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鎌倉尼五山第二位「東慶寺」とスリランカに留学した釈宗演

2022年6月30日

スリランカに留学した明治時代の高僧・釈宗演は、円覚寺派管長と建長寺派管長をともに辞した後に、東慶寺の住職になり、東慶寺で亡くなっています。

東慶寺には、釈宗演の下に参禅し、英語で禅や仏教に関する書籍を発行して世界に伝えた鈴木大拙のお墓と、鈴木大拙が設立した松ケ岡文庫があります。

1951年9月4日〜9月8日でサンフランシスコにて開催された対日講和会議に出席したセイロン全権のジャヤワルダナ氏一行は、サンフランシスコに向かう前に東京に6日間滞在していますが、鈴木大拙との面会と鎌倉の仏教施設の訪問を希望し、1951年8月31日に東慶寺を訪れています。

本記事では、北鎌倉にある東慶寺について紹介します。

東慶寺とは?

東慶寺は、鎌倉幕府第8代執権の北条時宗の夫人・覚山志道尼が開山、鎌倉幕府第8代執権の北条時貞が開基と伝わる北鎌倉にある寺院です。

夫から離縁状をもらわない限り、妻からは別れることができなかった時代に、駆け込めば離縁できる女人救済の寺として、600年ほど続いた歴史があります。

後醍醐天皇の皇女・用堂尼が護良親王の菩提を弔うため五世住職となり、御所寺、松ヶ岡御所とも呼ばれるようになります。
現在の「松岡山」です。

室町時代には、鎌倉尼五山第二位に列せられています。
現在、東慶寺には鎌倉尼五山第二位に列せられていた太平寺の本尊・木造聖観音菩薩立像があります。

太平寺は、室町時代の1556年(弘治元年)に里見義弘が鎌倉を攻めた際に、住持の青岳尼と本尊の木造聖観音菩薩立像が里見義弘によって奪われて廃寺になっています。
青岳尼は還俗して里見義弘の正室となり、太平寺の本尊は東慶寺の要山尼が里見家との交渉して取り返して、現在に至ります。

江戸時代初期に、豊臣秀頼の息女が千姫の養女として命を助けられ、東慶寺に入寺して、後に二十世天秀尼となっています。

江戸時代中期に、東慶寺と群馬県の満徳寺が、幕府寺社奉行が承認する縁切寺となります。

参考)
東慶寺公式サイト
ウィキペディア:東慶寺
ウィキペディア:縁切寺
ウィキペディア:尼五山

東慶寺の中興開山となった釈宗演

以下の写真は、東慶寺の入口にある案内板ですが、中興開山として釈宗演の名前が記載されています。

釈宗演が住持となる、明治時代の東慶寺について見ていきましょう。

1902年(明治35年)、明治維新で縁切寺法が廃止され、東慶寺最後の院代「順荘法孝尼」が78歳で死去し、尼寺としての東慶寺は幕を閉じます。

1903年(明治36年)に、後に円覚寺管長となる古川堯道が男僧としての第一世住職となります。

1905年(明治38年)に、円覚寺派管長と建長寺派管長を兼務していた釈宗演が両管長を辞して東慶寺の住持となります。
釈宗演は中興開山となり、東慶寺は臨済宗円覚寺派の禅寺となります。

東慶寺にいた釈宗演の下に、鈴木大拙や夏目漱石などが参禅に訪れています。
後に東慶寺の住持となる井上禅定は、少年時代に釈宗演の説法を聞いて感銘を受け、釈宗演の跡を継いだ佐藤禅忠の弟子になっています。

1907年(明治40年)、仏殿が三溪園に移築されています。

1919年(大正8年)に、釈宗演は61歳で東慶寺で遷化。

東慶寺には、釈宗演によるシンハラ文字の書画が保管されています。
東慶寺伝来の寺宝を展示する松岡宝蔵には、釈宗演の遺言書よりおこした扁額がかかっています。

東慶寺に松ヶ丘文庫を創設した鈴木大拙

仏教学者として世界的に知られた鈴木大拙(本名:鈴木貞太郎は、1893年(明治26年)にシカゴで開催された万国宗教会議に釈宗演に随行して、釈宗演のスピーチの英文を作成しています。

その翌年の1894年(明治27年)、鈴木貞太郎は釈宗演から「大拙」の号を授かっています。

1897年に、釈宗演の選を受けて渡米して禅についての著作を英語で発表。
1903年に帰国して、釈宗演が管長を務めていた円覚寺の正伝庵に住みます。

1911年にアメリカ出身で神智学者のベアトリス・アースキン・レイン(日本名:鈴木琵琶子)し、チェンナイの神智学本部にて神智学徒になっています。

神智学は近代スリランカに大きな影響を与えています。
設立者の1人であるオルコット大佐の像がコロンボフォート駅前にあり、道の名前にもなっています。

オルコットの下で活動したノチニ、シンハラ仏教ナショナリズムの代表的な人物となったのが、明治時代にスリランカ来日したアナガリーカ・ダルマパーラです。

1941年、釈宗演の遺言に基づき、鈴木大拙は東慶寺の住持となった井上禅定とともに松ヶ丘文庫を創設。
松ヶ丘文庫は、鈴木大拙の蔵書を元にして設立され、鈴木大拙のパトロンとして知られる安宅弥吉が財政面を支援しています。
東慶寺境内には、鈴木大拙による安宅弥吉へのメッセージが刻まれた石碑があります。

