スリランカカレーは札幌スープカレーの故郷!?大泉洋『本日のスープカレー』を読んで
株式会社「農 微生物発酵研究所」、アーユルヴェーダリゾート「アーユピヤサ」を経営する朝比奈学之さんにお会いした際に、見せていただいた本があります。
それが大泉洋さんのフォト&エッセイ集『本日のスープカレー』です。
朝比奈さんのオフィスには壁一面を覆う書棚があり、お話を伺っていると、いくつも参考として本を出してくださいました。
分厚い専門書が並ぶ中で、大泉洋さんのフォト&エッセイ集は異色でした。
開いてみると、本の大半が大泉洋さんが見てきた「スープカレーの故郷スリランカ」を綴った内容になっていました。
スリランカを伝える身からすると、「あの札幌スープカレーの故郷はスリランカだったのか!」という驚きと、大泉さんがスリランカにカレーを求めて行かれているという事実がとても嬉しく、早速アマゾンで調べて本を買ったのでした。
本記事では、大泉洋さんのフォト&エッセイ集『本日のスープカレー』をご紹介しつつ、札幌のスープカレーについて見ていきたいと思います。
目次
スープカレーとはほど遠いスリランカカレー
福岡を中心に九州全域で広く普及してているスープ状の九州式のスリランカカレーがあります。
その九州式スリランカカレーとスープカレーは、スープが基本でたしかに似ています。
しかし、スリランカで食べられているスリランカカレーは全くスープ感はありません。
スリランカカレーの基本は1カレー1食材から作り、いくつものカレーをお皿によそいます。
一種類のカレーに色んな野菜や肉が入っていて、しかも素材が大きな塊で入っているスープカレーとは、見た目にはかなり違います。
大泉さんはスリランカ到着時のことを本にこう書いています。
いや〜、到着早々、衝撃的でしたねぇ〜。
空港まで迎えにきてくれたガイドさんに言ったの。
「スープカレーを食べに来た」って。すると彼が聞き返した。
「スープカレー?」
「そう、スープカレー。サラサラとしたスープ状のカレーで、中に具がゴロっと入ってるカレーです」
すると彼は言った。
『そんなカレーはありません」
スリランカカレーとスープカレーのつながりはどこにあるのでしょうか?
スープカレーの名付け親「マジックスパイス」
札幌スープカレーの元祖と言われるお店は何店舗かあります。
ただ、スープカレーの名付け親は明確で、1993年に札幌に開業した「マジックスパイス」オーナーの下村泰山さんのようです。
下村さんが東南アジアを回って屋台料理を見て、インドネシアのスープ料理「ソトアヤム」にヒントをえて開発したカレーをスープカレーと名付けたそうです。インドネシア語で「ソト」はスープ、「アヤム」は鶏という意味です。
マジックスパイスは有名店となります。
札幌には200店舗ほどのスープカレー屋さんがあるそうですが、増えたのは2000年代の初めと言われていますので、ちょうどマジックスパイスの開業の頃です。
マジックスパイスは2003年に横濱カレーミュージアム、そして下北沢に出店します。この2店舗によって、関東でもスープカレーブームが起きたと言います。
ちなみに、大泉さんの本が発行されたは2004年です。
マジックスパイスを元祖だとすると、スープカレーの故郷はインドネシアのなりそうです。
では、なぜ、大泉さんの本ではスリランカがスープカレーの故郷になっているのでしょうか。
スープカレーの原形はインド薬膳カレー?
