字で書かれた古代の碑文が発見されたそうです。
その1つの碑文には、ドゥッタガミニの弟であるランジャティッサ王がこれを寄進したと刻まれているそうです。

洞窟を仏僧に寄進する前に、洞窟から動物や蛇を追い払い、燻蒸し、内部を掃除して石灰を塗り、上の岩に雨水を逃がすための溝を掘ったといいます。

現在、リティガラの洞窟の半数ほどに仏僧が住んでいます。
駐車場から右に進むと僧院の遺跡エリアですが、左に進むと洞窟エリアに出ます。

洞窟があるエリアは見学者の訪問は可能ですが、僧侶たちの修行を妨げてはいけませんので、静かにする必要があります。

神話や歴史に何度も登場するリティガラ

インドの叙事詩『ラーマーヤナ』に2度登場する

リティガラはラーマーヤナで2度出てくる場面があります。

1度目は、ハヌマーンがシーターを見つけ出し、ラーマに報告するためにランカー島を脱出する際に、リティガラを踏み台にして跳躍します。

リティガラはスリランカ北部とインドの南東部では標高が最も高いのがリティガラです。

2度目はラーマの弟ラクシュマナが、ラヴァナの子インドラジットによって瀕死の重傷を負った時のことです。

ヒマラヤ山脈の山「ドロナギリ」にある万病を癒す薬草「サンジーワニ」があれば、ラクシュマナを救えると言われてハヌマーンはドロナギリまで飛びます。

ところが、薬草を見つけ出すこともできません。
そこでハヌマーンはドロナギリをヒマラヤ山脈から切り取ってラクシュマナの元に運びます。

ドロナギリを運んでいる途中に、山のかけらが落ちた場所の一つがリティガラだと言われています。

ドロナギリのかけらが落ちた場所を、「サンジーバニの欠片」と言います。

スリランカにはサンジーバニ山と言われる場所が5つあります。
リティガラ、アランカレ古代僧院近くのドルカンダ、ウナワトゥナのルーマッサラの3つは共通して、薬草などが生い茂る山や丘にある森です。

残りはマンナールの湿地帯タッラディ、スリランカとインドの国境近くのカチャティーブです。

タミル・ナードゥ州にも「サンジーワニの欠片」があり、サンジーヴィ丘(Sanjeevi Hills)、サトゥラギリ丘(Sathuragiri Hills)、シルマライ(Sirumalai)が山のかけらが落ちてできた丘・山だとされています。

アヌラーダプラ建国の王パンドゥカバヤの決戦地

パンドゥカバヤ王子は、リティガラに野営し、リティガラに住むヤカー族の支援を受けて、王位継承を阻む8人の叔父たちを破って王位について、王都アヌラーダプラを建設したと伝えられています。

パンドゥカバヤ王子が8人の叔父たちと戦った決戦地は、リティガラの北にある「ラブノルーワ」だと伝わっています。

パンドゥカバヤ王は、アヌラーダプラに、アバヤ・ウェワ、ガミニ・ウェワ、ジャヤ・ウェワと3つの貯水池を建設したと言われています。

大臣アリッタが住み着いた山

スリランカの歴史書『マハーワンサ』には、「アリッタ・パッバタ(アリッタの山)」と記述されています。

「アリッタ」は、スリランカ初の仏教王となったデーヴァナンピヤ・ティッサ王の大臣で、聖なる菩提樹の苗木を得るために使者としてインドのアショーカ王の元に派遣されています。

アリッタは、菩提樹を携えてスリランカに戻った後、リティガラの森に住み着いて隠遁生活を送り、スリランカで初の聖人(阿羅漢)となったと伝えられています。

アリッタ・パッバタが、アリッタ・ガラと呼ばれるようになり、「長い棒のように険しい岩」を意味するリティガラに変わったのではないかとも言われています。

スラ・ティッサ王による僧院建設

マハーワンサには、スラ・ティッサ王(在位:紀元前247-237年)は、リティガラに僧院を建て「マクラカ」という名を与えたとあります。
スラ・ティッサ王は、パンドゥカバヤ王の息子です。

スラ・ティッサ王が、リティガラに寄進したという僧院はまだ発見されていません。
僧院ではなく、洞窟を僧侶に寄進したのではないかとも考えられています。

スラ・ティッサ王は、南インドから渡ってきたセーナとグッティカによって殺害され、アヌラーダプラはタミル人によって占領されます。

大悪魔「マハ・ソーマ」が住まう山

ドゥトゥギャムヌ王の猛将リティガラ・ジャヤセーナ(リティガラの勝利の戦士)が、酔った勢いでゴタイバラ(ドゥトゥギャムヌ王の10人の巨人戦士の1人)を怒らせて、ゴタイバラはジャヤセーナの首を切り、その死体を墓地に運びます。

ジャヤセーナに神が同情し、死体が冷める前にジャヤセーナを蘇生させようと、熊の頭を見つけて蘇生させます。
ところが、慌てていたため、熊の頭を逆に装着してしまいました。

