福沢諭吉らの支援でスリランカ留学、夏目漱石・鈴木大拙が参禅。渡米して禅をZenとして紹介した釈宗演の前半生を漫画化した『ZEN釈宗演 上 』
福沢諭吉・山岡鉄舟らの支援を得て、明治時代に仏教の原典を学ぶためにセイロン(スリランカ)に3年留学。
その後、鈴木大拙・千崎如幻らを伴い渡米し、万国博覧会の万国宗教会議に参加したり、セオドア・ルーズベルト大統領として会見するなどして、禅をZENとして広め、世界に禅が知られるきっかけを作った釈宗演。
夏目漱石も参禅していたことで知られています。
ヨーロッパ、インド、朝鮮、満州、台湾にも渡航した明治時代のグローバル仏教僧の前半生を漫画した『ZEN 釈宗演』の上巻を、 漫画で出てくる人物やお寺、仏教用語について解説しながら紹介します。
目次
釈宗演とは?
『ZEN 釈宗演』は釈宗演の半生(万国宗教会議まで)を上巻・下巻で分けて扱っています。
まずは、釈宗演の略歴を見ていきましょう。
漫画の上巻
福井県大飯郡高浜町の農家に生まれます。幼名は常次郎。
12歳で、京都にある臨済宗妙心寺派・大本山「妙心寺」の釈越渓に弟子入りします。
釈越渓は福井県出身で、漫画では親戚に当たる縁で弟子入りしています。
釈越渓から釈宗演の諱を授かります。
三井寺(天台寺門宗総本山園城寺)、臨済宗妙心寺派「曹源寺」などでも修行。
1878年、臨済宗円覚寺派・大本山「円覚寺」の今北洪川に弟子入りします。
1883年、5年間の修行を経て、異例の26歳という若さで今北洪川から印可を得ています。
1885年、今北洪川からは反対されますが、鳥尾小弥太の支援を得て、慶應義に入学して英語を学びます。
1887年、仏教の原典を学ぶために、福沢諭吉・山岡鉄舟らの支援でセイロン(スリランカ)に渡航します。
漫画の下巻
明治時代のスリランカへの渡航は命懸けだったそうです。
スリランカに3年留学し、パーリ語を学び、原典を研究します。
帰国途中にシャム(タイ)に渡航します。
1889年、帰国。
1892年、今北洪川の遷化(死去)に伴い、32歳の若さで円覚寺派管長に就任。
1893年、開催された万国博覧会の一環としてシカゴで開催された万国宗教会議に鈴木大拙を伴い参加。
漫画で取り扱っていない後世
1903年、建長寺派管長職に就任。
1904年、日露戦争が勃発し、満州へ従軍布教を行う。
1905年、建長寺派管長職・円覚寺派管長を辞し、東慶寺の住職に。
1905年6月に鈴木大拙を通訳、千崎如幻を侍者として伴い渡米し、ルーズベルト大統領と会見。
1906年8月の帰国までに、ヨーロッパ、インド、東南アジアを歴訪。
1911年、朝鮮に教えてを説きに行っています。
1912年、満州に教えてを説くに行っています。
1913年、台湾に教えてを説くに行っています。
1914年、臨済宗大学(後の花園大学)第二代学長に就任。
1916年、円覚寺派管長に再び選ばれています。
1916年12月、弟子の夏目漱石の葬儀の導師を引き受け、戒名も授与しています。
1919年、遷化(死去)
鈴木大拙らを伴いアメリカで禅をZenとして紹介し、世界に普及させるきっかけを作った釈宗演の人生を漫画で描いて『ZEN釈宗演 上 』
禅とは?
釈宗演は禅(ZEN)をアメリカに広めた人物ですが、禅とは何でしょうか?
禅は南インド出身で中国に渡った達磨が伝えたとされています。
仏教の開祖・仏陀(ゴータマ・シッダールタ)の教えを、2代目・大迦葉(マハーカーシャパ)が直接受け継ぎ、それを28代目・菩提達磨(ボーディダルマ)が、インドから中国に伝え、中国禅の始祖となります。
菩提達磨は、ダルマのモデルです。
達磨(中国禅宗の開祖)の教えは、慧能(中国禅宗の第六祖)まで伝えられ、その後、禅宗五家(臨済宗、潙仰宗、雲門宗、曹洞宗、法眼宗)に分かれています。
仏教・禅の系譜
仏陀(仏教の開祖)
大迦葉(仏教の第二祖)
達磨(仏教の第二八祖、中国禅宗の開祖)
慧可(中国禅宗の第二祖)
僧璨(中国禅宗の第三祖)
道信(中国禅宗の第四祖)
弘忍(中国禅宗の第五祖)
慧能(中国禅宗の第六祖)
南嶽懐譲(慧能の弟子)
馬祖道一(南嶽懐譲の弟子、洪州宗の開祖)
百丈懐海(馬祖道一の弟子)
黄檗希運(百丈懐海の弟子)
臨済義玄(黄檗希運の弟子、臨済宗の開祖)
臨済宗とは?