スープカレーの名付け親であるマジックスパイスは店名の通り、スパイスをふんだんに使った医食同源の考え方だそうです。
医食同源なスパイスをたくさん使った札幌のカレーがマジックスパイスの前にもあり、それらのお店がスープカレーの草分け、源流とも呼ばれているようです。
一番古いとよく紹介されているのは、富山出身の「薬膳カリィ本舗アジャンタ総本家」を開業した辰尻宗男さん。
喫茶店を経営していた辰尻さんが、体の悪いお父さんに、スパイスをふんだんに使った薬膳カリィを作ったの始まりとされています。辰尻さんはインドに何度も通っていたそうです。
店名はまさにこのエピソードを表しており、「薬膳カリィ」、そして、インドの世界遺産のアジャンタが使われています。
辰尻さんは離婚されていて、元々のお店を引き継いだのが元妻の南美智子さんがオーナーの「アジャンタ・インドカリィ店」。
辰尻さんが新しく初めて、弟子が引き継いだのが「薬膳カリィ本舗アジャンタ総本家」。
アジャンタが薬膳カリィを出し始めたのは1975年頃だそうです。
スリランカ系スープカレー店
大泉さんがスープカレーのルーツを求めてスリランカに訪れた理由が本に綴られています。
札幌市内のいろんなスープカレー店に行くとわかると思うけど、例えば、メニューにルータイプとスープタイプの2つを記すお店があったりするよね。
そんなとき、たいがいスープカレーの方には「スリランカ風」って解説しているお店が多い。
そういうものを目にしているうちに、「ああ、スープカレーって、スリランカ生まれなんだ」と自然に刷り込まれた人が大部分じゃないかな。
この大泉さんの感覚を生み出したであろうスープカレーの源流とされるお店があります。
ポレポレ
アジャンタと同じくスープカレーの源流とされ、同じく1970年代に創業しているお店があります。
1978年に開業した「ポレポレ」です。
ポレポレのオーナーさんがスリランカで修行して開店したお店だそうです。
なぜ、シンハラ語やタミル語ではなく、スワヒリ語のポレポレを店名にされたのか分かりませんが、当時の看板の写真を見ると、スリランカカレーと書いてあります。
ポレポレに昔から通っていた人のブログには、以下のように書いてありました。
スープカレーの元祖は札幌のマジックスパイスだと言われている。しかしそれは正しくない。私が札幌に住んでいた頃にはスープカレーは既に存在していた。しかしそれはスープカレーとは呼ばれておらず、スリランカカレーと呼ばれていたのである。
スリランカ狂我国
マジックスパイスよりも早く開業しているスリランカ系のスープカレー店がありました。
1984年開業の「スリランカ狂我国」です。
オーナーの水谷正巳さんのお父さんは、日本における薬草の第一人者「水谷次郎」さんだそうです。
またもや薬膳ってぽさが出てきました。
スリランカ狂我国は閉店していますが、スリランカカレーという看板が掲げられ、その後にスープカレーという看板も出ています。
大泉さんの本では、水谷さんとの対談が掲載されています。
そこには、こうあります。
水谷:「スリランカはスープカレー」って思っているかもしれないけど、実際にレストランとか食堂ではルーカレーが主流なんだ。ボクのはね、とある家の家庭料理を参考にして作ったもの。うちでこういうタイプのスープカレーを出してきたから、みんな勘違いしたのかもしれないね。
大泉:ほほう。そのカレーを水谷さんはどこで食べたんですか?
水谷:コロンボ。タミル人が作ってくれたスープカレーが、ものすごくうまかったんだ。そのスープカレーを食べなかったら、店をやってみようとは思わなかっただろうね。
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村上カレー店・プルプル
スリランカ狂我国の水谷さんのところで指導を受けた村上義明さんがオープンした「村上カレー店・プルプル」の開業はマジックスパイスよりも、2年後の1995年。そのため、ウィキペディアでは源流ではなく、後続店と紹介されています。
スープカレーの故郷はスパイスの国々である!
他にスープカレーの源流とされるのは、マジックスパイスよりも早い開業が早い、1985年開業の「木多郎」です。
トマト系スープカレーのルーツだそうです。
こうしてみると、マジックスパイス創業前に、スパイスを使った薬膳感のあるカレー屋さんが、マジックスパイスによるスープカレーブームを受けて、スープカレーと括られた(自らも看板を掲げた)ことと、それらのお店によってスパイシーなカレーがアンダーグランドに浸透していた札幌で、一気に広まり、そして、マジックスパイスが関東に進出したことで、知名度が全国的になったということだと思います。
スパイスがふんだんに使われているのがポイントな気がします。
スパイスには以下の四大スパイスというものがあります。
胡椒(コショウ、英語名:ペッパー):インド南西のコラバール地方(ケララ州のたあり)が原産地
肉桂(ニッキ、英語名:シナモン):最高品種の原産地はスリランカ
丁字(チョウジ、英語名:クローブ):インドネシアのマルク諸島(香料諸島)のテルナテ島とティドレ島が原産地
肉荳蔲(ニクズク、英語名:ナツメグ):インドネシアのマルク諸島(モルッカ諸島)のバンダ諸島が原産
スープカレーの源流店とされるお店は、四大スパイスの原産地でオーナーが修行やスパイスを探究しに行っていますので、スープカレーの故郷はスパイスの国々だとも言えそうです。
大阪発のスパイスカレーブームで取り上げられたお店の中にもスリランカカレー店がありますが、スープカレーと同様にスパイスをたくさん使っているからだと思います。
ちなみに、なくなってしまった札幌のスープカレー店で、ラトナプーラというお店があったようです。
やはり、スープカレーの中にスリランカ系というのが存在するんだろうなと思います。
大泉さんの本では、「札幌のスープカレーのスタイルを築いたスリランカ狂我国の水谷さん」と大泉さんの対談が載っています。そこにはこう記載されています。
大泉:ここ数年、スープカレーの店が札幌でも、わーと増えましたよね。いろんなスープカレーの店があるんだけれども、何か一つ暗黙の了解見たいのものがあって、スープの中にチキンや具材が大きくバッと入っている。そのスタイル、どうやって生まれたのですか?