その奇妙な姿を見た人々は、恐怖します。
蘇った熊頭のジャヤセーナは、墓地で発見されたことから、「マハー・ソホナ(大きな墓)」または「マハー・ソホナ・ヤカー(大きな墓の悪魔)」と呼ばれるようになります。

マハ・ソホナ(リティガラ・ジャヤセーナ)は、その後もリティガラに住んだと言われています。

ドゥトゥギャムヌ王の陣営地

ドゥトゥゲムヌ王(前161-137)がエラーラと戦った際にリティガラを陣営地としたとも言われます。
しかし、マハーワンサではその山は「アリッタ」ではなく、「カサ」という名前になっています。

ランジャ・ティッサ王による僧院建設

リティガラの洞窟の一つで発見された碑文には、この僧院がランジャ・ティサ王(在位:紀元前119~109年)によって創設されたことが記されています。

ランジャ・ティッサ王は、ドゥトゥゲムヌ王の後を継いだドゥトゥゲムヌ王の弟サッダ・ティッサ王の息子です。

サッダ・ティッサ王が亡くなった時、長男ランジャ・ティッサはルフナ国を治めていました。

次男トゥラッタナが仏教僧の支援によって、ラージャラタの王に就任します。
サッダ・ティッサはルフナからアヌラーダプラに攻め上がり、次男トゥラッタナを倒して、ラージャラタの王に即位します。

この経緯からランジャ・ティッサ王は仏教僧たちと最初は対立しますが、リティガラに僧院を建設し、仏僧たちに薬草を寄進するなどして、仏教僧たちとの関係を改善したと言われています。

ランジャ・ティッサ王が建設した僧院は、スラ・ティッサ王が建設した僧院とは別の第2の僧院であった可能性があると見られています。

マハーセーナ王の瞑想地

マハーセーナ王(在位:277–304年)が、ミンネリヤ貯水池を建設中にリティガラに住んで瞑想したとも伝わっています。

ジェッタ・ティッサ王に戦いに協力

アッガボティ3世(在位:623年-623年)はラージャラタの王に即位すると、ルフナ公国を弟のマナに任せます。
先々代のサンガ・ティッサ王の子「ジェッタ・ティッサ」は丘陵地帯を任されますが、不満でした。

ジェッタ・ティサ王子は、アッガボティ3世を倒すべく、アリッタ山(リティガラ)まで進軍して、地元の人々を仲間に引き入れて、アッガボティ3世と戦い勝利し、ラージャラタの王となります。(在位:623-624年)

しかし、アッガボティ3世は南インドで軍を編成し、ジェッタ・ティッサは敗れ、自害します。

アッガボディ3世は再度王位に就きますが、今度はジェッタ・ティッサの将軍ダトパ・ティッサが反乱を起こし、再度、南インドに逃亡します。

ダトパ・ティッサは王位につき、ダトパ・ティッサ1世となります。

セーナ1世によるパンスクリカへの寄進

チューラワンサには、セーナ1世(在位:846 – 866年)がパンスクリカの僧侶のために、大きな貯水池と斜面の高い場所に新しい施設を建設し、僧院で働く多くの使用人や技師を与えたと記されているそうです。
現在も見られる遺跡は、このセーナ1世による僧院です。

パンスクリカは、8世紀にアバヤギリ派から脱退した僧侶の一派で、自分たちをパンスクリカ(ラグローブを着る者たち)と呼びます。
火葬場から拾ったボロ布をパンスクラといい、パンスクラを着ることは、ブッダに許された13の修行法(dhutanga)の一つであるとされています。

「パンス」はサンスクリット語の「パンサナ」と関係があり、「汚れた」という意味があります。
火葬された死体の灰を意味する「パンシュ」とも関連します。

「クラ」は堤防を意味するとされます。
「パンスクラ」は、火葬場を意味する場合もあります。

パンスクリカたちは、リティガラ、アヌラーダプラ西方僧院(AからKまである)、アランケレ僧院、マナカンダ僧院、を主要僧院としました。

イギリスによる療養所計画

イギリス植民地行政府は、ドライゾーンの療養所の建設候補地として、リティガラを挙げています。

JVPの拠点

1971年、JVPがリティガラのジャングルに潜み、数週間に渡るゲリラ戦を展開しています。

参考)
Lanka Excursions Holidyas:Ritigala ruins in the jungle – monastery of an enigmatic Buddhist fraternity
Ceylon Expedition:Ritigala Sanjeevani Mountain
Wikipedia:Ritigala
Lankapura:Ritigala Mountain
SACRED ISLAND:Ritigala
Sri Lanka View:Ritigala Strict Nature Reserve, Forest, Monastery Ruins and History
Department of Wildlife Conservation:Strict Natural Reserves in Sri Lanka
Amazing Lanka:Ritigala Ruins 
Wikipedia:Padhanaghara
Wikipedia:Maha Sona

 

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