漫画の主人公「釈宗演」は臨済宗の僧ですが、臨済宗について見ていきます。
臨済宗の開祖は中国の唐代の僧「臨済義玄」です。
慧能(中国禅宗の第六祖)の弟子・南嶽懐譲から始まる系譜に臨済義玄がいます。
臨済義玄は、河北省の臨済寺を拠点としました。
中国臨済宗の系譜
慧能(中国禅宗の第六祖)
南嶽懐譲(慧能の弟子)
馬祖道一(南嶽懐譲の弟子、洪州宗の開祖)
百丈懐海(馬祖道一の弟子)
黄檗希運(百丈懐海の弟子)
臨済義玄(黄檗希運の弟子、臨済宗の開祖)
日本臨済宗の開祖「栄西」
臨済宗は、中国・南宋の時代に南宋に留学した栄西が日本に伝えました。
栄西の略歴を見ていきます。
栄西は岡山の吉備津神社の神職の息子として誕生。
14歳で比叡山延暦寺にて出家得度。
1168年4月18日、平家全盛期の平清盛の時代に平家の支援を受けて、28歳で禅宗が繁栄している南宋に留学。
浙江省の天台山万年寺を訪れ、天台密教を学び、9ヶ月滞在。
1185年の壇ノ浦の戦い、1186年の平頼盛の死去により、平家が滅亡。
1187年4月に栄西は南宋へ2回目の渡航をします。
インド行きを南宋の都で願い出るが、中国からインドに通じる3本の道はモンゴルの影響下に通行できないため、許可がおりませんでした。
5年間滞在し、茶の種を持って帰国。
1191年、肥前(佐賀)の霊仙寺に茶を植え、佐賀県吉野ヶ里町にある霊仙寺跡は「日本の茶の栽培の発祥地」とされ、吉野ヶ里町の茶は栄西茶と称しています。
1194年、島津氏の祖・島津忠久の命により、薩摩国に感応寺を創建。
1195年、博多に日本初となる禅寺・禅道場「聖福寺」を創建し、後鳥羽天皇から「扶桑最初禅窟」の扁額を賜ります。
1200年、源頼朝の一周忌の導師を務め、寿福寺(鎌倉五山三位)を建立した北条政子より寿福寺の住職に招聘されます。
1202年、鎌倉幕府二代将軍・源頼家を開基として、京都に建仁寺(京都五山三位)を開山。
華厳宗中興の祖「明恵上人」
釈宗演は兄からインド渡航を2回計画した、華厳宗中興の祖と称される明恵上人の話を聞き、僧になる決意をしたと漫画で描かれています。
明恵は鎌倉時代前期の華厳宗の僧で、京都に栂尾山「高山寺」を開山したことで知られています。
高山寺は、世界最古の漫画とも言われる国宝「鳥獣人物戯画」を伝え、日本の臨済宗の開祖・栄西から貰い受けた茶の種を高山寺に植え、それが「日本最古の茶園」と言われています。
華厳宗とは?
明恵上人は華厳宗中興の祖とされますが、それでは華厳宗とはなんでしょうか?