水谷:それがね、ボクがスリランカで食べたスープカレーなの。ただ向こうでは、一つの具材で一品っていうのが一般的。それを一つの器に盛り付けてメニューとして出した、というのがそもそもの始まりかな。
カレーとじゃがいも
スープカレーは札幌発祥ですが、日本のカレーで使われる野菜は北海道を連想するもの、特にじゃがいもが使われているのが特徴的です。
なぜ、じゃがいもが日本のカレーに使われいるのかは、じゃがいもの歴史を記した『世界史を大きく動かした植物』や『ジャガイモのきた道-文明・飢饉・戦争』
などに書いてあります。
じゃがいもの原産地はアンデス山岳地帯
じゃがいもはマチュピチュで知られるインカ帝国の主食でアンデス山脈が原産地で、山岳の寒い地域でも育つ、栄養価の高い食べ物です。
スペインがインカ帝国を滅ぼした際にヨーロッパに持ち帰り、稲作があまりできない土地が豊かでないヨーロッパの土地でもじゃがいは育ち、寒いドイツ(ジャーマンポテト)やアイルランドなどで積極的に栽培されます。
大航海時代の長い船旅で船員がよくなった病気はビタミンC不足による壊血病です。
ジャガイモはビタミンCが豊富で保存がきく食材で、船旅でも重宝されました。
江戸時代にジャカルタからきたジャガイモ
日本には江戸時代に、オランダ植民地のジャガタラ(現在のジャカルタ)経由でじゃがいもは入ってきたため、ジャガタラ芋と呼ばれ、その後、じゃがいもと呼ばれるようになりました。
メキシコ原産で暖かい地域で育つサツマイモは、甘味もあることから西日本で積極的に栽培されます。
じゃがいもは淡白な味のため、あまり普及しませんでしたが、寒いところでも育ち、栽培力が高く飢饉対策にも有効ため、北海道で育てられます。
川田龍吉男爵の男爵芋
明治40年、川田龍吉男爵がアメリカから種イモを取り寄せ、函館郊外で栽培を初め、それが後に、男爵芋と言われるようになり、全国に広がっていきます。
イギリス海軍、日本海軍から伝わったカレー
カレーの語源は諸説ありますが、タミル語でスパイスで野菜や肉などを料理した汁状のものを意味する「カリ」を、インドを植民地支配したイギリスが英語風にカリーと言ったとされています。
イギリスはスパイスを組み合わせてカレー粉を開発。すると、カレーは簡単に作れる料理になり、船旅では日持ちがしない牛乳の代わりに保存性の高いカレーパウダーでシチューを作ったのが、イギリス式のカレー、日本に伝わったカレーだと言われています。
揺れる船の中ではスープ状のものよりも、とろみがあるものがよく、とろみがあるカレーになったのではないかと言われています。そして、船旅のビタミンC源だったじゃがいもも材料に使われたのではないかと言われています。
日本海軍は漬物やもやしを食べてビタミンC不足にはなりませんでしたが、ビタミンB1不足による脚気に悩まされていました。
ビタミンB1を含む肉類やじゃがいもなどの西洋料理を食べる上官は脚気にならなかったため、日英同盟の関係から日本海軍はイギリス海軍を見習ってカレーライスを食べるようになります。
日露戦争後に兵士が家庭に帰ると、カレーライスが一般家庭に普及します。
肉とじゃがいも
カレー粉ではなく、日本家庭の身近にある砂糖と醤油で料理すると、肉じゃがになります。
味が淡白で江戸時代には普及しなかったじゃかがいもは、肉との相性がよく、明治以降に肉食文化が日本にも広まる中で、肉と一緒に普及します。
肉じゃが、カレーライス、シチュー、コロッケが明治時代に普及した、肉とじゃがいもを使った料理です。
スープカレーも、日本式カレーも、色んなところを経由して、今の形になっているというのが面白いなと思います。
まとめ
