スリランカ定番のお土産ブランド「パラダイス・ロード」の創業者シャーンス・フェルナンドさんへのインタビュー

スリランカのお土産といえば、パラダイス・ロード、ベアフット、スパ・セイロンが3大ブランドではないでしょうか。
その中でも、パラダイス・ロードとベアフットはショップ、ギャラリー、カフェを有し、ジェフリー・バワとも深く関係する、アート・文化の発信地も担っています。
白黒のストライプのバティックやシンハラ文字を使った雑貨で知られるパラダイス·ロード。
その創業者のシャーンス·フェルナンド氏は、スリランカを代表するデザイナーであり、アートコレクターとしても知られ、若いアーティストの育成にも関わっています。
バワのオフィスであった「パラダイス・ロード・ザ・ギャラリー・カフェ」、バワが手掛けたホテル「パラダイス・ロード・ザ・ヴィラ」を経営しているように、フェルナンド氏はバワとも親交がありました。
今回はスリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」の2018年2月号に掲載したフェルナンド氏のインタビュー記事を紹介します。
シャーンス・フェルナンド氏のプロフィール
1949年にコロンボのシンハラ人の両親の子として生まれる。
1987年に雑貨店パラダイス·ロードを創業。
1998年にジェフリー·バワの旧オフィスを改装したパラダイス·ロード·ザ·ギャラリー·カフェをオープン。
2007年に全部屋スイートルームの高級ブティックホテルのパラダイス·ロード·ティンタゲル·コロンボをオープン。
2009年にバワ建築のパラダイス·ロード·ザ·ヴィラ·ベントタをオープン。
創業までの経験
Q.デザイン、アートに興味を持ったのはいつ頃からですか?
子供の頃、私は絵を描くのが好きでした。
母は私に紙やペンなどを買い与えてくれました。
マウントラビニアの名門私立学校のセント·トーマスに通っていましたが、私は毎年賞をもらっていました。
それがデザイナー、アートコレクターとしての私の原点だと思います
Q.デザイナーになる前に、ホテルで働いていたそうですね?
いえ、そのさらに前は最初は広告会社で働いてしました。
その後、20歳の時に転職をして、16部屋のゲストハウスの運営を担当しました。
その経験から21歳でマウント·ラビニアにある別の5部屋のゲストハウスを経営することになりました。
そこから自分の更なる成長を目指してヨーロッパへ旅をしたのちに、オランダのホテルスクールに入学をしました。
そこでオランダ語も学んだので、今でもオランダ語を話すことができます。
Q.なぜ、ヨーロッパの中でもオランダを選んだのですか?
なんとなくイギリスではないなと思い、その次に頭に浮かんだのがオランダでした。
オランダで今の妻に出会い、結婚し、ニュージーランドに移住してホテルで働いた後、オーストラリアに行きました。
オーストラリアには10年住みまして、最初の5年間はホテルで働き、後半の5年間は子どものおもちゃをヨーロッパから輸入するビジネスをやっていました。
パラダイス・ロードのコンセプト
Q.パラダイス·ロード創業のきっかけを教えてください。
オーストラリアからスリランカに出張に行った際、地元のアーティストたちの作品を見て、自分のルーツに可能性を感じました。
スリランカの伝統的なデザインにインターナショナルなテイストを加えたオリジナルのブランドを立ち上げることにしたのです。
私が目指したのは色褪せない普遍的なデザインです。
ジョルジオ·アルマーニやプラダのような、ギミックではないクラシックなデザイン。
ファッショナブル、カラフルなものではなく、モノクローム、ブラック&ホワイト、タイムレスネスがパラダイス·ロードのコンセプトです。
Q.他にパラダイス·ロードを特徴づけるものはありますか?
私はコマーシャリズムが好きではありません。
ニューヨークから百貨店のブルーミングデールズがきたり、ロンドンからコンランショップがきて、パラダイス·ロードをニューヨークやロンドンで売りたいと話をいただきましたが断りました。
何故なら私たちの製品はハンドメイドで生産量が限られているからです。
パラダイス·ロードの代名詞となっている黒と白のストライブのバティックはペインティングではなく、一つ一つ手縫いされています。
先ほどタイムレスと言いましたが、パラダイス·ロードの取り扱い商品のうち、90%のものが創業時から取り扱っているものです。
10%しか入り違えをしていません。ザ·ギャラリー·カフェのフード·メニューの80%は創業時から変わっていません。
デザート·メニューは妻が担当していますが、それ以外のフード·メニューは私のレシピです。
ジェフリーバワとの関係
Q.ジェフリー·バワとの関係について教えてください。
ジェフリー·バワが私たちの家にディナーを食べにきたのをきっかけに、彼とは家族のような付き合いをしてきました。
また、彼は私たちの顧客の一人でもあり、私たちのクッション·カバーを使ってくれていました。
彼はスリランカのデザインに革命的な変化を起こし、スリランカのアイデンティティー、スリランカのスタイルを確立していきました。
それは彼一人で行われたのはではなく、バーバラ·サンソーニ、イナ·デ·シルヴァ、ラキ·セナナヤケなどチーム·ジェフリー·バワによって作られたものです。
私はこの偉大なチーム·ジェフリー·バワを敬愛していますので、ザ·ギャラリー·カフェやザ·ヴィラを運営できていることを誇りに思います。
デザイナーファミリーのフェルナンド家
Q.チームといえば、あなたのファミリーはまさにデザイナーズファミリーですよね!
長女のアンニカはインテリアデザイナーでPRというファッション·コンセプト·ストアを経営し、Mausというセルフ·デザインのレーベルを持っています。
次女のサスキアはアート·ギャラリーを経営し、Papillon du Thé というジェエリー·レーベルを持っています。
娘たちと私はジェネレーションが違いますので、手法は異なるとしても、脱コマーシャリズム、スタイルを確立するという点では共有していると思います。
パラダイス·ロード·ギャラリーズからはたくさんのアーティストが育っていきました。
次女のサスキア·アート·ギャラリーでも次代を担うアーティストを発掘しています。
若者へのメッセージ
Q.若者たちにメッセージをお願いします。
“Follow your spirit” それが一番大切です。
そして、自分自身については自分が責任を負っていることを認識すること。
自分がやるべきことが見えたらそれに集中すること。
お金儲けは後の話で、まずは自分の道で結果を出すこと。
そうすればお金は後からついてきます。
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趣味の旅と町歩きを仕事にしたいと主にアジアを周り、2016年7月、24カ国目に訪れたスリランカで会社を設立することに。2017年2月、スリランカで日本語情報誌「スパイスアップ・スリランカ」を創刊し、2018年9月スリランカ観光・生活情報サイト「スパイスアップ」(当サイト)を開設。公式のインスタグラム、ツイッターのアカウント、ユーチューブチャンネルも運営していますが、つい趣味の個人のインスタ・フェイスブックアカウントを更新しがち。夕日を観るのが日課。
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