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鎌倉五山第一位「建長寺」とスリランカ

2022年6月26日

スリランカに留学した釈宗演は、1903年(明治36年)〜1905年(明治38年)に円覚寺派管長と建長寺派管長を兼務しています。

建長寺では、円覚寺や東慶寺のように釈宗演の足跡を感じられませんが、ジェフリーバワのルヌガンガに作品が展示されている隈研吾さんが養老孟司さんの依頼で虫塚を設計されています。

また、釈宗演の下に参禅した夏目漱石が建長寺の鐘を詠った俳句も有名です。

小説家の佐伯泰英さんは、スリランカの旅の様子を著書に書かれていますが、建長寺派宗務本院が発行している冊子に佐伯泰英さんがキャンディを訪れた時の写真が掲載されていて、スリランカとのつながりをいくつか目にしましたので、建長寺について紹介したいと思います。

建長寺とは?

建長寺は、建長5年(1253年)に、鎌倉幕府第5代執権の北条時頼が、南宋の僧・蘭渓道隆を開山として招き、創建されました。

日本で最初の禅寺、あるいは栄西が建久6年(1195年)に開いた福岡の聖福寺に次ぐ、関東最古の禅寺とも言われます。

山号の「巨福山」は「大きな福をもたらす寺」という意味。

建築は、総門・三門・仏殿・法堂・方丈が一直線に連なる中国の禅宗様式に基づいています。

仏殿前の庭園の柏槇(びゃくしん)は、開山の蘭渓道隆が中国から持ってきた種子を植えたものと言われている樹齢760年の木です。

蘭渓道隆が植えたと伝わる柏槇

鎌倉大地震で被災

建長寺は、1293年(第9代執権・北条貞時の時代)の鎌倉大地震で、建物の多くが倒壊炎上してしまいます。
元から来日した一山一寧が第十世となり再建にあたります。
総門の額に掲げられている「巨福山」の字は、一山一寧によるものです。

その後もたびたびの火災で建物を失い、江戸時代に徳川家の援助を受けて、主要な建物が新築あるいは移築されています。

江戸初期の徳川家による援助

1647年、芝の増上寺にあった徳川秀忠の妻で家光の母「お江」の霊屋から移築され、霊屋が仏殿に、霊屋の門が方丈の正門(唐門)として使われ、再来庵の中門も同時に移築されたものだそうです。

方丈の正門である「唐門」

 

奥に映っているのが仏殿、手前は法堂(1814年に再建されたもの)

 

仏殿の内部(本尊・地蔵菩薩)

江戸後期

三門(1775年に万拙硯誼和尚などの努力によって再建)

明治時代

半僧坊からの眺め

境内の奥にある半僧坊は、明治23年(1890年)に建長寺235世霄貫道師が静岡県の奥山方広寺から勧請。

関東大震災で被災

関東大震災で大きく被災し、1940年に京都にあった般舟院の講堂が建長寺の「方丈」に、般舟院の正門が建長時の「総門」として移築されています。

それぞれ天明3年(1783年)に建立されたものです。

方丈の内部

 

方丈の内部

 

方丈の入口

 

方丈から見る庭園

参考)
建長寺公式サイト

建長寺派管長を務めた釈宗演

鎌倉五山の寺格は以下の通りです。
第一位:建長寺(建長寺派大本山)5代執権・北条時頼が開基
第二位:円覚寺(円覚寺派大本山)8代執権・北条時宗(時頼の子)が開基
第三位:寿福寺(建長寺派)北条政子が開基
第四位:浄智寺(円覚寺派)10代執権・北条師時が開基
第五位:浄妙寺(建長寺派)足利宗家2代当主・足利義兼が開基

釈宗演は、円覚寺派と建長寺派の管長を兼務しましたが、管長とは一宗一派を管理する最高責任者のことです。
鎌倉五山は建長寺派と円覚寺派の寺院で構成されていますので、この二つの管長を兼務したということは、鎌倉五山の最高責任者とも言えるような立場にあったのかもしれません。

夏目漱石の俳句

創建2年後の建長7年(1255年)に、物部重光によって鋳造された国宝の梵鐘。

明治26年(1893年)、高等師範学校の英語教師になった夏目漱石は神経衰弱・強迫観念にかられるようになり、円覚寺の釈宗演の下に参禅して治療を図ります。

明治28年(1895年)、漱石は高等師範学校を辞職し、愛媛県尋常中学校(現:松山東高校)に英語教師として赴任。
この時の漱石の下宿先「愚陀仏庵」に友人の正岡子規が52日間居候し、その時に漱石が読んだ句が新聞に掲載された「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」。

その二ヶ月後に、子規が読んだ句が「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」。

パキスタンから寄贈された釈迦苦行像のレプリカがある法堂

文化11年(1814年)に再建された法堂には、2005年の愛知万博に陳列されたラホール中央博物館所蔵の釈迦苦行像のレプリカが、万博終了後にパキスタンから建長寺に寄贈され、法堂に安置されています。

天井には、創建750年を記念して2003年に小泉淳作が描いた雲龍図があります。

養老孟司発案、隈研吾設計の虫塚

ジェフリーバワ建築のクラブヴィラの改装を手掛け、ルヌガンガに作品が展示されている隈研吾さんが設計した虫塚。

鎌倉市出身で、昆虫採集を趣味とし、鎌倉昆虫同好会を結成して会長を務めた養老孟司さんが発案されたものです。

6月4日の「虫の日」に完成記念法要が行われたそうです。

虫かごに似せて金網で作られていて、ルヌガンガに設置されている隈研吾さんの作品に何処となく似ています。

金網が苔むしてくれば周囲の竹林と調和していくという設計は、ヘリタンスカンダラマにも通づるところがあるように思います。

以下は虫塚ではなく、境内にある正統院の写真ですが、バワ建築と日本建築の共通点はよく指摘されますが、バワ建築でよく見られるロッジアと似たものを感じます。

参考)
Casa BRUTUS:隈研吾が設計した虫のための慰霊碑。

達磨像

半僧坊に向かう道の途中に達磨像があります。

達磨(ボーディ・ダルマ)は中国に禅を伝えた中国禅宗の開祖とされています。

その出自はタミル系王朝でカーンチプラムを都としたパッラヴァ朝の三男であるという説と、ペルシャ系の中央アジア人と説の二つがあります。

東大寺大仏殿の開眼供養法会で導師を務めた菩提僊那(ボーディ・セーナ)は、シンハラ王朝とも関係が深いパーンディヤ朝の都であったマドゥライの出身と伝わっていますが、スリランカ関係者として、菩提僊那と達磨はインド世界と日本をつなぐ重要な人物だと思っています。

スリランカを旅した佐伯泰英

建長寺派宗務本院が発行している冊子を開いたら、「文庫書き下ろし時代小説」という新たなジャンルを確立し、2018年に菊池 寛賞を受賞したベストセラー作家・佐伯泰英さんの紀行が掲載されていました。

佐伯さんは旅したスリランカについて、スナップ写真とともに著書『惜櫟荘の四季』に書かれています。

参考)
岩波書店:惜櫟荘の四季

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