華厳宗は中国で生まれ、日本に伝わりました。
華厳宗の五祖
杜順(中国華厳宗の開祖)
智儼(中国華厳宗の第二祖)
法蔵(中国華厳宗の第三祖)
澄観(中国華厳宗の第四祖)
圭峰宗密(中国華厳宗の第五祖)
日本への伝来
智儼(中国華厳宗の第二祖)に学んだ新羅の僧・義湘は新羅で華厳宗を開きます。
義湘(新羅華厳宗の開祖、海東華厳宗の開祖)
日本には、奈良時代に新羅で華厳経を学んだ審祥が持ち帰ります。
聖武天皇が日本全国60余か国に国分寺を建立し、奈良に「総国分寺(金鐘寺)」を創建し、これが後の東大寺になります。
東大寺を開山した良弁が金鐘寺に審祥を招き、華厳経を講義し、それを受けて奈良の大仏が建立されます。
その経緯から東大寺は華厳宗の大本山で、奈良の大仏が本尊です。
臨済宗妙心寺派・大本山「妙心寺」
釈宗演(幼名:常次郎)は京都の妙心寺の釈越渓の弟子になり、僧になります。
釈越渓から釈宗演の諱を授かります。
妙心寺は1342年に花園天皇が開基、臨済宗の僧・関山慧玄が開山した禅寺です。
花園大学は妙心寺の境内から発祥しています。
三井寺(天台寺門宗総本山園城寺)
釈宗演は妙心寺以外でも修行をしています。
その一つが滋賀の大津にある三井寺です。
三井寺は、壬申の乱で敗れた大友皇子の子・大友与多王が、父・弘文天皇(大友皇子)を弔うために開基。
開山は空海・最澄と並び「入唐八家」と称される、唐に留学した円珍。
円珍は天台寺門宗の開祖です。
中国天台宗の系譜
龍樹(インドの中観派の開祖)
慧文(中国天台宗の開祖)
慧思(中国天台宗の第二祖)
智顗(中国天台宗の第三祖、天台大師、智顗を開祖とすることもある)
章安灌頂(中国天台宗の第四祖)
智威(中国天台宗の第五祖)
慧威(中国天台宗の第六祖)
左渓玄朗 (中国天台宗の第七祖)
湛然(中国天台宗の第八祖)
道邃(中国天台宗の第九祖)
日本天台宗の系譜
最澄(日本天台宗の宗祖)
義真(天台座主初世、修禪大師)
円澄(天台座主第2世。寂光大師)
円仁(天台座主第3世。慈覚大師)
安慧(天台座主第4世)
円珍(天台座主第5世。智證大師)
天台座主第3世の円仁の没後、円仁派の僧侶と第5代天台座主の円珍派の僧侶で対立が起き、円仁派が円珍派の房舎を破壊します。
それを受けて円珍派が比叡山をおりて、建立したのが三井寺です。
三井寺は、三不動の一つである国宝「黄不動」でも知られています。
臨済宗妙心寺派「曹源寺」
次に挙げられている修行地は、備前岡山藩主池田家の菩提寺「曹源寺」です。
1698年、第2代藩主池田綱政が高祖父・恒興、父・光政の菩提を弔うために創建。
開山は絶外。
臨済宗円覚寺派・大本山「円覚寺」
釈宗演は京都・妙心寺の釈越渓から鎌倉・円覚寺の今北洪川を紹介され、弟子入りします。
円覚寺の創建は鎌倉時代後半の1282年。
1274年の元寇(文永の役)の死没者を供養するために、鎌倉幕府8代執権・北条時宗が、中国・南宋より招いた無学祖元により、円覚寺は開山されています。
時宗は父・鎌倉幕府第5代執権北条時頼が開基である建長寺を開山した蘭渓道隆を師として禅の修行に励んでいました。
蘭渓道隆が1278年(弘安元年)に没してしまったため、時宗は代わりとなる高僧を捜すべく、建長寺の僧2名を宋に派遣。
これに応じて1279年(弘安2年)に来日したのが無学祖元です。
幕末の三舟の一人「山岡鉄舟」
漫画では釈宗演は、勝海舟、高橋泥舟と並び、幕末の三舟と称される山岡鉄舟から、セイロン(スリランカ)に仏教の原典があることを聞きます。
山岡鉄舟は「幕末の三舟」と称されますが、その経緯は以下の通りです。
徳川慶喜から戦後処理を一任された勝海舟は、西郷隆盛との交渉役に高橋泥舟を推薦しますが、高橋泥舟は徳川慶喜の警護隊長を務めていて、江戸を離れられないことから、代わりに推薦したのが山岡鉄舟です。
1868年4月1日に山岡鉄舟は西郷隆盛と階段し、江戸城開城の基本条件の合意を取り付け、4月11日に勝海舟と西郷隆盛が会談して、江戸城無血開城が確定しています。
江戸を戦火から救ったこの3名は舟の字がつくことから、「幕末の三舟」と言います。
山岡鉄舟は剣・書・禅の達人でもありました。
剣では一刀正伝無刀流の開祖になります。
書で知られるのは、木村屋の看板は鉄舟の揮毫。鉄舟は木村屋のあんぱんが好物。
禅では、長徳寺願翁、竜沢寺星定、相国寺独園、天竜寺滴水、円覚寺洪川に参じ、天竜寺滴水和尚から印可を与えられています。
僧籍のない一般の人々の禅会として「両忘会」を円覚寺の今北洪川・高橋泥舟・鳥尾小弥太・中江兆民らとともに創設しています。
両忘会を引き継いだのが、釈宗演の弟子「釈宗活」の弟子「立田英山」の人間禅。