鈴木大拙は晩年、松ヶ岡文庫にて研究生活を続けていますが、その鈴木大拙を訪ねたのが、サンフランシスコ講和会議に参加する前に日本を訪れていたジャヤワルダナ氏一行でした。

東慶寺の住持を務めた井上禅定

少年時代に釈宗演の説法を聞いて感銘を受けた井上禅定は、釈宗演の跡を継いだ佐藤禅忠に弟子入りし、1941年に東慶寺の住持となっています。

住持になった1941年に鈴木大拙と共に、釈宗演の遺言に基づいて、松ヶ丘文庫を創設されています。

井上禅定は、相模工業大学教授、自然保護運動でも知られ、2001年に発行された 新訳・釈 宗演『西遊日記』の監修もされています。

参考)
東慶寺:七仏通誡偈
ウィキペディア:松ヶ岡文庫
ウィキペディア:安宅弥吉
鎌倉手帳(寺社散策):夏目漱石参禅百年記念碑~鎌倉:東慶寺~
ウィキペディア:井上禅定

境内は撮影禁止

梅、花菖蒲、紫陽花など季節ごとに花が美しい境内ですが、2022年6月7日より一般参拝者の境内での撮影が禁止されています。

学者や作家のお墓が並ぶ

東慶寺の奥には、以下のような学者や作家のお墓が多くあります。

・鈴木大拙
・西田幾多郎
・岩波茂雄
・和辻哲郎
・安倍能成
・高見順
・小林秀雄
など

また、苔むした石窟のお墓もあり、とても綺麗な墓地です。

売店

境内の売店には、ムレスナの東慶寺オリジナルのフレーバーティーが販売されていました。

上記の 新訳・釈 宗演『西遊日記』の他、スリランカに関係する書籍なども販売されていました。

2022年3月26日(土)〜3月28日(月)に東慶寺で開催されたアーユルヴェーダ博物館in北鎌倉についても、リーフレットが置かれていて、なんだかスリランカとのつながりを感じてしまいました。

喫茶 吉野

東慶寺は境内の写真が撮れませんので、すぐ近くの喫茶店「吉野」をご紹介したいと思います。

東慶寺の山門の階段脇に「喫茶 吉野」の看板がありました。

いい佇まいです。

窓から見える店内も、なんだか素敵です。
この日は、鎌倉に会社のオフィスを移転した後輩とランチの約束があり、喫茶店に入ると遅刻確定です。
が、僕のことを学生時代から知っている後輩で、9年も同じ会社で働いていましたので、僕のだらしなさはよく知っているので、「ごめん!」と思いつつ入店しました。

お客さんは僕1人だけだったので、「お好きな席にどうぞ!」と言ってもらって、上の写真の席にしたかったのですが、6人掛けのテーブルで、その話に座って、この窓を眺めつつが良かったのですが、6人掛けに1人で座るのが気が引けました。

照明も素敵です。

次に入店されるお客さんにお邪魔にならないよう、奥のサンルームの4人掛けの席に座りました。

上の写真はサンルームの奥の7席置かれたテーブルからは、庭の緑が綺麗に見えます。

店内の写真撮りたいな〜と思いながらも、コーヒーを届けてもらうまで遠慮していたら、お客さんが2名いらして、上の写真の右側の奥にお座りになりました。
その横に素敵なカーテンがかかった窓のある席があったんですが、さすがにお邪魔かなと写真撮影は断念。

注文したコーヒーはモカ650円。
一口目に甘味がきて、苦味のない、厚みのある味で美味しかったです。

コーヒーの種類はブレンド、アメリカン、カフェ・オ・レ、ウインナコーヒー、有機栽培グアテマラ、モカ、キリマンジャロなどがありました。

この日は朝に円覚寺、東慶寺を見て、すでにお腹が空いたものの、建長寺も見てから後輩が経営する会社のオフィスに行くので、カフェモカだったりして?とモカを頼んだのですが、メニューの並び的にはやはり産地のモカでした。

ストレートのコーヒーなのでカロリーはないわけですが、甘味があるからか、なんか栄養が補充されたように思い、元気になって店を後にしました。

北鎌倉にはお店がたくさんあるわけではないので、参拝の休憩に良い喫茶店だと思いました!

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