最後は大泉洋さんの本やスープカレーから離れて、日本式カレーの話になってしまいましたが、大泉さんの本にはスパイスカレーとの出会い(マジックスパイスが最初に食べたスープカレーだそうです)、スープカレーではないですが、チーム・ナックスの聖地だという札幌市豊平区のカリー軒、大泉さんのスープカレーのオリジナルレシピが5つ紹介されています。
また、コロンボやピンナワラ などの大泉さんが訪れた場所の写真が何枚も掲載されていますが、その中で目を引いたのがキングスバリーの屋上が撮られた写真です。まだ埋め立てがされていない、砂浜に砲台が並べられた様子が見られます!スリランカ好き、カレー好きな方は楽しめる本だと思います。
参照
株式会社「農 微生物発酵研究所」の代表、 朝比奈学之さん
ウィキペディア「スープカレー」
「スープカレー」という食べ物はどう誕生したの?元祖の店舗で聞いてみた
食べログ「スリランカ狂我国」
札幌・スープカレーに第3世代
札幌スープカレーの元祖ポレポレのスリランカカレー | 月映日記
札幌のソウルフード・スープカレーの歴史とおすすめの名店
【スープカレー】栄通の『ポレポレ』は古くからある美味しいお店!
食べログ「ポレポレ」
日本における薬草の第一人者「水谷次郎」
スープカレーの元祖おおいに語る
いまや札幌名物のスープカレー、そのルーツを徹底解明 [北海道と食]
ウィキペディア「アジャンター石窟群」
元祖の味、薬膳カリィ本舗アジャンタ総本家
食べログ「木多郎」
本場以上!? 東京の激うまスープカレー店|カレーおじさん\(^o^)/の#カレーなでしこ vol.5
ウィキペディア「ソトアヤム」
下北沢新聞「下北沢のスープカレー専門店「マジックスパイス」が10周年」
カレー考察 なぜ、これらの店は閉店したのか?
世界四大スパイスって知ってる?スパイスの歴史がすごい!
ウィキペディア「テルナテ島」
ウィキペディア「ティドレ島」
カリー軒
ウィキペディア「壊血病」
ウィキペディア「脚気」
関連ページ
SPICE UP LANKA CORPORATION (PVT) LTD Managing Director
SPICE UP TRAVELS (PVT) LTD Managing Director
「旅と町歩き」を仕事にしようとスリランカに移住。
地図・語源・歴史・建築・旅が好き。
1982年7月、東京都世田谷区生まれ。
2005年4月、法政大学社会学部社会学科を卒業後、六本木の人材系ネットベンチャーに新卒入社。
2015年6月、新卒採用支援事業部長、国際事業開発部長を経てネットベンチャーを退社。
2015年7月、公益財団法人にて東南アジア研修を担当しながら、新宿ゴールデン街で訪日外国人向けバーテンダー。
2016年7月、スリランカに初めて渡航し、法人設立の準備を開始。
2017年1月、SPICE UP LANKA CORPORATION (PVT) LTDを登記。
2017年2月、スリランカ情報誌「スパイスアップ・スリランカ」創刊。
2018年2月、スリランカ観光情報サイト「スパイスアップ」開設。
2019年11月、日本人宿「スパイスアップ・ゲストハウス」オープン。
2020年8月、ニュースレターの配信を開始。
2020年10月、WAOJEコロンボ支部立ち上げ初代支部長に就任。
2023年2月、スリランカ日本人会理事・広報部長に就任。
2025年6月、SPICE UP TRAVELS (PVT) LTDを登記。
渡航国:台湾、韓国、中国、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、エジプト、ケニア、タンザニア、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ
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