挨拶の語源は禅宗
漫画では山岡鉄舟が「挨拶」は元々禅の用語と発言しています。
「挨拶」は、禅の修行者が互いの修行の成果を質問し合う事によって悟りや知識見識等の深さ浅さを、確認する行為を指す言葉です。
そこから民間へと広まり、人と会った時にとりかわす儀礼的な動作や言葉・応対などを言うようになったとされています。
江戸時代には裁判や科刑などの問題に疑義があるときに各藩が幕府に問い合わせることを挨拶とも言ったそうです。
学費出資の手紙を書いた「鳥尾小弥太」
漫画では、釈宗演の慶應義塾の学費を鳥尾小弥太が出資すると書いた手紙が出てきます。
鳥尾小弥太は長州藩士で、第日本帝国陸軍軍人。
1884年(明治17年)に、維新の功により子爵を授けられています。
1888年(明治21年)、欧州視察から帰国後に東洋哲学会を設立。
1889年(明治22年)に山岡鉄舟らと日本国教大道社を設立。
1898年(明治31年)に大日本茶道学会の初代会長に就任。
1902年(明治35年)に青少年教育を目的に統一学舎を設立。
晩年は参禅生活に入っています。
まとめ
若くして出世し、明治時代に英語を学んで、命懸けでセイロンに渡航した釈宗演の人生は破天荒です。
漫画では釈宗演が苦悩する日々も描かれています。
漫画ですので、すぐに読めますので是非ご覧ください。
仏教の各宗派について調べてみると、仏教の開祖・仏陀から始まり、中国に禅を伝えた達磨、臨済宗の開祖・臨済義玄、臨済宗を日本に伝えた栄西などと、仏教の宗派がどのように脈々と繋がれているかが分かります。
大きくて有名な寺院は開基や開山は歴史上でもよく知られた人物であることも分かりました。
歴史的経緯を知ると、京都や鎌倉の寺院を巡るのも、より楽しくなるように思います。
参照
ウィキペディア「釈宗演」
東慶寺「釈宗演」
ウィキペディア「禅」
ウィキペディア「達磨」
ウィキペディア「臨済宗」
ウィキペディア「臨済義玄」
ウィキペディア「臨済寺 (河北省)」
仏跡巡礼「栄西(えいさい)」
ウィキペディア「明菴栄西」
ウィキペディア「感応寺 (出水市)」
ウィキペディア「島津忠久」
ウィキペディア「霊仙寺跡」
ウィキペディア「聖福寺 (福岡市)」
ウィキペディア「明恵」
栂尾山高山寺「明恵上人」
ウィキペディア「鳥獣人物戯画」
栂尾山高山寺「日本最古の茶園」
華厳宗の開祖や教えとは?修行や葬儀の方法についても紹介
日本最大の禅寺|京都花園 臨済宗大本山 妙心寺 公式サイト
ウィキペディア「妙心寺」
ウィキペディア「花園大学」
天台寺門宗総本山園城寺
ウィキペディア「園城寺」
ウィキペディア「天台寺門宗」
ウィキペディア「天台座主」
ウィキペディア「黄不動」
ウィキペディア「曹源寺 (岡山市)」
臨済宗円覚寺派・大本山「円覚寺」
ウィキペディア「今北洪川」
ウィキペディア「円覚寺」
ウィキペディア「無学祖元」
ウィキペディア「蘭渓道隆」
ウィキペディア「北条時宗」
ウィキペディア「北条時頼」
ウィキペディア「人間禅」
ウィキペディア「山岡鉄舟」
ウィキペディア「鳥尾小弥太」
関連記事
「旅と町歩き」を仕事にするためスリランカへ。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年3月、法政大学社会学部社会学科を卒業。
2005年4月、就活支援会社に入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長などを経験して就職支援会社を退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当。
2016年7月、初めてスリランカに渡航し、会社の登記を開始。
2016年12月、スリランカでの研修受け入れを開始。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年1月、スリランカ情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」開始。
2020年8月、不定期配信の「スパイスアップ・ニュースレター」創刊。
2023年11月、サービスアパートメント「スパイスアップ・レジデンス」開始。
2024年7月、スリランカ商品のネットショップ「スパイスアップ・ランカ」開設。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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